mayu’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

覚悟と信頼。気付きの山登り。

昨日、岩櫃山に登った。

 

わたしのおばあちゃんと、直と、なおのお母さん、の3人と。

 

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気づいたことがいくつか。

 

 

まずは、なにより、山がこわすぎた!!

何度も死ぬかと思った。

というか正確に言うと

 

死の可能性を見た、感じた

 

って言った方が正しい。

 

 

なにを感じるかのチョイスが、

自由にありながらにして、

わたしはいつも、

「死の恐怖」をチョイスした。

 

 

「ここで、こうなったら、死ぬだろうな」

「この鎖から手が離れたら崖に落ちて死ぬだろうな」

「この岩の道、バランス崩したら死ぬだろうな」

「突然強風が吹いて、バランスを崩すかもしれない」

 

とかとか、もう止まらない笑

 

 

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そして、そうやって怖さを見れば見るだけ

手汗が出てきて、

本当に鎖を使って登る時に

汗によって手が滑って、大変だった。

 

 

 

鎖の穴に指つっこんで、

そこで全体重を支えて

よじ登ったりしてた。

 

 

「こうなったらやだな」

ってことを、頭が考え出したその途端に

「こう」が、現実になるようにと

舵が切られてしまう。

 

 

ほんとに、思考通りの現実になっちまうんだな!って、心底思った。

 

 

わたしは、

自然に対して全幅の信頼ができてなかったし、

それは、わたしが、わたしに対して、

全幅の信頼ができていなかったということ。

 

 

そして、普段は意識することがないけれど、

 

わたしは、

 

「死」をめちゃくちゃ怖がっている

 

ってことがわかった。

 

 

 

何度も足がすくんで

何度も足が震えて

何度も泣きそうになった。

 

 

死すらも覚悟して、

自然に、自分に、

全幅の信頼を置いているからこそ、

登山家の人たちとかは

かっこいいんだろうな。

 

わたしが、今、生きてる中で

足りないのは、必要なのは、それだ。

 

 

覚悟と信頼。

 

 

 

 

 

途中まで1人で登っていたのだけど、

 

わたしはしょっちゅう、上を眺める。

先を見る。

そして、

「これ、登れるのかよ?」

「まだこんな先があるのかあ」

「この道、また下るんだよなあ」

とか考える。

 

ただ、ひとつ、足元だけを見て、今だけを見て、登るのは時には危ないこともあるかもけれど、わたしの場合は、先を見すぎ。

そして、今この瞬間の選択が、下手くそすぎるって感じた。笑

 

自分が低い波動で、登ってしまってることに気付いては、足を止めて、空や木や草や花を眺めて、おすそ分けしてもらう。チューニングのように。

 

 

いつだって、この瞬間に、「いま」に、自然たちのような波動で在れたら、どんなに、目に映る現実が違うことか、って思った。

 

 

 

 

【元彼さん】も出てきたよ。

安心できる場所を失う怖さで

不安定になってる直に、

突き放され?というか、距離をとられ、

【元彼さん】は出てきました。

 

(【元彼さん】の意味は前回のブログに)

はじまりの、ちいさな、一歩 - mayu’s diary

 

 

でももう決めたんだった!

って何度も立ち返った。

 

 

わたしの見る世界はわたしが決めるんだ、と。

 

 

 

わたしに自由はあるか?

わたしに覚悟はあるか?

わたしに未来はあるか?

信じるものはそこにあるか?

 

って。

 

 

 

 

 

わたし、10月の後半から、

屋久島に行くことに決めた。

 

 

観念と恐怖から抜ける感覚を

始めて味わい

【元彼】に引っ張られては、

すぐに気付き、

「わたし」に立ち戻る。

 

 

そういう内側での変容が始まり、

行動面では、

はて、どこにどう一歩を踏み出そうか

と思っていた矢先、

 

 

降ってきた屋久ユースホステルでのヘルパー募集。

 

勤務は1日3時間。

午後はフリー。

屋久島は行ってみたかったところ。

 

直が前に行った時に

自然の雄大さをシェアしてくれて、

すごく魅力のあるところなんだなあと思った。

 

わたしがヒッチハイクしたときに

出会ったキーパーソン的な人も

若い時に屋久島に行ったと言っていた。

 

 

大阪のサティシュクマールさんのイベントで出会ったすてきな子も、屋久島で若者向けの合宿をやっていた。

 

少しずつ屋久島からのcallingがあったなあと、今振り返ってみて思う。

 

 

だから、その話を聞いたとき

 

 

もうこれだ!

いくしかない!

 

ってなって、そっこーメールを打ち、

応募する。

 

次の日返事が返ってきて、即採用。

 

会うのを楽しみにしてくれていて、

なおいっそう、屋久島へ行くのが楽しみになっている。

 

だから、直と、物理的に一緒にいれるのは、

あと10日くらい。

 

 

わたしが大学を辞めた、

去年の12月から、今まで、

ずーーーーーーーーーーーーっと、

一緒にいた。

 

10ヶ月間のあいだ。

 

 

 

本当に、たくさんのことがあったなあ。

本当に、たくさんの内側での揺らぎや嵐があったなあ。

本当に、たくさん喧嘩をしたし、

本当に、たくさんの愛を交わした。

 

 

ほんとうに、ほんとうに、愛してくれた。

 

 

何があっても

何をされても

どんなに傷つけられても

どんなに突き放されても

 

『茉優の方を向く』

と、決め続けていた直。

 

わたしの攻撃に、愛で返す直。

 

 

 

あなたの、人を愛する力は、はんぱないよ。

 

 

 

 

わたしだけじゃなくて、

もっとたくさんの人の心に

直の愛が触れてほしい。

 

 

溢れる愛に、直は幸せになり、

受け取る愛に、相手も幸せになり。

 

ってわたしの妄想ね。笑

 

 

 

あとは最近、直が、

無邪気に泣く姿

無邪気に甘える姿

無邪気に悲しむ姿

無邪気に喜ぶ姿

そのすべてが、神聖な赤ちゃんのように

見えるときがある。笑

 

 

なんていうか、

一切の混じりけのない、

一切の淀みのない、

一切の不純物のない、

 

ぴっかぴかに光る、心の中のまんま。

 

それが、ぴっかぴかなまま、そのまんま、

顔に出て

表情に出て

目に出てる。

 

 

取り繕いが1つもない。

 

 

 

そう感じる時の、わたしのこころは、

 

 

あったかく、おだやかで、

包み込みたくなるような感覚になる。

 

 

 

この感覚のときに、

変な執着とか、ないんだよね。

 

 

 

直という、「いち人間」として、

見れて、関われる。

 

 

そして、

「いち人間」の数だけ

その人にとっての『進む』があって。

 

 

 

 

わたしは、いろんなところで

人と出会い、人と繋がり、

かけ橋みたいになれたらいいなあ。

 

そして、その「だれか」と直とのかけ橋にもなれたら、すごくわくわくだなあ〜って。

 

 

 

 

 

 

ことば、それは所詮ことば。

「本物のことば」の持つ力はすごいよ。

 

でもやっぱり、

この人間のからだっていうのは、

この人間の手っていうのは、

この人間の目っていうのは、

 

簡単に、ことばを、超える。

 

 

 

だからこそ、ことばを超えた、

やりとりができるいまこの環境を、

味わいきって、

出し切って、

愛しきって。

 

 

 

 

 

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