Mi amas vin.

My life is my message

『わたし』という資本

 

わたしの身体ひとつで

わたしの存在ひとつで

生きていく。

 

 

何にも属さない。

誰にも雇われない。

 

そんな生き方。実験。あそびを。

 

 

 

わたしってなにする人っていうんだ?

わたしってどんな人って言えるのかな?

肩書きってなんだ?

 

 

以下、

そんな話をしてた時に

直が書いてくれた

[茉優という人間]について↓

 

◎自分の中の自然を大切にする

当たり前とか常識に、時には怖さを超えて、立ち向かい、超えていく

本当に大切なことを見失って作られた当たり前にNOを言う芯を作り続けている

→誰かが自分の中の自然を大切にしていいんだって、その姿から勇気をもらう

 


◎この人とちゃんと繋がりたいと思った時、

相手の言葉に

ちゃんと

怒り、悔しがり、悲しむ、

涙することを怖がらず

心の柔らかいところで関わろうとトライできる本当の意味での強さがある

→相手が立場や常識という鎧を脱ごうって思える勇気を与える、本当の自分を出してもいいんだって安心や和らぎを与える

 

 

 

◎言葉を超えて、インド人とも、動物とも

心を交わし通じ合える

本当に大切なことは、時に言葉という形にすることで、本来の形を変えてしまったり、全然言い足りてなかったりしてしまう。

1つのハグで、一度目を見つめ合うことで、

そんなのを一気に飛び越えて

共に涙を流し

形にならないでっかいでっかいメッセージを交わしたりできる。

→だから、人と一瞬で深い深いところで繋がることができる

 


◎無邪気に遊ぶ

葉っぱをくるくる巻いてブルーベリーや桑の実を集めては二ヒヒっと笑う。

川の水でじゃぶじゃぶ洗濯して、絞ると服が傷むんだーと言いながら、

水をぼたぼた垂らしたままサンサンの太陽の下に洗濯物を嬉しそうに干す。

全裸になって川にプカプカ浮いて幸せそうな顔。

ヤギの子供を抱いてずっと幸せそうに話しかけてる。


大人になっても本当はみんなが持ってる無邪気さが

そのまんまある。

→ソレは、一緒に遊ぶ誰かの無邪気さを

結果的に引き出しちゃったりする。

 

 

 

◎直との喧嘩のこと、まぐあいのことを人に話すのが好き


人を好きになるってどういうこと(容姿や才能、スキル、性別や年収、年齢、好きとそれらはどういう関係?)一緒に生きるってどういうこと、お互いの心の傷やそれに伴う反応によって起こる誤解や衝突がどういう風に起こるのか、欲を満たすセックスと心と身体を繋げるまぐあいってどう違うのか、

 

そんなことを

人生通して体験してきて

直との関係においては

その全てをコミュニケーションすると決めて関わってきており

 


時には傷つけ合いながら

関係を通してそれぞれの中に巣食う思い込みや心の傷を顕在化して、

昇華し合ってきた。

 


そんな道のりや、その道中で感じたこと、振り返れば面白かったことを

話すのが好き。

 


→恋愛やパートナーシップに関わることは多くの人にとって1番大切なことでありながら、最もデリケートなこと。

初対面からセックスの話ができちゃう彼女だからこそ、

相手にとって

本当に話したいことを話せる相手でありうる。

 

 

 

そんな人間が、

ひとつ家を持ち

ひとつ空間を持ったときに

 

一体どんな人が訪ねてきてくれるのか

どんな出会いがあるのか

そこでなにが起きるのか

わたしはなにを感じるのか

 

 

そこに強い興味関心があるのです。

好奇心ともいえるかな。

 

 

なのでそれをわたしは

『わたしの仕事』にする。

 

それで食べていく。

 

 

その道は

教師になりたかったわたし

宿をやりたかったわたし

国際協力やりたかったわたし

遊ぶように生きていきたいわたし

 

とが、ぜーんぶ合わさった道。

 

 

だって

わたしという『存在』そのものを

資本にするわけだから。

 

 

すべての自分を出していける。

在るがままの自分で関われる。

 

 

そのわたしで、

みんなのホームを。

帰ってきたいと思える場所を。

 

 

こんな最高な仕事ってないよなっておもう。

 

 

誰にも指図されない。

誰にもわたしの何かを決められない。

好きな時に好きなことして

したくない時はしない。

 

 

わたしがやりたいこと

すきなこと

やってて楽しいこと

喜びと感じること

で、お金をいただくということ。

 

こんなあたたかいおかねって、あるかな。

 

 

わたしはそこでめぐってきたおかねを

ほんとうに、使いたいものに、使う。

 

 

例えば今日スーパーに行って

ネギが欲しかったのだけど、

白ネギが欲しかった。

でもそこには中国産の白ネギしかなかった。

岐阜産のネギは白いところない緑だけの細ネギだった。

 

直は白ネギが食べたいからこっちでいいじゃんって言ったけど

 

わたしはどうしても中国産のは買いたくなかった笑

 

地のものを食べたい

自分が生きる土地で

生きてきた野菜を食べたい

地元の農家さんを応援したい

 

そんな思いで。

 

結果

岐阜産の細ネギを買った。

 

 

『ほんとうの』意味で、おいしいもの

『ほんとうの』意味で、価値あるもの

 

それを作るのには

時間も手間も労力もかかる。

 

 

それを削減するために

大きな機械のある工場があったり

人件費の安い途上国で作られたり

添加物使って低コストで

それっぽい味に作ったりしてる。

 

 

わたしはその企業を応援したいとは思わない。

 

 

どこにお金をまわすか、

それは

=何を応援したいか     だから。

 

買い物は投票と同じ。

 

 

なるべく自分がいるところから近いところで

けなげに本物を貫きがんばってる人や団体、会社を、わたしは応援したい。

 

 

 

あたたかいお金を受け取り

あたたかいお金をまわす。

 

その循環が、心地いいんだ。

 

 

そんな風にいま生きてるし

そんな風にこれからも生きたいきたい。

 

 

わたしは、

すべての人が

自分を資本に生きているし、

生きていけると思ってる。

 

 

わたしはたまたま、【制限】ってものが

ちょーぜつ大っ嫌いな人間だから、

 

新人なんだからお前はこれをしろ

新人なんだからお前はここに行け的なやつとか

何時から何時まで必ず働け

暗黙の了解で残業しろ

いついつまでに、これをやれ

 

 

ぜーんぶ、無理。

 

 

いろいろ東京でバイトしてた時も

いかに、うまくバレずに手を抜くか、しか考えてなかった時もある。笑

 

 

もちろん職業というなかで

会社というなかで

 

最大限に自由に仕事してる人もいて。

わたしからしたら本当に尊敬の存在。笑

 

向き・不向きよね。

快・不快のはなし。

 

 

 

自分にとっての『心地よさ』はなんなのか。

自分にとっての『正解』はなんなのか。

 

それでしかない。

 

 

 

生きるために働く

から

生きるためにただ生きる

 

が当たり前になるときまで。

 

 

 

 

今はドンピシャと出会うまでの仮住まいだから簡易宿泊所の許可もとらんし、エアビーものっけないし、お金も自由。

 

 

ドンピシャと出会ったときには

紙での手続きをもろもろやり、

金額を設定することになるのかな〜と

なんとなく思ってる。

 

一方で、

こんな風にゆるゆると

いろんなところ転々としながら

この営みをやっていくのかも?

と思うときもあって、

 

 

まったく未来は未知だわ。笑

 

未来って未知だからいいよね。

 

わかりきってる未来なんてやだな。

 

なにひとつわからない未来に

運ばれ振られ、生きてゆきたい。

 

 

10月半ばまでの、ここにいる期間

いろんなことを感じ

よりわたしのニーズが洗練されていく

そんな大事な時間になりそう。

 

ここに

自然の中に

わたしと直とふたりの居場所が

持てていることに感謝を込めて。

 

 

おわり。

 

 

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川でピクニックしたよ。