Mi amas vin.

My life is my message

大学を辞めて3年の今日。

 

なんと、わたしが大学を辞めたのは

3年前の今日だった。

 

え!?たった3年しか経ってないの!?ほんとに!?

という感覚。

 

人生イチ濃ゆくて深ーーーい3年だった。

自分とも向き合い

パートナーの直とも向き合い

自分の家族とも向き合った。

 

 

この時期、

誰よりも大学を辞めることに反対してたのが、わたしのおばあちゃん。

 

そして、辞めたことによって、生命を煌めかせて、誰よりも愛したい、親孝行したいとわたしが思っていたのも、おばあちゃん。

 

 

まさか、大学を辞めた3年後には

おばあちゃんが地球にいないだなんて

思いもしなかったよ。

 

 

深く深くこころの世界を潜ったこの3年。

わかりやすい親孝行なんてできなかった。

 

 

体調を崩した時に

入院してるときに

精いっぱいのエネルギーを注いで

伝えられるだけのありがとうを伝えて

精いっぱいに愛を届けた。

 

 

それを交わせたと思えてる。

 

 

でも、

でも、

できれば一緒に旅行行きたかったなあ

わたしが自分で稼いだお金でおいしいものを食べて欲しかったなあ

って思うんだ。

 

 

 

今、だいすきなあの人は

今、ありがとうと思っているあの人は

今、会いたいなと思っているあの人は

 

1年後にはこの地球にいないかもしれない。

3年後にはこの地球にいないかもしれない。

 

 

だから、

いま、わたしがやることは、

会いたい人に会うこと。

好きな人に好きって言うこと。

愛してる人に愛してるって言うこと。

ありがとうって思ってる人にありがとうって言うこと。

 

それしかないんだよね。

 

 

 

たまたま今日、

わたしの中にある人間関係でのモヤモヤは、

わたしが過去の出来事や感情に固執して

ただ、いじけてるだけ。

ただ、拗ねてるだけなんだと

ちょびっとだけ認められた。

 

だからそれを認めた上で、

この過去の自分の投稿を読んで

『そんなことしてる場合じゃないよね』って、

なんだか思えたなあ。

 

 

 

怖いけど、

自分から踏み出す一歩が

そこに在る愛を

みせてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

【大学を辞め、函館を去る。】

 

飛行機が陸から離れるその瞬間、いきなり涙が溢れてきた。たくさんのひとの笑った顔が浮かんできた。「みんな、愛してるよ」って、心の中でつぶやいた。

 

函館空港までさゆりとさとしともえが見送ってくれた。言葉を交わしハグをして別れた。そのときは涙は流れなかったのに。(や、ちょびっと出たかも。さゆりにつられて)陸を離れたその瞬間に。 

 

 

思えば、本当にたくさんの出来事があった。
本当にたくさんの感情を、この函館で味わった。本当にいろんな思いをしながら生きてた。

 

そして何より
『出会えてほんとうにしあわせだ』
そう言える人がたくさんいた。

 

だからこそ、
込み上げてくるものがたくさんあった。

 

先月、新潟に帰ったときに家族と話し合って、わかり合うことができて、
「茉優は茉優の人生を生きるんね。」と言ってくれた。
1番の課題だった家族の了承が得れたとき

もう何も言い訳になるものがない。
もう何も障壁になるのものがない。

さあ、どうする?自分。ってところに立った。

怖さも、不安もあった。それでも、

 

本当にそれ、やりたいこと?
本当にそれ、たのしいの?
本当にそれ、心踊ってる?
本当にそれ、時間を使いたい?
本当にそれ、いのちを使いたい?

 

そう聞いたとき、いまの大学にあともう1年いること、それは真っ先にNOだった。

【やりたいことをやる】ことと同じくらいに
【やりたくないことをやらない】が大切なんだ。

 

 

新潟に行く前、わたしは静かな決意をした瞬間があった。

 

それは、

家族の願望、期待に応えることだけが親孝行ではないこと。

自分の『ほんとうの声』に従った上で
伝えることのできる愛の形をさがす。

というより、わたしの愛が伝わることを
実験する。試していく。この人生をかけて。

 

《大学を辞める》という選択をして、家族に見放されたり、分かり合えなかったり、悲しみで離れていくかもしれない。

でも、わたしという人間の中にある「愛」は
わたしの魂が輝いてこそ、「ほんものの愛」になる。

 

そのためには

やりたいことをやる。
やりたくないことはやらない。

そんなシンプルなこと。

 

もうこれ以上妥協では生きていけない。
「ほんとうの声」を見過ごしては生きていけない。
自分の人生を生きる。

その人の期待に応えることが、その人を愛している
ではないこと。

その人の願望を叶えることが、その人を愛している

ではないこと。

挑戦してみる。

わたしなら大丈夫。


心から自分を信じれるわたしがいる。

 

ひとまず、今世、この魂とからだと。
この《小林茉優》を、思いっきり生きよう。

って。

そう決意した瞬間があった。

 

だからこそ、あれだけ戦っていて、反対されていたにもかかわらず、大学を辞めることを家族は認めてくれたんだとおもう。いまは心配な思いがありながらも、わたしの進む道を応援してくれてる。偉大な家族をわたしは持ってた。感謝の気持ちで溢れてる。

 

自分の心が決まると、それに合わせて現実も動いていくんだ。

どれだけ迷ってても、天は必ずメッセージを散りばめて、導いてくれてる。

その流れにいかに乗るか。

 

余計なものをどんどんぶっ飛ばして
何が起きるかわからない流れのままに身を委ねて生きてたい。

 

とはいえ、ものすごくたくさんのひとが
「辞めてどうするの?」
「これから何するの?」
と聞いてくる。必ず、聞いてくる。笑

 

『何かをやる』って決まってなきゃ
『何かを辞めることはできない』それもただの思い込みで、必要のない固定概念だった。

と言っておきながら、ざっくりとは決まっちゃってる今後の予定は

千葉にてヴィパッサナー瞑想合宿→年末年始タイにてプラムビレッジ→インド放浪

しばらくはバックパックひとつで
転々と生きてたい。国内も国外も。

 

行きたいところ
住みたいところ
やってみたいこと
働いてみたいところ

たくさんあるから。

それをひとつひとつ。

 

函館にはだいすきなひとがたくさん。
しあわせなことだ。感謝と愛と。
わたしに表現できるだけは表現をした。
だから何も後悔はない。

 

前回の投稿での大学の先生とも
大きなきっかけをくれてありがとうございましたと、最後感謝を伝えることができた。

 

函館という地で、わたしと出会ってくれたすべてのひとへ、ありがとう!愛してる!

 

 

わたしは函館という地で

何にならなくても
何を身につけなくても

夢を叶えることができると知った。

 

 

中学生のころからずっとわたしの胸にあった思い。

それは

【人に影響を与えられるような人になりたい】ってこと。その影響が、誰かの何かへの一歩になればいいなあって。

 

先生にすごくいい影響を受けて
人生が動いてったわたし。恩師と呼べる先生がたくさんいた。

 

そんなわたしは

「わたしも先生になって、子供にいい影響を与えれるようになりたい!」って思った。

でも、それは先生になる必要はなかった。

 

ただ、わたしが【わたしらしく在ること】。それだけでよかったんだ。

 

それを教えてくれた、みんな。ありがとう。

これからも感性のままに、直感のままに、わたしらしく生きていきます。

おわり。

 

 

 

 

 

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