Mi amas vin.

My life is my message

内臓が教えてくれたわたしの潜在意識の闇たち

新潟の実家ですべてをからっぽにした。

 

 

18年間生きてきた自分の部屋をからっぽにするということは、とてもとても大変なことだった。
おばあちゃんが亡くなって、住む人がいなくなったわたしのたいせつな実家も、そのうち無くなる。

 

幼稚園の頃のおばあちゃんと保育士さんとの連絡帳のやりとり、そこからわかるおばあちゃんからわたしへの愛情。寂しかったであろうに健気にママの顔を描いていたわたし。

 

小学生のときに書きためた大量の作文たちでは自分のこころと向き合ってた。感じること全てを文字にし尽くしていた。そして友達と交わしたたくさんの手紙たち。

 

中学のころもたくさんの手紙を友達と交わしてた。
「まゆを悲しませるひとはわたしが許さない」
「まゆがしあわせなら、私もしあわせ」
違う友達が、同じことを言っていた。
これでもかというほどたくさん目にする
「まゆ、だいすき」の文字。

ああ、なんて愛されていたのだろう。

 

記憶って
嫌だった記憶
辛かった記憶
悲しかった記憶が
どでーんと
わたしのあたまのなかにいて。


ひとは、もう傷つきたくないって思う生き物だからそれも確かに自然なことなんだけど、でももったいないことしてるよなあともおもったのでした。時を超えて、そこに在った大きい愛を受けとったよ。わたしと友達だったひとたち、ほんとうにありがとう。

 

高校の頃は、全力投球で取り組んでた部活で書いてたノート。これは、わたしがいまやってるオンラインサークルとおんなじだった。自分が感じてるすべてのこと、人にはなかなか言えないけど抱えてるありのままを綴り、そこから光へと、前へ歩いていく方へと肚を決める。そんなたいせつな生き様がつづられていた16冊もの部活ノート。そしてlogbookには初めて海外に行って、オーストラリアで出会った愛とハグと星空とに心震わせたことがたくさん記録されていた。
何度も練って何枚もの原稿用紙の果てに出来上がった大学入試の自己推薦文に、合格したけど中退した北海道教育大学の合格通知書。

 

保育園、小学校、中学校、高校と
わたしの人生を記録してきたたくさんの紙、紙、紙。

 

愛そのものを捨ててるようで心苦しかったけど紙と愛のエネルギーとをがんばって引き剥がした。ぜんぶぜんぶ、目を通して、その時関わり繋がってきたすべてのひとにありがとうを伝えて、わずかな残しておきたいものだけ残して、捨てるものは全部ありがとうって紙にキスをして捨てた。愛は胸に。45ℓのゴミ袋がぱんぱんになった。

 

まだこれからも残した中からより選別したりと整理整頓兼断捨離は続くけど、ひとまず、実家のわたしの部屋はからっぽになった。

 

清々しくすっきりしたような
どこか空虚なような
お父さんと呼んでいたおじいちゃんと、
お母さんと呼んでいたおばあちゃんと
おばあちゃんと呼んでいたひいおばあちゃんと
共に生きて暮らした家。
わたしにとっての唯一無二の『かぞく』と共に生きてきた空間が、物質的に無くなることはやっぱり寂しいし、ここでいってる『かぞく』みんな死んじゃったし。

 

でも不思議なことにそれに合わせた変化もあって。今日は初めてお母さんのほうからハグをしてくれた。革命的だったなあ。感動だった。そのあとのお母さんのパートナーとの奇跡のシンクロニシティにも泣いた。

 

四十九日 兼 おばあちゃんの誕生日だった11/1も仏壇にあるチーンってやつを鳴らしながらハッピーバースデーを歌って祝えてよかった。

 

闇も光も
すべての感情を
すべての記憶を
大切に抱えて、これからの未来に、わたしのこれまでの過去を、活かして生きてゆこうとおもった。

そんな大切な節目となった新潟滞在だった。

今年の秋はひどく美しい。

 

 

 

 

そしてこの新潟の実家で

直がプレゼントしてくれたチネイザンも受けた。

 

わたしのおなかは

わたしの内臓は

かちこちすぎてやばかった。

 

 

たくさんの『ねば』に縛られて生きている

ほんとは人が怖い

そうは見えないかもだけど簡単に人に心を開いていない

肝臓 : 裏切り、憎しみ、嫉妬

心臓 : 悲しみ

腎臓 : 恐れ、不安

があり得ないほどの激痛だった。

もう腹がはちきれるんでねーかってぐらいの痛み。

そしてなんと子宮も冷えて固い。

 

わたしは、

顕在意識てきには、

せっくすもすきだし

性のブロックとかはないと思ってた。

ただ唯一、自分の膣に指をどうしても入れられないのだけはどうしてなのかなとおもっていた。

 

そしたら

無意識下では壮大なことがおきていた。

わたしはおとうさんがお母さんを

散々罵っているのを聞かされてきてて

(あいつは公衆便所だ、尻軽女だみたいに)

そういう親のエネルギーがわたしの中にもコピーされてて、

知らず知らず女性性の否定や

女性は男性によって不幸になるという思い込み(家庭環境から)をもっていたみたい。

 

わたしは、おんなであること

おんなとして身体を求められること

せっくすしたいとおもわれること

てきなものに、

自分の存在価値を感じてた時代があったんだけど、

それは裏を返せば、

そこに絶大な女性性の否定があったからなんだなって、ストンと腑に落ちてしまった。

 

ニュートラル0ではなかったから。

片方にふれてるってことは

そのもう片方があるってことだ。

 

そのもう片方ってのが

潜在意識によるものだとは思ってなかったけど、

思えば人ってみんなそうか、とおもった。

 

無意識に

潜在意識に

思っていること

否定やマイナスを

どうにか0(ニュートラル)にするために

現実で

顕在意識で

あれこれしてるんだもんな、と。

 

 

わたしは、

男性に受け入れてもらうことで

自分を受け入れてた

 

でも

自分では

自分を受け入れられてない

 

=すきなひとのちんこはいれれるけど、自分の指は膣に入れられない

 

 

そういうことだったみたい。

 

 

 

たしかに、

せっくすが、

唯一

わたしがわたしのまんまでいれる

わたしがのびのびとわたしでいれる

そんな拠り所だったかもしれない。

 

 

 

とまぁ、そんなあれこれ

生い立ちから

家庭環境から

強烈なこころのブロックを

身につけてるわたしだけど、

それだけど6生まれで

愛の人、人を癒すことができる・したい

って素質があって、

 

その光と愛

この闇とブロック

 

 

そのギャップが

その差が

激しすぎて

 

身体に負荷がかかったり

ストレスが大きかったりする

 

と言われた。

 

でもこれは定めなようなものなんだなとも思った。

 

愛の人として生まれてきたからこそ

強烈な闇を体験する。

 

強烈な闇を体験するからこそ

強烈な愛と光を放つことができる。

 

なんか、そうおもったんだよね。

 

 

だから、

わたしはまさにいま

このきぼうのいえという場所で

瞬間瞬間に、

自分のこころのブロックと出会って

涙を流して

これまでとは違う世界への一歩を

踏み出している。

 

 

そりゃー内蔵もかちこちになるわ!

と、自分で思うほどに、自分で納得するほどに

強烈なものたちを、自覚してる。

 

そしてこうやって他者に助けられながら

だせて、ゆるせて、なけて、らくになって、

助けてもらえるんだと

ひとりで抱え込まなくていいのだと

体感して、

ああ、こうやって生きるのが楽になって

ああ、こうやって内臓が柔らかくなるのか、と感じている。

 

 

もうこれまでがんばってきたパターンに

思考は働けど、

行動はできなくなってきた。

 

もう、心をおいていくことはできなくなってきた。

 

心をおいて

これまでのパターンのままに

行動をしようとすると

涙が出るようになってきた。

 

素直って、こういうことなんだな

っておもった。

 

チネイザンのひとにも

「内蔵は硬くとも

まゆさんはすっごく素直な人だね」って言われた。

 

わたしの内臓に

「こうなってね〜」と言うと

すぐにそのようになるんだって。

 

いまは毎晩おなかをゆたんぽであっためて、もみもみしてる。

 

 

わたしは、あのチネイザンセッションのときの

子宮

腎臓

肝臓

腎臓の

ありえないほどの

激痛を

忘れはしない。

 

あの痛みほどの

こころのブロックが

わたしには在るのだということを

忘れはしない。

 

 

この愛おしき闇たちとともに

愛と光を。

 

 

少しずつ

手放していって

少しずつ

開いていって

そしたら

欲しいものはなんでも手に入る

スーパーサイヤ人になるみたいだから

その道を、向き続けるよって

意思を、意図を、持とう。

 

らくに、

しあわせに、

ゆたかに、

わたしが生きることを

わたしが叶えようね。

 

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