Mi amas vin.

My life is my message

悲しみきったからわかった。泣くか笑うか選べること。

 

 

『悲しみきったからわかった。泣くか笑うか選べること』

 

 

日記を書いていたら

そんな言葉が

自分の奥深いところから突然出てきた。

 

そしてその事実に気づいたとき

 

 

涙が出た。

 

 

 

悲しみきったからわかるんだ

悲しみきったひとにだけわかるんだ

 

泣くか笑うか選べる

 

その言葉は

 

悲しみきった者の言葉だったのだと

そう気づいてまた胸が熱くなった。

 

 

おとといのお昼ご飯と

昨日の夕ご飯、

わたしは食べ始めてから食べ終わるまで

 

ずっとずっと泣いていた。

 

 

ずっと悲しみを味わっていた。

 

ずっと絶望を味わっていた。

 

涙は尽きなかった。

 

次々と悲しみが 消えては現れ、消えては現れた。

 

 

 

この悲しみはいつまで続くのかと絶望した。

 

 

何もかもが悲しい。

直との間がこんな感じなのに

きぼうのいえなんてやってられる場合じゃない

 

 

そう思って何度も何度も

この家を解約するという思考が出てきた。

 

 

でもその度に、

その道は選ばなかった。

 

 

悲しいけど

絶望だけど

無気力だけど、

 

『だから〜〜する』 という行動[doing]は

なんの意味もない。

 

 

ただ、味わえばいい。

 

もうなくなる

もう出てこないってくらいまで

泣けばいい。

 

 

 

そうしたら、自然と必要なことは起きるから

 

 

 

そう信じてた。

 

 

ら、きた。

 

さっき。

 

 

どうしてだろう、ふと、気が付いた。

 

 

ふと、わかった。突然。

 

 

 

 

悲しみ続けることは簡単だ。

 

でも泣くか笑うかは果てしなく自由に

自分で選ぶことができる。

 

笑う道を選ぼう。

 

わたしのために。

 

茉優の幸せのために。

 

 

 

 

わたしは

わたしの本質から、わたしへの愛に触れた気がして

 

涙が出た。

 

 

 

 

 

わたしは、

胸の痛みを、悲しみを、辛さを、絶望を

 

抱えたまま

抱きしめたまま

 

肚の一歩を踏み出す。

 

 

 

 

怖くて、不安で

 

小さな安心できる閉鎖的な人間関係に篭ろうとしてしまうけれど、

 

 

わたしには、

わたしの女性性を、母性を

この胸にしまってある大きな愛を

発揮させるべき場所がある。

 

みんなが雨宿りしにくるような

そんな大きな木になる、役割がある。

 

 

ハートの痛みを抱えたまま

スピリットの道へ、一歩踏み出すとき。

 

 

 

少しずつでいいよ。

 

 

 

こうやって少しずつ、

自分から自分への愛に触れながら

笑う道を選ぼう。

その一瞬に。

 

 

 

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