Mi amas vin.

My life is my message

ほんとの気持ち。性と関係性。

 

 

守りに入ることなく

自分で自分を

自由にさせてあげること

いろんな体験をさせてあげること

 

こんなにも豊かで幸せなんだなぁと感じた。

 

 

 

 

ぶっちゃけます!

 

わたしは、

先日、なおとの関係がありながら、

ある人と会って話をしてせっくすをしました。

 

 

理由は、

そのひとが好きだったから

会いたいと思ったから

したいと思ったから

 

ある時期にすごくやたら夢に出てきててね。夢に出てくるようになってから、存在を意識するようになってた。

直と出会ってからは、4年間会ってなかった。直と付き合い出す前には、3回くらい会ってて、会うとせっくすをするひとだった。

 

わたしとは全く別世界を生きてる感じ

全く別物の脳をしている感じ

 

自分には無いものに惹かれている感覚で、出会った時からずっと、どこか特別な存在って感じだった。

 

 

 

もうひとつ、正直ね、ぶっちゃけると、

わたしは、直がずっと茉優との関係を守るために、せっくすの面ですごくすごく、無理をして頑張っているように見えてた。

 

わたしは性欲もあるし、せっくすはすきだし、せっくすによって身体が満たされるのも心が満たされるのも、その人とはだかんぼうで肌と肌が触れ合えることも、どれもわたしのしあわせだった。わたしの大切な喜びだった。

 

でも、直はほんとうは、

せっくすとか、興奮とか、高まりとか、快楽よりも、穏やかにゆったりと、肌と肌をさすりあうような、そんな安らかなやすらぎが、ほんとは1番心地よくて、1番望んでいて、1番のしあわせなんじゃないかって、思ってたんだよね、わたし。

 

 

でもわたしは、

せっくすのない人生はいやだった。

安らかな心地よさももちろん、癒されて

かけがえのない触れあいだけれど、

せっかく人間に生まれてきてるのだから、こころと同じくらいに身体も満たしたい!心地いいことも気持ちいいこともいっぱい自分に与えたい!っておもってて。

 

誰かにときめくこと

誰かを好きになること

だからどきどきすること

だから感じること

だからせっくすをしたいと思うこと

だからつながりたいと思うこと

 

それはわたしにとって、

根源的な喜びで。

 

でも直にわたしの、望むものを要求することに限界が来ている感じだった。

 

直はきれいでぴゅあで美しい。

 

でもわたしはエゴもある。満たされたいエゴがある。せっくすは身体もエゴも満たしてくれる。

 

したいだけやりきって、自然と必要としなくなるのならいいんだけど、

 

そのエゴをアタマで分析して解明してなんちゃらして、どうにかしようとしたって、身体の声は消えない。

 

だから、やりきることなんだ、って思ってるんだ。

 

 

 

わたしは、

わたしが『このひとなんか好きだ!』と思った人としかせっくすしない。

全く誰でも言いわけではない。

ときめきセンサーがある。

わたしが好きだ!と思うひとは、わたしにとって何かしら惹かれるものをもっているひと。

あとは、感情が見えにくいひと。蓋されている感情がありそうなひと。なのかもと最近わかった。わたしとの関わりで開く子がいる、わたしが愛したい子がその人の中にいる、そんな感覚。

 

 

せっくすも気持ちよくってしあわせだけど、

一番のわたしのしあわせポイントは、

その人が何かから解き放たれた瞬間とか

その人の素性中の素!がでているとき、それに触れれているとき、出会えているとき、

蓋されていた感情が解き放たれたとき、

絶対泣かないような人が隠しながらも涙を見せたとき

その人の奥にずっといるようなか弱く繊細でどこまでも優しい子が顔を出したとき

 

そういう時が

たまらなく

ほんっとうに

心の底からよろこびなのだ。

 

 

ときめきというドキドキで惹きつけ合い

好きという感情でせっくすをして

その人の奥にいる《ほんとうの姿》に愛おしさが生まれる。

 

わたしは、そういう感じ

わたしにとっての直以外の人とのせっくすは、こういった感覚。

 

 

せっくすって

服を脱ぎ

ありとあらゆるものも脱ぎ

こころもからだも

はだかんぼうになるから

ほんとうにいいんだよね。

 

その人の奥をもっと知りたい

その人ともっとつながりたい

仮面じゃなくその人の、

生まれた時から

そこにい続けている

胸に在り続けている

素を・ピュアな部分を、みたい、愛したい

 

わたしにとってはそれがまぐあいなんだけど、せっくすはものすごくそれを可能にしてくれる。

 

 

 

わたしはこれからも、

それをして生きていきたいと思った。

 

 

だから、

『直以外の人とは、身体の関係を持たないと、約束はできない』と、正直に言った。

 

 

わたしたちは、

自分にとって心地いいもの

ほんとうのニーズが

一致していなかったから、

直はまゆに穏やかな触れ合いを求めてくるけど、わたしがせっくすの面でニーズが満たされていないから、直にただ触れる・さわるってことを、したいってなかなか思えてなくて、

直もまゆを感じさせなきゃならない・気持ちよくさせなきゃならないっていうプレッシャーに押しつぶされて、溢れるもんも溢れてこない、結局お互いに望むものが叶わない。ニーズが満たされない、みたいな状況がよくあった。

 

 

 

けど、わたしが大きなチャレンジをしたこと、

わたしがほんとはずっと直に対して感じていたことを正直に話したことで、わたしたちなりの新たな道が見えてきている。

 

 

直の『じゃあもう、まゆを感じさせなくてもいいってこと?』って聞いてきた時の、深く安堵したような、ずっと縛られていたものから解放されたような表情が今でも忘れられない。

 

 

もちろん直とのせっくすでたくさんまぐあいを経験させてもらえた。なによりも素晴らしいものだったと思っている。せっくすのことでとことんうまくいかない時期もあったし、喧嘩ばかりで傷つけあう時期もあったし、全くそういう性的な触れ合いがない時期もあったし、かと思ったらふと、さいこうなまぐあいをすることもあった。

 

でもきっと、

ほんとはずっと、

わたしにとっての『さいこう』は

直にとっての『さいこう』ではなかったんだとおもう。

 

わたしが、このはてなブログ

性のことを書いて発信しても、

わたしは『きゃー!ちょーすばらしいー!よろこびー!まぐあいってすげー!!ほんとに!』みたいな感覚だったけど、直は決して同じテンション・感覚ではなかったんだよね。いつもまゆに置いてけぼりにされているような、そんな感覚で。

 

わたしもわたしで、直によってその喜びを感じているのに、当の本人である直と、その喜びを分かち合えないことが、なんともいえない悲しさがあった。

 

 

 

直はあの身体で生まれてきたこと。

既存の『男像』や既存の『せっくす像』に必死にしがみついて、自分のほんとの形を変えながら、頑張って頑張って、頑張り続けてきた。ほんとは、直のカタチのまんまで、さいこうなのに。それこそが、唯一無二で、ちょーぜつキラキラしたスペシャルにかけがえのないものなのに。その感覚がわたしの中に在りながらも直のそのままでの素晴らしさが見えていながらも、でも今のわたしはそれでは100%満足できない自分もいて。

 

なんだかほんとはずっと、心苦しかった。わたしのせいで、わたしがせっくすがちょーよろこび!って人間だから、直はこんなにも、いろんなものがありながら頑張ってくれているんだ、、って。

わたしはわたしの中の満たされてない事実を無視できないけど、でも直がわたしによってプレッシャーやらなにやらで押しつぶされていく姿も無視できなかった。

 

 

『もう、これ以上、まゆとの関係を守るために

直が性のことで頑張り続けるのは違うと思う』

 

って、心からの声が自然と口から出てきたとき、わたしは自分でびっくりした。

 

 

直は好きだしたいせつ。

でもわたしにとってとても大切な性な在り方は、直との間では難しいんだって、直の役割ではないんだって、はっきりさせることができた。

 

わたしはどうしても好きの気持ちのままに、身体は反応するし、触れられたいって思うし、繋がりたいって思う。

でもそれが、直にとっては

[ただ触れ合ってるだけでは物足りないってことなんだ]

[もっと、って言われてる気分]

[まゆが身体の欲を発散したいように見えて遠くなる。それが悲しい]

ってことになる。

 

 

わたしは直が好きだから、触れられたいって思うのに、悲しがられることが、めちゃくちゃに悲しかった。

 

 

だからわたしは、

直との間にそれを求めるんじゃなく

わたしの目の前に広がる世界の中で、

それを満たそうって思ったんだ。

 

 

 

歳だとか

体質だとか

性質だとか

性別的なものだとか

理由なんてわからないけど、

 

違いすぎる感覚・性質のふたりが

お互いの欲しいものを

お互いに求めることで

行き詰まるもの、悲しくなるもの、しんどいものが、あるんだなあと思っている。

 

 

きっと、お互いに

それが譲れないものだから。なおさら。

 

 

役割分担になるのか

関係そのものが終わるのか

これからのことはまだわからないけど、

 

 

なんにせよ、わたしはわたしに正直でいよう、と、決めている。

 

それが、わたしへの敬意であり

愛する直への敬意でもあるから。

 

 

 

わたしが、どこまでもわたしに正直で在る限り、生命は煌めき続ける。何も失おうとも、必ず。

 

 

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