Mi amas vin.

My life is my message

なんでもいいから『自分』で『選んでる』ってこと。

 

 

生きてる上で、

けっこう大切なのは

 

『自分』で『選んでいるんだ』

 

っていう感覚だとおもう。

 

自己決定『感』

 

 

 

 

仕事をしたいからすること

仕事をしたいけどしないこと

 

仕事をしたくないけどすること

仕事をしたくないからしないこと

 

 

「から」と「けど」と両方あれど、

どちらにしても、

自分で選んでいるんだってこと。

 

 

仕事いやだけど、

 

いろんな怖さや覚悟や周りの目のこと

自分の中にある未来への不安を

考えたら、

続けてる方が

心地いい、まし、

そう思うのであれば

 

仕事を辞めたいけれど

【仕事をする】ことを自分で「選んでいる」

 

 

 

ここで、

「やめたい」なのに「やめれない」

 

となるから、

自分の中で対立が起きて

葛藤が始まり、苦しみが始まる。

 

 

「やめれない」という言葉は

厳密(本質的)には存在しない。

 

 

「やめない」ことを選んでいるのだ。

 

その理由は

会社かもしれない

上司かもしれない

周りの目かもしれない

家族の存在かもしれない

未来への不安かもしれない

 

なんにせよ、

自分で「選んでいる」

 

 

そしてそこに、

【良い・悪い】

は、決してない。

 

 

その人にとって

心地いいかどうか

しあわせかどうか

 

それでしかない。

 

何が心地いいか

何がしあわせかは、

本当に人それぞれなのだ。

 

 

 

 

 

このことは、

ひとの【変わりたい】にも言える。

 

 

変わりたいのに変われない。

 

「何をしてもどこに行っても誰に会っても

変われない。変わりたいのに!」

 

それは自分で

『変わらない』と選んでいるのだ。

 

 

変わらない  と、自ら潜在的(無意識)に

決めているうちは、

どんなにお金をかけたって変わらないのだ。

 

 

大切なのは、

『本当に』自分が望んでいるのは

どっちなのか、なんなのか、

それを見定めること。

 

 

そうしたら、

自分の中での対立が終わり

苦しみがなくなる。

 

 

時に潜在的なところから来てるものは

コントロールできず、

難しいけれど、

自己矛盾を紐解いていくと

スーッと楽になったりする。

 

 

 

 

話は変わり、

日本という国はまだまだ生きにくいなと感じる。

生きやすい世界・コミュニティー・ひと

は、存在しているけれど。

 

 

 

もっと、

企業に雇われる  or  起業

 

以外の選択肢が当たり前にあったらいいとおもう。というか、もうすでにあるのだけど。

 

 

noteやyoutube、フリマアプリ等で

自分を表現して、お金を得るということは

今の時代簡単にできる。

 

会社員を続けながらだってできる。

 

これは小商い(スモールビジネス)にもなる。

 

カバンや服やお菓子やパンや小物やボディケアやアロマや食品でもなんでも、作って売ろうと思えば、それは小商いになる。

 

どこかお店に置いておいてもらったり

日本中どこでもある

イベントやマルシェに出店したりすれば

ひとの目に触れさせることができる。

 

そういった小商いだけで生活費が賄えないのであればバイトや会社員を続けながら、掛け持ちしていきるのだっていい。

 

 

 

そうやって、少しの勇気の先で

《自分にはちからがあるんだ》ってことを

思い出していけたなら、

次の人生へと進むのも楽だろうな。

 

 

 

起業  というと大それたイメージをきっと多くの人が持っている。

 

 

学歴や肩書きや生い立ちに関わらず

本来だれしもが、

起業家になれるはずだ。

自分の力で生きていく  という意志さえあれば。

そしてそれは

大きくなくたっていい。

小さくっていい。

失敗したっていい。

 

 

日本でやっかいなのは、

【失敗してはならない】という緊張感だ。

 

 

ひとの粗探しをする人で溢れてる。

ひとの悪口を言いたい人で溢れてる。

 

それは自分が何かを我慢してるからだ。

自分が何かを諦めているからだ。

やりたいことをやらずにいるからだ。

本当にしあわせではないからだ。

いつだって神経を張り巡らせて監視している。

 

 

ほんとうに、

やりたいことをやって

やりたくないことをやらずにいる

はっぴーなひとは、

 

人が何をしていようと

人が何をしていまいと

 

「あら、そうなのね♪」で終わるのだ。

 

自分とは違う他人を前にしても

ニュートラルな反応になる。

 

 

「これでいいんだ」

「これでいいはずだ」

「これしかないんだ」

「これしかないはずだ」と

頑張って自分に言い聞かせているひとは、

 

しあわせそうな人を見て

楽そうな人を見て

自分とは違う人を見て

 

【こんなのはダメだ】

【こんなのでは甘い】

 

と、否定したくなる。

 

 

せっかく自分が我慢して頑張っているのだから、それを否定しないと、自分が頑張っている意味がわからなくなるからだ。

 

だから正論を振りかざし、否定する。

 

 

それは、ほんとうは、

目に見えない暴力だとおもう。

 

 

「正しさ」なんてものは脆い

「正しさ」は、時代や国によって簡単に変化する

 

いつだって人を動かすものは

「正しさ」よりも「たのしさ」だ。

 

 

『今はいいかもしれないけど』って

ひとは冷ややかな態度で言うけれど、

今すぐにしあわせになる方法は

ただ今だけを生きること。

 

『今がいい』

それ以外になにがある?

 

『未来はいいけど今はよくない』

なんじゃそのへんてこなの。

 

地震きて全部無くなって死んだらパーや。

 

 

今が過去になり

過去があなたの人生になる。

 

今から未来は生まれてる。

 

 

すべては、『今』から始まる。

 

だから、

今、この瞬間、わたしは何を食べたい?

今、この瞬間、わたしはどうしたい?

そんな日々の毎日の選択の積み重ねから始める。

 

そうやって、

自分の今を

自分の望むものにしていくことで、

 

自分のご機嫌がとれるのだ。

 

大人の仕事は、

ご機嫌でいることだ。

 

自分のご機嫌は自分でとる。

 

自分が欲しいものは自分が一番よく知ってるのだから。

 

 

わたしは生野菜をボリボリ食べるのが

るんるんになるほどしあわせなことだから

シーザーサラダを二回頼んだ。

野菜の味を味わうために

ドレッシングは少なめがいいから、

そのように店員さんに伝える。

 

そうやってオーダーしたら

『自分好み』のものが目の前に現れる。

 

それを食べて、わたしはごきげんハッピーになった。

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人生って、こういうことだと思う。笑

 

自分で自分好みのものを

オーダーして、チョイスして

はっぴーでいること

ご機嫌でいることがまず

調和・平和の第一歩。

 

 

ひとのなにをも否定しないこと

ひとの幸せを喜べること

祈れること

が、いい判断基準。

 

 

ムッと何かを否定したくなった時には

自分に問いかける。

 

 

何を否定したい?

何が気に食わない?

何が許せない?

 

って。

 

 

 

 

他人や外側で

人生を決めてきたひとの

大変なところは

『何か』のせいにしたくなる気持ち。

 

 

親の喜ぶ顔が見たくて

親の悲しむ顔が見たくなくて

選んできた人生

 

もしも、

ぱっと、余命を言われた時

ぱっと、事故にあい、2度と目が見えなくなった時、手が使えなくなった時、歩けなくなった時、喋れなくなった時、

 

「わたしはもっとこれをしたかったんだ!あれをしたかったんだ!あんたのせいでできずに終わってしまったじゃないか!!」

 

 

このセリフだけは、言いたくない。

 

大切な存在である親だからこそ、

こんなことにならないように、

どんなにぶつかっても、応援されなくても

自分が心の底から、『これだ』と思える道を歩いていたい。

 

 

むしろ最近思うのは、

親にとってのしあわせと

子にとってのしあわせは

時に交じり合わない。

 

ただ、

しあわせになって欲しい

という気持ちを親はもっている。

 

その『しあわせのかたち』が違うだけ。

わたしの幸せと、親の幸せ。 - Mi amas vin.

 

 

『しあわせになって欲しいって、誰よりも思っててくれて、ほんとうにありがとう。わたしにとってのしあわせは、これなんだ。』

 

って言い方ができたら、そっと、歩み寄りあえるかもしれないね。

 

 

 

 

なんでもいいから『自分』で『選んでる』って感覚。

 

親がああ言うから、

これをするって自分で選んでる

 

体に悪いとは知ってるけど、

食べたいから食べるを自分で選んでる

 

太るとわかってるけど、

食べたいから食べるを自分で選んでる

 

やりたくないけど、

やるを自分で選んでる

 

 

そうやって、自分で選んでることに気付いたら、その選択に必ずオッケーを出すこと。

決して責めないこと。否定しないこと。

 

理由はなんであれ

状況はなんであれ

きっかけはなんであれ

 

自分で選んだことを、認めて受け入れる。

 

 

体に悪いってわかってるけど

コンビニのスイーツを食べる!と決めたわたし、おっけー👌って。

 

そうしたら美味しく食べれる。

 

 

体に悪いってわかってるのに

コンビニのスイーツ食べるわたし、だめだ。。ばかだ。。ゆるせない。。

 

なんて思ってたら美味しく食べれない。笑

 

 

 

 

あとは最後に

 

『やめたい』がしたいことだってこと。

 

【何かしたいことがないと辞められない】

という呪いは大いにかかっている日本人。

 

辞めたいが、

今その瞬間の「したいこと」だからね。

 

まずは目の前の

したいことを、叶えさせないと

次の「したい」は絶対でてこない。

 

 

握りしめてるその手では何も掴めない。

その手を開き手放すことで始めて何かを掴めるよ。

 

 

大きい石を手に掴みながら

足元に咲くお花は摘めないよね。

 

 

 

何かを手放したくないと

掴み続けながらでは

本当に掴みたいものは手に入らない。

 

 

 

 

怖さがなくなってから選ぶ

 

ことはできなくて

 

怖さとともに選ぶ

 

その先で初めて、

見たことのない世界が広がってゆく。

 

 

 

 

 

なんとなく、

人とのやりとりで

今のわたしの頭の中にあることを

シェアしました。

 

おわり◎