Mi amas vin.

My life is my message

ドネーション。っていう愛のめぐりを。

 

 

わたしたちが今やっているこの営みに

出てくる[ドネーション

 

 

これは、

あなたの思う額

あなたの払いたいと思える額

あなたのこころが感じた分だけ

 

 

というかんじ。

値段は決まってない。

 

 

 

そういう形にしてるのには

いくつか理由があるんだけど、

やっぱり1番は

 

 

『新しいこと』だから。

 

 

普段わたしたちはオートコントロール的に

決められた値段を払って生きている。

 

 

コンビニのごはんも

欲しい本も

欲しい服も

住みたい家も

行きたいイベントも

 

なにもかもだ。

 

なにもかも、どこかのだれかの

コストとほしい利潤と価値とで

決められている。

 

 

値段がすでに誰かによって決められた

その上で、

個人が決める。

買うか、買わないか。

 

 

大好きな○○には3万円出せるけど

そうでもない○○には100円ももったいないな

 

 

って、人それぞれ、

 

《なにが好きか》

《なにを大切におもうか》

《なにに価値を感じるか》

 

によって、金銭感覚というものが存在してる。

 

 

 

 

このドネーションは、

自ら、払う値段を決める。

から、必然的に

自分のこころに聞く必要がある。

 

 

わたしは、

 

この時間で、この空間で、

一体なにを感じた?

 

って。

 

 

その感じたものって、

お金にすると、どれくらいなのだろう。

 

って。

 

 

そこには、

【自分】という存在以外は出てこないのだ。

 

というより、

出てきてはならない。

 

 

どう思われるかな

安いと思われるかな

こんな自分ケチって思われるかな

 

などなど、

それはもうすでに【他人】が登場してる。

 

 

そうじゃなくて、

 

【自分】が

わたしの気持ちだよ

わたしの愛だよ

 

って、気持ちよく笑顔で、払えるところを

自分でみつける。内側に聞きながら。

 

 

これはある意味、

ひらめき

とか

直感

的な部分もある。

 

 

 

あ。なんとなく、払おう。

あ。なんとなく、5千円だなあ。

あ。なんとなく、2万円だなあ。

 

 

この、

《なんとなく》がすごく大事。

 

 

 

わたしは、ともだちが

 

イベントとかお話し会を

ドネーション制にしてたり

 

あなたのために絵を描きます

そのお代はあなたが決めてください

ってのやってたり

 

するから、

この《なんとなく》に触れる機会やきっかけがある。

 

 

 

そして、

ピタッと、

自分の中で受け取った愛(エネルギー)の分だけ

お金に代えれたとき

 

すんごく、気持ちがスカッとしてるというか

 

すっきりしてるんだよね。

 

 

そのスカッとする、きもちいい感覚を

少しでも多くの人に

体感してみてほしい。

 

あの感覚を分かち合いたいんだ。

 

 

そのスカッとしたものは

『ありがとう、愛してるよ』ってお金になる。

 

 

わたしはそんなお金を

回していきたいし

受け取っていきたい。

 

 

 

そんな世界のきっかけをつくりたいんだよね

 

 

 

そこには

大きなパラダイムシフトが必要って感じてる。

 

 

ここには未来とか、不安とか、

そういうの一切ないから。

 

 

それは、

『めぐる』ということを信じるってこと。

 

ありとあらゆる方法や手段で

愛あるところにお金はめぐる、

ということ。水のように。

 

 

水は流れているからめぐっているから生きている。

 

水を留めておいては、淀むだけ。

 

 

めぐるから、手放せる。

めぐるから、与えられる。

めぐるから、受け取れる。

 

 

【お金のいらない国】って本

https://www.amazon.co.jp/%25E3%2581%258A%25E9%2587%2591%25E3%2581%25AE%25E3%2581%2584%25E3%2582%2589%25E3%2581%25AA%25E3%2581%2584%25E5%259B%25BD-%25E9%2595%25B7%25E5%25B3%25B6-%25E9%25BE%258D%25E4%25BA%25BA/dp/4902306166

わたし大好きなんだけどそこには

 

お金は貯められるから貧富の差が生まれる。また、一度手に入れたお金は自分のものだと思ってしまう。だから、なかなか人に分け与えることができなくなる。

 

 

ってあって、

まさにその通りだなあって感じる。

 

 

この『めぐる』を信じることは

自動的に所有の意識からも解放される。

 

 

田舎に来たら

やりたいことをやって生きてくと言えば

必ず『なにで食ってくんだ?』

って聞かれる。

 

その返答にふさわしい

『愛で食ってく』って本がある。

Amazon CAPTCHA

 

まさにそんな世界をわたしは生きていくし

生きてる人たちがたくさんいる。

 

 

本当に、

自分が、自分を生き

役割を果たすとき、

 

天に、宇宙に、

必ず、『生かされる』ってことだ。

 

 

 

 

わたしもちょうど

インスピレーションでまゆに絵を描きたい!お代はまゆがお金という価値に変えてほしい!ってともだちに言われて、その絵が届くのを待っているところ。

いろんな思考にとらわれずに

その絵を見た『瞬間』のわたしが感じること、そこに全エネルギーを集中させたいと思ってる。

 

 

めぐる!を信じて

直はお金への実態のない恐怖を手放すついでに、ひらめきのままに、感謝しているある人に定期預金の100万円をあげた。その人のおうちのポストに投函した。心の保険だった定期預金だった。怖かったけど自分の中で閃いてしまっている事実に抗えなかった。

 

 

わたしたちは

余っててもどうしようもないし

余ってるならまわそう、めぐらそう

と思って

インドでとってもお世話になった

田舎の大好きな家族に

日本円の10万円分を最後ばいばいするとき手紙に混ぜてこっそりあげた。  

向こうでは、貧しい家庭だったこともあって、

とんでもない額らしくて、

その泊まらせてもらってた家族のうちのひとりである若い旦那さんはそのお金をみて絶叫してたって後から聞いた。

どういうつもりなんだ!!って言われちゃったよってその旦那さんの妹であるわたしたちのともだちが言ってた。

 

 

 

よく、やりとりをするようになってた人が

ものすごく愛の人で、日々いろんなインスピレーションとか、愛をわたしたちに、注いでくれてて、そんなただ、《存在への感謝》が湧いてきて、1万円をその子の口座に振り込んだりもした。

 

 

お金はいいよ!いらないよ!

って言われてたけど

どうしてもこの感謝と感動と

わたしが受け取ったものを

お金という形で贈りたくて

なんとなくでてきた2万円って額を

わたしのだいすきなうたうたいのひとに渡したりした。

 

 

そんな、

信じる先でのいろんな、あれこれを通して

 

少しずつ、少しずつ、

 

 

【お金】ってものへの固定概念を揺らがせて

 

 

払うことへのブロック

その奥にある恐怖。

 

受け取ることへのブロック。

その奥にある無価値観。

 

 

を何度も何度も、見つめ続けてきた。

 

 

 

自分が本当に価値を感じるものへ

お金を流すというプラクティス。

 

 

それは、

お金は水。

お金はエネルギー。

お金は愛。

 

 

その土台に立った世界を生きるんだっていう意志から。

 

 

 

今のその道の途中。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり、わたしたちの元へ来る人たちも、

このドネーションは「難しい」と口を揃えて言う。

 

 

お金ってものへの

あんまりいいイメージがなかったり

自分にはドネーションってものが

なんとも難しいなあって思ったりすると

 

 

ドネーションを避ける代わりに

○○をおごるよって言ってくれたりする。

 

 

ここで、

【言葉にされないやりとり】ってものが、

わたしや、わたしたちにとっては、

すごくモヤモヤを残し、そのモヤモヤの正体は悲しさだってわかった。

 

 

 

だから、

 

今回も、

勇気を出して聞いてみたんだ。

 

 

○○おごるよって言ってくれたお友だちに

 

それって、ドネーションがちょっと難しいから、言ってる?

 

って。

 

 

そうしたら、その子の胸の内を少しだけ話してくれた。うれしかった。

 

 

そういう、踏み込んだ話、

 

それをする

それをしようとする

 

その【意図】は、なんなのか。

その【動機】は、なんなのか。

 

 

そこを、共有できたらいいなあと、わたしは思ってる。

 

 

 

 

ごめん、やっぱりわたしにとっては

ドネーションって難しくって

気持ちよくお金を払える気がしないから、

 

ドネーションは無しにしようとおもう

 

とか

 

でも気持ちはあるからその代わりに

○○をおごらせて

 

 

とか

 

 

 

自分の持っているモノを、ギフトするね

 

 

とか

 

 

そういう会話ができたらなあっておもう。

 

 

みんなお金のことって

話したがらないけど、

 

 

すごく大事なことだとわたしは思うから。

 

 

 

 

その人が、

その人の真ん中に立って

 

思うことすべて

決めることすべて

 

それをわたしたちは

否定したり、批判したり、

一切しない。絶対しない。

 

 

ただ、

言葉にされないコミュニケーション

に、悲しむだけ。

 

 

 

 

払うも払わないも

額がいくらかも

 

It’s up to you

 

 

なのだ。

 

 

そこで感じる自分のすべてに

赦しを、OKを、与えてほしい。

 

 

 

わたしたちも

きてくれた人が

いろんなお金へのブロックや

実際の金銭状況などなど、

いろーーーんな事情・感情によって、

 

払われなくても

1円だとしても

 

それは、その人のチョイス。その人の領域なわけで。

 

 

その額=わたしたちの価値

 

とは、思っていない。

だから矛盾に聞こえるかもしれないけど、

 

たとえ0円でも1円でも

わたしたちはショックを受けないのだ。

 

 

群馬の家でも同じようなことをしてたとき、

1円の人もいれば

3万円の人もいた。

 

それはその人がどれだけ

自分の中で

お金=愛のパイプが開いているか

であったり、

お金への不安があるかないかとか

ぜーーーんぶ、

『その人の中の状況』

でしかないから。

 

 

 

だから本当に

新しい世界を覗き込むような気持ちで

 

あそびの一つとして

実験の一つとして

 

このドネーションがひとつの、

新しいきっかけになったらいいな

と思っている。

 

 

 

軽いエネルギーで

ありがとう!応援してるよ!って

渡されるお金ほど

 

愛を感じてしあわせなものはない。

 

 

その一方で

迷いの中でもやもやの中で

それでも払うと決めて渡してくれた人たちに

ありがとうの気持ちはもちろんのこと

それだけじゃないなんだか

ぐるぐるとした気持ちがふと、湧いてきて

 

今このブログをかいてます。

 

 

わたしたちが、

どういう歩みをしてきて

なにを信じて生きてきて

どういう世界を見たいのか

 

それが抜けては「ドネーション」も

ほんとうの理解はされないなあと思った。

そこをちゃんとわたしたちから共有しないと、わたしたちのドネーションへの意図が伝わらず、来てくれたひとに対して時に、重荷になったりする。それは申し訳ないなって思って。だからちゃんと書いてみたんだ。

 

 

 

 

 

お金がなくてもあっても

確かな安心や算段が立ってなくても

 

わたしはこれをする!

こう生きてく!

 

って覚悟をすれば

必ず、それに必要なものは

影のようについてくる、

 

そんなことを少しずつ体感しながら生きていてる今。

 

 

覚悟とお金も

すごく密接な関係だなあと感じてる。

 

 

覚悟ができたから

どこからともなくお金がきたりするし

 

お金を払うという行為によって生まれる覚悟もある。

『お金を払ってでも来たい・会いたい』

そう思えるひととだけがいいかもって思った時期は、わたしたちの方で値段を設定してお話し会をしてみたりした。

それはやっぱり、スッキリと渡してくれるし、スッキリと受け取れる。でもその一方でこっちで値段を決めてるって点で受け取るブロックからまだ力む自分たちがいたりした。

 

 

 

 

そんな風にいろんな実験と

そこでの感覚を経ての

 

いま、

自由なドネーション

 

 

いろーーんな色を持ったこの『お金』

 

 

 

 

そんな、お金ってもんのいろんな色を

出会う人と、分かち合えたらいいなあと思ってる。

 

 

 

ここまで話しておいてなんだけど

お金にかえられないもの

ってのも、一方で確実に存在してると思ってて。

 

例えば今なおと話しててすごく共感したのは

 

『ごめーん!わたしお金のブロック強すぎるから1円も払えないけど、めっちゃ受け取ったー!ありがとうー!らぶゆーー!』とかゆってハグされたらそれはもう心は満ち満ちて、いくらにも代えられない喜びと価値がそこにはもうあるのだ。

 

 

あとは、ことば。

 

ひとが、一緒に過ごした時間を

どう、感じ

どう、表現して

どう、ことばにするか。

 

そのことばたちは、

わたしたちにとっては、

もうとんでもない、たからものなのだ。

それだって、お金もらうことには代えられない喜びだったりする。

 

 

ようするにわたしたちは、

めぐりたいのだとおもう。

めぐらせたいのだとおもう。

 

 

分かち合って。

めぐって。

それをまた、わたしあう。

 

わたしあうものが、

温度だったり

お金だったり

ことばだったり

ものだったり

 

 

なんだか

【言葉にされない何か】の上にある

コミュニケーションが悲しいってだけ

 

 

 

 

お金って、ちょっととっつきづらいから、

そんなことのキッカケに、

このドネーションが、

なればいいなあって。

 

 

誰しもが、

ありのままの、存在で

必要なお金(愛)がめぐる世界を。

 

 

 

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