Mi amas vin.

My life is my message

怖いけど出してみる。許すために。

 

 

わたしは、

 

なんでも1人でできなきゃならない!

おかねも、ちゃんと必要な分を

自分でどうにかして

誰にも迷惑をかけないこと

自分ひとりで自立すること

それが立派な人間だー!

って思ってた。ってか思ってる。

 

 

お母さんにも

おばあちゃんにも

そういう言われ方をしてきた。

 

 

だから大学から今まで

そうがんばってきた。

1人でがんばってきた。

 

大学時代の一人暮らしのお金も

行きたい海外に行くお金も

ピースボートに乗るお金も

大学の授業費も

全部全部、自分でどうにかしてきた。

 

バイト代と奨学金で。

 

 

 

大学生がおわったいま。

 

 

必要な分のお金を稼いで

ビジネス成功して

経営成功して

それかちゃんと雇われて働いて

そういうひとが

社会人として

大人として

立派だって。

 

 

そうじゃない人は

人間失格並みに

甘ったれてるとか

非難される。

馬鹿にされるか憎まれる。

 

働けよって

ビジネス学べよって

 

 

そういう『普通』があるから

みんな頑張ってる。

 

 

そんなふうに、

わたしの目が見る世界には写ってる。

 

 

 

 

 

でももう、わたしは

 

素直に

怖さも

困ってることも

オープンにして生きたい。

 

 

ひとりで肩肘張って

がんばろうとする生き方は嫌だ。

 

 

助けて!っていうこと

無力で弱い自分の姿を世に晒すこと

 

 

わたしがわたしに非難しているから

他人から、

責められるんじゃないかって

非難されるんじゃないかって

怒られるんじゃないかって

怖い。

 

 

 

でももう言う!!!

 

 

ほんとうは、

 

ほんとうは、

 

 

 

おかねがなくなってこわい。

奨学金返していくのたいへん!プレッシャー。

なんか口座から引き落とせなかったら闇金みたいに取り立てられるのではという恐怖がどこかに染み付いている。

ほんとうはきぼうのいえの家賃も

わたしの奨学金返済も、

誰かわたしを応援してくれるひと、

存在へのお金を流そうと思えるひとに払って欲しい。

 

 

そしてわたしは

家賃のために

奨学金返済のために

お金のために何かすることなく

わたしという素材をこの地球で

めいっぱいに活かしたい。

 

 

これまではなぜか

なんとかかんとか

生きてこれたけど

 

今、久しぶりにお金が尽きそうになっている。

 

 

きぼうのいえのドネーション

本当は、タダで泊まれる家にしたい

辛いときに、行く当てがないときに

駆け込み寺のような場所で在りたい

もっとわたしの中にある愛をこの世に放ちたい

 

 

そんな想いと

 

 

実際に家賃や光熱費を払っていかなきゃならない

 

という思いの狭間にいて

葛藤している。

 

 

 

 

 

わたしは大学時代に

仕送りなく一人暮らしをしていたから

2つのところから奨学金を借りてたから

今、返済が月3万ずつ。

 

そしてきぼうのいえの家賃は月5万。

 

 

この2つをクリアするために

無いものを得るために

不足から

恐れから

 

何かをするのは、やりたくない。

というか、やっても、成功しない。

 

 

 

だから、

まずは、

 

いちばん大事なステップとして、

 

いまの正直な

いまのありのままの

状況を

怖さを

不安を

 

そのままに

オープンにしてみた。

 

自分に許すために。

 

 

自分を愛するために。

 

 

 

もう

平気なフリをする人間はいやなんだ。

 

もう

強く大きなフリをする人間はいやなんだ。

 

 

 

こわいよ

って

 

たすけて

って

 

そう、泣きながら弱さを出せるひとに

 

ひとから差し伸べられる手を

ちゃんと受け取れるひとに

 

 

わたしはなりたい。

 

 

 

そうやって

自分が許せない部分を

素直にオープンにして

わたしのもとにやってくるぬくもりを

泣きながら喜んで、大事に大事に抱いて

わたしがまたこの世界にぬくもりを放っていきたい。

 

 

【ひとりでどうにかしなきゃだ】という

冷たく、厳しく、固い世界じゃなく

 

 

【ぬくもりと愛に溢れているんだ】って

やわらかく、やさしく、あたたかい世界を

わたしは生きてゆきたい。

 

 

 

わたしが自分に許せた姿の分だけ

誰かをあたたかな眼差しでみつめることができる。

 

 

だから、わたしはもう一度

わたしがわたしを許していく道を歩む。

 

 

 

そうして、

 

わたしのなかに安心を

わたしがわたしとの信頼を

 

わたしの内側で育んでゆく。

 

 

 

 

応援をしたくなるのは

存在にお金が流れるのは

 

その人が素直だから。

その人が自分のすべてを

醜い部分も

弱い部分も

情けない部分も

知られたくない部分も

ぜんぶを

ありのままに、オープンにしているから。

 

 

かっこつけずに

見栄を張らずに

嘘をつかずに。

 

 

 

わたしも、生き方を変えるときだ。

 

 

 

素直に生きる。

愛を受け取って生きる。

愛を放って生きる。

 

 

読んでくれて、ありがとう。

 

 

これまでたくさんブログを書いてきたけど

公開ボタン押すのが怖かったブログNO.1です。

 

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