Mi amas vin.

My life is my message

一から湯船をつくってみた

 

うちは、お湯が出ない。

 

お湯を作るのが電気温水器ってやつなんだけど、

ずっと空き家だったから、

それが壊れてて。

 

お湯が出ないのだ。

 

 

だからお風呂は、

 

川に行ったり

温泉に行ったり

電気ポットで沸かしたお湯で頭だけ洗ったりしてた。

 

 

 

そしてつい昨日、

川に行くのも寒くなってきたし

頻繁に温泉に行くのもお金が飛んでくし

 

電気とガスとを総動員して

一から湯船をつくってみよう!

 

ってことになった笑

 

 

 

ところがどっこい、湯船は桶とかと違って広い。いくらお湯を入れても高さが出ない。

 

 

電気ポット満タンに水入れて

ある中で1番大きい鍋に水を張って

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【お湯】をつくって

シャワーから出る冷たい井戸水で薄めて

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ちょうどいい、温度をつくった。

 

 

これを3回くらい繰り返した。

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2人で入ればその分の体積で

お湯の高さが出るから

ふたりで入ろうってなって

 

2人で入った!

 

時間と手間と苦労のかかったお湯、

それらからできる、「湯船」は感動ものだった。

 

 

作業中なぜか、超絶たのもしくて、凛々しい直の姿もあって、なんだかたのしかったなあ。

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ふたりで代わりばんこに

身体を沈めて首までつかった。

 

その間もうひとりは、

沈めた人の上に立ってて

 

なんかその時の景色は

 

赤ちゃんを桶の中でお風呂に入れるときみたいな感じだった。笑

 

入ってる側はこんな景色なんだなあ〜って

入れてる側はこんな気持ちなんだなあ〜って

 

 

ふたりで、

がんばって作ったお湯を

お互いの肩に掛け合ったり

頭を洗ってもらったりした。

 

なんか普段、

 

必要なものはすべてある

欲しいものはお金を払えばある

 

っていう当たり前の中で

 

 

『蛇口をひねればお湯がでる』のだって当たり前だった。

 

 

 

でもこの家では、当たり前ではない。

 

そのことが生んでくれる、

協力、感動、やさしさ。

 

 

それがわたしにとってはなぜだかほんとうに幸せなんだよなあ。

 

 

大学1年生の時に

初めてカンボジアの村にホームステイして

そこは水浴びだったんだけど、

質素でシンプルで協力しあう生活・暮らしに

わたしはなぜだかめちゃめちゃ惹かれた。

 

 

便利なことはいいことだけど、

不便が生んでくれる人と人との繋がりや喜びが、確かにある。

 

 

そう感じたんだ。

 

 

そのときの感覚にすごく似ていた。

 

 

 

お金を払えば温泉にいけたけど、

 

こんな喜びや感動は味わえなかっただろう。

 

 

「お湯」

自分たちの暮らしを作るときには

電気でもガスでもなく

太陽の光がいいなあ。

 

 

足るを知るために

あえて足らない生活をしてみてる。

 

『ない』をおもしろがれる暮らしを

たのしんでいたい。