Mi amas vin.

My life is my message

わたしが自然の中で脱ぐ理由

 

わたしが自然の中で

在るがままの姿で

生まれたままの姿になること

 

その時間を誰かと共有することの

 

土台には

 

 

《自分のあるがままを受け入れる》

 

ってことへの

 

 

スピード

 

 

絶対的安心感

 

 

 

があるかもしれない。

 

 

 

まずは、

スピード。

 

 

これは、

 

『脱ぐ』という一つの行為には

たくさんの覚悟が含まれるから。

 

 

ただ、服  という、物質的なものを

脱いでるだけではないのだ。

 

 

様々なものから、

《自分を解放させる》行為なのだ。

 

 

 

わたしの身体太ってるしなあとか

女としての or 男として  

魅力的じゃないしなあとか

毛ちゃんと処理してないしなあとか

 

そんなもろもろの延々とやまない

【集合意識による思考】を、脱ぐのだ。

 

服を脱ぐその一瞬で。

 

 

美しいとは、こうだ。

こんな身体が美しいんだ。

女として魅力的な身体はこんな感じ。

男として魅力的な身体はこんな感じ。

身体の毛は処理されていることが絶対。

 

 

などなど。

 

わたしは、それを、【集合意識】と呼ぶ。

 

 

 

そういう

集合意識からのあれこれ

性というあれこれ

 

 

 

その全てを脱いだら

 

状態としては、赤ちゃんや子どもと同じなのだ。

 

 

 

赤ちゃんは

どこだってすっぽんぽんになるし

保育園くらいまでは

女の子も男の子もはだかんぼうで一緒にあそぶ

 

 

その世界。

その意識。

 

 

それはそれは

無垢で、純粋で、愛の世界。

 

 

 

そこに、『ぴょんっ』といく

そのちょっとのちからを

わたしたちは持っている。

 

 

 

直が、女でも男でもないこと

わたしたちの関係性が

一般的な性を超えたところにあること

などなど

 

 

それらによって『普通』や『当たり前』、『集合意識』からある程度外れているおかげで、繋がりある初対面の人とも、この自然の中で脱ぐ時間をともに分かち合えているとおもっている。

 

 

 

 

そして、ふたつめの

絶対的安心感。

 

 

 

それは自然  というところにある。

 

 

 

自然は、

何も言わずに、

ただ、在る。

ただ、生きている。

ただ、命の営みをしている。

 

 

自然は、師。

 

ありのまま界の師匠。

 

 

 

ほんとうにありのままを受け入れたいと思うなら

誰の元へいくよりも

自然の元へいくのがいちばんいい

と、わたしはおもっている。

 

 

森に立てば

空や木々や風やせせらぎが、

身体のすべてを

存在のすべてを

やさしく包み込んでくれる。

 

 

川の水に入れば

水の世界が

重力という日常から解放させてくれる。

「流れ」という水の営みを感じる。

水が身体のすべてを包み込んでくれる。

耳が水の中に入ったら

外界の音が聞こえなくなって

ただ、自分の呼吸の音だけを聴かせてくれる。

 

 

 

その、圧倒的な存在への肯定を自然は与えてくれるという

絶対的な安心感。

 

 

 

 

 

どんな身体だっていい

どんな中身だっていい

どんな想いがあったっていい

どんなわたしだっていい

どんなあなただっていい

 

 

そのままの

在るがままで

 

自然に、溶けてゆく。

自然が、溶かしてくれる。

 

 

 

いまはただキャンプをしてる映像を流すだけのyoutubeチャンネルが人気らしい。

人が無性にキャンプに惹かれるのには

人が自然の中で生きていたころのDNAが関係してるんだって。

 

 

もともとは森の中で、生きていた人間。

 

 

いまは、

ありとあらゆる人工物に囲まれてる。

 

 

家も

コンクリートという道路も

車も

衣服も

化粧も

靴も

ビルも

電車も

 

 

 

全部全部、人間が作ってる物。

 

 

 

 

この自然の中で脱ぐ時間は

そのどれもが、無い。

 

 

 

あるのは、

自然と

人間の本来の姿

のみ。

 

 

どちらも自然物。

 

 

 

だからこそ、その光景は美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分のありのままを認めよう」

「自分のありのままを愛そう」

 

 

そんな言葉たちは

そこら中にこの世の中に浮かんでいる。

 

そのための自己啓発本や方法論、

セミナーとかなんかいろいろある。

 

 

 

そのどれよりも、

 

 

わたしは、

目に見えるものも

目に見えないものも

すべてを脱いで

自然という静かな愛に

自分のすべてを委ねることが

 

1番手っ取り早く感じているんだなぁ。

 

 

 

 

自然の中に溶けることで

自分の中の自然に出会えるから。

 

 

 

 

ひとが、

在るがままを

生きる姿は、うつくしい。

 

 

なにか

万人への共通の条件があって

美しいは決まるのではなく

 

 

どんな自分も引き受けると

どんな自分も愛すると

そのひとの内側から滲み出る

覚悟が、愛が、美しいのだ。

 

 

 

 

 

お金をかけた服も脱ぐ

お金をかけた靴も脱ぐ

時間をかけた化粧も取れる

時間をかけた髪も濡れる

性を意識した下着も脱ぐ

 

 

 

なんにも残らない。

 

そこにはあなたのすべてが残る。

 

 

 

それこそが、

愛すべきありのままなのだと、

わたしは、伝えていきたい。

 

 

そうやって

自然を愛おしむひとが増えたら

この地球はまもられる。

 

そうやって

自分を愛おしむひとが増えたら

この世の中はやさしくなる。

 

その先に、わたしの望む

平和な世界があると信じて。

 

 

自然の中で脱ぐというのは、

そんな、

わたしのど真ん中にある想いへの

超絶ダイレクトな行為なのだ。

 

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