Mi amas vin.

My life is my message

わたしの真実。

 

 

坂爪さんがきぼうのいえに

来たことによって

 

 

様々な嵐が起きた。

様々な火がついた。

 

 

 

 

 

簡潔に言うと

 

 

わたし的に

坂爪さんはめちゃくちゃかっこよかった。

人としてだいすきだなと思った。

 

ただ、共に生きたいだとか

パートナーになりたいだなんてのは

もちろん思わない。

 

 

 

ただ、坂爪圭吾という人間と

 

もっと、はだかのこころで

関わりたい。

つながりたい。

 

そう思った。

 

 

もっと、真のコミュニケーションがとりたい。

 

 

そう思って、

 

一緒にねよう!

 

と言って、一緒に寝た。

 

 

寝る前の、ふぅ〜っとなる時間

2人だけになれる時間

 

それが一番、柔らかいところを

やり取りできると思った。

 

圭吾さんの《にんげん》に出会えると思った。

 

 

 

 

その結果、

 

できた。出会えた。

 

 

手のぬくもりを感じあったり

言葉を交わしたりしながら

やわらかい表情

やわらかい瞳

を見せてくれた。

 

 

それがすごく嬉しかった。

 

 

それは、

1年前くらいに

豊島であだむとセックスしたときと

同じ喜びだった。

 

その時のブログ👇

好きとか愛とかセックスとかまぐあいとか。 - Mi amas vin.

 

 

 

その時は、

あだむとせっくすしたけれど、

圭吾さんとは、

一瞬頭によぎりはしたけど、

でも直のことがわたしの中に出てきて

せっくすをすることは選ばなかった。

 

 

 

 

せっくすはしなかったけど、

 

圭吾さんにも見ることができた。

 

 

あの、あだむとの時間で

 

最も美しいとわたしが感じる

わたしのだいすきな瞳を。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしがこの経験を

のりぴーにシェアしたことによって

のりぴーにも火がついて

 

のりぴーも一緒に寝ると決めたこと

キスしたいと思ったこと

坂爪さんの元へ抱かれに行きたいと思っていること

 

 

すべてすべて、わたしの種には反応していた。

『大っ嫌い』 のおかげで。 - Mi amas vin.

 

 

 

わたしは、

 

圭吾さんのことが人として好きだったけど、

すてきな時間を過ごせてたのに

 

のりぴーという、

比較対象が生まれてしまった瞬間に、

 

 

圭吾さんとの間で、

 

『わたしのほうがこころ開いてくれてるもんね!』

『わたしとの時間の方がすてきだったもんね!』

 

 

 

みたいに、

 

張り合おうとするわたしがいた。

圭吾さんを独占したい、と感じるわたしがいた。

 

 

 

のりぴーの存在がなかったら、

わたしは、起きたことそれだけで

こころ満たされていた。

 

けど、

比較が生まれたその瞬間に。

 

 

 

それは、

わたしが子供の頃

 

ずっと、お母さんの姿が

お兄ちゃんにはえこひいきしてて

わたしには優しくない。

そう感じてきたから、

 

 

 

ねえ、

だれに優しくしてても

だれを愛してても

 

あなたの中にある

わたしへの想いは

変わらないよね?

そこに在り続けてるんだよね?

 

 

って。

 

 

それを確認したくてたまらない苦しさが

わたしの中にはあった。

 

 

 

 

それに気づいてから、

圭吾さんへの

ある種の執着みたいなものが昇華されていき、

 

のりぴーの、

圭吾さんと一度からだもこころも交わりたい

という衝動的な突き動かされる願いを

 

なんの心の濁りもなく

応援できた。

 

背中を押せた。

 

 

 

そして気づいた。

 

 

いままで、

 

直との関係で、

 

やたらと不自由感を感じてきたり

やたらとわたしの中での《自由》の定義に

他の男性とのせっくすを組み込んでいたのは

 

 

 

わたしが出会いたいあの男性の美しい瞳には

せっくすをしなくても出会えるという事実を

知らなかったから。

 

 

あとは、

直の生まれ持った身体、人生、体験その全てを引き受けてでも、請け負ってでも、直と愛し合う人生を願う、その覚悟がわたしになかったから。

 

 

 

直とわたしは、

同じ性器同士だからとか

同時に2人気持ちよくなれないから

どちらかがするしかないけど、

さてどっちからする?みたいな

ギブアンドテイク病みたいな

そういうものを、わたしは感じていたし、

 

 

直があの心と身体で生まれてきたことによる

果てしない苦しみを、わたしは請け負えていなかった。

 

これまでの彼女たちとの間で

ちんこがない分

『頑張って、彼女を気持ちよくさせなきゃ』

と、

すり減らしてきた過去を

自分を犠牲にしてきた過去を

 

癒したくて、

 

なにも頑張らずとも

ただ、受け取っていい

ただ、気持ちよくなっていい

 

そういう体験がしたい

 

 

と言っていた直に対して

 

 

『なんでわたしが直のこれまでの分を癒さなきゃならないの!わたしだからして欲しいとか、まゆに気持ちよくさせて欲しいとか、そういう風に言ってくれたら気持ちが湧き上がるかもだけど、これまでの彼女との間で積もっている、自己犠牲間、理不尽感、不平等感は、直が自分でその時々のチョイスをしてたから感じてきたもの、積もっているものじゃん!わたしには関係ない!そこは自分でどうにかして!そこが癒されて初めてまゆとの性の関係が始まる!』

 

 

って思ってた。

 

 

 

でもそんなん、無理なんだよね。

 

 

 

いま、わたしが

直という人間と

共に生きると

愛すると

決めるということは、

 

 

直という人間を形成している

全ての過去や、体験や、感情を

そのすべてを

請け負うということ。

 

 

 

その過去のあれこれによって

たくさん喧嘩したり

傷つけあったりするけれど、

 

 

そこを避けては、

愛しあえないということ。

 

   

 

わたしは

直という人間、身体、魂、経験

 

そのすべてをひっくるめて

愛する、その、覚悟がなかった。

 

 

 

 

直との間でのせっくすやまぐあいを

望めば望むほど

それがないことや

それの度に喧嘩することに

絶望していた。

 

そして、気づかぬうちに

諦めていた。

 

 

でも、わたしは

心を交わらせる

身体を交わらせる

その願いは消せない。

 

 

だから、他の男のひとと、

っていう可能性を持ち続けていたかった。

 

 

でも気づいた。

 

 

直との間で

こころもからだも、

満たされている状況があったとしたら、

そんな男性ともせっくすできる自由なんていらない。

そんな可能性は、取っておかなくていい。

 

 

つまり、わたしのほんとうの願いは

 

 

直とこころもからだもつながること。

 

 

 

それにどうしたって付随する

たくさんの苦しみや痛みや傷をも

請け負うこと。

 

 

いいとこ取りなんてできない。

偽の願いでわたしの喜びを埋めることはできない。

 

 

 

願いが強ければ強いほどに

それが叶わなかったとき、

絶望するし、

あたかももう願っていないかのような感覚にすらなっていた。

 

 

 

わたしは、

 

ひとと繋がることが本当にだいすき

 

 

ひとが、そのままの、無防備なやわらかい

姿を見せてくれるとかがほんとうに喜び

 

 

 

なに考えてるかわからない男性が

感情の蓋をしている男性が

何かに駆られ頑張り続けている男性が

 

一瞬見せてくれる涙や

本質にいつも在る深くあたたかい慈愛

やわらかい無垢な

まなざし、瞳を

 

わたしは、これからも見続けていきたい。

 

 

それは、わたしの中に自然に溢れる愛を

そのまま、溢れ出させるということ

そのまま、表現するということ。

 

 

それをしたい。それを大事にしたい。

 

 

 

直との関係がありながらも。

 

 

 

 

 

そのことが

せっくすがなきゃできないと思ってたり、

わたし自身がせっくすがすき!ってなところが

とても複雑に絡まってしまっていた。

 

 

 

わたしのだいすきな

わたしの喜びな

姿は、瞳は、表情は

 

せっくすなく、見ることができる。

 

 

 

わたしが

こころ溢れるせっくすをしたいのは

身体を交わらせたいのは

間違いなく直。

 

 

そうわかった。

 

 

これが、わたしの真実。

 

 

 

ようやく頭が追いついた。

 

 

これまでは、

 

わたしの涙、

わたしの表情、

わたしが直の瞳を見たときに生まれる

わたしの胸の感覚

 

その3つだけを頼りに、

ここまできた。

 

 

 

いろんな人の言葉に生き方に

振られ、揺さぶられ、迷い

 

わたしはどうにかしちゃっていた。

 

 

そんな姿を見るたびに直は心が痛かっただろう。

 

 

わたしは

ようやく、

わたしの中の真実と出会えた。

 

 

 

大変だった。

真実を見つけることは簡単じゃない。

 

 

喧嘩ばかりする

せっくすもない

反応ばかり

傷つけあってばかり

お互いの傷が限界まで積もってる

ちょっと2人になればすぐ怒鳴りあい

ほんとうに絶望して

ほんとうに疲れていた

 

 

離れる理由なんて、山とある。

 

 

実際に、別れる決意もした

パートナーって?はじめて自ら打つ、終止符。|茉 優 mayu|note

 

 

 

 

それでも、いまここに、共にいることを選んでいるのは、

 

この真実が、わたしの中にあったから。

 

 

 

いまでも、

いろんな思考や

いろんな頭の声が出てくる。

 

 

 

でもわたしは、

決めた。

 

 

わたしの涙、胸の感覚を

信じて、生きてゆくと。

 

 

誰がなんと言おうと

誰がどう生きてようと

誰にどう見られようと、

 

 

わたしは、わたしの感覚だけを信じて

真実を生きてゆく。

 

 

 

傷もある

痛みもある

憎しみもある

悲しみもある

絶望もある

 

 

その中で、一体どれだけ赦せるか。

 

 

わたしの中の真実から逃げずに

一瞬一瞬、在れるか、

 

そんな人生のゲームを、いまここから始める

 

 

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