Mi amas vin.

My life is my message

絶望できることは強さ。

100日チャレンジ40日目

 

 

今日はクロスミーで出会った人とコメダで会って、

ピースボート乗ろうとしてる人だったから

そのままいっしょに高田馬場ピースボートセンターに行った!

 

 

 

昨日の夜のバレーサークルでの飲みが

疲れとすきっぱらに対して

いつもと同じペースで飲んでたから

酔っ払って吐いて今日は1日

絶賛二日酔い状態だった。

けどなんとか話せてよかった。笑

 

 

 

4年ぶり?くらいのピースボートセンターはげきなつかしかった。うん、懐かしかった。

 

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3人だけ知ってる人(スタッフ)がいてうれしかった。

覚えててくれてるのがうれしかったし

マスクしてるのにまゆって気付いてくれたのもうれしかったなあ。

 

 

契約スタッフの枠で地球一周の船乗れるらしくて、また船に乗りたいなって思った。

 

なのでまずは来年の夏のショートクルーズのときにお手伝いしてみることになった。

 

たのしみ〜

 

船も新しくなってるし。

 

 

やっぱりまゆは

ピースボートの世界のひとたちの

空気感とか雰囲気とかが好きだなあって思った。

 

 

 

今日は

え、そんなふうにこわれます?ってな感じにお気に入りのサンダルみたいな靴が壊れた。急いで新しいの注文したけれど、届くまではビーサン、、?この時期に。。。

それかまゆの嫌いなスニーカー。😫

やだなあ。

 

 

 

あ、あとね、

お友達からうれしい連絡も届いた。

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前にあった時は恋人とかいらない恋愛とかいいって言ってたんだけど、

それが今となっては強がってた部分もあったのかも〜って言ってていまは恋人がいるみたいで、誰かを好きになるとか愛するとか向き合うとか、そういうのってほんとに素晴らしいことだよねって話をした。

 

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ここの部分に心底共感した。

一筋縄ではいかないけど本物のエッセンスがそこに在る。まじでそうなんよなー。

 

 

使命と傷はセットだし

願いとカルマもセットだ。

 

 

 

やりたいことや願いのすぐそばに

傷やそれを難しくさせる壁が自分の中にあったりする。

 

 

それでもゆくのだよね。

願いのある方へと。

 

 

まゆは、

絶望できることって強さだとおもう。

 

 

願いがあるからこそ絶望ができる。

願いを諦めてないからこそ絶望ができる。

 

だからまゆはとことん絶望するし、

絶望できている自分を誇ってたいなと思う。

 

 

 

 

お別れは悲しいけど

未熟さに打ちひしがれて絶望しまくってるけど、それだけ本気で自分の願いに向かって生きれているということでもある。

 

お友達が、お別れは悲しいけど、まゆがさらに深く奥行きのある人間になるために起きたんだろうねって話してて、ほんと、そうやなあーって思ったよ。

 

 

 

どんどん絶望しよう。

痛みを味わおう。

それが「生きてる」ってことだから。

 

 

 

絶望から逃げることは

本気で何かを望むことを放棄することと同じだ。

 

 

ちゃんと望んで

ちゃんと願って

ちゃんと痛んで

ちゃんと絶望すればいいのだ。

 

 

痛まずに

絶望せずに

なにも望めなくなった時

なにも願えなくなった時

「生」を感じれなくなる。

 

 

それもセット。

 

 

地球に生きる限りは

陰陽のセットからは逃れられない。

 

 

 

だから

安心して落ち込んで

安心して絶望したら

陰極まって陽になるからね。

 

 

 

ちなみに言うと、

平坦が好きな人もいるし

平坦が向いてる人もいる

 

 

ジェットコースターが好きなのか

静かに真っ直ぐに進む乗り物が好きなのか

それは好みだからね。

 

 

 

わたしはジェットコースター派。

 

その波の振り幅の大きさがそのまま表現となるから。

アーティストタイプの人は生きてるだけですごい。えらい。ジェットコースター派のアーティストタイプの人は生きてるだけで体力つかうからね。でもそれがなにより「生命」を生きてる感でもあるわけで。それを文字にしたり、音楽にしたり、絵にしたり、踊りにしたり、作品にしたり、するのよね。

 

 

まぁアーティストだけじゃなくみんなえらいけど。

 

 

今日、ロボットのように

〜よし、〜よし、って指差して確認してる駅員さんを見て、

ロボットみたいですごいな〜まゆには無理だな〜でもロボットみたいにできるから、日本の電車は毎日、来る日も来る日も、安心安全で時間通りに動き続けてるんだよな〜って思った。まゆみたいな人が駅員やったら、感覚でまぁいっか!ってテキトーにしちゃって、なんか事故おこすねんな。まゆみたいな人でこの世界が溢れたらもう大変なわけです。

 

 

だからこの世は役割。

 

みんな生きててえらい。

みんな自分にできることをしててえらい。

みんな自分の役割を生きててえらい。

 

 

えらいぞ!!おやすみ!!

「We」を願ってたのに「 I 」を選んでたわたし

100日チャレンジ39日目

 

 

 

昨日たくさん話してて気がついた。

 

霊視やら過去性やら見える人に

『まだ一対一の関係で深く愛し合うってことを体験したことのない魂だけど今世ではそれをしたいんだね』って言われてものすごい納得感があって、それをわたしの願いとしてるんだけど、

『わたしは!』→ I

って生き方しかしたことないから

『わたしたち』→We

の感覚がわからなかったり、できなかったり、下手くそだったりしてきて。

 

 

 

ずっとそこの葛藤で悩んできたのね。

 

 

わたしの感覚、実感、納得感

そういうものが何よりも大事で

それを少しでも抑えたり消したりしたら

わたしはそれをした相手との関係性が築けなくなる。

 

 

何なんだろこれ、ってほんと思ってきたし、

誰かと生きたいと願いながら

少しでも自分を殺したら、もうthe end みたいになっちゃう。

 

 

でもそうやって、

わたしは、『自分』ってもんを

頑なに肩肘張って守ろうとしちゃったから

彼とも終わった。

 

 

そう思った時に、

あなたが好きだ

あなたと生きていきたい

と口ではいいながら

わたしがしてた行動は

『 I 』の生き方だった。

 

 

お別れの彼が

人からどう思われるか

人からの印象や評価をなによりも大事にする人で、

だから同じ職場のひとに、俺らの関係のことを言うのは彼からしたら嫌なことだと聞いて。

それをまゆから聞いた相手が彼のことをどう感じるかはコントロールできないからね。

 

そしたらわたしは、

彼と生きてる限りは、

まゆの好きに、人と関われないんだ

彼と生き続ける限りは

まゆがやりたいコミュニケーションをできないんだ

って思ったの。それはやだなってその時思ったの。

 

 

それがまさに、

わたしが彼との『we』を選ばなかった瞬間で、そんな瞬間は山ほどあったと思う。今振り返れば。

 

 

そのことに昨日の夜

絶望した。

 

願いとは逆の実態になってしまう自分を

直視して、その自分に打ちひしがれた。

 

 

あんなに本気で好きになった相手ですら

人生で初めて結婚したいかもと思えた相手に対してですら

 

わたしは『we』を選べなかった。

 

 

わたしの選んでることと

わたしの願いが

矛盾してる。

 

 

 

でも

誰かと生きること

『we』の感覚になれる・知れること

それは紛れもないわたしの願いなの。

 

 

だからこんなにも打ちひしがれるし

こんなにも、『 I 』を生きてしまう自分に絶望してる。

 

 

 

あとは別件でのわたしの好きな人に

『まゆちゃんの物語の登場人物として、

主人公に消費されてしまっているような気持ちを、抱いてしまったりすることあって。』

と、言われたことがあって

それがあんまりにもこのまゆの痛いところを美しいくらい見事に突いていて、ショックでもあったけど、もっと深い意味でずっとわたしの胸に残ってて。

 

 

 

 

ほんでつい昨日、4年付き合った人に

とある頼みごとをされて、

でもその頼みに応えるには

まゆの納得感とか彼の感覚の理解が足りてなくて、あんまりその頼みに応えたいって思えなくて。

あとはその頼みに応えたら、いまみたいに何でも話せる関係がなくなってしまうかもしれないってそれは嫌だなあって思ったの。

 

 

そしたらその4年の彼に

『それをしてくれたら自分は幸せになれるって言ってるのにそれでもまゆは最後まで「I」なんだね』って言われて、なんか泣いた。

 

 

もう昨日の夜はひたすらに

We を願っておきながら

I にしかなれない自分に絶望する涙を流しながら眠りについたの。

 

 

でもね、朝起きて、

なんかそれ、

くだらねえな、

って思ったの。

 

 

だから、4年の彼が求めてるものに

応えることにした。

 

 

目の前の

まゆの大切な人が、

幸せになることよりも

大事にするべきものなんてないって

そう思ったんだ。

 

 

 

4年の彼に送ったLINE。

 

 

 

『なんか、自分の納得感とか実感とかそういうのは確かにわたしには大切なものだけれど、
目の前の大切な人をはねつけてまで守りたいものなのかなあって思って、
なんか、目の前の人を切り捨ててまで『自分の感覚が』って言ってんの、くだらねえって、ふと思った。

目の前のまゆにとって大切な人が幸せな気持ちになること以外に大事なことなんてないんじゃんって、初めての感覚だけどそう思った瞬間に目に入ったのこのポスター。笑
目的語?は違うけどおんなじフレーズの日本語で笑ったし、そう思えた瞬間まゆは泣きそうになったからやっぱりそれはまゆが望んでる在り方なんだなと再確認した。』

 

 

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これがその画像。↑

 

 

 

 

わたしは!

わたしが!

と、ひとり突っ走る生き方は得意だ。

 

 

でもわたしは、誰かと深く愛し合って生きていきたい。唯一無二のパートナーシップを大切にしたい。

 

 

自分を殺す感覚を伴わずして、誰かと生きれる道を。

 

 

まぁほんと、まゆは未熟ですよ。

いまのまゆは誰とも付き合うべきじゃないと思う。

 

 

『わたしたち』を選べるわたしになるぞーー!

 

『期待』はあったと認める

100日チャレンジ38日目

 

 

今日は3ヶ月ぶりにスタエフでしゃべった!

昔はよく使ってたけど

最近めっきりだったけど

なんかふと、喋る気になった。

 

 

相変わらずゆるゆると

だらだらとしゃべってるけど

聞きたい人は聞いてね〜

https://stand.fm/episodes/619a26c8bd92bd0007a4cf40

 

 

このスタエフのLIVEを

今度やろ〜!ってひらめいたんだ〜

公式LINEとインスタストーリーで告知するねん

まゆとお話ししよう〜コメント欄で

 

 

 

 

 

 

まゆは思った。

昨日と今日とで

違うことを思ってもいい。

違うことを言ってていい。

真逆なことを思ってもいい。

逆にずっと飽きるまで

おんなじことを何度でも

初めて言うかのように言っててもいい。

 

 

ころころ変わっていいのだ。

整合性なんてなくていいのだ。

矛盾しまくってていいのだ。

一貫性なんてなくていいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

今日シャワーしながらふと思った。

 

 

まゆとお別れの彼とでは

ちょっとした違和感や合わなさや難しさは

当初からあった。

そんな小さな点に、わたしは気が付いていた。

 

 

でもそれに目を伏せたくて

その点を消したくて

彼の、持ってる煌めきや魂の美しさに

目を向けるようになったのかもしれない、と思った。

それがいつからか、それを握りしめることになってたのかもって。

ほんとは最初から難しさがあって、

これまでずっと、ある面から見たら延命治療だったのかもしれないと、初めて思えた。

 

 

彼はまゆがあれこれしてくれることが

「好きになってくれるかもしれない」という期待に感じてしまって負担になってたって言ってて、

好きになってくれるかも、という期待は確かになかったけれど、

『こうやって一緒にいれば、そのまゆに見えている彼の魂の煌めきや美しい姿に、還っていってくれるだろう・還っていってほしいな』っていう期待はあったな、って思った。

 

 

そんな時にこれを見かけて

そうかあ〜ってなったな笑

 

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わたしは彼に傷つけられたりはしてないけど、悲しいことはたくさんあって、この画像が言ってること、一理あるのよねえ。

 

 

だから、

【期待】の中身は違うけど

たしかに、まゆは、

“今とは違う彼の姿“ を期待してたんだなあって思った。

 

 

それを、今日ここに、確かに、認める。

 

 

 

それは彼からしたら確かに負担だし、辛いし、

まゆからの想いは重たく感じるよなあって思った。

 

 

 

ひとの、いいところが見えること

ひとの、魂の美しさが見えること

 

それはいいことだけれど

そのせいで見切りがつけられないこと

今この瞬間の相手へのおっけーが出せないこと

 

 

そういうことになったりもする。

 

 

もっとあなたはこうできるはずなのに!

もっとあなたは持ってる輝きを放てるはずなのに!

 

 

それは、『そう在りたいです』って本人が肚を括ってる場合には、最大のエール・パワーになるけれど、それを特に望んでない人からしたら、いらない期待なのだよね。

 

 

そんなことを初めて思ったなあ。

これまでとは全く違った見方。

新しい捉え方だった。

 

 

 

いろんなことを感じて

いろんな捉え方をしながら

変化しながらも

勝手にまゆの中でカタチづくられてゆくから、大丈夫。

 

わたしはそんな在り方でいたいなとおもった。

 

 

 

あしたはバレーの仲間とダーツして

そっからのバレーサークル!たのしみだ!

 

 

ではまたね〜ギターを弾いてねまする〜

 

 

 

 

 

 

 

螺旋は確実に。

100日チャレンジ37日目

 

 

昨日はおともだちんち泊まってて

ひるまたーくさんごろごろした

一緒にいて居心地いいし

いろんなことを教えてくれて

たのしいおともだちなんだ〜。

 

 

ほんで内観セッションでお世話になった人と初のご対面をした!明治神宮久しぶりに行ったけどめちゃ心地よかった〜

 

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そのあとまゆの大好物のグリーンカレーを食べて、免疫力落ちてたから整体とヘッドスパしてもらいに行った。

 

 

んで家帰ってきておごばーのイベントしてたから男たちと2回だけババ抜きしてたのしんで夜は4年の人と電話した!

 

 

 

 

 

たくさん泣かせてもらって

たくさん気付かせてもらった。

 

 

まゆの中に

 

自分が自分で在ることで

大切な人、愛される人に

見捨てられる、

 

みたいな

そういう傷に

外側のあらゆる状況を

結びつけてしまう癖を持ってることに気がついた。

 

 

 

まゆがまゆで在ったことで

そのまゆが未熟であったが故に

関係性がおわった、こわれた、

その未熟な自分を責めてしまっていた。

 

 

 

あとはやっぱり温度差やギャップに

しんどさや苦しさがある。

 

 

付き合ってる頃と別れた後。

魂で交わしたものと人間の限界。

魂の願いと人間の限界。

 

 

そういう違いを、ギャップを

受け入れること

仕方ないのだと諦めること

それがまゆに必要なんだよね。

 

 

まゆもお別れの彼も

ベストを尽くした。

 

まゆもお別れの彼も

よくがんばったよねって

讃えること。

 

そう在りたいなあ。

 

 

 

まゆの未熟さゆえに

自分を責めるが故に

彼に対して

泣いてごめんねが溢れてばかりだったけど、

次会うことがあったときには

『うちら、お互いによくがんばったよね!ベストを尽くしたよね!ありがとう!』

ってそう言おう。

 

 

 

彼はずっと誠実だった。ずっと真摯だった。

それなのにまゆは、、。

未熟すぎて壊しちゃった、、

 

ってなってたんだけど

人間はずっと未熟なんだと、4年の人に言われて「そっかあ」ってなった。

 

 

あとは

その4年の人にいろいろ話したら

何が悪いとか

誰が悪いとか

誰が未熟とか

そういうことなく、

ただ、

あのときのまゆと

あのときの彼とで

関係性を継続してゆくことが難しかった

という、ただその事実が在る

 

 

それだけなんだって

教えられた。

 

 

 

 

 

あとはその4年のひとに、

『だってまゆ、いっしょにいたころ「愛する資格がない」とか言ってたもんね』

 

って言われて

わーーーー!!そんなことゆってたなあー!!!めっちゃまゆ大変貌を遂げたやん!!

 

ってなった笑

 

 

 

お別れの彼との間で初めて

相手がどうこうに関わらず

相手の意思や気持ちに関わらず

まゆが好きなら、その気持ちに従う!

まゆの中に愛があるならそれを表現する!

そんなことしたことなかった。

それをお別れの彼との間でたくさん激こわだったけどチャレンジさせてくれた。

 

 

そうやって、

見返りを求めずに愛することを

体験させてもらえた。

 

 

 

『愛して欲しい』しかなかった

クレクレ星人だった

相手どうこう関わらず自分の気持ちにしたがって行動する・表現するなんて怖すぎてできなかった

 

 

でもそんなわたしが

激こわを超えて

自分の中にある想いのままに

彼に行動できたひとつひとつが

彼に表現できたひとつひとつが、

まゆにとっては、

人生初めての経験であり

まゆの魂にとってかけがえのない体験だったんだと、

 

まゆはとんでもない大変貌と大成長を

遂げたんだと、気が付けたよ。

 

 

 

でもそれが、

相手が欲しいものかどうか

それを相手と交わし合えるかどうか

は、また別の話なのだよね。

 

 

 

日々、

何度も何度も

同じところをぐるぐるしながら

今しかない感情を味わいながら

その中でも

昨日は気づかなかったことに1つ気づき

昨日は手放せなかったものを1つ手放し

そうやって、

同じ景色のように見える

この螺旋を

毎日、毎日、生きてゆくのだ。

 

 

同じ景色に見えるけど

螺旋は確実に

のぼっている、上へと向かっている。

 

 

今日感じたこと

今日味わったこと

今日気付いたことを

噛みしめて眠りにつこう〜

いい日だった。

生きた。

 

 

またね〜

 

ほんとうは、愛し合いたい生き物だから

100日チャレンジ36日目

 

 

 

ほんとうは

人間の根底には、

「愛し合いたい」

それがあるから、

ひとは、恋愛で傷つく。痛む。

 

 

もういいやって

本気にならないようにしようって

優先順位さげようって

そうなってるひと、たくさんいる。

 

 

もちろんそういうことなく

単純に恋愛に興味がない人種もいると思う。

お別れした彼も、そう主張していた。

 

 

 

わたしは、

お別れしてから

ふとしたときに

痛みを感じるけれど

それは

『愛し合いたいからなんだよね』

って、

そう思えると

わたしのなかのいちばん深いところが

救われる感覚になる。

 

 

 

気を抜くと

魔女時代の過去世からの

男性への不信感だとか

どうせ男は、みたいな

裏切りの傷の、

上書きをしてしまいそうになる。

 

 

 

あなたから好きになったのに

あなたがまゆを好きにさせる努力をしたのに

あなたが「まゆと結婚してぇ」って言ってたのに

 

嘘つき!裏切り者!

 

みたいになっちゃいそうになんねんな。

 

 

そんな簡単に気持ちって変わるんだって

思っちゃう。一方的に世界を見てるとね。

 

 

でも、

その瞬間、

あの瞬間は、

すべて、確かに、在った。

 

 

あの時は真実だった。

 

でもそれは、

移ろいゆくものなのだよ。

 

些細なひとことや出来事、

会話で、変化してゆくものなのだよ。

 

 

たぶんわたしは、

こんなに痛いのなら

こんなに辛いのなら

ただ愛されてる方がマシだ!

本気で好きにならないほうがマシだ!

ってなってるから、

そんな思いを正当化できる理由がほしいのだ。

 

 

彼は嘘つきだった

彼はわたしを裏切った

 

そう思ってれば、

それはまゆにとって立派な、愛さない理由になる

 

 

痛いのはわかーる。

だが、たくさんの初めてを体験させてくれたかけがえのない彼との時間を

まゆが自分の願いを放棄する理由には、したくないじゃん。

 

 

だからもうね、出しきること。

感情も涙も出し切って、その上で書き換えるのだ。

 

 

欲しい未来をインストールするのだ。

 

そっちに照準を、エネルギーを、合わせるのだよ。

 

 

彼と別れてからわたしは

あたらよの「嘘つき」ってうた

一体何度泣きながら歌ってんのだろうかって感じだけど、歌うのだ!!

 

このやろーーー!うそつきーーー!って出し切ろう。

 

 

ほんで、欲しい未来をまゆの中にインストール☺️

 

 

近々、残りの荷物とりに彼に会う予定だけど、まゆの中にあるこの個人的な感情は一切出さずにハグさえできたら花丸100点!

 

 

初めて「愛する」をさせてくれた

初めて「愛する痛み」を教えてくれた

そんな彼には、根底にはありがとうがあるからね。

 

 

そりゃあ愛される方が楽だし幸せだと思いますよ。

でもそれでもまゆは、

ただ、めいっぱいに愛してくれる人より

こころから、この人を愛したい!

って、心底そう思えるひとと

一緒にいたいなあ。

 

 

 

 

 

 

夜はおともだちんちで映画みる!

今話題の菅田将暉とななちゃん?の

溺れたナイフって映画。

 

 

また夜更新するね〜よき満月を🌝

 

 

 

 

まゆはすごいことに気がついた!

よく、

オンラインサロンみたいなのやらないの?

って聞かれることあったんだけど

んでnoteのサークルは過去にやってたことあるんだけど、

そういう月額でお金もらうやつだとさ

『毎日ちゃんと更新しなきゃ!』

ってのが負担だったり、ストレスになったりするんだよねって、これまで思ってきたし、言ってきた。

 

 

でもその瞬間に、

え、でもいまのこの100日チャレンジ、毎日続けられてるやん!!??

 

って気がついて笑

 

 

“自分には持続力がない“

“自分は毎日必ず何かを更新するってのは、向いてないし不得意だ、気分屋だから“

 

そんなセルフイメージから卒業するためにまゆはふと、100日チャレンジをはじめてたんだーー!!!自分って天才!!ってなった笑

 

 

なので、

100日後の1/22以降、まゆは

オンラインサロンをつくる!!!

 

 

そのサロンに入ってる人だけに向けた動画やブログを発信してこ〜

 

んでまゆはそのサロンに入ってくれてる人たちを頼るのだと思う。しんどい時や辛い時に、話聞いてって。

 

そんなフラットな横のつながりのある

オンラインサロンになる気がする。

 

 

あーたのしみ。

 

 

映画は思ってたより恐ろしかった。

あとは描写はすごいんだけどよくわからなかった。後からネットで解説読んで、わーーそゆことだったのかーって納得した。絶望を突きつけられるのは辛いよな。好きでも離れること、好きだからこそ別れることって、やっぱあるよなあって思った。

 

 

 

明日は

内観セッションでお世話になった人と初のご対面!と、もしかしたら残りの荷物を取りにお別れの彼のとこに行くかーも。

 

 

おやすみ〜。

 

 

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何ひとつ忘れなくていい。

100日チャレンジ35日目

 

 

なんか不思議なんだけどさ

めいっぱいに愛してくれた人よりも

めいっぱいに愛した人のほうが忘れられない気がしたんだ。

 

 

人が死ぬ時に思い出すのは

『愛された記憶じゃなくて愛した記憶』

とは、よく聞く。

 

 

だから、そういうことなんだと思う。

 

 

 

でもわたしはまだ死ぬわけじゃないから

愛した記憶が

愛した人のことが

忘れられないことは

まぁ痛いんですが、

この痛みは、死ぬ時には

1番のタカラモノになるわけだ。

 

 

だから、

何ひとつ、忘れなくていい。

 

忘れようと、しなくていい。

 

 

 

今日は4年のひととひさしぶりにでんわした。

なぜか、その人の前では、

話してるうちに自然に泣いてるまゆがいた。

 

 

最近の彼とお別れして

まだぐずぐずが自分の中にあること、

素直に話せた。

 

 

有難い存在だ。

 

 

 

夜はお友達と飲みに行って。

 

 

本気で好きになったら

辛いから、しんどいから、痛いから

無意識に本気にはならないようにしてる

っていう、心理、あるよなあって話になった。

 

 

そんで友達は、

だから恋愛はいっかなって感じでここ数年きてるけど、

まゆは、本気で好きになったらしんどいこともあるけど、それでも、本気にならないこと、それなり・その程度のとりあえずの恋愛はできないから、

 

 

ちゃんと好きになって

ちゃんと痛むんだと思う

って話をして、

まゆちゃんは強いね、って言われた。

 

 

 

でもその、本気にならないように無意識になっちゃうのも自然だよね。

 

人間の本能だ。

 

痛い思いをしたら

もう傷つきたくない、と思うのは

人間の自然な防衛本能だ。

 

 

でも、ほんとは、

わたしの願いは

痛みはあるけれど、

ちゃんと好きになって

ちゃんと繋がりたいって思うから。

 

 

 

たくさん泣きながら

時にはめそめそをしながら

今をただ、生きてゆくのだ。

 

 

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その痛みは癒やされるために在る。

100日チャレンジ34日目

 

 

引きずってる、というか

未練がある、というか

執着してる、というか、

 

『何か』が残ってる、

って感覚だったんだけど、それが今日わかった。

 

 

好きとごめんねが残ってる。

 

 

もっとその奥には、

自分が自分で在ったことによる喪失の痛み

 

 

 

自分の違和感をスルーできない

自分にうそもつけない

自分が感じることも抑えられない

感じたままに正直に表現しちゃう

 

 

でも

だいすきで

なによりも失いたくなかった

 

その葛藤が痛くて苦しくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

あのとき彼がもし女風の仕事をしていなかったら

まゆは、

おれ以外のひととはしないでほしい

という彼の主張を受け入れることができてたのかなあとか、

結局彼の仕事を、【仕事】として割り切れなかったまゆがいて

それによるいろんな感情から

「まゆはあなたとだけ。他の人とは絶対にしません」って言えなかったのかなぁとか、

それは結局、

彼が仕事で何をしてても、どう在っても

彼の根底を信じるということができなかった

という自分の未熟さに繋げてた。

 

彼本人にも

「だまっておれを信じてればよいのでは」

と言われたけれど、

わたしの中には様々な感情が生まれていて

それがどうしても、できなかった。

 

 

でも、

あのときのわたしには

ああするしかなかったことを

ああ在るしかなかったことを

まゆは認めて、赦す必要があるんだと思った。

 

 

 

 

もうひとつは、

彼に埋めて欲しいと思った欠乏感

男に埋めてもらおうと思った欠乏感

それがたしかに在ったこと

それを彼に求めてしまって

こわれたこと、こわしたこと

その事実をまゆは、

今よりもまっすぐに、目を見開いて

認めること。

ゆるすこと。

そんなまゆを愛すること。

そのまゆの中に在る欠乏感を

人生のあそびとしてたのしむこと。愛おしむこと。

 

 

 

それに気づかせるために

『何か』が残っていたように気がした。

 

 

これに気がついてたくさん泣いたら

こころよりもっと深い

たましいのところが軽くなった感覚になった

 

 

 

自分の未熟さに目を当てることは痛い。

でも、いつまで自分を責めてても意味はないし

その痛みは、癒されるためにある

 

だから、

痛いのなら

責めてるのなら、

わたしたちがすることは

それを

赦すこと

愛すること

慈しむこと

 

 

なんだよね。

 

 

 

ようやく、“自分の中の凪をみつけた“

という感覚。

 

 

 

 

溢れ出てた彼の想い

漏れ出ていた彼のピュアさ

 

そんなワンシーン

そんなひとことを

思い出すたびに、

 

どうしてこうなったんだろうって

そう考え出すと

原因は100パーセント

まゆの至らなさ、未熟さに

思えてきてしまって

もっとこうだったらな

もっとこうできてたらな

って考えだしちゃって、

自分を責めてた。

 

 

 

でも、

彼の想い、ピュアさ、交わしたもの

まゆが受け取ったものは、

 

たいせつにこころの宝箱にしまって、

ありがとうって思って

 

 

まゆはまゆの未熟さを、ゆるしてゆく

まゆはまゆの痛みを、癒してゆく

 

 

 

 

 

 

誰かに話を聞いて欲しいとき

誰かの前で泣きたい気分なとき

誰かに弱々しい感情を吐き出したいとき

 

その自分を

100%の包括力で、納得感で

聞いて、受け止めて、ホールドできるのは

間違いなく、自分。

 

 

自分をすっ飛ばして

誰かに話を聞いてもらおうとしても

「んーなんか違うだよな」

ってなる。

 

 

でもたまに

このわたしが気付かないところの

ほんとの感情や

まゆのなかの真実に

ふとしたひとことで気づかせてくれるひとは

確かにいて。

 

 

そういうひとは

本物だなあ〜と思う。

 

 

 

 

今日は久しぶりにおうちでゆっくりなので

洗濯したりご飯炊いてお味噌汁つくったり

書類関係やったりしよう〜

 

 

少しずつギターのF、抑えられるのスムーズになってきた!少しずつね🤏

 

 

ではまたねん

 

 

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お誕生日プレゼントとしてお母さんにおくるやつ