Mi amas vin.

My life is my message

いつかの君へ。

いつかの君へ

 

あのときは、

ごめんね。

 

君はただ、君を生きていただけだったよね。

 

変に上から目線になったり

変にアドバイス風になったり

変に君のチョイスに否定的になったり、

 

 

わたしが、わたしに

言い聞かせたい『なにか』があったんだ

 

 

自分の正しさをアピールしたくて

君をジャッジしていたこと

君を否定していたこと

君に意見していたこと

君にアドバイスをしていたこと、

 

ごめんね。ゆるしてね。

 

君は君のままで素晴らしいよ。

君は君のまんまで素晴らしかったよ。

 

上とか下とかなかった。

どこかや何か目指さなければならないものもなかった。

到達点やゴールがどこかにあるわけでもなかった。

 

 

どんな君も

どこにいる君も

なにをしてる君も

何を選んでる君も

 

わたしは、

まるっと、『いいね!すてきだね』って

言えるようになるね。

 

 

だからあのときのわたしを

ゆるしてね。

 

反省してるよ。

 

ありがとう。

ごめんね。

ゆるしてください。

愛しています。

 

 

 届くといいな。

 

 

“ひとは、自分の正しさを主張したくなる

正しさをアピールしたいがために

意見を言ってしまうときがある“

 

“それは人間の癖やな“

 

って藤原ひろのぶさんが言っていて、

 

その過ちを素直に認めて

「反省している」と謝っていた。

 

 

なんて寛容で

なんて素直なのだろうとおもった。

 

 

わたしは、

自分が正しさを感じたいがために

人にそういうふうな言動をしてしまったこと

めちゃくちゃ責めてた。

醜いだとか、1番かわいそうな人種だとか

1番痛い姿だとか。そんなふうに自分に思ってた。

 

 

 

「それは人間の癖やな!やってしまうよなあ!」

 

ってあっさりと

受け入れれてる姿に感動した。

と、同時に、わたしもそう在りたいと思った。

 

 

そしてそれを

素直に認めて

ああやって自分の口から

言葉にして

反省してる謝れていて

なんて素直なんだろうって。

 

だからこそ、この人はこんなにも

魅力的なんだなあっておもった。

 

 

だから、

それをしてしまっていたわたしを

たまに

それをしちゃうわたしを、

素直に認めて

寛容に受け入れて

真っ直ぐに謝ろうと思って

このブログを書いてみたよ。

 

 

人間のどんな部分も

わたしのどんな部分も

誰かのどんな部分も

ゆるして受け入れて愛して

いつだって寛容なこころでいきてゆきたい。

 

 

 

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