Mi amas vin.

My life is my message

自分を隠すから疲れるんだ。

 

なにかを『隠す』エネルギーって、

ちょー体力使うんだよーってさやちゃんが言っててさ。

 

 

ほんとだなーっておもったの。

 

 

自分の

本音を

本性を

隠すから、

わたしは

学童に働きに行って

疲れる。

 

 

安全第一とか

安全確保とか

常に全体を見れるようにとか

 

正直、『めんどくさい』

 

 

だってなんのためよ?

 

責任取る羽目になりたくないからでしょ?

 

 

あれこれ注意しないことは

子どもを大切にしないことなんかじゃない。

むしろ、子供を信じて、自由にさせることが、わたしにとっての、「大切にする」なんだ。

 

 

起きたことは

そのまま受け入れればいい。

 

怪我を恐れて

あれこれ自由を制限されるよりも

自分で怪我した方が

危険回避を子どもは学ぶとわたしはおもう。

 

 

そして怪我をさせたらさせたで、

 

どうなってんだ

指導はしてるのか

ちゃんと子どもをみてんのか

どう責任取るんだ   うんぬんかんぬん

 

そういうことを言ってくる人間がいる身にわたしはいたくない。

 

 

言うなら

『自分の子が痛い思いして、心が痛いよ』

って言え。

 

そうしたら、ただ、そうだよねって、わたしもだよ。って、仲良くおわるじゃん。

 

 

なんで他人を責めてくんの?

 

その責められることになんで怯えなきゃならないの?

 

 

でも怯えてるなんて、

思ってない。自覚してない。言わない。

 

 

それがあたかも

この世の

この社会の

《正しさ》として、押し付けてくる。

 

 

わたしはもう、

そこへと自分の形を合わせれない。合わせたくない。

 

 

 

こうしてね

あーしてね

危なくないようにね

 

って言われた時に

 

 

『わたし、正直それ、めんどくさいです』

 

 

って言ったらそこに居られないと思って怖いから言えないの。

もし本当に居させてもらえないところだったら居るなって話なんだけど。

 

 

ひとって、こうやって、

 

自分がいる場所が

自分の居場所になって

それを失いたくないから

そこに居られなくなりたくないから

こうやって少しずつ

自分の本当のかたちを変えてゆくのだなと。

 

 

 

そこらへん、『会社』『組織』に、属するときは、思想や考え方、採用する価値観が、ちゃんと自分に合ってるのか精査する必要があるのねと学んだよ。笑

 

もう絶対ここの学童まゆちゃんに合うから〜〜!ってお友だちに紹介されただけで次の日見学いって、働くって決めたからさ。

 

 

 

だから言えないで、

ゆるーく、

見た目だけ揃ってる風に

してるわけ。

↑これちょー自分への冒涜なの。。

 

そうやってほんとの自分隠してるの、

確かに  つ・か・れ・る

 

 

 

初めて

この同調圧力的なさ

圧力まではないんだけど、

この有無を言わさない《空気》

っていうのかな。

 

そういうのを前にひとは

自分の本音がわからなくなる生き物なんだとわかったよ。

 

 

その方が楽だもん。

 

んで、帰り道にいつも気付くんだ。

家に帰って直と話してから気付くんだ。

 

 

 

こうやってひとは

自分を守ってるんだ、、っておもったよ。

 

 

 

そういう思いを学童で働き始めたこの3ヶ月で

どれだけしてきただろう。

 

 

あからさまに

ストレスが増えて

帰り道でコンビニ寄って

なんか買って食べることが増えた。

それまではコンビニ行っても食べるもんなくてなにも買ってなかったのに。

 

体重も3キロ増えた。

当然お肉もついた。

 

 

どうしてそもそも大学生以来に

雇われの道に足を踏み入れたのか、

また別で書こうと思うんだけどね。

 

 

もうひとつは、【在りのまま難民】

ってのがおもしろかったの。

 

 

他人のフィールドで

在りのままでいようとしたって、

そりゃあ迷惑だし不調和になるって話。

会社だったらクビになりますって。笑

 

 

ほんとに在りのままでいたかったら

自分にそのフィールドをつくってやれ。

その自分の舞台で思う存分在りのままでいろって、自分を表現しろって、そういう話でさ。

 

 

めちゃくそ腑に落ちたわけ。

 

わたしがここにいるから

この学童においてやるべきことが増えてる

って、そう思う瞬間とかあって。

 

 

それってめちゃくちゃ悲しいわけ!!

 

自分は、どピュアに

これこそがわたし✨✨

って部分が解き放たれて

るんるんハッピーでいるのに、

その場はそれで終わらない。

 

詳しくいうと野草ね。

 

わたしはご存知の通り、野草がだいすきです。いとおしいです。それを公園で遊ぶ子どもたちとは共有できた。それが心の底からうれしかった。

 

でも他の学童の先生からしたら

他の毒入りの草も混ざってる「かもしれない」から、食べないように、口に入れないように、持ち帰らないように、、、etc

 

この時のわたしの、

残念感、伝わるかな?笑

 

 

これは、わたしがいる場所が間違ってるってこと。

 

もしわたしが

自然派学童とか

自然学校とか

なんかなんでもいいけど

そういうところにいたら、

わたしだけじゃなくて

全体もハッピーにおわる。

 

まぁ詳しくいうと

場所っていうか人なんですけどね。

 

明らかに在り方が

真逆の

相容れない人間が

同じ場所にいるのです。

 

ちなみにそのひとをわたしは全く否定してなくて、むしろちょー頑張っててまじですごいと思う。

 

ただ、わたしとは『違う』。

 

その学童的にもその先生がいてくれて

助かることがたくさんあるって見えてる。

 

 

=完全にわたしがお門違い

 

ってわけ!

 

 

今はそういう風におもってる。

 

 

 

 

もう、得るものは得れたかなっておもうんだ。ここは障害を持った子からグレーゾーンからふつうの子(ふつうってなんや、だけど)まで、彩り豊かな学童で。それが素敵だった。魅力的だった。法務教官になりたい!と思っていた頃のわたしがやりたいことが完ぺきに叶っていた。子どもの感情の処理しきれない姿を目の前にできたこと、関わることができたことが、わたしにとってすごく大きかった。 

 

あとは、

ある一人のアスペルガーの子ともちゃんと関われて。

パニック起こしたり脱走したり追いかけたり。

脱走がてら2人で屋上で語らったり。

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(↑これが2人屋上で語らった時の景色。美しかった。)

 

その子はどうして自分が自分に生まれてきたのだろう。いつか自分が自分に生まれてきてよかったと思える日が来るだろうか って話してた。

 

絶対くるよって、思いながら

わたしはその子とハグをした。

 

その子はこの春で卒業だったんだけど、

わたしがその子と会える最後の出勤日のとき

最後の別れ際に「まゆ先生ー!」って呼んでくれて。

わー今日で最後だー今までありがとうー!!って言ってその子とハグできたのがすごくすごくうれしくってさ。

 

 

その子はわたしのことを

美しいとか

きれいとか

女優みたい

って言ってきてくれる子で。

 

きっと見た目じゃない

本質的なところを交わしあえたから

なんだと思ってる。

 

 

 

 

4月はシフトが決まってるから

4月いっぱいで辞めようかなと思っている。

 

 

どこにいても、

自分を隠さず、

本性を出せることもすごいとおもう

 

し、

 

自分を隠す必要のないフィールドを

自分に作ってあげることも

同じくらいにすごいとおもう

 

そんないまのわたしです。

 

 

 

どうなるか

どうなったか

おたのしみに。。。