Mi amas vin.

My life is my message

新潟2日目

100日チャレンジ19日目

 

 

 

今日はゆっくり寝たり

東京から送っといた夏服届いて

いろいろ荷物整理したり

ギター弾いてちょいと曲つくったり

小学校の頃からの親友とお寿司食べ行ったり

東京リベンジャーズってやつ見てたりした。

 

 

 

まゆ、暴走族とかやくざもんとか

そういうドラマもアニメもぜんっぜん

興味なかったんだけど

なんか一話見たらハマってさ、

なんか暴走族の男の子たちの

連帯感とか仲間意識とか

すごくおもろいなあ〜って思った。

 

「俺はなによりもダチが大事だ!」

 

みたいに言う男の子の心理状況が

よく分かった感じ?笑

 

 

でも結局どんなに過去に戻ったって

キリがないなーって思った。

 

 

やっぱり、

過ぎたこと

起きたこと

変えようとするのは

不毛だって思ったな。

 

 

 

 

 

明日は

おばあちゃんが死んでから

はじめてのお墓参りに行ってくるぞ〜

 

 

 

 

親友のおともだちとお寿司たべながら

恋愛のことをいろいろしゃべって。

 

やっぱりこの世には

いろんな恋愛があるんだなあって思ったし

人の気持ちっていろいろだなあって思ったし

誰に何言われたって

好きなもんは好きだし

一緒にいたいもんは一緒にいたいし

変わる気持ちもあれば

変わらない気持ちもある。

 

 

そして恋愛によっては

周りから反対されるものや

応援されないものや

ネガティブな感情を抱く人も

いたりするけれど、

 

それでもまゆの心が震えるのは

誰になんと言われようと

自分の中に在る確かな[好き]を貫く人なんだなあって思った。

 

 

まゆはどんなに

非難されても

わたしはこの人が好きだから好きでいる

ってことを選べる人は美しいなと思う。

 

浜崎あゆみの『M』って本読んだときも

同じことを思ったなあ。

 

 

本屋で

ぱっと目に入って、

なんか勝手に買ってた本。

 

 

 

浜崎あゆみ

seasonsとDearestって曲が

わたしがだいすきだった犬夜叉ってアニメで使われてて、その2曲だいすきで

とくに浜崎あゆみがすきってわけでは

全然なかったんだけど、

なんかほんとに、直感がまゆに買わせたって感じの出会いの本だった。

 

 

そりゃあ幸せな恋愛

きれいな恋愛ができたら

いいのだろうけれど。

 

 

人生が狂うほどに誰かを愛しきった人生もまた、美しいなとわたしは思う。

 

 

でもわたしはもう、

穏やかな安心に包まれた恋愛を次はすると決めてるけどね!

 

 

決めてるけど全然まだお別れした彼のこと

だいすきだけどね!

 

 

あ!てかね、

新潟帰ってきて

荷物を整理してたら

過去3人の元カレからの手紙が出てきて

あ〜これまゆ、捨てないでとっておいてたんだ、ってなって。

 

まゆはやっぱり

「言葉」から受け取るものが大きいんだと思った。

まゆもまた、自分の想いを、文字という言葉にして伝える。それが自分にとっての愛情表現だから、まゆにとって受け取りやすい・相手にしてほしい愛情表現もまた言葉なんだなあって。

 

 

だから彼らの手紙【言葉】は

まゆの深くに届いたし

それはまゆにとってかけがえのないタカラモノになってるんだなあって思った。

 

 

まゆはたぶん、言葉と時間。

 

自分がする愛情表現と

自分がされたい愛情表現が。

 

 

言葉で想いを表現したいしされたいし、

好きになったら一緒にいる時間や

自分にだけ意識を向けてくれてる時間

相手にだけ意識を向ける時間が

欲しいなと思う。

 

 

ここから、自分の愛情表現、いわば愛の言語なるものを診断できるのでぜひやってみてね〜

 

今すぐ恋人とチェック!5つの愛の言語テスト - 恋愛の科学

 

 

 

 

 

卒アルも

成人式の前撮りアルバムも

高校から毎日つけてた日記も

断捨離の際に捨てたわたしが

捨てなかった元彼からの手紙。

 

 

読み返したらさ、

はあ〜なんてまゆは愛されてて

なんてまゆはすてきな恋愛してたんだろう。

って思ってね。

 

 

 

どの時のわたしも

とっても大切な

真ん中にある想いを

やりとりするような

そんな関わりだった。

 

 

彼らは本当に

真っ直ぐにまゆと向き合ってくれてた。

 

 

それはお別れした彼も同じだ。

 

 

未熟さや、弱さはいろいろあれど、

いつだって

真っ直ぐにまゆと向き合ってくれてたし

できる限りの誠実さをいつも見せてくれてた。

 

 

このまゆという人間と

恋愛することを選んできた男たちは

みな勇者だなと思った。

 

 

まゆのファンや

まゆを遠くから見てる人は

たくさんいる。

 

 

でもそのまゆと

直接的に

関わろうって

付き合おうって

向き合おうって

それを選べる人は

只者じゃないっていうかさ。

 

なんかすごく偉そう?に聞こえるかもだけど笑

 

 

でもなんか、ふと、そう思ったんだよね。

 

 

思えば当たり前かもしれない。

わたしが好きになる人ってのは、

なにかしらどこかしら

「うぉぉおー!この人すげー!!」

ってところがあるひとだから。

何かしらまゆが尊敬できるところがある人が

いつも好きになる条件だから。

尊敬できる人を好きになって

その人を知りたいと思う知的好奇心が

まゆにとっての好きという感情だ。

 

 

 

だからこのわたしが

尊敬できる人間なのだから

只者じゃなくて当たり前なのだ。

 

 

 

 

 

そんなことを思ったわたしは

いろんな思い出を回想しながら

彼らへの感謝がたくさんたくさん溢れた。

 

 

 

今の彼に対してはまだ

感謝!すっきり!ってわけじゃないけど、

今しかない想いを

蓋せずに存分に味わって

感謝として空にかえしてゆこう。

 

 

 

物理的に離れても

形式上、離れても

魂のつながりは消えない。

 

 

 

それは家族も同じ。

 

 

 

お別れしても

死んでいなくなっても

出会い、関わり、

過ごした時間

交わし合ったもの

それらは決して消えることはない。

 

 

魂のつながりは、消えることがないのだ。

 

 

そんなことを、思った今日でした。

 

 

 

京王線のジョーカーにまつわって書いたnote、途中なやつあっぷするの明日の目標

 

おやすみ。