Mi amas vin.

My life is my message

『にんげんらしさ』のこころの鎧

 

ただ、純粋に

 

わたしはこれが欲しい

 

 

わたしはこれを望んでるって

 

それが手に入ったら

満たされるし

しあわせだし

喜びなんだってものが、

 

手に入らなかった時、

 

人はこころの鎧を身にまとうのだと、気がついた。

 

 

それは

 

自分が純粋に

こころの真ん中から

望んでるもの

欲しいものが

 

手に入らなかったときの

 

切なさや

苦しさや

痛さや

悲しさを

 

もう2度と味わいたくないとおもうから。

 

自分の身を守りたくなるから。

もう傷つきたくないとおもうから。

 

 

 

だからこころの鎧を着ていく。

 

それはこころの封印とイコールになっていて、

鎧を着れば着るほど

 

ほんとうに望んでいるものが

いざ目の前に来た時に

それを感じれないこころになってしまう。

それを受け取れないこころになってしまう。

 

 

もう、一度諦めたものだから

もう、一度蓋をした想いだから。

 

 

わたしはこの人間のしくみを

生まれて初めて

あたまとこころの実感を持って理解した。

 

 

いまはもう選べる。

 

 

鎧を着たっていいし

蓋をしたっていい。

 

でもそれは、本来望んでいるものとは

どんどん遠ざかる道だから。

 

 

わたしはただ、

 

悲しみを、悲しみのままに。

 

胸の痛さを、痛さのままに。

 

そっと、そのまま、観てあげようと思った。

 

どうにかしなくても

どうにかしてあげなくても、

わたしは大丈夫だよ、って。

 

 

 

ついつい、身を守りたくなって

鎧をつくろうとするのが

殻に閉じこもろうとするのが、

 

『にんげん』なのだなぁと、わかった。

 

そんな『にんげんらしさ』を愛おしいと感じた。

 

 

 

 

その鎧が脱げて

殻から顔をのぞき出して

 

 

ほんとうに望むものと

 

人が出会えたとき

こころが出会えたとき

 

喜びに涙するのだなあ。

嗚咽をあげるほどに。

 

 

上記の話はまゆとなおの、もろ実体験。

まぐあいにおける。

 

 

 

 

いい気づきだった。おやすみなさい。

 

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