Mi amas vin.

My life is my message

愛あるところにしか痛みは生まれない。

2時間半睡眠なのによく起きれた。

最近魔女みたいに夜眠れない。

3時とか4時とかになる。満月前だからかな。

でもどんなに寝不足でも顔にできものとかできなくなった。きっとハーブティーのおかげだと思われる。すごい。

 

キャリーに荷物を詰めて東京から山梨の山へと向かっている。

 

もともとInstagramでみてた23歳の農業やりながらコミュニティを作ってるすてきな男の子が、山菜を摘んでみんなで料理して焚き火をしてテントで寝るイベントを開催すると聞いて即決で参加を決めた。

 

もともと同じ日程で壱岐島にいこうとしてたの。

 

でもそのイベントみつけたときに

明らかにこっちの方が胸がわくわくした。

 

まだ成田から長崎の飛行機取る前でよかった、、!ってなったのだ。

 

壱岐島はまた気が向いた時に考えよう。

 

お先に神津島に行きそうだ。

7月の頭に2週間ちょっと行ってこようかな。

お誕生日の前夜に綺麗な星空を見たいから、お誕生日は神津島で過ごそうかなと思っている。

 

 

 

昨日Tポイントカードを捨てた。

 

コンタクトを買う時に

「すべてのポイントを利用」を選択して

用無しのカードにして、捨てた。

 

なるべく財布の中にカードを入れたくなくて。すっきりさせたくて。

 

レシートや領収書もすぐに専用のポーチに移すし、財布の中がごちゃごちゃしてるのが嫌なのだ。

 

 

わたしはほんとに捨てたがりでさ

毎日断捨離してて

「いらないものはないか」

「捨てられるものはないか」

「使ってないものはないか」

っていう視点で

毎日生活をしたり

自分の部屋を眺めてたりするんだけど

それはマヤ暦の[白い世界の橋渡し]の

大事な大事なテーマなのだとこの間知ることができた。

 

どれだけ削いでいけるか

物も気持ちも何もかも常に断捨離がテーマ

な人らしい、わたし。

 

あとは

死を意識することで今を大事にできる人

死という出来事を前に大きな成長や気付きを得れる人

らしくて、

だからわたし常に

いつ地震が来て、いつ死ぬかわからないってマインドで日々を生きてんだなって思ったし

だからわたしおばあちゃんっ子だったんだって、おばあちゃんちで暮らしてたから、一緒に生活をしてたひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、みんな死んだ。

まゆにとっての「家族」だった人間がみんな死んだ。

そうやって、よりわたしの中では

鮮明に、色濃く、【人は死ぬ】ということが刻み込まれた。

 

 

あとはいまは、わたしの時期的には

しあわせを味わう時らしくて

自分の理想が自分を助けてくれるんだって。

 

 

あー、だからいまわたし、

いますんごく自分の理想にこだわってるんだな、妥協を許さない自分になってるんだなあって、それを聞いてめちゃ納得した。前回のブログとかまじでえげつない。笑

 

でもそれでいいんだって思えたし

やっぱりわたしはいつだって

自分にとって必要なことを

知らず知らずにちゃんとしているなと思った。

 

 

自分にとってのしあわせを追い求める。

自分の望むしあわせが感じられないのなら断捨離をする。

 

そういうフェーズにわたしはいまいる。

 

ほんで31歳くらいから

もう半端ない激動な社会進出が始まるんだってよ、、

 

それまで下積み!

いろんな経験をして

いろんな気付きを得て

いろんな成長をして

自分で自分を認められる揺らがない土台を、根っこを、どんどんつくってゆこう。

 

 

マヤ暦、知ってはいたけど、

より深く学ぶといろいろおもしろかった。

90分ほどで28,000円のマヤ暦セッションしてるパワフルな女性にわたしはお願いしたんだけど、興味ある人、受けたい人、連絡してねー繋げます。

 

 

 

 

 

まゆはすごく愛されてる。

 

まゆはすごく愛されてた。

 

そのことに気付くたびに

その愛を感じるたびに

泣いちゃう。

 

 

こころの感度のよさは

自分で誇りに思っている。

 

その分勝手に傷ついて落ち込んで

一人で泣く時間もあるけれど

喜びで一人泣いてる時間も同じくらいにあるのだ。

さっきも、とある人からの愛をすごく受け取って、電車にのりながら涙ぽろりした。

 

そのこころの感度のよさがわたしに

『生きてる実感』を味わせてくれてる。

 

 

自分の人生が好きでたまらない

自分の人生がたのしくてたまらない

 

でも

まゆの人生はこんなもんじゃないってのも知ってる。

 

 

もっともっとすごいことが起きてゆくし

もっともっと楽しくてたまらなくなるし

もっともっと喜びも幸せも何百倍にも

大きく拡がってゆく人生が待ってるって、

その根拠のない予感だけははっきりとわかっている。

 

 

あとはやっぱりまゆは、

誰かとの間の唯一無二の愛を体験したい。

 

お互いがお互いを

唯一無二の存在として

求め合うのって

この地球において

ほんとにすてきなことだなって思う。

 

 

まゆの望んでるもののイメージはこれ。

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伝わるくない?

お互いが

唯一無二の存在として

求め合ってるって言葉の意味。

 

純粋な愛を感じる。

 

これみてると泣いちゃうの🥺

尊いな〜美しいな〜ってね。

 

まゆはこれを体験できるパートナーを

宇宙にオーダーしてます♡

 

 

オーダーが届くまでに時間差あるから

まゆはまゆのことに集中するのみ!

出会ったとしても自分に集中がまず何より大事であることは変わらないけどね

 

 

あ、そうそう、断捨離だいすきだからね

わたしは、しょっちゅうケータイのカメラロールの写真たちも整理するの。

 

 

それで去年の11月にお別れした彼との写真とか一緒に曲を作ってる時の動画とかが出てきてさ、

めっちゃこの人まゆのこと好きじゃんって

めっちゃこの人まゆのこと大事にしてくれてたじゃんって

めっちゃこの人まゆのこと愛してたじゃんって

 

写真に映る彼の表情や瞳から思ってさ。

 

なぜにこんなものを目の前に

わたしは終始不安がっていたのだろうと

失う恐れに囚われ続けてしまっていたのだろうと

彼が差し出してくれてるものをザルのように手からこぼれ落としてしまっていたのだろうって

 

そう思った。

 

もちろん、そのときは

そうなるしかなかったし

そうなることが必要だったし

それを経ていま自分の中にある体験が

かけがえのないものであることはわかっている。

 

 

でもやっぱり彼に対してだけは

おおきなごめんねが

わたしの胸から消えないのだ。

 

そんなわたしのなかの

おおきなごめんねと

おおきなありがとうは

瞑想あとのお祈りの時間か

おてんとさまに向かってしか、

表現できない。

 

 

散々一緒にいる間に

ころころといろいろなわたしの中に生まれるそのままを彼に言葉にして伝えてきたからもう彼はうんざりしてると思うから、直接は伝えない。

 

でもエネルギーはどんなに距離があったって伝わり合うから、わたしはわたしの場所から、

 

ごめんねと

ありがとうと

しあわせでいてね

 

と伝えるのみだ。

 

 

知りたくなかった、失うのなら。と

そう思ってしまうこともよくあるけれど、

それでもやはり、

そういった喪失の痛みは

生きてることそのものであるし

痛みがあるということはそこに愛があるってことなんだって、

いまは断言できる。

 

愛あるところにしか痛みは生まれない

 

 

だから、

ほんとうは、痛みを避けなくてもいいのかもしれないね。

わたしは痛みから避けたくて

傷つく可能性を避けたくて

白黒はっきりさせようとするところがあるから。

 

 

すべての痛みを愛に昇華させて

生きてゆけるようになりたいな。

 

 

 

ではまたねん!