Mi amas vin.

My life is my message

元彼からの手紙を読み返して。

 

実家にて、

止まらない浄化&断捨離。笑

 

 

 

この前は

実際に住んでたアパートを前に

過去の傷から生まれてくるエネルギーを

手放した。

 

 

そしてもうひとつ。。

 

わたしには、

大学生のころ、

直とのどんぱちに

匹敵するほどに

生きるか死ぬかのドラマを盛大に繰り広げた元彼がいる。

 

イライラすると

よく物に当たったり

包丁を手にする人だったから

殺される  って思いながら

必死で元彼の家を飛び出て

追いかけられてる恐怖の中

死に物狂いで手と足が震えながら

自分の一人暮らしのアパートめがけて

チャリを漕いだこともあったし、

 

どこまでもついてくる彼に対して

恐怖と嫌悪がピークになって

本気の力で傘の先で元彼を刺しまくったわたしもいたし、

 

元彼の家に同棲?ぽくなってたんだけど、

もうさすがに距離を置きたくって

今日は自分ちに泊まる!

って言ったのに

元彼の家から出させてもらえなくて

わたしがパニックを起こして

元彼の腕を引っ掻いたり噛んだり叩いたり殴ったりしても玄関を通せんぼしてきて、

もう限界がきて、わたしは本気で元彼のちんこを下から蹴り上げて、ようやく『うっ』となった隙に、靴も履かずに裸足で元彼の家を飛び出たこともあった。

 

今書くとほんとすごい。笑

 

 

 

ほんとに、いろんな人に相談して、いろんな人に助けてもらった。仲裁に入ってくれた勇気ある男友達もいたし、わたしが自分の部屋に逃げても一階だったから、ベランダ飛び越えて窓をドンドンしてくるから、恐怖は変わらずだからってことで、いろんな人が自分の部屋にわたしを逃げ込ませてくれた。

助けてくれたみんな、ほんっとうに、ありがとう!!あなたたちのおかげで生きてこられました。

 

 

 

こんなに大変だったのに、

どうして離れなかったかってね。

 

 

それぞれのこころの穴ポコが

ピタッとちょーーうどよくはまっていたんだ。

とてもきれいに。笑

これが共依存ってやつだったんだなって、

いまはおもう。

 

仲良いときはすごく仲よかった。

幸せなときはとっても幸せだったんだ。

 

 

もともと、彼とのはじまりは、わたしの記憶では

わたしのおじいちゃんが亡くなっちゃったとき、それぞれの取ってる授業の先生に、なんか紙を出さなきゃで。法事で授業休みます的なやつ。でもわたしパソコンもワードとかも苦手だったから、その人がちょー親身に助けてくれてぜーんぶパソコンで打って作ってくれた。その時初めてわたしはその人の家に入って。そこで彼が、自分の話をした。

自分にはお父さんがいないこと。顔もあまり覚えてないこと。でもお父さんと映ったプリクラは大切に持ってて、それを見せてくれたりした。

 

なんだか、悲しそうな寂しそうな表情をした彼を、包みこみたくなった感覚が生まれたのを覚えてる。たしかそこには涙もあったような記憶。曖昧だけど。それで確かわたしも自分の家庭の話もしたのかな。

 

そういう深い話をし合えたことが関係が始まるきっかけだったとおもう。

 

 

ところがどっこい

付き合ってからがもー絶えない喧嘩。

 

彼は猜疑心がすごかった。

相手を失うことが自分の生死に関わることレベルだったとおもう。

だから、

相手を離れさせない

別れさせないエネルギーがすさまじかった。

 

それは根っこを見れば

そうにせざるを得ないほどに

そうしなきゃ立ってられないほどに

彼のハートは寂しく泣いていたのだろう。

 

 

だからその元彼は

わたしと別れたあとに付き合った女の子とも

同じパターンを繰り返していたみたいで、

知り合いから、

『別れたいのに別れさせてもらえなくて困ってるから、まゆがどうやって別れたのか教えてくれる?』って連絡が来たこともあった。

 

 

そんなこともあって、

 

わたしは、

ふと、

この後に及んで、

 

その元彼を思い浮かべて、

 

 

大丈夫かなあ

今はどうしているかなあ

もう同じような恋愛してないといいなあ

 

 

って思う時がときたまあった。

余計なお世話だよなと自分で自分に突っ込んだりしててさ。笑

 

 

 

なんていうかその人物に

わたしのエネルギーの一部が

取り残されてる気がするっていうか、

エネルギーの一部がその人のところから

帰ってこれずにいるって感覚。

 

 

わたしのエネルギーよ、戻っておいで、

って思った時、初めて

 

 

あーわたしは彼に

自分を見ているのかもしれないな

 

 

と気付いた。

 

とても似てるからさ。

 

 

彼は相手が離れそうになったら

異様な程の必死さで繫ぎ止めるひとだし

わたしは相手が離れそうになったら

だったらもう死ぬ

みたいな感じになるひとだった。

 

 

取る方法、手段は違えど

こころの中で起きてることは一緒だよね。

 

 

昨日ね、そんな元彼からの手紙が出てきたんだ。自分の部屋の整理してる中でいろーんなひとからのお手紙を入れてある袋を開けて読み返してたら。

 

 

それ読んでさ。

 

 

なんか、すごくこんだけいろいろあったけど、結局《愛》だったじゃんね。って、心からそう思えて。っていうか、この元彼からの手紙に限らず、過去にわたしに手紙をくれたたくさんの人たちも、愛だったの。すごくすごく。なんだこれは。。と思ったよ。

こんだけ手紙に愛が詰まってるってことは、大学生のわたしはそんだけ愛を生きてたんだなって、思えたの。じゃないとこんなものが返ってくるはずないからね。

 

 

どうしてもその大学生時代は

自分の持ってるこころの穴ポコを

ひたすら恋愛に投影してきた(途絶えなく付き合ったり、時にはダブってたり、ワンナイトしたり)ってことが

記憶の大部分を占めていたんだけど、

こんなにもすてきな愛溢れる人との関わりをしていた自分に、感動して。

今の自分から過去の自分への

全肯定ができた感覚がした。

いろいろありながらも、あなたはあなたを全力で生きてたねって。愛を生きてたねって。

そしてみんな手紙の最後には『大好きです!』『だいすきだよ!』って書いてくれてて。

こんなにも真っ直ぐに

人に大好きって言えること

人に大好きって言われること。

大学生のころは、そういう自分だったなあって思い出して。

 

 

大学辞めてからは、

内側の探求に向かって

そういう自分が一旦引っ込んでた気がする。

 

 

むしろ、内側のプロセスの中にいた3年間だったから、いろんな人に自分の中のいろなものを投影して、わざと自ら遠ざけたりしてきたよなっておもって。あとはやたら斜に構える感じとか、まぁバランス力がなかったよね。その時はそこを味わう必要があった。でも両端の極を味わうことで初めてニュートラルに中庸を知れる。

 

 

わたしは時を超えてもう一度

このピュアで真っ直ぐな

『大好き』たちを受け取った。

それを、その愛を、世の中へ返していこうと思えたの。この手紙をくれたみんな、大好きだよ。って、そう思った。この気持ちを原動力にわたしは動いてお金を稼いで生きてゆくのだと思った。

 

 

 

あ、話がそれちゃった。

 

 

盛大に穴ぽこを埋めあったけど、

いち人間としての誠実さや愛も、

そこにはあったね。

 

って思えた

元彼からのお手紙をここに公開する!一応名前は隠しておく。

 

 

 

わたしはこれを読んで、

ありがとうが溢れて

涙が出てきて

この時を生きてた過去の自分も

この時を生きてた過去の元彼も

元彼に見てたわたしの一部も

成仏した気持ちになったというか、

一部取り残されてたわたしのエネルギーが

昇華された気持ちになったんだ。

 

え、めっちゃ、愛  だったじゃん。。

ってさ。

 

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全力で必死で生き合ったすてきなすてきな過去をありがとう。

 

わたしが、自分と向き合い、自分の足を一歩踏み出して、真のしあわせへと歩み寄れたように、

 

あなたも、あなたの力で、あなたにとっての真のしあわせへと一歩踏み出し、今この瞬間、しあわせで在ることを、祈っています。

 

ありがとう。

ありがとう。

愛しているよ。

そして

さようなら。

 

いつかどこかでまた会う日までげんきでね!

 

 

 

 

おしっ!

 

 

完結!!!!!!