Mi amas vin.

My life is my message

成功とは感受性

 

今日直が、はっぴーちゃんが言ってたんだよ〜って教えてくれた言葉。

 

『成功者とはしあわせを感じられる感受性の豊かなひと』

 

みたいな日本語だった気がする。

 

 

これは、

今日、わたしが

きぼうのいえをやっておうちへの

最後の家賃を振り込んできて、

いろいろ感慨深くてさ。しみじみと、

家賃ってすごいなあって思ったんだよね

お金払ったら、

自分では到底作れない、

家っていう物体が自分のものになるんだもの。

そこに自分のお気に入りのものを置いて、

やってみたかったことをやって、

自分流のデザインにして、

自分にとって心地のいい空間をつくっていく。

 

そしてそこでわたしは

きぼうのいえっていう生業がやれて

いろんな人が遊びにきてくれて

いろんな人が泊まりにきてくれて

たくさんの美しい景色を見させてもらえて

たくさんこころが震える瞬間があって

それでドネーションでお金ももらえて

なんてすてきな箱だったんだろうって

家を一生はいらないけどお金払ったら

好きな期間自由に使わせてもらえる

そんな家賃ってすごいなあ

って思ったんだよね

 

って話を直にしてたら、

『茉優ってほんと、そういうしあわせを感じる力あるよね』って言いながら

教えてくれたの。

 

 

たしかに

どんなにお金持ってても

どんなに高級品持ってても

どんなに地位や名声を得ていても

どんなに影響力を持っていても

 

その瞬間、

その人が

いい気分で

しあわせ

じゃなかったら

何の意味もないもんな。

 

って思ってさ。

 

  

わたしは、

大学中退して学歴も捨てたし

年収なんてこの半年でたかがしれてたし

なんでしょ、地位や名声なんてないと思う

 

だけど、

しあわせを感じる力

感動するこころは

充分にあるぞ〜♡

って思ってね笑

 

 

しあわせを感じる感受性の豊かさで

成功かどうかが決まるのならば

わたしはもう120%充分に、成功者だわ

と思った。

 

 

この、豊かな感受性って、なんなんだろうね。

どうやって、人と人とで違いが生まれてくるんだろうね。

 

わたしは、

きっと、感受性ってもんは小さい頃から強い方だったと思う。

 

よくテレビとか映画で感動して泣いてた。

特に動物とか人の想い系に。

 

 

あとは、1番衝撃的だったのは、

やっぱり、ピースボートで南半球を一周したときの南米かもしれない。

 

 

その当時のわたしは

高校のときに、学校の先生になることを目指しながら、国際協力にも目覚める

教員免許もとれて、国際協力も本格的に学べる大学を選び、推薦で入学

カンボジアで教育支援ボランティア行って小学校でカンボジアの子どもたちに、英語を教えたりして

国際協力といえばやっばりアフリカと南米が貧困率が高くってその2つの地域を自分の目で見てきたいなと思う

飛行機だと大変だけど、ピースボートの南半球は、アフリカも南米も船でぐるっと行けると知り、これに乗ると決める

南半球で出会うひとたち、子どもたち、を自分が日本の教育現場に立った時に活かそうって意気込んでた。

だけど、ウユニ塩湖だけは、死ぬまでに行きたかったから、南米は、船から離脱してバックパッカーをすることに

そしたらついでに、死ぬまでにいってみたかった砂漠というものが、南米にはアタカマ砂漠が存在してたから、行きたいなってなる

わたしにとって、

人と出会うこと・関わることがなく

ただただ、

だだっぴろーーーーーーい自然に

足を運ぶということは、

【未来の教育現場に立つときに活きるように】

ではなく、

完全に、【今この瞬間の自分のためだけに】すること

だったのだ。

 

 

小学生のころから無駄なことが嫌いだったわたし。

 

その感覚でいえば、

だたっぴろい自然に足を運ぶことは

何も将来に繋がらない

無駄なことだった。

 

その無駄が、わたしの概念を壊してくれた。

 

 

ああ、いいんだ。

将来のために

未来のために

進路のために

社会のために

生きなくっても、いいんだ

いまこの瞬間の自分のためだけに生きたって

いいんだ。

 

って。

 

そう思えた。

 

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そのときの写真。

 

 

 

あ、あともうひとつは、宗教だな。

わたし、ポスター4000枚貼るために

東京で生きてた時に、

高田馬場駅で、

『父親の愛、母親の愛とは』みたいなアンケートしてる人がいて、ちょうどわたしも親子関係はよく考えるテーマだったから、それに応えてたら、その人と話がめっちゃ意気投合して、そのまま2人でカフェに入ってたくさん話して、そしたらそれが宗教活動だったって、知って。

 

まぁびっくりはしたけど、

そこまで偏見もないし

本質を突いている部分もあったから、

その出会いを機に、

誘われたままに教会に行ってみたら

そこにいる人たちがみんなすてきでさ。

ご飯も美味しいし、そこにいる人たちと過ごす時間が楽しくって、教会に通うようになって、おえらいさん?みたいなひとが講話を説いてくれた。

 

その頃が、わたしの人生史上ピークだった。

 

『神様と共に生きてる感』ってのが。

 

やっぱり、宗教ってものは、

神さまという存在をとても身近に感じている人間たちの集まりだから、同調・影響されていくのかな?と思った。

 

 

もうほんとに、

そこのパイプが通ってからは

目に映るものすべて

目の前で起きること全てが

神様からのメッセージにしか思えなくって

常に神と会話・対話してるような、

そんな感覚でわたしは生きてた。

 

 

空を見上げて

月を見上げて

励まされたり

愛を感じたり

泣いたりすることもよくあった。

 

シンクロが起きたり

奇跡が起きたりするたびに

神様からの愛にしか思えなくって

泣いてたことがよくあった。

 

どんだけ愛されてるんだろうって

どんだけこの世は愛に溢れてるんだろうって

天とか空とか月とかそういう万物は愛という存在なんだって

そんなことを感じて生きてた。

 

 

あとは、高校生のころから

わたしは毎日日記をつけてるんだけど、

高校生のときは、

毎日、

ありがとうって思うこと

ありがとうって思う人

ありがとうってできごと

を、日記に綴り続けていた。

 

 

そしたら、

ありがとうに溢れてるんだよね世界は

ありがとうなことが止まないわけですよ

 

 

その3つかな。

わたしが思う、いまの感受性が形成された経緯てきなものは。

 

 

①無駄と思ってた、ただ自然を身体全身で味わったこと

②宗教つながりで神様と共に生きる感覚を得たこと

③毎日ありがとうを書き出す習慣があったこと

 

 

 

おかげでいまも、

散歩をしてるだけで、

たくさんおもしろいことあったり

しあわせなことあったり

感動することがあったり、

空を見上げて

夕日が美しくて

月が美しくて

涙することもある。

 

 

とにかくしあわせだ。

 

 

 

わたしはこの感受性を

これからも大切に愛して

生きてゆく。

 

 

 

HSPとか、生きづらさとして語られてるけど、

成功が感受性なんであれば、

HSPは、みな成功者だよ!!

 

傷つきやすいってこと

感覚に繊細ってことは、

裏を返せば

しあわせを感じやすいってことだから

 

HSPは成功者😆

 

おわり。