Mi amas vin.

My life is my message

わたしの変化によって離れてく人たちよ、こころから、Bless you

 

わたしが

 

これがいい

これはいやだ

これをやりたい

これはやりたくない

 

そんな

わたしの選択の積み重ねで

わたしがわたしの人生を生きるからこそ

できることがあって、

放てる言葉がある。

 

 

 

わたしは

大学生までは、

仲よかった人も

社会人になり、

社会のあれこれに染まってからは

 

めっきり連絡を取らなくなった人

がたくさんいて

集まりがあってもわたしだけ誘われなかったりすることも多くって、

 

でもなぜか

インスタでは

友達の状態で繋がってるという謎が

ちょっと心地悪い。

そろそろ整理をしよう、とおもう。

 

 

 

 

やっぱり

社会にでる中で

《自分らしさ》よりも

その場に適したふるまいや言動が

求められてて、

そうやって、

自分が

自分の本音が

殺されていくんだなって思った。

 

 

わたしのことが許せない人

わたしのことをいいと思えない人

は、

その人なりの

【社会人とはこうであるべきものだ】

【自立とはこうあるものだ】

【正しさとはこうだ】

 

っていうのが、ちゃーーんと、

あるんだなあって、

すごくよくわかったな、最近。

 

 

それが、

いいとか悪いとか

ジャッジするつもりではなくってね。

 

 

そのひとは、

その人なりの

価値観や

大事にしたいものがあって

その人なりの正しさがある。

 

その内容が

わたしとはまるで違うんだなという

圧倒的な事実を、

こころで、はだで、実感したのだ。

 

 

これに至るには

まるで違う世界を生きてるひとと、

本音で、やりとりをするという信頼関係があったからこそで、それは本当に嬉しかった。

 

 

『わたしとはもう関わりたくないように見えてるんだけど、正直に、どう思ってるか、聞かせてほしい』

 

ってね、勇気を出して聞いた。

 

やっぱり、

全く違う環境で

全く違う視点で

日々を生きてる人と

 

思ってることや考えの交換をすること

ことばのやりとりをすることってのは、

 

楽しいことだなってすごく感じた!

 

 

それはわたしにとって、なんていうかな

普段触れることのないものだから。

 

 

わたしはバイトこそいろいろしたものの、

正規にはどこにも雇われてないし

会社にも属してないし

社会人と呼ばれるやつをやったことがない。

 

 

だから、

大多数のひとが持ってる当たり前の感覚を

忘れ去りだしている。

 

 

それはそれでいいのだけれど、

その感覚に乏しいが故に

関係性が離れてゆくのがとても突然&唐突に感じてしまうのだ。わたしだけね。笑

 

 

だから、

自分の中で疑問やもやもやがあったら

こうやって、

リアルなことばのやりとりをしてみるのも

なかなかいいなあと感じた。

 

 

 

そして、

わたしは

昔仲よかったひと

深いところで繋がれたと思えるひと

 

そういうわたしにとっては

大切な存在と思ってた人に

 

離れていかれても

批判されても

否定されても

 

 

それでも、わたしはこの生き方を

やめることができない。

 

そう、はっきりと確信してて。

 

 

もう、わたしのなかで、

『わたしにとって』

生きるってことに、なにが『ほんとうに』大切なのか。

 

それをわかってしまっているから。

 

 

だから

人になに言われても

もうどうしようもないというか

揺らぎようがないのだ。

 

 

 

そしてそのことは、

ある意味めっちゃ幸せなことなんだなって気がついた。ふと、朝、川を眺めながら。

 

 

誰になに言われても

笑われても

バカにされても

批判されても

 

それでも

それでも

 

わたしが、

わたしに、

 

この道がさいこうだ

って

この生き方をする以外ない

って

 

 

そんな風に思えるなんて。

 

 

この、普段は交わることのないひとと

ちゃんとこころでやりとりができたからこそ

気付けたことだとおもってる。

 

 

 

わたしは、

 

生活費を稼ぐために働くこと

世のため社会のためにを第一に生きること

場に合わせて求められることをこなせること

すべてを自分の力で賄い1人で立つこと

 

それを、

ぜんっっっっっっぜん、

大切なことと思ってない。

 

生きるって上で。

 

否定してないよ。

 

『わたしにとっては』全然大切じゃないってこと。

 

 

 

だから興味がない。

 

 

 

どんなに社会的には

地位があって

名声があっても

 

そこには、その人の《実態》ってもんが、1つもないから。(だし、向こうの世界にはやっぱり持っていけないみたい!持っていけるのは愛だってよ〜。)

 

 

 

 

 

この世には

ありとあらゆる世界があって

ありとあらゆる当たり前があって

ありとあらゆる生き方がある。

 

 

その人が、なにを選ぶか、でしかない。

 

 

 

この世にね、

 

『こうしなければならないんだぞ』

 

って言ってる人って、

本当は1人もいない。

 

 

みんな、

そうしたくなかったけど

そうせざるを得なかったから

そんな悔しい気持ちや許せない気持ちから

赤の他人にそう言ってしまうだけ。

 

 

 

そんな負の連鎖が、この社会全体に非常に蔓延している。

 

 

そりゃあ、生きづらいわ。自殺したくなるわ。

 

 

 

でも、

わたしは、

その負の連鎖から抜けること、

誰もが簡単にできることではないんだって

これまた最近知ったの。

 

 

いろんな状況や

いろんな怖さ、

覚悟や勇気や周りとの調和や

いろーーんな兼ね合いのもと、

『本人が』選んでることなわけで。

 

なにを思っていたってね。

 

 

 

だから

わたしはこうやって、

思ったことを

出てくることばたちを

こうやって形に残すだけだけど、

 

みーんなが、

いま、

それ、

最善なのだな

 

と思うことにした。

 

 

ただ

SOSにはいつだって全力で答えるよ。

相談にものる。

 

でも、

決めるって作業は

腹をくくるって作業は

本人にしかできない。

 

 

だからわたしは、

 

その人の中に必ずある、

 

自分にとっての幸せを選択する力

自分にとっての夢や好奇心を選択する力

自分にとって大事なものを、大事にする力

 

 

を、信じることにした。

 

 

 

わたしは別に

 

みんながわたしみたいに生きたらいいのにとは1ミリも思わない。

 

 

わたしが立つために

安心を感じるために

何かを否定したり、

誰かを変えようとするのはもうやめたんだ。

 

 

 

わたしはただ、わたしの作り上げる土台の上に、ただ、在る。

 

 

 

わたしは、

そんな生き方だからこそ

 

 

こころから、

 

腹の底から

 

 

何ができなくても

何かにならなくても

何の役に立ってなくても

何も持っていなくても

何かを目指していなくても

何のやりたいことがなくても

 

 

 

あなたは、

生きてるだけで、

ほんとうに、

ほんとうに、

ほんとうは、

かけがえのない価値があるんだよ

 

 

って、まじでこころから言える。

 

 

 

わたしがそうだし

わたしの大好きな直がそうだから。

 

 

 

わたしはそんな世界観のなかで生きてる。

 

 

 

 

 

だからわたしは

あなたが

何ができなくても

何かになれなくても

なんの役に立ってなくても

 

「それがどうかしたの?」

 

ってなる。

 

わたしは

ただ、あなたのままで、生きて!と言うよ。

 

 

 

 

何かの役にたたなきゃ

わかりやすく賞賛されなきゃ

社会に貢献してるって思われなきゃ

 

 

そんな呪いが

たまに降りかかってきたりもするけれど、

 

『あ、それって誰のため?』

 

ってなるんよな。

 

ありゃ、なんで誰かのために生きようとしてるんだ、わたし、、ってなる。笑

 

 

この呪いの強さったらすごいんだから〜〜

 

 

あ、純粋な承認欲求をわたしは否定していない。それが好奇心になりモチベーションになり、人生は確実に動いていき、広がっていくからね。

 

 

そうじゃない完全に

他者発信のもの。

 

 

これは見分けが難しいかもだけど。。

 

 

 

 

まぁそんなこんなで、

 

すべての出会いと別れ

繋がったり、離れてったり

 

ぜーんぶ、

成るように成ってて

起きているいまそれが、自然である

と言うことなのだなあと

腑に落ちました。

 

 

わたしは結構

確かにあった過去のたのしかった思い出に

引っ張られちゃうのだけど、

過去のわたしと

今のわたしって

まるで違う人間だから、

それでいて周りを取り囲む人間環境が

変化しないわけがないんだよね。

 

 

そこに寂しさとか悲しさを感じてたけど、

そこからもそろそろ抜けられそうだ!

 

 

あのときのわたしは

あのときのわたしなりに

大事にしてるものがあった

 

それに共鳴する人と出会い繋がった。

 

 

いまのわたしは

いまのわたしなりに

大事にしてるものがあって

 

それに共鳴する人と出会い繋がっている。

 

 

 

確かなこの事実に

しっかり目を見開いて。

 

 

《なくなったもの》よりも

《今あるもの》に目を向けよう。

 

 

そして、

離れた人にはBless you を。

 

 

 

わたしの人生のなかで

出会ってくれてありがとう、と。

確かなあの時を、ありがとう、と。

元気でね、と。

 

 

 

自分が変わったら必ず外側も変わる。

それは然るべき出来事。

それが自然。

 

なんだね。

 

 

 

そして、

今この瞬間に

これを読んでいるあなた

これを最後まで読もうと思ったあなた

わたしのブログを読もうと思ったあなた

 

 

この膨大な人生という時間軸のなかで

今この瞬間に

わたしと繋がってるんですね。

 

 

わたしはそれがとってもうれしいですよ!

 

ありがとう!らぶゆー!

 

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