絶望できることは強さ。
100日チャレンジ40日目
今日はクロスミーで出会った人とコメダで会って、
ピースボート乗ろうとしてる人だったから
昨日の夜のバレーサークルでの飲みが
疲れとすきっぱらに対して
いつもと同じペースで飲んでたから
酔っ払って吐いて今日は1日
絶賛二日酔い状態だった。
けどなんとか話せてよかった。笑
4年ぶり?くらいのピースボートセンターはげきなつかしかった。うん、懐かしかった。
3人だけ知ってる人(スタッフ)がいてうれしかった。
覚えててくれてるのがうれしかったし
マスクしてるのにまゆって気付いてくれたのもうれしかったなあ。
契約スタッフの枠で地球一周の船乗れるらしくて、また船に乗りたいなって思った。
なのでまずは来年の夏のショートクルーズのときにお手伝いしてみることになった。
たのしみ〜
船も新しくなってるし。
やっぱりまゆは
ピースボートの世界のひとたちの
空気感とか雰囲気とかが好きだなあって思った。
今日は
え、そんなふうにこわれます?ってな感じにお気に入りのサンダルみたいな靴が壊れた。急いで新しいの注文したけれど、届くまではビーサン、、?この時期に。。。
それかまゆの嫌いなスニーカー。😫
やだなあ。
あ、あとね、
お友達からうれしい連絡も届いた。
前にあった時は恋人とかいらない恋愛とかいいって言ってたんだけど、
それが今となっては強がってた部分もあったのかも〜って言ってていまは恋人がいるみたいで、誰かを好きになるとか愛するとか向き合うとか、そういうのってほんとに素晴らしいことだよねって話をした。
ここの部分に心底共感した。
一筋縄ではいかないけど本物のエッセンスがそこに在る。まじでそうなんよなー。
使命と傷はセットだし
願いとカルマもセットだ。
やりたいことや願いのすぐそばに
傷やそれを難しくさせる壁が自分の中にあったりする。
それでもゆくのだよね。
願いのある方へと。
まゆは、
絶望できることって強さだとおもう。
願いがあるからこそ絶望ができる。
願いを諦めてないからこそ絶望ができる。
だからまゆはとことん絶望するし、
絶望できている自分を誇ってたいなと思う。
お別れは悲しいけど
未熟さに打ちひしがれて絶望しまくってるけど、それだけ本気で自分の願いに向かって生きれているということでもある。
お友達が、お別れは悲しいけど、まゆがさらに深く奥行きのある人間になるために起きたんだろうねって話してて、ほんと、そうやなあーって思ったよ。
どんどん絶望しよう。
痛みを味わおう。
それが「生きてる」ってことだから。
絶望から逃げることは
本気で何かを望むことを放棄することと同じだ。
ちゃんと望んで
ちゃんと願って
ちゃんと痛んで
ちゃんと絶望すればいいのだ。
痛まずに
絶望せずに
なにも望めなくなった時
なにも願えなくなった時
「生」を感じれなくなる。
それもセット。
地球に生きる限りは
陰陽のセットからは逃れられない。
だから
安心して落ち込んで
安心して絶望したら
陰極まって陽になるからね。
ちなみに言うと、
平坦が好きな人もいるし
平坦が向いてる人もいる
ジェットコースターが好きなのか
静かに真っ直ぐに進む乗り物が好きなのか
それは好みだからね。
わたしはジェットコースター派。
その波の振り幅の大きさがそのまま表現となるから。
アーティストタイプの人は生きてるだけですごい。えらい。ジェットコースター派のアーティストタイプの人は生きてるだけで体力つかうからね。でもそれがなにより「生命」を生きてる感でもあるわけで。それを文字にしたり、音楽にしたり、絵にしたり、踊りにしたり、作品にしたり、するのよね。
まぁアーティストだけじゃなくみんなえらいけど。
今日、ロボットのように
〜よし、〜よし、って指差して確認してる駅員さんを見て、
ロボットみたいですごいな〜まゆには無理だな〜でもロボットみたいにできるから、日本の電車は毎日、来る日も来る日も、安心安全で時間通りに動き続けてるんだよな〜って思った。まゆみたいな人が駅員やったら、感覚でまぁいっか!ってテキトーにしちゃって、なんか事故おこすねんな。まゆみたいな人でこの世界が溢れたらもう大変なわけです。
だからこの世は役割。
みんな生きててえらい。
みんな自分にできることをしててえらい。
みんな自分の役割を生きててえらい。
えらいぞ!!おやすみ!!