「We」を願ってたのに「 I 」を選んでたわたし
100日チャレンジ39日目
昨日たくさん話してて気がついた。
霊視やら過去性やら見える人に
『まだ一対一の関係で深く愛し合うってことを体験したことのない魂だけど今世ではそれをしたいんだね』って言われてものすごい納得感があって、それをわたしの願いとしてるんだけど、
『わたしは!』→ I
って生き方しかしたことないから
『わたしたち』→We
の感覚がわからなかったり、できなかったり、下手くそだったりしてきて。
ずっとそこの葛藤で悩んできたのね。
わたしの感覚、実感、納得感
そういうものが何よりも大事で
それを少しでも抑えたり消したりしたら
わたしはそれをした相手との関係性が築けなくなる。
何なんだろこれ、ってほんと思ってきたし、
誰かと生きたいと願いながら
少しでも自分を殺したら、もうthe end みたいになっちゃう。
でもそうやって、
わたしは、『自分』ってもんを
頑なに肩肘張って守ろうとしちゃったから
彼とも終わった。
そう思った時に、
あなたが好きだ
あなたと生きていきたい
と口ではいいながら
わたしがしてた行動は
『 I 』の生き方だった。
お別れの彼が
人からどう思われるか
人からの印象や評価をなによりも大事にする人で、
だから同じ職場のひとに、俺らの関係のことを言うのは彼からしたら嫌なことだと聞いて。
それをまゆから聞いた相手が彼のことをどう感じるかはコントロールできないからね。
そしたらわたしは、
彼と生きてる限りは、
まゆの好きに、人と関われないんだ
彼と生き続ける限りは
まゆがやりたいコミュニケーションをできないんだ
って思ったの。それはやだなってその時思ったの。
それがまさに、
わたしが彼との『we』を選ばなかった瞬間で、そんな瞬間は山ほどあったと思う。今振り返れば。
そのことに昨日の夜
絶望した。
願いとは逆の実態になってしまう自分を
直視して、その自分に打ちひしがれた。
あんなに本気で好きになった相手ですら
人生で初めて結婚したいかもと思えた相手に対してですら
わたしは『we』を選べなかった。
わたしの選んでることと
わたしの願いが
矛盾してる。
でも
誰かと生きること
『we』の感覚になれる・知れること
それは紛れもないわたしの願いなの。
だからこんなにも打ちひしがれるし
こんなにも、『 I 』を生きてしまう自分に絶望してる。
あとは別件でのわたしの好きな人に
『まゆちゃんの物語の登場人物として、
主人公に消費されてしまっているような気持ちを、抱いてしまったりすることあって。』
と、言われたことがあって
それがあんまりにもこのまゆの痛いところを美しいくらい見事に突いていて、ショックでもあったけど、もっと深い意味でずっとわたしの胸に残ってて。
ほんでつい昨日、4年付き合った人に
とある頼みごとをされて、
でもその頼みに応えるには
まゆの納得感とか彼の感覚の理解が足りてなくて、あんまりその頼みに応えたいって思えなくて。
あとはその頼みに応えたら、いまみたいに何でも話せる関係がなくなってしまうかもしれないってそれは嫌だなあって思ったの。
そしたらその4年の彼に
『それをしてくれたら自分は幸せになれるって言ってるのにそれでもまゆは最後まで「I」なんだね』って言われて、なんか泣いた。
もう昨日の夜はひたすらに
We を願っておきながら
I にしかなれない自分に絶望する涙を流しながら眠りについたの。
でもね、朝起きて、
なんかそれ、
くだらねえな、
って思ったの。
だから、4年の彼が求めてるものに
応えることにした。
目の前の
まゆの大切な人が、
幸せになることよりも
大事にするべきものなんてないって
そう思ったんだ。
4年の彼に送ったLINE。
『なんか、自分の納得感とか実感とかそういうのは確かにわたしには大切なものだけれど、
目の前の大切な人をはねつけてまで守りたいものなのかなあって思って、
なんか、目の前の人を切り捨ててまで『自分の感覚が』って言ってんの、くだらねえって、ふと思った。
目の前のまゆにとって大切な人が幸せな気持ちになること以外に大事なことなんてないんじゃんって、初めての感覚だけどそう思った瞬間に目に入ったのこのポスター。笑
目的語?は違うけどおんなじフレーズの日本語で笑ったし、そう思えた瞬間まゆは泣きそうになったからやっぱりそれはまゆが望んでる在り方なんだなと再確認した。』
これがその画像。↑
わたしは!
わたしが!
と、ひとり突っ走る生き方は得意だ。
でもわたしは、誰かと深く愛し合って生きていきたい。唯一無二のパートナーシップを大切にしたい。
自分を殺す感覚を伴わずして、誰かと生きれる道を。
まぁほんと、まゆは未熟ですよ。
いまのまゆは誰とも付き合うべきじゃないと思う。
『わたしたち』を選べるわたしになるぞーー!