Mi amas vin.

My life is my message

こんな『働く』さいこうすぎだな。

 

この場所で暮らしを始めてから

人を受け入れるようになってから

人が訪ねてくれるようになってから

 

このタイトルの言葉を

わたしは一体何度口にしただろう。

 

 

 

あくまでも、

自分の『ゆとり』『しあわせ』『体調』『心の調子』をまずの主軸として、

 

自分で営業日、休業日を

自由に選ぶ。

 

 

こちら側に、エンパワーメントがある。

選ぶ権利がある。

 

 

 

そして、来てくれた人からはお金という循環により、わたしが生き、またその生かされた【わたしという生命】で、誰かの《居場所》として在る。誰かの《安心感》になる。少しでも勇気あるアクションをする人のための、少しでも今のしんどさから解放される人のための、《受け皿》になる。

 

 

こんな最高な

 

生かされ方が

生き方が

働き方が

生命の使い方が

 

あるだろうか。

 

 

 

みんなこれをしてほしい。

これで回そうよ。社会を。

 

 

いっしょに自然の中で無邪気にたわむれる時間

いっしょにごはんを作る時間

それぞれにもくもくと自然の中であそぶ時間

それぞれにのんびりと好きなように過ごす時間

 

どれも好きだ。ぜんぶ、好き。

 

 

最後はハグをして

抱きしめあって、

いってらっしゃいと見送るんだ。

 

 

 

『またここに会いにくるわ』

と漲った顔でいう人

『行ってきます』

と凛々しい顔でいう人

 

いろんな出会いと別れ方。

 

 

一期一会。

 

 

わざわざこんなところまで

わたしたちがいる、というだけで

何時間も何千円もかけて

足を運んでくれるという奇跡。

 

なんなのだろう。

 

来たい!って言ってくれる人は

一体なんなのだろう?神様?

 

 

ふと、そう思ったりする。

 

 

愛で動き

愛で繋がり

愛は循環する

 

 

 

 

生かされています。

あなたに、自然に。

 

 

ありがとう、愛しています

というこころを

自然とわたしの中につくってくれる

 

そんな

とびっきりのはたらきかた、生き方。

 

 

 

わたしはここでいう『働く』は

固いものを指していない。

 

 

たとえばわたしは

今は仮住まいなので

簡易宿泊の許可は取ってないし

個人事業主でもまだないから

紙の手続き等は一切なく

お金も設定していない。

 

 

でも、そんなのどうでもいいのだ。

 

 

ほんとうの意味の【働く】を。

 

 

自分の生命が喜ぶことは何なのか、

自分の生命を何に使いたいか、

 

そこに向かって生きれていたら

それは十分、自分という生命を働かせている。

 

働くとは『人』が『動く』と書く。

 

あなたは、どう動きたい?

あなたは、どう生命を動かせたい?

 

それだけなのだ。

 

 

 

 

働くとは決して、

我慢して無理をして抑圧をしながら

生きる生活費を稼ぐために労働をすることではない。

 

 

『人』が動くのだ。

「ロボット」が動くのではない。

 

 

『人』には心がある。

たいせつな、たいせつな、気持ち・感情がある。

 

 

そこが

あたたかく、

そして豊かであるための『動く』なのだから。

 

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