Mi amas vin.

My life is my message

この世に新たな正解を増やす生き方を。

この窮屈な生きづらい世の中に
自分を殺して社会に合わせて生きるよりも
捨て身の覚悟で
自分の欲求に従いながら
自分の素直な感情に従いながら
新たな概念を体現するような
新たな正解をこの世に産み落とすような
そんな人生を生きたいと思った。

 

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ふと、わたしの中から湧いてきた言葉。

 

 

ああ、ほんとだなあ。って思ってね。

 

 

既存の正解にははまれない。

なら、つくればいい。

 

0から1を生み出せばいい。

 

誰も先駆者のいない

道なき道を、

捨て身の覚悟で

わたしのこの生命力で

堂々と、歩き、生き、

わたしの後ろに道を作ればいい。

 

 

そんなことを思った。

 

生き方

お金のこと

恋愛のこと

パートナーシップのこと

 

いろいろあるけど、

特に、パートナーシップかな。

 

 

わたしと直と

最高で最悪のデザインをしている。

 

盛大に反応をするし

傷を刺激しあうわたしたちだけど、

わたしたちは

道なき道を歩んでいるのだ。

 

誰も生きたことのない道をいま、生きている。

 

 

女の子の身体で生まれたけど

おっぱいはとってちんこがない直は、

ふつうの男と張り合おうと

たくさんずっと頑張ってきた。

 

常に【自分は何かが足りてない】という幻想の中を生き続けてきた。その過程で、わたし以外の男性と『せっくすをするかも?したいかも?』という想いを芽生えさせたこともあれば、ほかの女性とまぐあおうとしたこともあれば、Facebookでわたしとセックスしてくれる男性いませんか?と募集してみたこともある。余命半年だとしたら何したい?という問いに、『男とせっくすしてみたい』と直は思ったのだ。

自分が持っている膣を一度満たしてみたい。男性とセックスができたら、自分の根底にある男性嫌いが、変わるのではないか、と思ったのだ。

インドでの旅でも「自分の女性性を解放しよう」と、あえて髪を伸ばしてみたり、あえてサリーを買ってみたり、その過程でわたしが直のこと好きじゃなくなったり。

 

ほんとにいろいろあった。

 

わたしはわたしで

直とのせっくすで満たされないもの、満たされない膣を、正直に不満がってた。同じ生器同士が故に(ほんとは精神面が故にだけど)ぶつかること、うまくいかないことがたくさんあって、もうこんなんだったら「ちんこのあるせっくすがしたいーー!」って野原で叫んだこともあった。

直が他の男性とのセックスにチャレンジしようとしてるとき、直とわたしの間には「なーんにもない」んだなと思ってしまって

ひとりで季節労働に出向いた先で心惹かれたオーストラリアの男性とせっくすしたりもした。

直は煮えくりかえるような感情を味わい【やっぱり直じゃだめなんだ】信念を強めていった。

その直の信念を、現実に創造する[現実化する]お手伝いをわたしがしているのだとわかった。

 

良くも悪くも、ひとは共にいる人と共同創造をして生きている。

そしてどこか、「また他の男のところにいってしまうんじゃないか」という恐れを持った直は、ますますこわばり、自分の形を変えていった。その矢先にまた、まゆが心惹かれるひととせっくすをした。

 

もう、極まできた。

もう、限界に来た。

もう、いい加減に

【直は直のままでは不完全なんだクリエーション】を、

やめるときが。

 

その【自分は何かが足りてない】という信念を持ち続けては、しんどすぎるのだ。わたしといるのが。

 

道はふたつ。

 

①わたしと別れる

②その信念を手放す

 

 

わたしは、

後者であって欲しいなと

ずっと願い続けている。

 

 

もし、後者で在れたとき、

わたしたちは、

まじでオンリーワンの関係性になれると思う。

 

わたしたちは、

いろいろと普通じゃない

 

だからこそ、体現できるものがある

だからこそ、新たな正解を生むことができる

 

わたしたちの教科書

この世のどこにもない。

わたしたちの中にしかない。

 

 

 

そしておもった、

そうなったとき、

わたしにとって直との関係性は

わたしという人生の壮大なアートであり表現なんだ

 

 

そう気がついた。

と同時に、そう、生きたいと、

つぶやいたわたしが内にいるのに気が付いた。

 

 

年が明けて

4日間。

 

わたしは、

どうしたいのか、

直とどう在りたいのか。

 

ずっと決められずにいた。

直とのことで迷いがあるとき

引くカードはいつも、

『運命を選ぶ』だった。

宇宙の向こうからは「運命」が、こちらからは「わたし」が同時に手を取り合おうとしています。握手はいつも同時です。手と手が合わさった瞬間、そこから宇宙が創り出されていきます。ほんとうの運命とは、一方的にやってくるのでなく、「わたし」自身が選ぶと同時に「本当の運命」となります。

今、運命を自分で選び、運命を始めましょう。

 

という内容だったのだ。

まさにどんぴしゃで。

 

だから、わたしの1月の目標は

 

意志・意図を一度固めるとき

直との関係をどうするのか

きぼうのいえをどうするのか

わたしはどう生きてゆきたいのか

 

と書いていた。

 

 

直のその【自分のままでは不完全クリエーション】には、もう付き合えない。付き合いたくないという思いははっきりしていた。

 

でも直の信念を

わたしがリリースできるわけでもなくて。

直が手放すと決めない限りは、手放せない。

それは、わたしがコントロールできる範疇ではない。

 

だからその結果によっては

直とお別れするかもだけど、

はちゃめちゃに楽しい人生が

それはそれで送れそうだなあとか

思っちゃうわたしがいて。

 

うまく自分のほんとうの望みをキャッチしきれなかった。

 

が、今日、キャッチできた。

 

わたしという存在の

人生のアートのように、

人生の表現のように、

直との関係性を噛みしめていきたいと

 

 

それがわたしの願いだと気がついた。

 

そしてそれは、

この世に新たな正解を生むような

この世に新たな正解が増えるような

そんな、わたしのとびきり喜びな人生になるのだと。

 

本来パートナーシップとは、

その人との関係性そのものが

自分の表現で在りアートになりうるような

そんなものなのだなとわかった。

 

 

と同時に、

わたしはパートナーに限らず、

わたしが出会う人

わたしが繋がる人と、

つくる関係性

その関係性に在るものこそが、

わたしのアート

 

だった。

 

 

 

わたしが、性のセッションをしているのは、

必ずね、

性というトピックを怖さを超えて勇気を出して

オープンにしたとき在るがままに分かち合えたとき、

ぎゅーーーってハグしてほっぺすりすりしたくなるような、そんな感覚になるのだ。必ず。セッション受けてくれた人に対してね。

 

目に見えずとも

ほんとはずっとそこに在る愛

それをすことができる。

そんなやりとり、ひととの関わり。

 

それがわたしの、表現

 

 

なのだと。

 

なんだかすごくストンって腑に落ちたよ。

 

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とてもうれしい。

とてもすっきり。

 

 

わたしからは運命に手を差し伸べた。

運命[直]は、どうなることでしょうか!

 

 

乞うご期待を♡