Mi amas vin.

My life is my message

やっぱり父親ね〜〜

 

昨日東京から来てくれた友達。

 

その人のこと、どこまで話していいのかわからんけれど、

 

とにかく

自分の中での実の父親像フィルター

 

その人にかけてしまう自分がいてね。

 

 

自分の父親と、

似てるところ

重なるところ

 

いちいち、引っ張ってきては、

心が緊張したり

体がこわばったりした。

 

 

あーーー、やっぱ、

良くも悪くも、父親って、

わたしにとって父親で。

 

親が離婚してても

一緒に生活しなくても

今一切連絡とってなくても

一度縁を切ったことがあっても

人として尊敬はできなくても

嫌だなあって思うところがあっても

この人が自分の父親だなんてやだなって

思った時期があっても

 

父親は父親。

 

 

お母さんがいま、

パートナーの人と幸せに生きてて、

わたしもその人と仲良くしてて、

 

まるっと、

いい感じに、

わたしにとっての「カゾク」が

収まってる風に感じた。

 

 

でもどこか、そのまるっといい感じを

感じてるそのときから、

 

実の父親が、現実として、

置いてけぼり感が、わたしの中にあって。

 

 

去年、ドコモ解約して、

メールがiCloudだけでやるようになってから

突然お父さんにメールが届かなくなった。

それから連絡手段がなく、

もう1年くらい連絡とってない。

会ってないのは、もっと前から。

 

 

そっからずーっと停滞してる。

 

お父さんが、

 

生きてるのか、

元気なのか、

何を思ってるのか、

どんな風に毎日を生きてるのか、

わたしのことはどう思ってるのか、

 

全くわからない。

 

たまにくれてたお父さんからのお小遣いも

もう連絡とれなくなったのと同時に

ピタリとおわった。

 

 

でもどこか、

気になってしまう。

 

どこか、

ただ、幸せ生きてますようにって、

祈りで終われない。祈りで完結できない、

お父さんへのわたし、がいた。

 

 

わたしはお父さんの前では、

ありのままではいれない。

 

時々、突如見せる

強引さや、暴力性、乱暴さが、

怖いから。

 

お父さんが、人にキレて

物に当たる姿を幾度となく見てきた。

 

幸いなことに、

まだ離婚する前、

お母さんを殴ったり蹴ったりする姿は

わたしは覚えてない。

小さかったのもあるけど。

てか、しんどすぎるから、

頭が忘れさせてくれたのだろうなと思ってる。

 

 

怒り、

暴力性、

 

お父さんに見てきたものでもあり、

わたしの嫌悪の対象でもあり、

一方で自分がいま、対直との間で

表に浮き彫りにさせてるものでもある。

 

これまでは、

 

自分をコントロールできずに

怒ってる[父親のような]人間がもっとも惨めで愚かだって、呪いを持っててね。

怒りにブロックがあった。

 

だからわたしは、怒れずに、

怒りを、ひねくれや憎しみ、不機嫌などに腐らせてた。【それは湿度がある。】

 

でも少しずつ、

瞬間沸騰的に、潔く、スパッと怒ること。【これはカラッとしてる。】

 

を許せるようになってきて、

それができるようになってきた。

 

それに怒りは二次感情だから、

怒りの奥にある

悲しさや寂しさ、嘆きを、

見つけてあげることができるようになった。

 

 

そうしたら、同時に、お父さんへの目も変わった。

お父さんのこれまで見てきた姿も許せた。気がしてた。

 

 

が!!!!!!

 

 

まだあるんだなあ〜。

 

 

 

「もうどうでもいいって思われてるのかな」

「もう愛してくれてないのかな」

 

そんな不安が、声が、

何重にも蓋した奥の奥には

あるんだなあ〜。

 

 

ネックだ。

ネックすぎる。

 

 

この世で、どうに関わったらいいかわからない人間のナンバーワンは、自分の父親。

(その次が直の父親、、)

 

 

困ってしまう。

自分で在れなくなる。

 

 

わたしのお父さんが刀持ち出して

殺されそうになって

裸足で家を飛び出て

近所の消防署に駆け込んで

離婚に至れたわたしのお母さん。

 

 

わたしがお父さんの前でも

自分のままに正直で在るってことは、

ある意味で、

殺されかけることを覚悟すること。

まじで殺されるかもなことを覚悟すること。

 

そう思ってるわ〜。

そりゃあ怖いわ〜。

そりゃあやだわ〜。

 

 

 

でも面白いよね。

愛されたいと思うその願いは、

「ありのままのわたしが」愛されたいのよね。

 

なのに、

ありのままのわたし  であることが怖すぎて。

 

 

お母さんへ、いまもある

お父さんの中の憎しみ。

 

それが簡単に

ひょいっと、矢印が変わり

「わたし」に向いたことがあった。

 

ずっとなかったのに。

矢印がわたしに向くだなんて。

わたしに向くことはできないと思ってた。

 

いつもいつも、お母さんのことは、

怒りながら、憎しみながら、悪く言うけど、

 

わたしのことは、

まゆちゃんまゆちゃんって、

可愛がってくれてたから。

 

 

だからもう、お父さんが

お母さんへの憎しみを

わたしに向けてきたときには

血の気が引いた。

 

 

父親と

血が繋がっていることが気持ち悪く

吐きそうになって、

本当に吐き気が止まらなくて

わたしの体すべての血を抜きたいと思った。

 

 

人間が、

「憎しみ」で体を支配されるときの

感覚というものは

血の流れというものは、

こういうものなのか、と。

 

 

 

 

それがきっかけで一度縁を切った。

 

 

わたしが全てをブロックして、

1年ほど連絡が途絶えた。

 

でもNVCをきっかけに

関係が復活した。わたしの方からアクションをとった。そしてそのできごとに関して

 

お父さんからの

 

素直な「ごめんなさい」を

 

わたしは生まれて初めて聞いた。

それには感動した。笑

 

 

ほんとに意地っ張りで、

プライド高くて

不器用で

口ばっかりで

素直の真逆で、

とか書いてたらなんか嫌な気持ちになってきたからやめよう、、

 

 

 

 

まぁとにかく

そんな経緯がドラマが

 

わたしとお父さんの間にはあるのだけど、

 

なんたって、

反応ポイントなのよね。

反応がでかい。

父親がらみに関して。わたしは。

 

ほんとに自分の中で

なんのタネもなかったら、

そんな気にかからんし、

胸はざわざわしない。

 

 

それを、

見て見ぬ振りするなよって、

 

そんなメッセージが降ってきたような気がした。その友達がうちに遊びにきてくれてね。

 

 

気づかせてくれて、

ありがとう。

 

 

そのトンネルの先には

どんなタネが出てくるかな〜〜

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屋久島のトンネル)

 

 

パートナーシップと性。

『パートナーシップ』

 

 

やっぱりおもしろい。

 

 

自分の中の

 

女性性と男性性の統合

思考とこころの統合

顕在意識と潜在意識の統合

子宮とこころと思考の統合

子宮と人間の統合

魂とエゴの統合

 

いろんな角度の

いろんな方向の

『パートナーシップ』ってものがある。

わたしのなかに。

 

 

これはもう何次元と表現できるのかわからん。

 

 

おもしろいのはさ、

 

パートナーってのが

わたしでいえば直ってのが、

 

わたしの中を忠実に再現してくれてる存在ってこと。

 

 

 

思考[男性性:執事]と

こころ[女性性:じぶん]が、

仲悪いと、

 

直とも、仲が悪くなる。

 

 

執事さんに聞いてもらえない

悲しみを怒りを気持ちを

 

ぜーーんぶ直にぶつけるからね。

(執事論はhappyちゃんを参考に)

 

わかってよ!

きいてよ!

認めてよ!

愛してよ!

謝ってよ!

感謝してよ!

 

って。

 

これぜーーんぶ、

子宮から「わたし」への声。

潜在意識から「顕在意識」への声。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

これまで、

何人もの男性とせっくすをしてきた。

 

感じるのが好きだった。

満たされるのが好きだった。

気持ちいいのが好きだった。

せっくすが好きだった。

 

 

でもなぜか、

自分で気持ちよくなることには、

罪悪感があり、

自分でくりとりすは触われても

膣にはどうしても指を入れることができなかった。

 

 

先にその流れを運んできてくれたのは直。

 

膣トレの本を読み

オイルを使い、

自分の女性器を

マッサージして、

膣にも指を入れてた。

 

 

すごいなあ〜

やっぱ性と向き合うことって

じぶんの生と向き合うことと

同じだよなあ。

 

って。

 

そう思い

なんともなく、

ふと、わたしもオイルを使って

女性器をマッサージしよう!

っておもった。

 

 

お風呂上がり、

意を決して、椅子に座ると、

 

おもむろに、

直が、

こっち向いて

といい、

あしひらいて

といい、

オイルちょうだい

といい、

 

わたしの女性器を

マッサージし始めた!

 

え!あ、ありがとう、、!

 

ってなったわたし。笑

 

 

会陰マッサージまではよかったものの、

膣に指を入れられてからは、

なんともいえない

んー違和感?というか

異物感?というか、

不思議な感覚。

 

 

せっくすでもない

感じるでもない

「ただ、指が、膣に入っている」

という。

 

 

そしてね、

膣トレに書いてあるとおりに

いろんな方向に

膣の中、指を押していくのだけど、

 

だんだんと、

わたしの胸が苦しくなってきて。

喉がきゅぅっと

締め付けられる感覚が生まれて。

 

息するのがしんどくなった。

 

 

だから

わたしは、

意識的に

深呼吸を繰り返した。

 

 

女性器ってね、

膣ってね、

いろんな感情を溜め込むんだって。

そこにすべてが記憶される。

カルマも。

 

 

だから、

わたしは、

本音が言えない

言いたいことが言えない

ってので、

『喉』

第五チャクラを

普段から気にかけてるんだけど、

 

 

 

見事に、

 

膣と喉  が、

 

共鳴した。呼応した。

 

 

 

繋がってる。

 

すべて。

 

膣から。

子宮から。

女性器から。

 

 

 

 

ひととおり、直が

マッサージしてくれたあとに、

 

自分でも膣に指を入れてみよう

 

って思って、

 

 

たくさんオイルをつけて

恐る恐る、

ゆっくりと、

 

 

膣に指を入れた。

 

 

 

 

『あったかい』

 

 

それが初めの感想。

 

 

そのあと

走馬灯のように、

膣に入った男の人たち

=せっくすをしてきた男の人たち

の存在がばーーーーーーっと、

わたしの頭を駆け巡った。

 

 

 

そしてね、

 

なんか、どこからか、声が聞こえてきた。

 

 

 

 

うまく言語化できる自信ないのだけど、

 

 

「ずっといたね、ずっと見てたよ。ぜんぶを受け止めてきたね(or  きたよ)。だいじょうぶだよ。」

 

みたいな!!

 

誰から誰への声だか、

ここにきて、

もうよく頭は働かないけど!笑

 

 

 

 

わたし泣く時って、

目頭が熱くなるとか

胸がぎゅーぅっとするとか

込み上げてくる感覚が起きるとか、

 

何かしらの『感覚』が生まれて

涙が流れるんだけど、

 

 

今回の涙はね、

 

なんの感覚も生まれずに

 

すーーーーーーーっと、

 

スムーズに

 

 

しずかーーーーーに、

 

 

自然な流れのままに、

たくさんの涙が溢れだした。

 

 

 

 

なんだかわからない神聖に愛に触れた。

 

 

 

 

そのわたしを見て、

「おめでとう」と言ってくれた直。

 

 

「ありがとう」と

笑顔で言うわたし。

 

 

 

このとき、

 

 

この世界のすべてを愛せるような

母性のような

霊性が開いたでもいうような

 

そんな感覚になった。

 

 

 

ずーーーっと、

「感じさせられたい」

「入れられたい」

「気持ちよくさせられたい」

 

って、

受け身だったんよね。

他力本願だった。

 

 

まぁ本能的にいえば、

女が男を求めてて、自然っちゃ自然なんだけど、

 

 

わたしの膣に

男のちんこは、受け入れれるけど、

わたしの指は、受け入れれない

 

って、

変やん!!!

 

 

何かしらのブロック、

抵抗感、

詰まりってのがあるなあとは思ってたんだ。

 

 

そこによーーーーやく、

向き合って、

手をつけたって感じ。

 

 

 

そして、ようやく、ようやく、

 

 

 

 

じぶんの中で統合するということの「意味」

 

を、

 

体感として

 

知ることができた。

  

 

 

これがおおきい。

 

 

 

人に求めるのではなく

男に求めるのではなく

パートナーに求めるのではなく

直に求めるのではなく

 

ね。

 

 

 

 

 

この時間がおわったあとの

わたしの表情を見て直が

「茉優、こどもに戻ったみたいだね」

と言っていた。

 

 

 

還っていくのだろうな。

 

 

本来のわたしに。

 

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あ、

今日ね、

性愛セラピスト(だったかな?)の

りさちゃんと、

なおと、

東京で3人で会って話して

たくさんの気づきと学びがあったんだけど、

 

1番面白かったのが、

 

①あたま・思考

②こころ・感情

③男性器女性器・性欲

 

っていう3つが

体の上から順にあるとして、

矢印の向きは下から上で

 

②番目のこころ  で、

感情が抑圧されると、

それが上に行かず

昇華されず、

 

 

 

ぐるぐるぐるぐると、感情が

男性器女性器のまわりをまわり、

性欲として湧き出て、

発散しようとするっていう。

 

 

でもいくら、

性欲を発散しても、

その正体は

【抑圧されている感情】だから、

 

抑え込んでいる感情を

口から吐き出さなければ

 

いくら、せっくすしても、

根本的な癒しにはならない。

 

 

 

性欲がつきない

って思ってるけど、

それ、抑圧された感情が

行き場を失って、発散先を探してるだけ。

 

 

感情は、

吐き出せる場所はひとつ、『口』だけ。

 

 

 

膣からもちんこからも、感情は吐き出せない。

むしろ子宮や膣に溜まる。

 

 

 

 

 

この話がなんともおもしろかった。

 

 

 

 

わたしがまえにせっくすしたひとも、

 

めちゃくちゃ感情を抑圧してきたひとだった。

 

 

わたしたちがせっくすをしたあと、

 

何度もふたりで、

深く、深く、話し合い、

感情を、

認めてあげようって、

許してあげようって、

言葉にしようって

涙にしようって

 

わたしは彼に伝えたんだよね。

さいごのさいごまで。

 

 

「茉優はemotional therapistだね」って彼に言われた。

 

 

 

わたし、知らず知らずに

理にかなったことしてたんだーー!

って、いまわかった。

びっくりしてうれしかった。

 

 

 

 

それぞれが、

ふたりの人間が

『じぶんの内側』と向き合い、

『じぶんの中での統合』をするとき

 

ふたりの間のパートナーシップは

『すごぶる健全』になる。

 

 

この感覚を、わかり出してる今日このごろ。

 

 

 

 

おもしろーーーい!ぞ!パートナーシップ!

 

 

 

りさちゃんとの時間をきっかけに、

 

また新しい風が吹いた。

 

 

あ、気に入った感覚があって、

 

わたしが横に【広さ】

直が縦に【深さ】

 

それぞれが、それぞれにしかできないことをする。

 

そうすることで、立体を持って

うぉーーーって、拡がる。

 

 

このイメージ、

このパートナーシップ、

 

すてきすぎるやん!!!って。

 

りさちゃん、ありがとう。

 

わたしたちは、そのうち、群馬でお話し会をしますね。

 

おたのしみに。

 

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抱負はありません。ただ生きる。

2週間ぶりぐらいのブログだ。

 

なんだか、ふと、文字を綴りたくなった。

ただ、だらだらメモのように書くように。

 

 

 

ただ、生きる

 

ってこと。

 

ただ、暮らす

 

ってこと。

 

それは突き詰めれば、

 

自分で自分をごきげんにし続けるということ

 

自分で自分をしあわせにし続けるということ

 

 

そうでしかなくて。

 

 

からだの声を聞くこと。

 

心の声を聞くこと。

 

生まれる感覚をしっかりキャッチすること。

 

 

 

これは、たべたい。

これは、たべたくない。

今はこれを聴きたい。

今はこれを聴きたくない。

今はここにいたくない。

今はここにいたい。

今は話したい。

今は話したくない。

 

 

今は風を浴びたい。

今は空が見たい。

今は自然に触れたい。

今は自然を見てたい。

今は鳥や命あるものを見てたい。

今は流れる川を見てたい。

今はからだを伸ばしたい。

今はうたいたい。

今は踊りたい。

今は文字を綴りたい。

 

きょうのわたしはそんな感じ。

 

 

そんな感じで生きてたい。

それしかない。

 

新年の目標とか、いいやっておもう。

まわりみーんな、直も、立ててて、

すごいなあ〜っておもう。

 

わたしもなんか作らなきゃ!

って思ってたけど、

無理にはいいや。だからやめた。

 

抱負はありません。笑

 

 

わたしは、ただ、生きる。

ごきげんに。しあわせに。

 

 

 

 

 

 

いくつか話したいトピックがあるんだよなあ。

 

 

『自分が、自分のままで、在り続ける』

ことは、勇気がいる。

 

 

トゲになるかな

誰かを傷つけちゃうかな

どう思われるかな

変人と思われるかな

 

いろーーーんな、他人軸からの思考は生まれる。

 

 

それでも、

 

自分が自分で在る選択をする

 

 

結果

きれーーいに、わかれる。

 

 

離れていくもの

近づくもの。

 

 

 

すべてが「よかった」なんだよね。

 

 

離れていくものは、

離れてよかった。

 

近づくものは、

近づいてよかった。

 

 

 

それが、より、本来のわたしに近い道だから。

 

 

 

頑張って抵抗して

攻めて

怒って。

 

ちょっと、わたしの胸はズキンとする。

 

でも。

 

いいよ、わたしはあなたの道を脅かしたりはしないから。

わたしはただ、わたしの感じたものを、表現していくだけだから。

もう、いいよ、だいじょうぶだよ。

 

そう、さよならすることだってある。

 

 

 

逆にね、

怖くても

勇気を出して

感じるままを伝えた先で

 

思わぬところに響き、届き、

ありがとうって言い合って、

より繋がって

より一体となるときもあるんだ。

 

 

 

わたしはこれ、

物を断捨離するときの心地よさと、

同じだと思ってる。

 

 

人間関係も、

「わたしがわたしで在る」ことで

断捨離ができる。自動的に。

 

 

 

この前Facebookのともだちを整理した。

 

なんのやりとりもしない人

なんの反応もきたことない人

何かあったとき連絡できなさそうな人

繋がりたいと思えてない人

 

さよならした。

 

いらない情報も、とことんカットした。

 

 

Facebook上だけじゃなく、

携帯の中も

部屋の中も

かばんの中も

わたしの心の中も。

 

ぜーーんぶ、いっしょだよね。

 

 

 

群馬の部屋、とことん断捨離した。

新潟にそのうち帰るからそのときも、

また、断捨離できるのがたのしみ。

 

 

目をかけれていないもの

把握できてないもの

こころが踊らないもの

不安から握りしめてるもの

 

それは邪魔。ごみ。スペースがもったいない。

 

 

余白を生むこと。余白をつくること。

 

それってほんとに、なんにでも大事。

なんにでも。

人が生きる上でも。

誰かとの関係を築く上でも。

ほんとに自分に合ったエネルギーで満たす上でも。

 

 

 

「わたしのお気に入り」に囲まれた生活

って、ちょうはっぴーだよね。

 

 

 

そういや今日の朝、

 

わたしの中で

 

《シンプルで在ること》

ってのが出てきた。

 

 

あ、でもこの話は、おちゃさんの子宮シーディングのおはなしとくっつけて、またべっこでブログ書くことにしよう〜〜。

 

 

あとね、面白い話さいごに。

 

 

いま、わたしは働いてないし、職もない。

 

 

けど、今が、いちばんリッチな気分で生きてるって言うのかな。笑

 

自分の望むものに

自分の欲しいものに

忠実になれてる。お金の額に関係なく。

 

てか、そもそも、わたしの身の回りが

ものの、

おかねの、

エネルギーの、

愛の、

「豊かさ」で溢れてる。

 

 

ほんとに豊か。

 

や、もっともっと豊かな世界はあるのも知ってるんだけど、

 

 

やーーそれにしても、いまは、いまなりに、

わたしたちなりに、いまがめちゃめちゃに豊かすぎる!!と感じる日々なわけですよ。

 

 

 

1年前大学生だったときはバイトしてたけど、

 

一貫して、わたしは生きてからこれまで、

 

 

お金に困ったことがない。

不安がないとかとは別で、物質的に?現実的に?って意味でね。

 

1番危うかったときが、

大学1年の頃だったけど、

うまーーーく、

もうやばいぞどうする!ってときに

ポンって入ってくる。

助けの手がはいる。

 

 

大学辞めてからも、

節約を心がけてはいるけど、

(節約ってか、わたしの場合は【人との繋がり】がお金に匹敵すると思ってて、そっちに力を入れていたってイメージ)

結局、けっこー好き勝手やってた笑

 

 

それでも、お金の呪縛に囚われてるうちは、

えげつない損得勘定とか、ケチんぼとか、泣くほどの怖さとか持ってるよ。それらと嫌でも向き合ってきた2018年だったなあ。

 

 

わたしと直の間にあった

お金がらみでのケンカ

お金の分離も

2018年の最後の最後に

変化がおきた。

 

それはだいぶ大きな、新しい変化だね。

 

去年の年越し、

うちら2人タイにいたんだけど、

たった1バーツに大喧嘩して

直は道路に飛び出て死ぬんじゃないかってほどの修羅場でしたのでね、わたしたち。笑笑

 

 

お金の分離は

こころの分離につながる

って、ほんとうだなって、いまここにきて、腑に落ちてる。

 

 

そんな、おかねのこと、自分の内側のこと、直との関係のこと、ひたすら向き合いながらいた、いちねん。

タイ行って

インド行って

日本転々として。

 

やーー、「生きてた」なあ〜〜

っておもうね。

 

 

生きてた。

 

人間らしく。

 

めいっぱい。

 

ぶつかって、泣いて、怒って、笑って。

 

 

わたし、移動して、新しい景色に出会うのが、新しい人と出会うのが、本当に好きなんだけど、それ以上に、

 

わたしが、わたしの中の『カラフルなわたし』に出会うのが、ほんっとうにたまらなく好きなんだと思う。

 

 

 

 

 

わたしは、

どこまでも、

どうしようもなく、

わたしなんだ。

 

 

 

 

と。

 

 

 

それをいちばん、だれよりも、その色とりどりな、色を、引き出してくれる存在が直。

ありがとうだね。

 

 

今年はどんな1年になるのかなあ。

年女!いのしし!猪突猛進!爆発!な予感。笑

 

 

直とのパートナシップはどうなっていくかな〜

 

パートナーシップのおはなしかい、はやくやってみたいなあ〜

なにがどうなるのかなあ〜

まずは、ワタシとのパートナシップだなあ〜

 

 

 

次書きたいこと、ここにメモしとこ。

 

 

 

◎人の好きとか、固定観念とか、集合意識

◎子宮シーディングの結果、人間のわたし、魂のわたし

◎ヤキモチ、怖さ、不安、シンプルに在ること

◎おかね、稼ぐって発想捨てちゃう?

 

 

 

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群馬の南牧村から。うれしいうれしい、あったかい、新年の贈りもの(のおくりあい)。すてきな発想だよね。ほんとにこころあったまった。わたしもはやく贈るのがたのしみ。

 

 

「ごめんね」と 「本当にありがとう」

昨日の夜だった。

 

 

直とふたり、車につんだふとんの中に入り。

 

 

ふと、涙を流す直。

 

 

 

痛かったよ。

悲しかったよ。

やだったよ。

もうあんなのやだよ。

 

 

 

そう、まっすぐ、きれいな目をして

純粋そのものな表情をして。

 

 

 

あれだけ謝れなかったわたしが

罪悪感を感じれなかったわたしが、

 

 

 

初めてのレベルに、

胸がくるしくてたまらなくなった。

謝りたくてたまらなかった。

罪悪感で胸がいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

直に

謝れよ!って

罪悪感を感じろよ!って

怒って、怒鳴られて、罵声を浴びせられるより

 

 

 

なにより、

 

 

 

ただ、そのままに、

 

ただ、純粋なままに、

 

 

悲しかったよ。

やだったよ。

 

って、

 

そう言われることの方が、

人ってしんどいんだなあって。

 

そしてそれが1番、心にくる。

 

 

わたしはたくさん泣いた。謝った。

 

 

 

眠る前に、

 

直が、

 

もう、謝ってほしいとか罪悪感を感じてほしいとか、そういうのいいかも。茉優のことはコントロールできないし、どうであってもかわらないきがする。そういってた。

 

 

【「こうにあってほしい」っていう相手のスタンス】を諦めた。手放した。

 

 

そしたら、

 

直の望むふうに、自然と、わたしがなった。

 

 

 

これっとほんとにおもしろいなっておもう。

 

 

 

求めて、求めて、躍起になって、

訴えて、怒っても、

 

決してそれは手に入らない。

 

 

人の気持ちも愛も。

 

 

それらを、辞めて、

自分がただ、自分で在ること。純粋性のままに。

 

そうしたら、それは目の前に現れる。

 

 

 

【諦めることが、始まり】

 

 

そんな風に思う。

 

 

 

 

この夜を過ごしてからは、

 

 

わたしの中がまた大きく変化して。

 

 

エゴは防衛反応として、

自分を守ってきてくれたもの。

 

だから。

 

受け入れる。

そのままに。

 

でも、

もう大丈夫なんだよ、って。

 

あなたは、そんなに頑張らなくて、大丈夫なんだよ。

 

って、抱きしめてあげる。

 

 

 

ずっと、

このエゴの中に、

埋まりこんで、

 

ずっと、ずっと直を傷つけてきた。

 

 

でも、

 

痛みを、

罪悪感を、

 

本当の意味で、味わえるようになってから、

 

 

ほんとうのところ

本質のところ

 

で、

やりとりができるようになってきた。

 

 

 

 

そうしたら、

過去のいろんな場面をふりかえったときに、

 

 

わたしが、

わたしに、

 

感じることが変わってきて。

 

 

 

 

直が直を守るために

 

 

盛大に、

 

がんばってくれた直のエゴちゃん。

 

 

 

それに対して、

 

わたしはなんてひどいことをしてきたのだろうって。

 

 

 

突き放して、

追うこともせずに、

放棄して。

 

なのに、

 

直はいつも、

 

手のひらを広げて、

手を差し伸べてくれた。

 

 

豊島に来てくれて

一緒に壇山行ってくれて

わたしが他の人とせっくすしたところに

一緒に行って、わたしを抱きしめてくれた

たくさんの涙を拭ってくれた。

 

愛してくれた。

 

 

無茶を言うわたしのわがままを聞いて

高知から松山まで夜、疲れ切ってる中

車を走らせてくれた。

 

 

 

直のこころの傷はぼろぼろなのに。

 

 

 

 

 

 

その直の行動の、

言葉の、訴えの、

 

 

ひとつひとつが、

 

 

一体どんな想いだったのだろう、と。

 

 

想いを馳せたら、

 

もう、

胸が苦しくて

 

涙が止まらなかった。

 

 

 

 

そして言った。

 

「直。ごめんね。ずっとずっと、ぜんぶ、ごめんね。そして、本当に、ありがとう。」

 

 

って。泣きながら。

 

 

 

 

素直になれないわたしが

意地っぱりなわたしが、

謝らなかったわたしが

罪悪感から目をそらしてたわたしが。

 

 

 

 

ずーーーーーーっと、

そこには、

 

とんでもない愛があったね。

 

 

いつも、手を開いて、差し出してくれてたね。

 

 

 

 

ありがとう。ありがとう。

ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

直を守るための

直のエゴちゃんに、

 

わたしのエゴちゃんが、

防衛反応してたね。

 

 

だから

お互いに、

 

たくさん戦ったね。傷つけあったね。

 

 

 

ほんとうは、

ふたり、愛し合ってるのに。

たいせつなのに。おもってるのに。

 

 

 

 

 

 

たくさん話した。

 

 

 

少しずつ、わかってきた。

 

 

 

わたしが他の人とせっくすしたのは、

 

 

いろんな要素があるけれど、

 

そのうちの1つに、

 

 

直がこれまで

他の人とのせっくすとかまぐあいとかに

 

動こうとしてたこと。

それを、1番やりたいことだと言ってたこと。

 

 

 

その直に、

 

 

何かを踏みにじられるような感覚を感じてた。

 

 

「わたしだけを見てよ!!」

 

 

って声が、ずーっと抑圧されてきた。

 

 

それが直のやりたいことなんだったら、、

その先で直が本当に幸せになれるなら、、

その先に直の望むものがあるなら、、

やりたいことわからないとよく言う直が唯一、自信を持ってやりたいと言ってる。それを、応援しなくちゃ。それに反対するなんて、、

 

 

そんな風に、

相手軸に立ち、

 

わたしの中に生まれてるほんとうの声を

 

見て見ぬふりして。

聞いてあげることなく、

ここまできたとわかった。

 

 

 

『パートナーがいて、

愛を感じてて

満たされてるのに、

 

どうして他に行けるの?

どうしてせっくすができたの?』

 

 

そう言ってくる直に対して、

 

 

『パートナーがいるのに

愛を感じてるのに、

「先に」他に行こうとしてたのはだれ?

他に恋してたのはだれ?

他のひとと、せっくすしようとしてたのはだれ?』

 

 

 

 

そう言葉を返すわたしがいる。

 

 

 

 

わたしは、

 

いろんな感情を抱きしめて、受け入れて、

 

たしかに直を見送れたわたし、もいた。

 

でも、最後まで、

 

いやなもんはいやだ!

見送りたくなんてない!

 

ってわたしの声も叫び続けてた。

 

 

 

100に振り切れて、ないことにしてた。そうでないと、しんどいから。そうでないと、これがやりたい!って言ってる直を応援できないから。背中を押さないから。

 

 

 

でも、そうやって、

 

わたしの中はどんどん腐ってた。

なにかが、削がれてった。

 

 

 

《パートナーとは、

お互いに相手だけを見て

一途に想い合うもの》

 

 

そんな理想は、

がたがたと、目の前で、崩されてった。

わたしの中で。

 

 

 

 

でも直としゃべって、

 

そこも、

ボタンを掛け違って

わたしが理解してたってわかった。

 

 

わたしじゃない人と、

せっくすしようとする

 

 

=わたしじゃ不十分。わたしだけを見てはくれない。

 

って思ってたけど、

 

 

直の中で、

初めて自分が女というイメージを持って

男の人との、せっくすを、イメージして

おなにーしたときの

体の感覚、心の感覚がずーーーっと消えなくて。

 

 

そのさきに、何かあるかもしれない、と。

 

 

それをずーっと追い求めてた。

 

【あの感覚】ってのがずっと頭から離れなかったと。

 

 

わたしたちは、

少しずつ、それぞれが違う方向へ、

どんどんと歪みは大きくなり、

 

なかなか、交わらないようになってた。

 

 

 

【あの感覚】を追い求め、

茉優に求める直。

 

求められたらいやになる茉優。

 

 

 

わたしは、

見送らなきゃ!

 

って思ってたけど、

 

見送れてしまう茉優に、

 

やっぱり、茉優以外の誰かじゃなきゃだめなんだ

 

と直はおもっていった。

 

 

そんな風に

どんどん、2人の間は、

2人が本当に望むこととは、

大きく違ってってた。

 

 

肚の声

子宮の声

ほんとうの声

 

 

それらを、

「言わない」でいることで、

 

人と人の関係って

 

 

どんどんどん、

なにがが少しずつ、ずれていく。

 

取り返しがつかなくなる。

 

 

ほんとに、怖いなっておもった。

 

 

 

 

【本当の望みと、1ミリも違わない選択】

 

をする先にしか、

 

本当の望みは、やってこない。

 

 

 

まずは、気付くこと。

 

 

 

わたしはなにを本当に、望んでる?

 

 

ってところを。

 

 

 

あれだけ散々、喧嘩して傷つけあって解散しまくったわたしたちも、

 

 

ようやく、

 

 

そこに在り続けてる、愛のままに。

 

 

関われるようになってきた。

 

 

 

 

 

 

お金も愛。

 

 

それを信じだした直。

 

 

 

自分にお金を使えて

=自分を愛せて

自分を満たせて、

 

だから、人を愛することができる。

人に《お金=愛》をわたすことができる。

 

 

 

お金に怖さや不安いっぱいのわたしが

受けてみたいと思ってた

3万円の子宮シーディング。

 

 

直がわたしてくれた愛で、

わたしはこれから、

山梨で、

子宮シーディングを受けてきます。

 

 

ありがとう。

 

 

お金のこと、またゆっくり書きたいな。

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愛と罪悪感。お金を受け取るブロック。

いろーーーーーーーーーーーーーーいろあって

今は、直と一緒にいる。

 

高知の土佐清水の宿を目指して

車で走ってる。

 

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書きたいのは2つ。

 

 

1つ目は、

 

人を愛するってこと。

 

2つ目は、

 

お金を受け取るってことのブロックを解くこと。

 

 

 

 

まず1つめ。

 

 

わたしは、

 

自分の蓋してる心の傷に

目を向けずに

なかったことにして

生きることができちゃう。

できちゃってた。

 

今回の豊島の件でそこが、変わったけど。

そこをブログに書き途中なまま、今これを書いてる。笑

 

 

 

 

だから、

直の心の傷を

なかなか直視することが

難しいというか、

抵抗感がある人だった。

 

 

 

自分が

自分の中で、

なかったことにしてて

目を逸らしてるものを、

 

他人のは受け入れれる

ってことないんだろうな。

 

 

自分の中を、

目をそらさずに

受け入れて

抱きしめることで初めて

 

他人のそれにも、

他人の傷にも

 

目を向けて、

寄り添うことができる。

 

 

 

だから、

 

わたしはいつも、

 

直を傷つけることで

 

直に生まれる痛みや傷を

 

自分の中で0にすることができてた。

 

 

というか、

 

【0にしないと愛することができなかった】

 

 

 

わたしにとって、

0にすることが、

愛するための

「すべ」だった。

 

 

それはなぜかというと、

 

 

 

自分のしたこと、

それによる相手の傷

相手の傷を思うことで痛むわたしの胸

 

 

その痛みの感覚と【罪悪感】ってのを

セットにしてたから。

 

 

 

『こんなことしておいて、優しくなんてできない』

『こんなに傷つけておいて、愛する資格なんてない』

『あんなに傷つけておいて、何今さら優しくしようとしてんの?』

『おまえなにしてんの?』

 

 

そういう声が、

0を抱えたままでいると

わたしに向かって言ってくる。

 

 

 

だから、

 

傷つけたことも

それによって直が痛いことも

直が痛いことが、

わたしの胸をも痛くすることを

 

 

それを、

 

ないことにして、

 

優しくしてた。

思いやってた。

愛してた。

 

 

 

 

 

でもそれは、

 

本物の愛ではなかった。

 

 

 

都合よく、

愛してるだけ。

 

 

 

何かをないことにして

100に振り切れて

 

この世は愛だー

愛してるー

 

って言ったって、

 

それは軽いよね。

「ほんもの」じゃない。

 

 

 

 

 

 

『どんなに傷つけたって、愛したいなら愛していいんだよ』

 

直が何度もわたしに、そう言ってくれてた。

 

 

でも、

「そんなわけない」

ってどこか、思う子が、わたしの奥にはいた

 

 

 

 

 

そしてね、

 

 

面白い発見があって、

 

 

それってまんま

 

わたしのお母さんにも当てはまる。

 

 

 

お母さんは、

 

自分が離婚したこと

そこから男の人とのお付き合いとか水商売とか若かったこととか、いろーーんなもろもろで、

『茉優とどう接したらいいかわからなかった』

って、前に打ち明けてくれて、

 

 

それって、

【愛したいけど、どう愛したらいいかわからない】

 

そしてその根っこには

 

【母親として失格だ】

【母親らしくできてない】

っていう、

 

《罪悪感》

 

 

が、あるからだったんだよね。

 

 

 

 

お母さんは、

わたしのおばあちゃん(お母さんの母)に

はっきりと言われてる。

 

 

 

小さかったわたしを家に置いて

夜遅くに男の人と家に帰ってきたお母さんに向かって、

 

 

「あんた茉優が泣いたらどうすんの!?あんたなんて母親失格です!茉優はわたしが育てます。」

 

 

って言ったんだよね。

 

 

その言葉が、

 

わたしのお母さんの胸に

 

どれだけ突き刺さったか、

 

 

想像に容易い。

 

 

 

もう思い込んじゃうよね。

 

 

母親失格なんだ。

母親失格なんだから、茉優を愛する資格なんてないんだ。

わたしよりおばあちゃんが育てた方が茉優は幸せになる

 

 

 

てな感じに。

 

 

 

わたしも、

それを、お母さんから感じてた。

 

 

 

今だから、

【罪悪感】がそうさせてたって

わかるけど、

 

そのときのわたしは、

わからなかった。

 

 

どうして!?

わたしのこと興味ないの!?

わたしのこと愛してないの!?

どうしてそんなにどうでもいい風にするの?!

 

って。

 

 

 

 

そしてわたしは、

 

 

【お母さんから愛されてこなかった】

 

って思い込みを

つくってったんだよね。

 

 

 

それは見事に、ぶち壊れたけどね。

 

それ関連のブログ。

ひとつめ

さようなら。被害者ぶってたわたし。許せなかったわたし。 - mayu’s diary

 

ふたつめ

涙を流し合って、握った手と手。 - mayu’s diary

 

 

 

 

そして

面白いのは、

 

罪悪感によって、

自分の中の愛を制限してたお母さんのその気質に触れ続けたわたしは、

 

全く同じ気質を、

今持っているということ。

 

 

親子って設定をして生まれてること

実に深い。

 

 

 

直とのやりとりで、

 

少しずつ、

 

胸の痛みを罪悪感とセットにしなくてもいいということ。

 

 

傷つけもするけれど、

愛したいように愛するわたしを「許す」こと。

 

 

それが

すこーーーーしずつ、

できるようになってる。

 

 

今はそこと向き合ってる。

 

そして

卵が先か

鶏が先かみたいな話だけど、

 

 

わたしのお母さんは、

少しずつ制限をはずして

お母さんの中にある愛を

わたしにあふれださせてくれるようになってる。

 

 

 

お母さんの制限が外れてきてるから

わたしの中での直に対する制限が外れてきてるのか、

 

わたしの中での制限が外れてきたから

お母さんの制限も外れてきてるのか。

 

 

 

現実っておもしろい。

 

 

 

だから今はトライ中。向き合い中。

 

 

自分の中の0を胸に抱えたまま

胸の痛みを感じたまま、

 

触れたいように触れること

愛したいように愛すること。

 

 

 

それを、やり始めている。

 

 

そしたらおもしろくてね、

 

 

ずっと自分が持ち続けてきた観念、エゴたちからの一切猛反発、猛抵抗のように、

体は重くなるわ

首肩背中は重くて痛いわ、

どこか緊張して体を硬ばらさせるわ、

手汗は出るわ。

 

でも、

子宮はあったかかった。

 

 

本質とズレてるときだかに

ズキン

痛む子宮が、

 

確かに温かかった。

 

 

あーわたしは今この

観念の罠から

エゴの罠から

解放されるときなのだなあと。

 

 

 

 

 

初めて

 

自分の中にあり続けてる傷や痛みに

目を向けて

胸が痛いまま

胸が苦しいまま

 

直と時間を過ごし

目の前の自然に心を動かし

楽しむことができてる。

 

あ、でも疲れすぎて

楽しめてない瞬間もあるけど。

 

 

 

でも、すべてが、

意味のある

貴重な時間だ。

 

 

直もご満悦の様子だ。

 

 

ありがとう、こんな大切なことに、

気付かせてくれて。

 

ありがとう、わたしがほっぽり出した関係を、大事にしてくれて、持ち直そうと全力を尽くしてくれて。

 

 

 

 

 

2つ目は、

 

さっきの話に関連して

 

 

お母さんが、

わたしへの愛を

制限かけることなく

解き放つことができている今。

 

 

 

あれだけ、わたしが大学を辞めるときに

 

 

何が何でも

定職につかなくったって

絶対に、

奨学金はあなたが自力で返していくんだからね!!?

 

 

って、何度も何度も念を押された。

 

 

わたしは、

奨学金返済を自力で返していくことを

お母さんと約束して、大学を辞めた。

 

 

 

はずなのに!!

 

 

いま、やたらとお金の心配をしてくれるんだよね。

 

 

 

奨学金の返済始まるけど大丈夫なの?」

 

ってこの前はラインしてきてくれて

 

 

 

直と喧嘩別れして1人で広島に向かってることを連絡したら

 

「大丈夫なの?交通費はある?足りる?」

 

 

って聞いてくれて。

 

 

 

え、それ、どちらも、

 

「大丈夫じゃない、助けてほしい」

 

ってもしわたしが言ったら

 

お母さんなんていうんだろう、、、?

 

 

って思いながら、

それは何だか怖くて言えなくて、聞けなくて

 

 

だから、

どちらの心配にも、

 

 

「大丈夫だよ!心配ありがとう。」

 

と答えた。

 

 

 

でも!

直とやりとりしてて気づいた。

 

 

 

わたしは、

 

 

前にそうに約束したし。。

自分で返すって言い切ったし。。

 

みたいな、過去に囚われてるってこと。

 

 

 

そしてお母さんが

差し出してくれてる

差し出したくてたまらない愛を

 

 

【受け取らない】って選択をしてるってこと。

 

 

 

お母さんとしても、

あれだけ自分で返しなさいよって

言ってた手前、

自分から渡すだなんて、助けるなんて

しにくいんだろうって。

 

 

たしかに、

 

わたしが素直に、

 

助けてほしいって

 

言えたなら、

 

お母さんは、わたしを助けれることを

嬉しく思うのかもしれない!

 

って思って。

 

 

そしたら、

わたしは助けてもらえて有り難くて

お母さんも差し出したい手を受け取ってもらえて嬉しくて、

 

お互いにうれしいはっぴーって、

 

なんてすてきなんだ!!!!

 

 

って思ったの。

 

 

でもそれって、

 

わたしがずーーーーっと、夢みてた

ずーーーーっと、思い描いてた

ずーーーっと、その中に入りたいと言ってきた

 

 

『循環』

 

 

 

そのものだったんだよね。

 

 

 

与える人は与えたくて与える。

受け取る人は受け取りたくて受け取る。

 

どちらもはっぴー。

 

そしてその輪はぐるぐると循環する。

 

 

 

わたし、あれだけ散々言ってて、

 

いっちばーーーーん近い存在の人からの

 

 

「受け取る」に、ブロックかけてたんだ、、!!

 

 

って気がついた。

 

 

 

ここを解かない限りは

ブロックを外さない限りは

 

 

入ってくるもんも、入ってこない。

 

 

 

そこが、

今後、わたしが生きてく上でちょーーーーー大事なところだなって思うんだよね。

 

 

 

 

 

だから近いうちに、

勇気を出して、

お母さんに、伝えてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいステージに、入ったなと感じる今。

 

 

 

わたしたちの、

ぜーーーーんぶの、すったもんだが、

これに繋げてくれた。ぜーーんぶ必要だった。

 

 

 

ありがとう。

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さようなら。

 

『目の前から消えろ。』

 

 

そう言われ、

消えると選んだ。

もう、

この人とは一緒にいないと

選んだ。

 

 

 

 

自分の中の

心の声が

ないがしろにされて

だから

デストロイヤー出てきて

暴力的な運転して、

それはぜーんぶ、

茉優のせいだと。

 

 

わたしのせいらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直の思い通りなんかに

動いてたまるか

都合に振り回されてたまるか

 

 

怖い中寒い中、4時間も歩いてたまるか

 

 

早く会いたいのに。

 

 

 

お互いに待ってる。

 

直は壇山で茉優を待ち、

茉優はシェアで直を待つ。

 

 

なんなんだこれは一体。

 

どうして、

お互いに一緒にいたいという思いのまま

一緒にいれない?

 

 

ずっとそう思って朝が来た。

 

 

でも、そう思い続けてる限り

なにをしてもつまらないし

なにを食べても満足しない

 

 

だから、

行こう。

 

 

そう決めて、

 

あっためてって言ってたから

きっと何か温かいものが欲しいだろうなあ

って思って、

 

 

なにが欲しいか聞き、

味噌汁とのリクエスト。

 

 

味噌汁つくって

おにぎり握って

厚揚げのやつやいて、

準備を整えて、

今日出るシェアの掃除もして

荷物も全部まとめて、

朝、家を出た。

 

 

 

 

すると、道中、

お味噌汁をポットの中に入れなかった

ことに気がついて、

なぜかタッパに入れたわたしは

着く頃には、

温かいうちに直に届けれないと気がついて

意気消沈。

足取りが重くなった。

 

 

でもなんとか

50分かけてやっと壇山の登山口までついた。

 

 

早く会いたいし

直の体があったまるよう

少しでもあったかいうちに

作った味噌汁飲んで欲しいし、

 

下まで迎えにきてくれないかなと思って、

 

「迎えに来ないのは、負けた気がするから?」

 

と聞いた。

 

「や、違うよ。」と直。

 

 

「じゃあどうして?」

 

 

そう聞いても、

答えがなかった。

 

返事してくれなかった。

 

 

 

 

 

そしたら、

先日壇山の頂上まで乗せてくれて

みかんも吊るし柿もくれた

おばちゃんが、なんと目の前に!!!!!

 

 

 

奇跡だ!!

神様が、直のところまで運んでくれるんだ!

 

って喜んだ。

 

少しでも早く会える。

少しでもあったかいうちに味噌汁を届けられる。

 

 

そう、うきうきしてた。

 

 

 

でも、直の態度は豹変した。

 

 

 

帰ると言い出して

味噌汁もいらないと言い出して

直がいると言った場所に行っても

直はいなかった。

 

 

 

 

わたしが、

わたしらしく在ること。

ひとの力を借りて、生きること。

 

 

それが気にくわないみたい。

それは、直のニーズとマッチしないみたい。

 

 

[直に対する茉優の思い]を

かたちで知ろうとする。

かたちで計ろうとする。

かたちで判断しようとする。

 

 

 

わたしには、

ひとの差し出してくれる手をとって、

ひとの助けを借りて

直に会いに行くということが、

 

 

なぜ、

直の思いをくんでないだとか

茉優のきもちが見られないだとか

直のニーズではなくなって

直が全然嬉しくなくなるのか、

 

今も理解ができない。

 

 

 

『やったね!奇跡だね!

これで早く会えるね!』

 

ってわたしならなる。

 

 

でも、

直はわたしではない。

 

わたしも直ではない。

 

 

だから、分かり合えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして、

ただ、一緒にいるだけで、

ただ、そばにいるだけで、

2人の間にある、

目には見えないけれど

確かに存在してるもの

を、

信じれないのだろう。

それだけでは満足ができないのだろう。

 

 

心の声がないがしろにされて、

暴力的になるのが、

『わたしのせい』と、言われるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇野港で、

ばらばらに

解散すると、言われた。

 

 

初めは、

茉優が宇野で解散したそうに見える

 

と言われた。

 

でもわたしは、解散したいだなんて思ってなかった。どことなく、たこ焼きを買ってくれてシェアに迎えきてくれたのがうれしくて、そこで高知に行くんだとおばちゃんにしゃべってて、ああ、直の中ではまだ茉優と一緒に帰るって思いが残ってるんだって思って嬉しかった。

だから、解散する気なんて、あるわけなかった。

 

 

でも、

直は、

何かが納得いってないと言っていた。

 

なにがと聞いても

全部  とか

さあ  とか

わからない  とか。

 

 

 

 

だから、

直が解散したいってことでしょってなった。

 

 

 

 

 

 

宇野港に到着し、

直は颯爽と、

ひとり、車を走らせた。

 

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道路を歩きながら

バスに乗りながら、

 

「直がいたらな」

 

なんて何度も思ってしまうけど、

消えろと言われたのだから仕方がない。

いい表情をして、

なにも後ろを振り返ることなく

車を走らせた直がいるのだから、

仕方がない。

 

 

 

 

と、いうわけで、

わたしは、また、フリーの身になりました。

 

 

 

どこへ転がって行くのかなあ〜〜。

 

 

 

 

わたしのいる豊島に来るために

12時間ひとりで、車を走らせ、

 

また、

豊島から群馬への帰り道、

ひとり、車を走らせる。

 

 

ある意味、すごい選択だよね。

 

 

 

でも、

苦しいのは茉優のせいと言われ

離れてた方が楽と言われ

そう、直が決めたことなのだから、

どうしようもない。

 

 

 

わたしは、わたしで、生きていこう。

 

 

 

次いつ会うのかもわからないし

会えるのかもわからないけど、

 

 

ありがとう。

今まで。

お元気で。

 

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好きとか愛とかセックスとかまぐあいとか。

でっかいでっかい出来事だった。

 

 

直が、

わたしでない人と

まぐあうことを、

許して

認めて

覚悟して

送り出した。

 

 

その2日後に、

 

まさかこんな出来事が降ってくるとは

夢にも思っていなかった。

 

 

 

ただ、今思えば、必然。

 

 

すべての過程が必要だった。

 

 

わたしは、

嫉妬や苦しみ、辛さ、悲しさ、残酷さ

すべてすべて、

気を抜けば泣いちゃいそうな

心の奥底で叫んでる声を

みーーんな聞いてあげて抱きしめてあげて、

そんなことできたら、

私なにが起きても最強じゃん!!って思えて

ようやくようやく、

覚悟ができた。

 

 

諦める覚悟。

その先にも2人の道はあるという覚悟。

 

そんな大事な時間を経て、

直を送り出せたことによって、

 

 

初めて、

 

 

自分の感じるままに

選択ができた。

 

 

たいせつな、

失いたくない

人を、関係を、

守るために、

怖さに怯えながら、

いたわたしが、

 

 

 

 

素敵だなあと思うひとを

すてきに感じて

 

どきどきするなぁって思う人に

どきどきして。

 

 

繋がりたいなと思う人と

繋がろうとした。

 

 

 

自分の気持ちに素直にいた。

 

 

 

『わたしはあなたのことが

人として好きです』

 

 

そう、言葉で彼に伝えようとした日があった。

 

 

でもそれは

なんだか勇気が出なくて、

できなかった。

 

 

 

いつも、助けてくれる。

人が避けたがる仕事を自らする。

足りないところに、

必要なところに、

いつもすっと入っていく。

力があって、視野が広くて、手際もよくて、仕事も早い。

 

そして何より、

優しい。

 

分け隔てなく。

 

 

だれかが困っていたり

女性が力がなく困っていたら

とっさに助けに行く。

それが本当に早い。

 

本当に、思いやりのある人。

 

 

そして無邪気。

 

少年のような顔をして笑う。

 

いたずら好き。

 

 

ひっつき虫を、

投げてくっつけあったり、

マジックを見せてくれたり、

 

手元に、いまあるもの、

だけで、

知恵を使って、

楽しい空間にする。

その生み出す力、が、本当にすごいと思った。

 

きっとこの人とは、

何がなくても

物がなくても

娯楽がなくても

ただ、そばにいるだけで、

楽しませてくれる人なんだろうなって。

 

 

 

わたしは彼のそんな人柄に

惹かれていた。

 

 

 

 

 

 

そしてある日、

みんなで景色がきれいなところにいこう

ってなったけど、

それぞれの都合により、

わたしとその人の、2人だけになった。

 

 

 

なんだか、

よそよそしさもありながら、

2人の時間を過ごしていた。

 

 

すごくすごく寒い日だった。

 

 

だんだんと、

なにかが溶けてきて、

 

寒すぎるからおしくらまんじゅうしたりして、わちゃわちゃしてた。

 

彼に、触れれてること、

それがその時のわたしはうれしかった。

 

 

 

わたしがつまづいて、

彼の前胴体に、

よっかかる形になったとき、

 

彼が後ろから

わたしのパーカーのポッケに

手を入れてきた。

 

すごくガグブルして、

寒そうにしていた。

 

 

 

そしたら、

わたしのポッケに

後ろから手を入れたまま、

わたしを持ち上げて、

赤ちゃんの高い高いみたいな

そんなのをしたり、

一回転ぐるーーーーっと

振り回したり、

まるで赤ちゃんのように

わたしの体を運ばれてて、

それがおもしろすぎて

彼の力持ち度に感動して、

2人でげらげらと笑ってた。

 

 

その時間は、

ほんとうにほんとうに、

たのしかった。

 

 

そして、

2人が正面で向かい合ったとき、

わたしたちはハグをした。

 

 

大きい体と

大きい腕と

大きい手に

抱かれた。

 

 

 

なんだか、

不思議な感覚だったなあ。

包まれる安心感と

体から感じる包容力と、

どきどきする感じ。

 

 

そして、

ハグしたまま、

わたしが顔を見上げたとき

彼の顔が近づいてきて

わたしたちはキスをした。

 

 

 

キスって2種類あるとおもう。

 

 

好きだから

どきどきするから、

思いや愛情のあふれるままに、

するキス。

 

 

 

 

もう1つは

深いところで、

一瞬で

一気に

大量のものを

交わし合うキス。

 

 

 

   

 

そのキスは

直とするキスとは別物だった。

 

 

 

 

 

でもそのキスから、

だんだんと性的な感じになりだして、

せっくすしたいと、

言ってきて。

 

 

 

でもわたしは、

断った。

 

 

 

わちゃわちゃが好き。

 

性的なものを挟むことで

わちゃわちゃが全く別物になる。

 

 

性的な触れ合いで

気持ちを伝え合うことはうれしい。

 

 

でも、そうじゃないことになることだって、たくさんある。

 

 

それをわたしは、

これまでたくさん経験してきた。

 

 

そして何より。

 

わたしは直という

かけがえのない愛する存在がいながら、

直以外の人とはできない。

 

 

って。

 

 

 

 

 

 

あとあと、気がついたけど、

そういえばわたしは、

家庭環境のことうんぬんを理由に

これまで、

女として求められること

性的に求められること

それを

女としての魅力、

「わたし」の価値

 

って観念なのか癖を持ち続けてきてて、

 

だから、

 

そうやって、

人と人とのつながり

人と人との仲の良さ

超えて、

 

キスとか性的なやつへと

飛び越えるときに、

 

【わたしは女として価値がある】

 

って思える

そんな安心感や心地よさ、恍惚感

みたいなものを感じてて。

 

 

その感覚が、ヴィパッサナー的にいえば

わたしの持つ渇望になってて。

 

 

好きな人とどきどきする人と

キスができてうれしいって気持ちと

直への罪悪感と

この渇望の感覚との

 

 

混沌とした、狭間にいた感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

だから、

キスをされた瞬間に、

断ることができなかった。

怒ることができなかった。

 

 

それが、

そこが、

わたしの弱さであり、愚かさであり、

直への裏切りであると。

そう思った時もあった。

 

 

 

でも、

わたしの持っている癖

わたしの持っている問題

わたしの持っている弱さ

 

 

 

それと、

『直を大事に思っているかどうか』

 

 

ってことはわたしの中では繋がらなくて。

 

 

 

大事じゃないから、断れなかったんじゃない。

わたしの中にそういう問題、弱さがあるから、断れなかった。

 

 

わたしの中にある

直への大事に思う気持ちは

なーーんにも変わってないんだよね。

 

 

 

 

 

まぁ直立場からしたら

 

「大事に思ってたらそんなことできるはずない」

「大事じゃないからそんなことできたんだ」

 

 

ってなるのも、よーーく理解できるよ。

 

 

でも、そうじゃない。

 

 

 

 

大切じゃないからし

ではない。

わたしは直との関係がたいせつ。

 

 

そう、自信を持って言えるからこそ、

それははっきりと、何度も伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、

『ただ、するだけの』せっくす

 

は、

する気がなかった。

 

 

それによる、

潜在的な心の傷や

深い悲しみ、

虚しさを、

惨めさを、

わたしは嫌という程知っているから。

 

 

 

男性としか付き合ってこなかったわたしが

ちんこのあるせっくすしかしたことのなかったわたしが、

 

男でも女でもない直と出会って

ちんこのないせっくすを生まれて初めて経験して、

 

 

そして、

 

 

まぐあい

 

 

というものを知った。

 

 

愛される

 

 

ということを、知った。

 

 

 

 

愛、気持ちと、

性的な触れ合い

が、

合わさることで

 

 

 

こんな境地にいけるのだと、

こんなにも、

莫大なエネルギーが生まれるということを

身をもって知った。

 

 

 

 

だからもう、

まぐあい

じゃないせっくすは

しないと。

わたしはそれを求めてはいないと。

 

 

わかっていたから。

決めていたから。

 

断った。

 

 

 

 

そして、

帰り道。

 

 

『どうしてキスをしようと思ったの?』

 

ってわたしが聞いた。

 

そうしたら、

「あなたが人として好きだから」

と彼の答え。

 

 

えええ!!!

わたしとおんなじだ!!!

わたしも全くおんなじ言葉を

何日か前にあなたに伝えようとしてたんだよ。

 

 

ってなって。

 

 

まさか

わたしが言おうとしてたことと

全くおんなじフレーズ、言葉を

彼の口から聞くだなんて思わなかったから

 

ほんとうに、ほんとうに、びっくりした。

 

 

 

茉優はキュートだと、ビッグスマイルだとも

言っていた。

 

 

その一つ目のシンクロに感動して、

 

次に

 

 

あなたにとってのせっくすってなに?

あなたにとって、せっくすは何の意味がある?

 

 

ってそう聞いた。

 

 

そしたら、

 

せっくすはコミュニケーションだ

 

と。

 

体と体が触れ合うことで、

言葉じゃないものをやりとりしてるんだ

 

 

と、彼の答え。

 

 

 

えええええええ!!!!?

 

と二度目の驚き。二度目のシンクロ。

 

 

わたしも全く同じ風に思ってる。

 

 

せっくすはコミュニケーション。

繋がるための。

繋がる手段。たいせつな、おおきな。

 

 

 

 

わたしは、

この2つのシンクロを前に、

シンクロって、

あなたいい方向ですよ〜

ってサインだから、

 

 

これはなにか、

大きな意味があるに違いない

 

 

どんな結果になるとしても。

意味がわかるのに時間がかかったとしても。

 

 

 

って、確信した。

 

 

 

 

ほんとに、無意識レベルに。

潜在意識レベルに。

なぞの自信をその瞬間のわたしは、持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただのせっくすではなくて、

まぐあいができるような気がした。

 

 

いまここで、

わたしが、

直以外の人とまぐあうこと、

それが絶対に、

2人にとって大きな意味をもたらすに違いないと、

そう確信できた自分がいた。

 

「わたし」にとって

ではなく

「わたしたち」にとって、ね。

 

 

 

直が、

ゆりなさんとまぐあうことを前に

様々な感情を抱きしめ、

直を送り出せたからこそ、

わたし以外のひととまぐあう直を赦せたからこそ

そんな直をまるっと愛せるわたしを、

知ったからこそ。

 

 

 

 

直との関係のことを思えばいろんな恐怖を感じてるはずなのに、

わたしの中はGOサインを出した。

 

 

 

それに対抗する顕在。

さまざまなアタマの声。

 

 

わたしはそれを振り切って、

 

 

 

まぐあいができると信じて、

 

あなたとせっくすがしてみたい

 

 

 

そう伝えた。

 

 

 

 

結果、そのせっくすは、

ただのせっくすに終わった。

 

まぐあいができるかと思ったけど、

まぐあいは、できなかった。

 

 

 

もっと、目を見たかった。

でも目なんて見ない自分がいた。

もっと、触れ合いたかった。

でもそんな触れ合いはなかった。

 

 

時間がなかったという状況や、

場所がなくて車の中だったってこと。

 

いろんな状況があっても、

それが全て。

目の前のことが全て。

 

 

 

〜だったら、できたかも

もっと〜だったら、

 

とか、

 

そういうのはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、

 

強く強く感じたことがあった。

 

 

 

それは、

 

どんなに、

男らしい体でも

【理想】と思っていた人でも

そこにちんこがあっても、

 

 

 

わたしの魂はわくわくしなかった。

直とのまぐあいのときに感じる、

あの、胸いっぱいの喜び、

それは1ミリも生まれなかった。

 

 

 

わたしは、

直じゃなきゃ、まぐあえないんだって。

 

やっぱり、直なんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この【理想】

詳しく言うと

 

わたしは、

外国人カップルの、

男性性、女性性と

くっきりと分かれて

そしてぴったりとハマってる、姿

に理想を感じていた。

日本の自給自足的な暮らしをしている夫婦にもそれはよく感じてたけど、

やっぱり外国人の男は人は

基本的にジェントルマン。

そして自然なボディータッチがほんとにすてき。一概には言えないけど、ハグとかキスも日本人より多いし

レディーファースト的な感覚が

日本男性より自然とついてる。

ほんとにほんとに、ただ、

『愛されること』が女の仕事

みたいな、感じに理想を感じてた。

あとはやっぱりせっくすも

日本人と外国人は違う。

なんていうかな、

ぐいぐい、そして優しく

ひっぱってくれる度とか、

いろんなものがスムーズすぎる感じとか、

体も大きくて、

包まれて。

だから、

いつからか、

日本語が話せる外国人と、結婚したら幸せだ!

って、思ってた自分がいつからかいたなあ。

理想の男性性と女性性のマッチした感じなって、せっくすもいい感じで、生まれるこどももハーフでかわいいorかっこよくて、、、

みたいなね。

 

そんなのを、中学からか高校からか、忘れたけど、思う自分がいた。

そしてそれは、いまでも変わらずどこかにずーーーっと、奥深くに、残り続けてた。

 

 

 

 

そして、そんな【理想】を

ぜーーーんぶ詰め込んだ人が

目の前にポンっと現れた

 

って感じだったんだよね。

 

 

 

 

だから、

そんな【理想】のひととも、

まぐあいはできなかったと、

わたしの心は、喜びに満ちなかったと。

満足しなかったと。

 

 

 

大きく何かが崩れてった。

 

 

 

インドのヴィパッサナーセンターでも一度、

 

どんどん女性らしくなってって、

周りにも女と間違えられてった

直に対して、

 

ああ、もう、

わたしの

こんなパートナー像でありたい

っていう願望や、期待は、

手放す時なんだな、と。

 

 

それを持ったまま言う

「愛してる」は、

利己的な愛。

 

 

 

相手に

わたしの、なんの期待も願望も

求めないのが、

真の愛。

 

 

わたしは、

真の愛へと、

変わる時なんだ、と。

 

 

 

 

わたしが握りしめていたものを、

ひとつ、手放した。

 

 

 

それはそれは、

その時の私にとっては

とっても苦しい作業だった。

 

 

 

 

 

それがあってもなお、

まだ、奥底に、わたしの中に

居続けた【理想】

 

 

それが、

最後の最後

 

 

ようやく、さよならしてった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の最後捨てきれなかったものが捨てれて、

すっきりして、

やっぱり直なんだー!

って、うれしくて、

 

それを教えてくれるためのできごとだったんだなあってなって。

 

 

彼とばいばいしてからのわたしのエネルギーはすごくすごく軽かった。

自分でも、びっくりするほどに。

 

なんの、罪悪感もなかった。

 

 

 

だから、

直に会ってから

群馬に帰ってから

直接、話そう

って思っていた。

 

 

ところが、

直とのラインをしていたら、

直が、

前にわたしと2人でいちゃいちゃしてるときの動画を突然送ってきた。

 

 

そこに写る、自分の姿に、

なんだか、何かが触れて。

 

 

 

 

わたし、なんて、嬉しそうなんだろうって

わたし、なんて、しあわせそうなんだろうって。

 

 

【理想】と思っていた彼との時間の中で、

わたしがこんな表情をした瞬間は、

一度もなかったな、

と。

 

 

 

わたしが直に、自らキスしようとしている姿、

 

その時に開かれてるのは、

 

男性性だったんだということ。

 

 

 

でも、

その時の

るんるんした感じのわたしで、

直に触れようとすると、

いつも直に待ったをかけられた。

 

ほんとにちょっと待って、

一旦ストップと、

ほんとに止められちゃう。

 

 

その送ってきた動画の中にもその姿が映っていた。

 

 

 

あんなにも、

どうして?!

もっと触ってよ!?

もっと与えてよ!?

  

 

って直に言われ続ける中で

【何かがわたしには足りないんだ】

って、いつの間にか刷り込まれてってた。

 

 

 

でも、

わたしは、

なにも足りてないものはない

と。

 

だいじょうぶだったんだ。

と。

 

 

そう思えた。

 

 

 

そんな気付きがあったとき、

この彼とせっくすした話を、

直に言うのは

『今なんだ』とわかった。

そうに感じた。

 

 

だから、

言葉でなく声で、電話で、

覚悟を持って、

直に話そう、と決めた。

 

 

 

その、話すと決めてからが、

エネルギーの振れ幅がえげつなくて、

家に帰ってきたときは

一切の罪悪感がなく、

軽いエネルギーだったのに、

いざ、話すと決めてからは、

 

 

 

自分はなんてことをしたんだ、

なんだかとってもやばいことしちゃったんじゃないか

墓までこの話を持っていくことにしようか

今ならまだ引き返すことができる

これで直との関係が終わったらどうしよう

これを、群馬に帰るまで言わないでいるこの状況は、直との関係に対して不誠実なのではないか

 

などなど、

後悔とか罪悪感とか恐れに

襲われてった。

 

エネルギーが一気に重くなった。

 

 

 

それでももう、

 

決めた。

 

 

 

直に話すと。

 

 

 

 

 

関係を自分から終わらせたことのない私が

彼氏を振ったことのない私が

失う怖さから、逃げるように

避けるように、動いてきた私が

 

 

 

人生で初めて、

 

人生で1番失いたくないものを

 

失う覚悟をもって

 

自ら動いた。

 

 

 

 

それはそれは、ほんとうに、

新しいことだった。

 

 

 

 

結果、

直の心の痛み、胸の苦しみは

果てしなかった。

 

 

わたしは、電話をかけてから、

どれだけの長い時間

言葉を発せれなかっただろう

言い出せなかっただろう

何度言葉を飲み込んだだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のぶさんとせっくすがしてみたいだとか、

あゆちゃんとキスがしてみたいだとか

あゆちゃんとまぐあって涙を流す姿を見たいだとか

明日死ぬととしたら、

余命が半年だとしたら、

やりたいことは男性とセックスすることだ!

とか、

恋してると言い、すてきだなあと思うと言い、その人の顔をスクショしてたり、

ゆりなさんとまぐあう約束をした

とか、

 

 

たくさんたくさん、

直が【わたし以外との何か】を

いう時が、言ってる時期が、あった。

 

 

 

 

 

でも、わたしは、

 

直がそうなっているときすべて、

 

【直以外とのなにか】を

したいと思った自分はいなかった。

 

直以外のひとに、

恋するわたしはいなかった。

 

 

 

 

直以外なんて、

したいとも思わないし

考えられなくて、

 

だから、

それをしたいと思える直に

それを言葉にして私に言えちゃう直に、

わたし以外のひとに恋してる直に、

 

 

悔しくて、

悲しくて、

どれだけいじけただろう。

どれだけ怒ってただろう。

 

 

でもほんとは、ほんとは、

もっともっと、怒ってたんだ。

もっともっと、悲しかったんだ。

 

 

いつも自分が猛烈な胸の痛みを抱えながら、我慢する方なんだ。。

 

 

 

 

そんなことにも、

気がついた。

 

 

 

 

わたしが

【直以外のひとと何か】なんてこと

そんな可能性

そんな発言

これまでなかったから、

 

突然の、

 

『結論から言うと、せっくすをした』

 

 

っていう、わたしのことば。

 

 

それがどれだけ、

直の胸を締め付けるか

直の胸に刺さるか

直の胸を痛めるから、

想像に容易かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その電話は12時間していた。

 

 

 

直の嗚咽、涙、叫び、怒り、悲しみ、痛み

 

 

 

ぜんぶぜんぶ、

しっかりと、真正面から受け取ろう。

 

その覚悟を持って、いた。

 

 

 

それが新しかった。

 

 

 

わたしの胸は痛かった。

涙は止まらなかった。

 

 

 

それでも、ひたすら、

切りたくなっても切らずに

ひたすら、

直の嗚咽を聞き、

わたしの選択により

生まれているいまこの結果を、状況を、

真正面に、引き受けた。

 

 

 

 

これまで、

わたしは、

直の悲しみ

 

を、素直に受け取れないわたしがいた。

 

 

 

[わたしによって直が傷ついてる]

っていう状況をなかなか受け入れれなかった。

 

悲しむ直に、

「いちいち悲しんでる」

「また悲しんでる」

と、

イラつくときだってあった。

 

 

それは、

わたしが、

わたしに対して、

悲しみきることを

些細なことでさえ、

生まれた悲しみを抱きしめることを

 

できていなかったんだなあ。

 

 

 

 

 

 

電話の中でもらった2つの

直からの、リクエスト。

 

 

 

それは、

このできごとをしっかりとブログに書くこと。

包み隠さずに全てを。

 

2つ目は、

今回の件に関して、彼としっかり、話し合うこと。

彼は茉優とのせっくすをどう感じてるのか?

もし妊娠してたらどうするつもりなのか?

などなど。

 

 

 

わたしの中にも、

ちゃんと、話し合いたい

という気持ちがあった。

 

 

 

そうしたら、偶然にも、

次の日、彼の方から連絡があり、

話したいことがあると伝え、

会うことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夜せっくすしての、次の日。

 

なんだかどこかよそよそしさや

ぎこちなさを感じながらも、

わたしは、勇気を出して、話を切り出した。

 

 

 

 

 

 

『わたしは、

昨日のあなたとのせっくすのこと、

パートナーに話したよ』

 

 

 

そう切り出した。

 

 

 

 

 

彼はほんとにびっくりしてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから、

 

聞きたいことを聞き

話したいことを話した。

 

 

初めは、

「茉優だから、したんだ」

と言っていた彼も、

奥へ奥へとさぐるにつれて、

 

 

茉優には「I love you 」とは、言えない

 

って、本音が出てきて。

 

 

 

 

わたしがせっくすには、

2種類あると思うとはなした。

 

 

ただ、するだけのせっくす。

 

繋がるための、せっくす。

 

 

 

 

わたしたちのはどっちだったと思う?

 

 

と聞いたら、

 

 

前者のほう

 

と答えた彼。

 

 

 

 

どきどきするとか

恋してるとか

好きとか

まぐあえる「かも」とか

 

そんなんじゃ、つながるせっくすはできないんだと。

 

 

 

心から、

自信を持って

「愛している」と、

言える相手でなければならないと。

 

 

直でなければ、

まぐあえないのだと。

そう、身を以て実感した。

 

 

 

 

 

『あなたのニーズはなに?』

 

 

そう聞いたとき、

驚いた表情をしていた。

 

そんなこと人に聞かれたことがないと言っていた。

 

 

なかなか出てこなかったけど

彼のニーズは

もっと触れ合いたい。

繋がりを感じたい。

だとわかった。

 

 

 

それをまずは、あなたが抱きしめなきゃ。

それをまずは、あなたの大切な人に伝えなきゃ。

 

 

 

彼が感情を表現することを嫌っていること

I love you の使い方がわからないこと

 

いろんなことがわかってった。

 

 

 

 

彼は感情を表現することに

抵抗がある。

感情的にいることを

悪いことだと思っている。

 

 

これまでわたしは、

『感情的に生きてこそわたしだ』

 

ってくらいに、

生まれる感情を

生まれるままに

生きてきた。

 

 

そしてここ最近ようやく、

 

 

感情っていうものは、

 

《わたしが、わたしを、知るため》

 

に生まれるもので

 

 

その正体は

 

本質からの《愛》でしかないんだと。

 

 

 

そう、実感する日々が続いていた。

 

 

 

だから、

感情を悪いこととして

出さないようにして

生きてる彼の姿に

 

わたしの胸は、

深く、重く、痛かった。

 

 

 

『彼が何かを抑えてる。。』

そうにわかる瞬間ってのがたくさんあった。

 

 

 

その度にわたしは彼の胸に手を当てた。

 

 

平気そうに

大丈夫そうにする彼に

 

 

何度も何度も、

 

 

目を覗き込んで、

 

 

 

ほんとうに?

 

 

 

と、聞いていた。

 

 

 

どうか、

 

彼が、感情を受け入れれて

本質からの愛に気付きますように。

 

と、

 

そう、心の中で祈りながら。

 

 

 

 

すると、

ばっと、

覆いかぶさるように、

抱きしめてきた彼。

 

 

 

何か、必死に押さえつけてた蓋が

ぱかっと取れたようだった。

 

 

 

 

 

すごくすごくうれしかった。

 

 

 

彼は、わたしの言葉が

わからないなりにも

ピンとこないなりにも、

 

 

確かに、

確実に、

何かが、届いていて、

そこに、揺らぎが生まれてて。

 

 

その瞬間

その在る姿を

 

とても《人間らしい》と思った。

 

 

そして、

 

わたしがしたかった、

彼との『人と人での繋がり』

 

 

 

それが、

できた

って、

抱きしめあっているときに思った。

 

 

 

 

 

わたしがしたかったことは、

これなんだ。。

 

 

って。

わかった。

 

 

 

 

性的なものを挟まずに、

ただ、

 

 

言葉を尽くして、

目を見つめあって、

心の奥を探ってって、

共に何かを分かち合って、

それが、溢れて、抱きしめ合う。

 

 

 

 

うれしくて涙が出た。

 

 

泣き出すわたしに、彼は戸惑っていた。

 

 

「ごめん、茉優はわたしの中を聞いてくれてたのに、自分は何にも茉優の中を聞いてなかったね。わたしの失敗だこれは。ごめん。」

 

 

って、困ったような優しい顔で

心配した彼。

 

 

「違うんだよ、これはうれし涙なんだ。あなたと人として繋がれたこと、それがすごくうれしいんだよ。わたしはせっくすじゃなくて、あなたとこれがしたかったんだ」

 

 

って。

 

 

そう伝えて、もっと泣き出した。

 

 

 

彼はわたしを抱きしめて

茉優の中にある全部の涙が出切るようにと、

わたしを抱きしめながら

左右に揺すりながら

わたしの目から涙が流れ出るたびに

その涙をひとつひとつ、拭ってくれた。

 

 

 

 

 

そうしたら、

なんと彼も泣きそうになってて、、!

 

 

 

初めて見せる表情だった。

 

 

 

If you want to cry, you can cry

 

 

って、優しく、目を見て、伝えた。

 

 

 

 

でも彼は、

わたしは隠すのが上手なんだ

と言って

目を手で覆い隠していた。

 

 

 

 

ずっとずっと、感情もブロックしてきて

きっと泣きたいときだって我慢してきた彼が

 

 

 

心が揺れて、泣いている。

 

 

 

 

 

その事実が、

その状況が、

 

 

わたしは魂レベルに喜びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

やりとりの中で

茉優はemotional therapist のようだ。

それになれると。

茉優を必要としている人はたくさんいると。

 

 

そう言ってくれたけど、

 

 

今度は彼がセラピストのように、

わたしを受け取ってくれて、

 

 

お互いにtherapistだねって、

 

 

そう笑った。

 

 

 

 

 

 

 

人として繋がれた

 

 

からこそ、溢れ出る何か。

 

 

 

 

彼はわたしの胸に飛び込んできた。

何度も何度も、

顔をさすって。

 

 

 

 

自分で猫のようだ

って言ってたけど、

 

わたし的には

お母さんの胸に飛び込む子どものようだった。

 

 

 

そのときの私は、

なんだか、

マザーテレサって、こんな感覚で

常に生きてきたんだろうな

 

って思うような、

 

寛容で寛大な母性の愛

 

 

みたいなものを感じていた。

 

 

 

 

 

 

あのせっくすがあったからこそ、

そして

できると思ったまぐあいが

「できなかった」からこそ、

 

 

わたしたちの、

このやりとりは、生まれた。

人としての繋がりが、生まれた。

 

 

 

言葉を超えて。

 

 

インドの時もそうだった。

 

 

国籍も言語も関係なく、

『人間』として繋がれることの喜び

心に寄り添いあえることの喜び。

 

 

 

それはわたしにとって

大きな大きなギフトだった。

 

 

 

 

与えたくて仕方がなくなってる彼。

わたしの体をほぐして、マッサージしてくれた。

 

 

その姿は、

もう

[与えていることが喜び=男性性そのもの]

 

だった。

 

 

その表情は、

美しかった。

 

 

 

 

彼の目は変わった。

愛の目になっていた。

 

 

 

そして彼もわたしを見て

You are beautiful と言ってくれた。

 

 

 

 

人の中に愛がある姿は、美しいのだと、

改めて強く思った。

 

 

 

 

わたしは、

 

彼が与えていること

マッサージしてくれてること

 

有り難くは思えた。

 

けど、

 

 

魂は震えてなかった。

喜びはそんな生まれてなかった。

 

 

 

 

 

 

ずっと、

縛られてきた、

 

男性性  と  女性性  の統合 融合

 

 

 

それは、

 

 

ただ、そこに、

 

男性性と女性性 

 

が、あればいい

 

わけじゃなかった。

 

 

 

 

与えるのが喜びな人と

受け取るのが喜びな人が

いればいいわけじゃなかった。

 

 

 

どの魂を愛しているか

どのエネルギーを愛しているか。

 

 

そこだった。

 

 

 

肉体や性別は関係なく。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその相手は、直なんだと、わかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が、人として、繋がること

性的に触れ合うこと。

 

 

 

延長線上な世界もあれば

完全に隔離する分離する世界もある。

 

 

 

 

 性別も肉体も関係なく

 

 

ただ、ひとが、ひとを、愛すること

 

ただ、ひとが、ひとに、惹かれること

 

 

 

そこらへんに、私たちの道があるよう。

 

 

この道に関して

わたしの中にあったこれまでのもの。

直へのラインから少し引用して載せる。

 

 

ひとつめ


わたしが、

大切な男友達

と思っていた人が、

わたしに性的に触ってきたときとか、

キスをしてきたときとか、

 

 

 

その時にも

価値があるんだうれしい

 


って癖も出るけれど

 


どうして?

ともだちじゃなかったの?

どうして「女」としてみるの?

どうして「ひと」としてみれないの?

わたしは「ひと」としてあなたと仲良くいたかったよ。繋がってたかったよ。それは無理なの?

どうしてわたしは「女」としてしかみられないの?

 

 

 

そういう

小さい子ちゃんたちの、

叫び。

 


それが

悲しみとなって

怒りとなって

憎しみとなって

『気持ちわるい』という日本語に、達した

 

 

 

 


ってことだったなって、今思った。

 

 

 

 

 

 

わたしは、ほんとうに、

 


おもしろい矛盾を併せ持った人間だなって。

 

 

 

 


性的なものに

求められることに

価値を置いてるかと思えば

 

 

 

まったく正反対の

「おんな」ではなく

「ひと」として、

 


みられたい。

関わりたい。

繋がりたい。

 

 

 

って思いもこれまでずーーーーーーーーっと、ずーーーーーーっと、持ってた。

 

 

  

 

 

ふたつめ

 

直。

 


やっと出てきた。

 

 

 

 


わたし、小学生のころ、

好きだった男の子にこう言われたの。

 


『お前みてると勃起する」

 

 

 

って。

 

 

 

 


その勃起って言葉を、そのとき初めて聞いた。その時のわたしによく意味はわかってなかった。でもなぜか、その言葉を言う男の子の表情から、それが一体どんな界のものなのかは、本能的に、潜在的にわかってたと思う。

 

 

 

 

 

 

 


わたしはその男の子が好きだった。

 

 

 

その男の子に、そうに言われて。

 

 

 

 


え、それはあなたも私が好きってこと?

わたしを褒めてくれてるの?

 


って、そんな疑問が小学生のわたしの中でぐるぐるしてた。

 

 

 

 


でもなんだか、

今思えば、

 


わたしの中にあった、

やわらかく、

ふわふわした、

かわいらしい想いたち。

 


それらが、

不可抗力的に

無条件に

上から、

ゆっくりと、

ぴしゃん。

と、

なったような気がする。

 

 

 

 

 

 

ここが、始まりな気がする。

 

 

 

 

 

 

直に話したことないよね?この話。

 


わたしの中でも、なぜかずっと、封印されてた。

 


でも、ふと、

出てきた瞬間に、

これだ。

 


ってなった。

 

 

 

 

 

 

わたしは、

混乱したんだと思う。

 


わたしが好きと思う男の子から、お前を見てると勃起すると言う言葉を言われて。

 


それを、

『お前は性的な対象であって「好き」ではない』

って意味なのか、

「好き」だから、性的に興奮するのか、

 


わからなかった。

ずーっとわからなかった。

 


でもきっと、

「好き」だから、興奮するって。

「好き」だから、求めてくる

って。

 


ずっとそうに思いながら、

ずっとそれを思いながら、

ワンナイトしてたなって。

 

 

 

ここ、初めて言葉になった。

 

 

 

でも、だんだんわかって言った。

みんながみんな、

「好き」だから、求めるわけではないと。

「好き」だから、せっくすするわけではないと。

 


でも、直と出会うまでは、

付き合った男の人から、

「好き」だから求める

「好き」だからせっくすする

 


を感じてきた。

 


だから、

全部が全部とは、言えないのかもしれない。わからないけどね。

 

 

 

 


いまでも、不安がってて、わからない小さなわたしがここにいるよ。

 

 

 

 

 

 

その子の不安を、

言葉にできない感情を、

いま1番たいせつにして、

味わってる。

涙と共に。

 

 

 

 


直は、

茉優が好きだから

キスをするんだよね?

茉優が好きだから

わたしの体に触れるんだよね?

 

 

 

 


わたしは

男の人の中での

「好き」の気持ちと「性欲」

 


それをずっと、ちゃんと理解してこれなかった。

 

 

 

きっと、

「好き」だから、

求めてくると

触れてくると

せっくすしようとすると、

 


そう、信じて。

そう信じてやまなかった。

 

 

 

 

 

 

でもある時からだんだん、

「好き」だから、

を諦めて、

その男の人に、

『女として認められた』

『女としての価値がある』

に、重きをおくようになってった。

 


「好きだから」

「価値を感じてくれてるから」 

 

 

 

その2つをぶっ飛ばして

『「その人」じゃなくて

「ちんこ」が茉優のこと好きなだけだよ』

 


そう言った直。

 


そして今回のこの出来事。

 

 

 

ただ表面だけで

『もう、もってるもの』として、話されてきたことトピック。

より深く、メスを入れたところに、今わたしが感じることがある気がしてる。

 


この内側と外側とでのカオスな混乱、もう少し味わってみるね。

 

 

 

それに対する直のライン

 

 

おはよう!
初めて聞いたその話!

よくたどり着いたね。
この後、どう感じて行くのかは分からないけど、
おめでとう😊

 

何か世の女の子たちの多くも陥ってる大切な大切なポイントな気がする。
みさちゃんの言葉からも感じたよ。
先々すごく誰かを助ける気付きかもね😊😊😊

 


私は茉優への好きが溢れてキスになるんだよ。
茉優への好きをもっともっと深くまで届けたくてセックスをするんだよ。

 

 

私は勃起できないけど、
茉優の体を求めるって表現するような性欲はないけど、  

 

茉優の心も体も魂もひっくるめて、
存在を愛してるんだよ。 

 

 

『求める』って言葉、なんか、
あるね。

ある時からだんだん好きだからを諦めて…
ってとこ。
どうして諦めたんだろ。
もう、茉優が体感してることにウソつけなくなったのかな?
どうやらこれは好かれてるわけじゃないぞ。
だけど、どうにか私への何かがあることにしないと、茉優はどうしていいか分からなくなる。
そうだ、女として価値があるからだって。無意識レベルで。
そんな気がした。

 

 

 

これは、

これからのわたしたちの道に

本当にたいせつなやりとりだったとおもう。

 

 

 

 

 

また昨日直が、

男友達と、一緒に風呂に入ってたら

性器を触りあって、

って話ししてて、

それは今、本人がブログにしてる。

さわりっこ - おにぎり ころりん すっぽんぽん

 

 

 

 

わたしたちは、

出会ったころ、

関係が始まったころ、

 

 

お互いに

性への固定観念が強い

 

という自覚、認識があった。

 

 

 

今思えば

それらをひとつひとつ、手放すための

必要な過程だったのだなと。

 

 

 

 

 

 

 

この人が好き

この人を愛してる

 

世の中でたくさん聞く『愛』

 

 

それと、『性』のこと。

 

 

 

人は曖昧にしがちだけど、

目を背けがちだけど、

あまり語ろうとはしないけど、

 

 

 

 

わたしは、

それを、たくさん味わうみたい。

そこに、伝えたい何か、があるみたい。

 

 

 

 

 

わたしはもう、

この『生きてるいま』が『生きがい』だ。

 

 

 

 

どこまでも正直に

包み隠さず、ぼやかさず

自分をオープンに。

 

 

オープンにできるということは、

全ての自分を赦していることだから。

その赦しは、愛だから。

 

 

 

 

 

 

全てのできごとで

わたしはあり得ないほどカラフルな

感情や怖さや不安や喜びを味わった。

 

 

そうして、

【自分への絶対的な自信】を何度も味わった。

 

 

 

何があっても大丈夫

何をしても大丈夫

何をしなくても大丈夫

 

そんなところに立てたなら

 

きっと生きてる。めいっぱいに。

 

親も場所も国も肉体も自我も性別も

全てを選んで、

生まれてきた、

この地球での

たった一度きりの

かけがえのない今この時間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

この過去最長ブログ

激長文章を

一体どれだけの人が

さらさら〜〜っとスクロールすることなく、

いまここの文章まで辿り着いたか、

それを知ることはできないけれど、

 

 

わたしのひとつの、たいせつな生き様だから。

 

 

 

小林茉優という人間は

こんな風に生きてたよって。

 

 

それを、

共有したいと思ってくれたあなた

興味をもってくれたあなた

 

 

ありがとう。

 

愛しています。

 

 

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わたしはこの世界を

直と2人で、お話し会しながら

ただ、暮らして、生きていく。

 

それが1番、楽で、喜び。

 

 

おわり。