Mi amas vin.

My life is my message

その痛みは癒やされるために在る。

100日チャレンジ34日目

 

 

引きずってる、というか

未練がある、というか

執着してる、というか、

 

『何か』が残ってる、

って感覚だったんだけど、それが今日わかった。

 

 

好きとごめんねが残ってる。

 

 

もっとその奥には、

自分が自分で在ったことによる喪失の痛み

 

 

 

自分の違和感をスルーできない

自分にうそもつけない

自分が感じることも抑えられない

感じたままに正直に表現しちゃう

 

 

でも

だいすきで

なによりも失いたくなかった

 

その葛藤が痛くて苦しくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

あのとき彼がもし女風の仕事をしていなかったら

まゆは、

おれ以外のひととはしないでほしい

という彼の主張を受け入れることができてたのかなあとか、

結局彼の仕事を、【仕事】として割り切れなかったまゆがいて

それによるいろんな感情から

「まゆはあなたとだけ。他の人とは絶対にしません」って言えなかったのかなぁとか、

それは結局、

彼が仕事で何をしてても、どう在っても

彼の根底を信じるということができなかった

という自分の未熟さに繋げてた。

 

彼本人にも

「だまっておれを信じてればよいのでは」

と言われたけれど、

わたしの中には様々な感情が生まれていて

それがどうしても、できなかった。

 

 

でも、

あのときのわたしには

ああするしかなかったことを

ああ在るしかなかったことを

まゆは認めて、赦す必要があるんだと思った。

 

 

 

 

もうひとつは、

彼に埋めて欲しいと思った欠乏感

男に埋めてもらおうと思った欠乏感

それがたしかに在ったこと

それを彼に求めてしまって

こわれたこと、こわしたこと

その事実をまゆは、

今よりもまっすぐに、目を見開いて

認めること。

ゆるすこと。

そんなまゆを愛すること。

そのまゆの中に在る欠乏感を

人生のあそびとしてたのしむこと。愛おしむこと。

 

 

 

それに気づかせるために

『何か』が残っていたように気がした。

 

 

これに気がついてたくさん泣いたら

こころよりもっと深い

たましいのところが軽くなった感覚になった

 

 

 

自分の未熟さに目を当てることは痛い。

でも、いつまで自分を責めてても意味はないし

その痛みは、癒されるためにある

 

だから、

痛いのなら

責めてるのなら、

わたしたちがすることは

それを

赦すこと

愛すること

慈しむこと

 

 

なんだよね。

 

 

 

ようやく、“自分の中の凪をみつけた“

という感覚。

 

 

 

 

溢れ出てた彼の想い

漏れ出ていた彼のピュアさ

 

そんなワンシーン

そんなひとことを

思い出すたびに、

 

どうしてこうなったんだろうって

そう考え出すと

原因は100パーセント

まゆの至らなさ、未熟さに

思えてきてしまって

もっとこうだったらな

もっとこうできてたらな

って考えだしちゃって、

自分を責めてた。

 

 

 

でも、

彼の想い、ピュアさ、交わしたもの

まゆが受け取ったものは、

 

たいせつにこころの宝箱にしまって、

ありがとうって思って

 

 

まゆはまゆの未熟さを、ゆるしてゆく

まゆはまゆの痛みを、癒してゆく

 

 

 

 

 

 

誰かに話を聞いて欲しいとき

誰かの前で泣きたい気分なとき

誰かに弱々しい感情を吐き出したいとき

 

その自分を

100%の包括力で、納得感で

聞いて、受け止めて、ホールドできるのは

間違いなく、自分。

 

 

自分をすっ飛ばして

誰かに話を聞いてもらおうとしても

「んーなんか違うだよな」

ってなる。

 

 

でもたまに

このわたしが気付かないところの

ほんとの感情や

まゆのなかの真実に

ふとしたひとことで気づかせてくれるひとは

確かにいて。

 

 

そういうひとは

本物だなあ〜と思う。

 

 

 

 

今日は久しぶりにおうちでゆっくりなので

洗濯したりご飯炊いてお味噌汁つくったり

書類関係やったりしよう〜

 

 

少しずつギターのF、抑えられるのスムーズになってきた!少しずつね🤏

 

 

ではまたねん

 

 

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