Mi amas vin.

My life is my message

言えた分だけ癒える。自由になる。

わたしの中にあった

不自由感。

 

それは、わたしがつくっている。とは頭ではわかってた。

でもこの前初めて、自分でその不自由な世界から離れることができた。こんなところまで言っちゃう!?ってなことを話せたら、不自由な世界とわたしを離せた。

 

 

癒えるは言える。

話すは離す。

 

 

 

 

 

わたしが、

『こんなことは言えない』

『まさかこれは言っちゃったらやばいよね』

『これを言ったら絶対に悲しい思いをさせる。傷つけてしまう。』

 

そんなふうに思ってることがたくさんあった。

 

性のことで。

 

直に対して。

 

えげつない本音ってやつだ。

 

それが本質からずれてようと

真の願いじゃなかろうと

わたしが、実際に、感じてること、思ってること、考えること。

 

それを封じ込めてた。

 

 

『本質的じゃないから』という呪文で。

 

 

本質的じゃないものは、言っちゃダメ。

直を悲しませるから。って。

 

 

それを封じ込めれば封じ込めるほどに

思考は歪んでゆく

えげつない本音はよりえげつなくなる。

 

 

 

だから、不自由だった。

 

だからすぐに、他のおとこのひととのせっくすを考えるわたしがいた。

 

 

解き放たれたかった。

 

 

自由になりたかった。

 

 

 

でも、

わたしを自由にできるのは、わたしだった。

 

 

 

密かに

思ってること

思ってたこと

考えていたこと

絶対に言えないって思ってたこと

言えばすぐに直の胸を痛めつけて泣かれるってわかってるようなこと

 

 

ぜーーーーんぶ言った。

 

罪悪感がやってくるたびに

ああ、これだから、この痛みが嫌だから、いままで言いたくなかったんだ。

って思った。

 

 

 

こんなことは絶対に言えない

ってこと押し込めれば押し込めるほどに

「どうしてこんなこと思っちゃうんだろう」

「どうしてこんなこと考えちゃうんだろう」

って事柄でわたしがいっぱいになってく。

 

 

 

でも

こんなことは絶対に言えないってことを

罪悪感を超えて

勇気を出して

言葉にして、わたしの中から出させてあげたら、

涙がたくさん溢れた。

鼻水たくさん出た。

 

それは、わたしからわたしへの愛だった。

 

 

言うもん言って

出すもん出したら

せっくすのときみたいな

気持ちよさが身体の中にじんわりと響いた。

 

 

そうか、鼻水でも涙でもえげつない本音や言いたいことでもなんでも、出すって快楽なのか

 

と身体でわかった。

 

 

 

その瞬間のわたしの世界は不自由なんかじゃなかった。  

 

 

 

 

思ってるのに言えない

考えてることあるのに言えない

感じてることあるのに言えない

 

 

そうやって押さえ込んで

自分というひとつの存在の中で

葛藤や軋轢があったら、

 

そりゃあ、わたしがわたしでなくなる。

 

わたしじゃない、わたしは、

誰かと繋がることなんてできっこない。

 

 

 

わたしがわたしで在るために

わたしが繋がりたい人と繋がるために

わたしのたいせつな喜びのために、

 

 

わたしが感じること全て

裁かずに

ジャッジせずに

押し込めずに

すべて、言うこと、出すこと、伝えること。

 

 

それがわたしを生きるってこと。

それがある意味でのまゆ業なんだってこと。

 

よーくわかった。

 

 

 

 

とにかく、大浄化だった。

 

ほんとに、ほんとに、

“そんなことは言えない’って内容だったから。

 

まさかなところが、ほぐされて、揺さぶられて、涙とともに昇華された。

 

 

その時初めて思った。

 

ああ、パートナーシップって、

壮大な 癒しあい なんだなあって。

 

 

4年間直とどんぱちやってきて

反応しまくって

ぶつけまくって

傷つけ合いまくって

生きるか死ぬかみたいな喧嘩たくさんして、

そんな激しめストーリーがたくさんある、わたしたち。

 

 

よく考えたら、

それだけ深いものが揺さぶられるのだから、

深いところからの癒しが起こることは自然なんだけど、

『パートナーシップが癒しあい』だなんて、思ったことなかったなあ。

 

実際、関係が始まってからたくさんのものが癒されてはいて、たくさんのものを昇華させてきたけどね。

 

 

大切になればなるほど

言えない。

 

失いたくないほどに

言えない。

 

相手の傷や胸の痛みが

手にとるようにわかるようになったからこそ

言えない。

 

そんな

『言えない』が言えた先には

壮大な癒しがあるんだね。 

 

 

 

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あ。

そんなふうに、

あなたにとっての

《癒えるの言える》存在に、

わたしはなれたらいいなと思ってるよ。

https://note.com/mayu0706/n/n5dbb75ea73ad