Mi amas vin.

My life is my message

わたしとおばあちゃんのストーリー③

 

【絶望を避けて、希望を諦めかけてたおはなし】

 


おばあちゃんの主治医の先生が

『あと数日かもしれません』と言い、

延命治療はしない、という話になったと

お母さんから聞いた。

 


わたしは迷った。

 


前回は、ちゃんと想いを交わしあえて

やりとりをすることができた。

それはそれは、とても美しかった。

 

 

 


だから、それを最後の記憶に

おばあちゃんが亡くなった方が楽かもしれない。

 


そんな思いがわたしの頭をよぎった。

 


いまはもう、ほぼ会話もできず、意識が朦朧としてる、と聞いてたから。

 


わたしが来ても

“ まゆが来た ’と認識されないかもしれない

わたしが話しかける言葉が受け取られないかもしれない

ことばのやりとり・会話ができないかもしれない

 


そうなったときの絶望感を味わいたくない

 


そう思ったんだよね。

 


でもなおに、

『まゆは、本当はどうしたいの?』って聞かれて、涙が流れると同時に

 


『ほんとうは、生きてるうちに、また、会いたい。だいすきだから。』

 


って言葉が出てきた。

 


その自分の本音が出てきた瞬間に

明日新潟に行く、と決めた。

 


なおも、

『まゆの隣にいるよ』

と言ってくれて、一緒に新潟に行ってくれた。

 


そして面会当日。

 


奇跡が起きてね、

おばあちゃんは、わたしが来たってわかった。

意識は虚ろだけど、ちゃんと会話ができた。

わたしの言葉を頷きながら受け取ってくれた。

 


ただ、明らかに、死へと近づいてるおばあちゃんの姿に、わたしは涙が止まらなかった。もうハグもできない、身体を動かせないおばあちゃんの胸でわたしは泣いた。

 


5月に最後会った時よりも、

目の焦点が合わなくなってたり

表情を一切動かすことができなくなってたりしてた。

 


おばあちゃんは、

『まゆもなおも来たってことは、そろそろってことだね』って言ってて、

わたしはなんて答えたらいいのか、わからなかった。死ぬの怖い?と聞いたら『半分怖くて、半分怖くない』と答えてた。

 


わたしが、生きて欲しいって望みを言うことは

おばあちゃんにとっては酷なことなのかもしれない

と思ったりして、なかなかわたしは、

 


『ここで死んで欲しくないよ』

『もっと生きて欲しいよ』

『まだ、諦めて欲しくないよ』

 


って言葉が、

言おうとしては言えずを繰り返してた。

 


でも、勇気を出すと決めた。

わたしの願いを、言葉にすると、決めた。

絶望してもいいから、希望を捨てないって決めた。

 


泣きながら、

『まゆはまだお母さんとさよならしたくないよ』

って言った。

そしたらおばあちゃんも

『お母さん、まゆとはまださよならしたくねぇなあ』

って言ったの。

 


自分の娘たちや親戚には

「ありがとう、さようなら」って言っちゃってたおばあちゃんが、

わたしに対しては、

『まだ生きたい』『死にたくない』って、

そういう【生命力】を見せてくれた。

 


おばあちゃんにとっては

わたしという存在が【希望】なのだと思った。

 


わたしはおばあちゃんのことを

『お母さん』ってよんでる。

実のお母さんのことは、ままって読んでる。

実のお母さんがDVが原因で離婚してからは

水商売と彼氏とで、わたしはひとりだった。

 


それを見かねたおばあちゃんがわたしを引き取ってくれた。

 


そのとき

『まゆにはもう絶対寂しい思いはさせない』

『めいっぱい愛するんだ』

 


って覚悟して、まゆと一緒に過ごし始めたんだとよく話してくれた。

 


本当にその通りに、たくさん愛してくれた。

たくさんいろんな所に連れてってくれたし、一緒にいろんなことをした。誰よりもわたしを理解してくれた。誰よりもわたしを応援してくれてた。

母親の愛  ってもんは、全部全部、おばあちゃんからもらった。

 


わたしはきっと、あのままお母さんのところにいて、育児放棄てきな感じのままだったら、確実にやさぐれて、非行少女にでもなってたんじゃないかと思ってる。

 


それがこんなおしゃべりで、こんなに人が好きで、こんなに人に愛される人間になれたのは、まじで、おばあちゃんのおかげなのだ。

 


特別な深い縁があったとおもう。

ニュートラルに、愛を伝えあえた関係。

あったかいハグ、手を繋いだり、手紙を交しあったり、月が綺麗な日は『月見てる?』って電話をしたり。

 


どこにいても、わたしたちは繋がってた。

今も、わたしたちは、繋がってる。

 


だからわたしは、祈るんだ。

毎日祈ると決めたんだ。

 


わたしに見せてくれた

おばあちゃんの力強い『生きたい』って生命力を信じるって決めたんだ。

いつか絶望するかもしれなくても、

胸に希望を抱き続けるって決めるんだ。

 


だって、だいすきだから。

 


執着かもしれなくてもいい。

いまはこの突き動かされるこの感情を

めいっぱい豊かに味わうんだ。

 


おばあちゃんと出会えたこと

家族として地球で出会えたこと

なんでも伝え合える関係があること

いちばんの根っこの

『死にたくない』と『生きて欲しい』って

『だいすきだよ』『愛してるよ』って

そんなスペシャルな想いを、交わし合えたこと

ぜんぶぜんぶ、ギフトだから。

 


わたしの産土神社は神明神社

主祭神天照大御神様だったから

お参りしてきたよ。

太陽の神様がこれまでずっとわたしを

わたしとおばあちゃんを

見守ってきてくれてた感謝と祈りを込めて。 

 

2020.07.04

 

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