Mi amas vin.

My life is my message

大きな幕が下りたとき。

 

 

わたしはもう、

日本の社会に生きる誰かに向けて

言葉を綴ることをやめる。

あくまでもその結果としてだったけど

誰かを勇気づけることをやめる。

誰かの背中を押すことをやめる。

 

 

もう、

わたしの言葉が届く人には届いた。

わたしの言葉を受け取ってくれる人は受け取った。

わたしの在り方に

救われる人は救われた。

勇気をもらう人は勇気をもらった。

 

 

 

もう、

わたしを囲うすべての存在が

いちど、ストンと落ちたんだ。

 

 

 

 

涙が出るほどに望む光。

それが覆われることの悲しみ。

 

 

けれど、その涙を前にしたって

当たり前に、

この日本は

この社会は

この世の中は

まわっていく。

 

 

その中で、生きる

その中で、チョイスをしていく。

 

 

 

儚くも一瞬の無常である

この魂の光

この魂の喜び

 

 

その圧倒的な事実を目の前に

わたしの中の1つの幕が下りてった。

 

 

 

 

 

 

 

ストレスなのは

言葉にされないものがおおすぎる。

 

それは、

言葉にできないものじゃない。

最も言葉にすることに価値のあるものを、だ。

 

 

そして

本質から遠い。

遠いものを目にすることがあまりにも多すぎる。

 

それらすべてをシャットダウンするよりも、

この土地から離れた方が早い。

 

 

 

生きるってことの

シンプルさ。

 

本質。

 

ほんもの。

 

 

 

 

それらが

てんでバラバラに散らばっているこの日本。

 

 

 

 

もう、それを前提にされた中にいることも

それが前提のエネルギーに触れることも

限界にきた。

 

その前提の土台の上で

自分が何かを発信するのも

自分が誰かの存在に想いを馳せるのも

その前提による人間関係の軋轢に悲しみを感じるのも

疲れてきた。

 

 

 

もう、

いまの、いるところから

いまの、まなざしへの

 

やることは、すべてやった。すべて済んだ。

 

任務終了   という感覚。

 

 

 

わたしはもう次へいく。

 

 

 

自分を生きた先での

誰かのために生きるだったけど、

それも、やめる。

 

 

 

『みんなにとっての大きな木のような

誰かにとっての居場所になり、

誰かにとっての雨宿りのような、

愛と癒しの存在』

 

その言葉をなぞるように

いまのわたしができうる限りで

リトリートハウスもやった。

いろんな人が涙を流したり

人生の一歩を踏み出すきっかけになったり

ありのままの自分を知ってったりした。

 

いまはもうそれも一区切りで

[わたしの存在が誰かの何かに]って

アイデンティティーやイメージも、

すーっと消え去っていった。

 

 

 

 

大きな何かが、おわったのだ。

 

確実に。

 

 

 

そして、大きな何かが、

はじまっていくのだとおもう。

 

 

 

 

 

日本のエネルギーにわたしはお腹いっぱいになってしまった。

 

 

 

 

もっと、貪欲な《生きる》

 

もっと、シンプルな《生きる》

 

もっと、ただの、《人間》

 

もっと、ほんとうの、《人間》

 

 

そんな、

わたしにふさわしい場所(エネルギー)に

わたしを連れてってあげようとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

今日言えるのはここまで。

 

 

きょうはオリオン座流星群

きらきらと星たちが光ってる。

おやすみ🌙

 

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