Mi amas vin.

My life is my message

またまた超えたひと山

直と離れて、

豊島で暮らす日々。

 

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突如現れた、

ビックニュース。

 

 

 

 

直が、ある女性と、

まぐあい(せっくす)を

することになった。

 

 

 

 

わたしと直と、

今年の5月、

インドから日本に帰ってきた日に

東京で会った人。ゆりなさん。

 

 

 

 

 

 わたしと

共通のわくわくを持っている

飛び抜けてて

あたたかいひと。

エネルギーセックスがテーマのひと。

障害者とかトランスジェンダーとか

多様なひとたちが

何の垣根もなく

ただ、愛し合える

愛の世界をつくろうとしてる人。

 

 

 

 

 

 

 

ゆりなさんいわく、

 

茉優の女性性と

直の男性性が

 

ツインソウルというもので、

 

 

直の女性性と

ゆりなさん男性性が

 

ツインソウル

 

 

とのこと。

 

 

 

茉優 女性性と

直 男性性は

もう統合していて、

 

次のテーマは

 

直 女性性と

茉優 男性性

 

だった。

 

 

 

でもここにきて、

 

その相手が、

また別の人間として

現れて。

 

 

 

自分の女性性を開くために

【男性とのせっくすが必要】

だと思った直は、

呼びかけて、

1人の男性との時間を持った。

 

 

 

でもその結果、

そこでは、

 

やっぱり、茉優だ

 

ってなった。

 

それによる恩恵もたくさんあったけどね。

 

 

 

その流れでの、

2人での北海道旅。

 

 

 

確かに、受け取れるようになっていった。

 

 

わたしの目からみて、

確実に直は、女性性が開いていってると

実感があった。

 

 

それでもまだ、

 

開け切らない。

 

と、本人の感覚。

 

 

 

できれば、

 

こじ開けるのも茉優で、

 

開いた先で、

 

《与え、受け取る》という、

 

愛の循環を、

 

茉優としたい。愛し合いたい。

 

 

 

って、望んでたよう。

 

 

 

でも、

 

その直の女性性を『こじ開ける』

の、大きな大きな助け舟が、登場してくれたんだと、いま、わたしはおもっている。

 

 

 

 

 

その大きな助け舟により、

 

 開いた女性性を持った直と、

与えあい、受け取り合う、

愛のぐるぐる。

 

 

 

それを想像しただけで、わくわくと、喜びと、うれしさで、涙が出そうになる。

 

 

 

 

一方で、こわさもある。

 

 

その、ゆりなさんとの、まぐあいを機に、

 

わたしたちの関係が、

変わるかもしれない。

 

 

パートナーでなくなるかもしれない。

 

 

直はゆりなさんを、選ぶかもしれない。

 

わたしは、捨てられるかもしれない。

 

 

 

そんな、大きな、大きな、

 

わたしがちっちゃな頃から持ってる

 

 

【壮大な恐れ】も、わたしは、抱えている。

 

 

 

 

一度経験した傷を、

状況を変え、人を変え、

味わおうとする癖をもっているから。

 

 

 

 

 

鬱屈した、

どうにも身動きができない直に

訪れたこの、大きな流れ。

 

 

 

 

 

これが天の、流れなのか。と。

パーフェクトなる宇宙の采配なのか、と。

 

 

 

参ったな、という降参するような感覚と、

飛び抜けすぎて、わたしはどこまでも面白い人生を描いたなあ、という感覚と。両方。

 

 

 

 

 

 

 

 

この、「独占欲」「嫉妬」が人一倍強いっていう自我を持っているわたしにとっての、

 

 

大切なパートナーが自分以外の他の人と

まぐあい、つながり、愛し合う

 

 

という、このシナリオ。

 

 

 

 

 

どんだけ味わいたがってるんや!?

わたしは!!!

 

 

 

って突っ込んで笑っちゃう。笑

 

 

 

 

 

 

ゆくゆくは、

 

ふたりで、このこれまでの道のりを

 

パートナシップだか、人を愛することだか、まぐあいのこととか、テーマはなんでもいいけど

 

お話会をしたいね、と、ずっと話していた。

 

 

 

そしたら来た!!!!!

 

 

友人のまさきが、

自分の大学で、

『茉優と直に、トークセッションをしてほしい』

 

 

と。

 

 

頼まれた。

 

 

 

 

 

ついに、運ばれて来た。

わたしはすごく嬉しかった。

 

 

 

 

 

その依頼の後に

直のことできごとがあったのだけど、

 

 

 

もうわたしたちの未来が未知すぎて、

 

 

その頃わたしたちがどうなっているのかは

1ミリも想像がつかない。

 

 

 

 

ただただ、いいネタがそろってきてんな

 

って笑ってしまう自分もいる。

 

 

 

どんだけ、カラフルなん!?って。

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて、直から

「せっくすをする約束をした」と

それを知らされた時の

直がラインが来た時の

 

あの、【胸のどくどく】

 

ナイフくん。

 

 

 

出てきた。

出てきてくれた。

 

「ナイフくん」に関しては

ここマップの記事にて。

あれれ?最高で完璧だったじゃん!! - mayu’s diary

 

 

わたしは、

それを、

その感覚を、

 

じーーーっと、味わった。

 

 

そうしたら流れてきた、涙。

 

 

熱く、あったかい、涙。

 

 

涙って大事だなあ。

 

 

 

 

 

その時の直とのやりとり。

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このブログでは、

ラインでのわたしと直とのやりとりを

そのまま、あげていこうとおもう。

 

 

それが最も、その瞬間の感情に、

温度を持ってる言葉だから。

 

 

 

その日の夜のやりとり。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたし

やっぱり、ふと気をぬくと

というか、

ふとした時に、

 


ゆりなさんと

なおが

 


ちゅーするところとか

裸で抱き合うところとか

体を触り合うところとか

みにくわ愛でるとか

ちくび愛でるとか

それに濡れて感じて

 


って光景を、

妄想?イメージ?

 


しちゃうわたしがいて、

 


それにやっぱ

落ち込む。

 

 

 

 

 

 

気を抜くと

 


だったらそのまま、

その人とやってたらいいじゃん!

まぐあえちゃうんだったら!

繋がれちゃうんだったら!

 


ってのに、

支配されそうになるね。

 

 

 

まだまだいっぱい

このまゆちゃんは

叫んでる。

 

 

 

 

 

 

やだよーーーー!!!

 


わたしだけをみててよーー!!!

 


わたしだけをあいしてよーーーーーー!!

 


わたしだけにあいさせてよーーーー!!!!

 

 

 

他の人もだなんてやだよーーーーーーーーー!

 

 

 

わたししか知らない直ちゃんがたくさんいたのにーーーーーー。

 

 

 

 


ってね。

 

 

 

 

 

 

 


それが頭を占めてくると、

 


こころがぐらぐら不安定になってく。

悲しみや怒りや寂しさっていう、

マイナスのエネルギーに満ちてくね。

 

 

 

 


それもみつめつつ

それもみとめつつ

それもゆるしつつ

それもあいしつつ、

 

 

 

 


すべては、パーフェクトなんだって。

 

 

 

天だけをみて

天だけを信じて

ゆっくり息を吐くと、

 


あの電話の時の

メッター茉優の

状態にありやすいかなあ。

 

 

 

 


ギブアンドテイクてきな

交換制てきな

 


癖はあるんだけど、

 

 

 

わたしは、

やっぱ

ただセックスしたいだけじゃないんだなあって、

ただ性欲を満たしたいだけじゃないんだなあって。

 


つながりたい。まぐあいたい。直のいうあわーーーい感じでまぐあうのもすき。性エネルギーによってまぐあうのも、おなじくらいすき。それかもっと。どうだろ。

 


やっぱ、

性エネルギーのちからってはんぱなくて、

 


あわーーいやつでは

いけないところにいくんだよね。

 


連れてかれちゃう。

 

 

 

それがたまらんのよね。きっと。

 

 

 

 


あの感覚を、

直ちゃんは、

ゆりなさんによって、

経験するのか〜

経験するのかなあ〜

 

 

 

うれしいも100パー

 


切なさも100パー

 

 

 

 


あとは、

今改めて、

違う表現を伝えるなら、

 


あの、直が送った顔写真みて、

「ほんとうに、ただの、女性だなあ」

って、思って。

 

 

 

かわいらしい、

きれいな、

女性。

 

 

 

インドの時のように、

完全に『わたしの目』からみて「女性」。

 

そのインドの当時のブログ↓

《見た目の変化》によって生まれる思考。 - mayu’s diary

 


その状況を前に、

直への愛おしさが溢れる自分に、自分で、うれしかったなあ。変化をかんじるなあ。

 

 

 

 

 

 

あと

予感的に

陥りやすいのは、

 


「直が今度はおんなのひととせっくすする約束をしたんです。わたしはそれをも受け入れて見送るんです。いろんな感情がこんなにもあるけれど。」

それもある、方向から見たら事実ではあるかもだけど

俯瞰したら【被害者意識】【わたし、えらいでしょ?】【直ってひどいでしょ?】

てきなやつ。

 


三者絡めた時に

出てくるわたしから直への

敵意みたいな、対抗心みたいな、あったじゃん?

それに近いようなもの。

 

 

 

それに陥りそうになる

自分に、気づいている。

 


シェアの人に流れで

言いそうになったんだけど

自分が言おうとしてる言い方って

その【ひどいでしょー?!】感覚なんだよね。

 


いう前からそれに気づいて、

 


や、それは、私の本質ではないし、真ん中にあるものでもない=言葉にしたいことではない

 

 

 

ってわかれて、

言わないって選択をできてることが、新しいなと今気づいた。

 

 

 

 


明日からの、作業中の、わたしのあたまのなか、こころのなか、が、ちょっと楽しみに思えてる

 


ってのも新しい。

 

 

 

 


って感じかな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに対する直のらいん。

 

茉優から送られてきた文を読んで、
茉優が知っていて
私が知らないまぐあいの世界が
あるって
改めて感じた。

私はまだ、
あわーーーいまぐあいが好きで、
それに上乗せしたような性的なモノも感じつつあるといった感じで。


半端ない性エネルギーの力を知りたい。
それでしか味わえない世界を知りたい。


そして、
そんな私を茉優に見てもらいたい。

そう強く思う。

私の開花を
涙して喜ぶ茉優を見たい。

だけど正直、
私は茉優と触れ合うと
すごく努力して
受け取る方をやる。
なぜなら与えることが私の喜びだから。

そこの強さというか、
茉優の女性性と直の男性性の結び付きの強さが、

入れ替わることの
ハードルになってる感はある。
男で茉優を愛したい願望が邪魔をするというか。


この先、どういう展開になるかは分からないけど、

進みたい。

 

私の中をどう整理していいか分からない。

こんなに茉優を愛おしいと思っていて、
こんなにも溢れ出すものがあって、
まぐあいたいとも思っていて、

だけどゆりなさんの話に怖さとともにワクワクする私。
矛盾する私。

 

お手上げ。

 

茉優、
今日も1日ありがとう。
あいしてるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに対する今朝のわたし

 

おはよう😊

 

 

 

 


うんうん、なるほどね。

『努力して』受け取る、かあ。

ゆりなさんいわく、そこがツインであるがゆえにってことよね。

 

 

 

進みたいね。

 

 

 

 


矛盾というか、

男性とまぐあいたいって

言ってた時の同じで

どちらも100パーセントで

Aの直もBの直も

共存してるってことなんだろうね。

 


それは、

一般的なメガネでいえば

『矛盾』だけど

もっと深い意味で言ったら

矛盾なんかじゃないんだろうね。

 


って打ちながらわたしがわたしに言い聞かせるための言葉に思えてきたけど笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も何度も

直の文章を読んで

 

 

 

ようやく、

 


心から

 

 

 

『味わってらっしゃい。

いってらっしゃい。

待ってるよ。』

 

 

 

って思えたわたしがいたよ。

 


そのわたしだけが100%じゃないけど。一部のわたしは、いま、たしかに、そうにおもえた。

 

 

 

 


だって、愛おしい直ちゃんが、

「わくわく」することなんだもん。そんなの、反対したり辞めさせたりなんて、わたしのこころはできない。出会って関係が始まってすぐのころのような、

「直に、こころのままにいてほしい」って、

仏まゆちゃん(メッターまゆちゃんでもあるか)は確かに居続けてて、その子が顔を出してくる。その子はずーっと、ここにいる。

どんなにわたしの中に胸の傷、どくどくが生まれててもね。

 


だって、その先で、開いた先で茉優と愛し合いたいんだ

って、その気持ちが、その愛が、いっぱいいっぱい届いてる。わたしはそれを信じれてる。今、この瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ありがとう直。

 


愛しています。

 

 

 

 

 

バイトしながら、何度も出てくる思考、というか妄想。

 

こうなったら、〜〜かなあ

ああなったら、〜〜かもしれない

 

 

 

そんな《不安》や《恐れ》を感じるわたし

 

そのわたしの中にいるみーーーーーーんなに

 

気づいてあげて、

大丈夫だよって、

 

そう、心の中で唱えてあげるだけで

無敵な気分になる。笑

 

 

どんな感情が出ても

どんな感覚が生まれても

 

わたしが、わたしを、受け止めきれると。

 

 

【それがわたし】なんだ、と。

 

 

そんな風に思えたら、もう怖いもんなしよね。

 

 

 

 

 

 

そして最近のキーワードは「祈り」

 

 

大切な人

家族

関わるみな

生きるものすべて

 

しあわせでありますように。

 

 

そして、何より、

 

わたしが、しあわせでありますように。

 

 

どんな感情も受け止めて、愛して、

 

 

その上で、わたしがはっぴーであれるよう。

 

 

どんな世界を見るか、

何をチョイスするか、

何を信じるか。

 

 

 

いつもそこに戻るんだ。

 

 

 

 

 

 

 

みーんな、ひとつなんだと。

 

 

同じ生命体なんだと。

 

 

本質的には、

誰が誰を愛すとか、関係ないのだと。

 

 

 

ついつい、

わたし「だけ」が、直を愛したい!のに!

 

って、わたしも出てくる。

 

 

 

 

でも、

今日ふと、

 

ゆりなさんに対して、

 

直を、

愛してくれて、ありがとう。

 

 

愛しています。

 

 

って、そう思えた瞬間があったんだ。

 

 

 

 

その瞬間に、溶ける。

 

 

境界線が。

 

 

人と人の。

 

関係性の。

 

 

 

みーーんなひとつ。

 

 

 

すべてのひと、

 

 

愛を発してくれて

愛を表してくれて

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

おわり。

声。喜び。愛。怒り。相手軸。

 

今日、東京の高田馬場で、

Otono canvas っていう

https://www.facebook.com/events/793472841015165/?ti=icl

 

好きな曲を持ち寄って、

ボイトレして歌おう!

 

ってイベントがあって、

 

それに、

直が参加することが決まってて、

 

自分はそこで

ちゃんとしたスタジオで、

どりちゃんの伴奏と

雄也さんのボイトレの中、

 

直に歌われる高橋優の「おかえり」が生で聴いてみたくて

見学として、一緒にイベントにいった。

 

 

あとはそのイベントを企画する側の

どりちゃん、にも、会ってみたかった。

 

 

どりちゃんは、

言葉を超えて、

目の前の歌うひとと、繋がって

コミュニケーションをとって、

即興で、ピアノを奏でていて

ほんとうにすごかった。

 

 

パートナーの雄也さんは

熱量がとにかくはんぱないひとで、

でもあたたかさや柔らかさもあって、

何より雄也さんが、シェアしてくれた名言

 

【生きることを生きがいに】

 

が、すんごく心に残っている。

 

 

 

声って、裸ん坊になるんだなあって。

 

 

一瞬、一瞬に、

ありのままでいる覚悟を持つんだなあって。

 

 

もどかしさも

戸惑いも

躊躇も

ぜーーーーんぶが、そのまま美しくて、愛おしいんだなあって。

 

 

 

みんな、声があってよかった。

声が出せるってしあわせだ。

 

 

 

声があるから、

 

思いを乗せて、大切な人に、だれかに、届けることができる。

 

 

声があるから、

 

その瞬間の気持ちを、こころを、表現することができる。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

 

極度に、

人前で歌うのを嫌がるひとだった。

 

 

鼻歌とか、1人で歌うのはすきなのに、

 

 

人の前でってなったら絶対イヤで、

 

カラオケでも歌わないし、

歌う羽目になったら必ず誰か道連れにするし、

仲良い子と2人のカラオケですら、

一緒に歌おうってなるくらいに、

 

 

わたしは人前で歌うことに極度の抵抗があった。

 

 

 

でも今日!!

 

人生で初めて!!

 

ひとのまえで!!

 

1人で!!

 

歌った!!

 

しかも、見学での参加だったはずのに!笑

 

 

どりちゃんのすてきな伴奏つきで。

 

 

足が震えるのがわかってたから、

よりリラックスできるよう

座って歌うことを選んだ。

 

 

あんなに立ち姿の姿勢のこと指導してくれたのにごめんね雄也くん。

 

 

 

 

かすかな、

喜びや、

うれしさを、

 

大きな大きな

緊張や

恥ずかしさ

の中でも

 

感じることができた。

 

 

きっと、人がいる前で、

 

わたしが、

わたしらしく在る覚悟をして、

 

 

それをそのまま声にのせれたら、

 

 

それはおおきな、おおきな、

何か光のような、あたたかいものに

包まれるような、

居心地のいい

そんなところにいく。

 

 

 

 

初めて味わった感覚だったなあ。

 

 

 

 

わたしが、歌うことができたのは、

この場にいた、ひとりひとりのあたたかな心、そして、紛れもなくあかりんのおかげ。

 

 

参加者は直とあかりんの2人だった。

 

 

 

 

まだ19歳だか20歳の

大学生のあかりん。

 

 

ここまで、なんとなーく、それなりに生きてこれて、でもどこか、物足りなくて、誰かや何かを見てるだけじゃ嫌で、葛藤もありながらの大きな一歩だった。もっと自由に表現したいって、強い思いを持ってた。

 

 

そんな彼女が、

何回か人前で歌って

休憩に入った時に、

 

「体がガクガクする」

「緊張する」

 

と言って、どりちゃんに抱きついて涙を流してた。

 

 

わたしはその姿を見た瞬間に

あかりんに抱きつきに行ってしまった。

 

 

 

 

あかりんの気持ちがわかるから。

足が震えるのがわかるから。

体がガクガクするのがわかるから。

歯がカクカクするのもわかるから。

 

 

 

わたしも緊張しすぎて

なんかすごいところにいくと

そうなる。

 

 

でもそこで、

 

 

それを素直に言葉にできて、

人に寄りかかることができること

 

 

それって、

ものすっっっごい、素直さと勇気なのよね。

 

 

 

もうその姿グッときてしまって、

愛おしいなあって気持ちと、

わたしが泣いてしまいそうな気持ちと

入り混じりながら、

あかりんの背中をさすっていた。

 

 

 

 

強がることもしない。

 

平気なふりもしない。

 

誤魔化すこともしない。

 

 

それって、ほんとうにたいせつで、

ほんとうに勇気のいること。

 

 

 

 

わたしは、

その彼女の姿を見て、

抵抗が残りながらも、

歌うことができたのだと思う。

 

 

 

 

 

歌い終わったあと、

直が、抱きしめてくれて、

うれしかった。

 

 

 

直が歌ってくれた「おかえり」も、

届きすぎて

溢れすぎて

のっかりすぎて

最後は涙が流れた。

 

 

 

 

歌いながら

直がわたしを見る、その目は、

 

 

純粋、そのもので。

 

200%に、ピュアな、こころ、愛。

 

 

 

 

こんなしあわせなことってあるのかなって、

ほんとうに有難いなあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな言葉があってよかったね。

みんな声があってよかったね。

 

 

 

 

言葉があるから、

伝えられる。

 

 

声があるから

届けられる。

 

 

 

 

わたしは最近、

直との間で、

 

 

【思っていることを言葉で伝える】

 

 

ってことの、トライをしていて、

 

 

 

小さい頃、

わたしは一切言葉を喋らない子だったように、

 

「無」でいること、

が、わたしを救ってくれていた時があった。

 

 

どんな感情も、言葉も、

「無」でいることが、そのときの、

わたしがわたしを守るすべだった。

 

 

 

今でもその名残があって。

 

直とやりとりをしてるときや、

けんかをしているときに、

 

突然この「無」が顔を出す。

 

 

 

 

そうすると、もう、なにもない。

 

 

なーーーんもない世界になる。

 

 

 

なにを聞かれても、

なにも響かなくて

なにも働かなくて

なんの言葉も出てこない。

 

 

そんな時がよくあった。

 

 

ちなみにこの「無」は

 

瞑想中にも出てくる。

 

 

だから自分の持つ、ひとつの、立派な反応なんだなあって、思ってる。

 

 

 

 

でも、いまは、トライしてる。

 

 

わたしいま、なにを感じてる?

わたしいま、なにを思ってる?

わたしいま、なにが言いたい?

 

 

って。

 

 

 

わかりやすくて、

 

わたしは、

 

何か言葉を飲み込む時

何か感情を飲み込む時、

 

 

のどがいがいがする。

 

 

だからそのいがいがを取ろうと、

 

奥の舌を動かして、なんか喉をなでるというか、なんて表現したらいいかわからんけど、

無意識に、体が、それをする。それが合図。

 

 

 

 

 

んで、

 

 

最大に

究極に

 

飲み込んできた言葉ってのが、

 

 

 

『愛してよ!!!』

『わたしの方見ててよ!!!!』

『わたしから離れないでよ!!!!』

『どっか行っちゃわないでよ!!!!』

 

 

 

それが、猛烈な怒りとして、

デストロイヤーとして、登場してくる。

 

 

この根っこは、お母さんとの関係で、それは過去記事を見て欲しいのだけど。

 

 

 

 

この、猛烈な感情の、猛烈な怒りが

デストロイヤーが、

 

 

今回の直との北海道旅で、

バンバンに登場して。

 

 

 

お互いに、

頭叩きあったりもしたし、

 

わたしが運転中、

後ろを見ずに本気で投げた水筒が

直の頭に当たったりもしたし、

 

出てってどっかいく直を引き止めようと

肩にかけてるカバンを引っ張ったら

ひもちぎれたし、

 

直は、車を蹴ったりしてた。

 

 

 

お互いに、

 

封じ込められてきた感情が

デストロイヤーとともに、

爆発するように、でてきてた。

 

 

 

 

でもいつも、

わたしが、直を泣かせて、その戦いはおわる。

 

 

直はまたどこか片隅に理性が残るけど

わたしは完全にタガが外れる。

 

 

直デストロイヤーが、

茉優デストロイヤーに降参する

 

 

そんな形で、いつもおわる。

 

 

 

 

そしてわたしは、『罪悪感』を持ってくる。

 

 

愛する『資格』がないと。

 

 

でももうそれは、いらないんだとわかった。

 

 

少しずつ、行動にも移せるようになってった。

 

 

 

 

超絶に不器用だけど、

転びそうに危ういけど

 

 

それでも、

わたしのほんとうの望みに近い選択を

わたしのなかにある愛に近い選択を

 

 

少しずつできるようになってった。

 

 

 

 

『ひとの愛し方』を

直がわたしを愛することで

教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

押し込められることで

溜め込まれることで、

 

 

素直に出せなくなるのだと。

 

 

そこに、怒りや攻撃が、まとわりついてしまうんだと。わかった。

 

 

 

 

 

「相手がどうだから」とか

「相手がこう言ってるから」とか

「きっと相手はこう思うだろうから」とか

 

 

わたしが相手軸に立ってるうちは、

 

 

言いたいことは言えない。

ほんとうの意味で愛することはできない。

 

 

【傷つくだろうから、言わない】

 

 

それは、優しさではない。

 

 

 

 

わたしがわたしの中の、

快・不快に素直になること、

 

 

 

 

 

それで相手が傷つくことがあっても、

それは必要な傷だということ。

 

 

 

 

 

「相手が傷つくだろうから」

ってのは胸糞悪い言い訳で、

いい人ぶりたいだけ、

その結果を負いたくないだけというか。

 

 

 

それは、わたしひとり、自分ひとり、が

かわいいだけで、

 

2人の関係には、不誠実。

 

 

 

 

ほんとうの、パートナーシップって、

生半可なものじゃないというか、

やわらかくて、やさしいだけじゃ、

成り立たないんだとおもう。

 

 

 

覚悟もするし、傷も負うし、負わせるし。

 

 

 

それでも、

感じてるままを、

ありのままを、

 

1人の人間と

1人の人間が

 

 

たいせつにすること。

 

 

その先にしか、

 

 

心地のいい関係はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も何度も解散しかけたわたしたち。

 

 

 

その過程での、

 

 

すべてのできこと

 

すべての感情が、

 

大切で、かけがえのないものなんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでも、

 

100%ってさいこうなんだな

 

って。

 

 

例えそれが、怒りだとしても

 

 

 

100%に怒ってたらそれは最高だ。

 

 

なんでも、100%に、MAXに生きること、

 

そのときの感情を、感覚を、味わい尽くすこと、

 

 

 

それが、『生きる』ってことだし、

それが『生きがい』になる。

 

 

 

 

 

 

こんなにもキレることを、怒ることを、

自分に許せているということ、

それを出し切っても

大丈夫だと、相手を信じれていること

 

それって、さいこう。

 

 

 

 

 

何かをすれば

何かになれば、

 

生きがいって、得られるものじゃないんだろうなあ。

 

 

 

 

全ては状態。beingで。

 

 

doiogはそのための手段でしかなくて。

 

 

 

 

 

人はみな愛を体験しに、

この地球に生まれてきてて、

 

 

 

愛されること、

愛すること、

 

 

それを、学び体験していく。

 

 

 

 

 

愛されたいって、

その声が、強烈な感情となって、

強烈な怒りとなって、

叫ばれてるんだなあって。

 

 

 

 

そうに思えたら、

 

 

自分のデストロイヤーも

 

直のデストロイヤーも、

 

愛おしむことができる。

 

それができてる。

 

 

 

 

 

 

 

つい昨日、直と、もののけ姫を見た。

 

 

サンにプレゼントした、

刀みたいなネックレスで、

アシタカが傷つけられても、

 

アシタカはサンを抱きしめる。

 

 

そのシーンを見たときに、

 

わ、これ直だ、って思った。

 

 

 

 

相手の攻撃に

相手から負われる傷に

 

 

愛で返す。

 

 

 

 

 

それって、誰にだってできることじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

あとそういえば、

 

わたしたち大発見して、

 

 

直の男性性と

茉優の男性性は、仲良くなくて、

 

 

 

茉優の女性性と

直の女性性も、仲良くない時がある。

 

 

 

それはつまり、

 

 

茉優も直も、

 

それぞれの中の

 

 

男性性と女性性の開花と統合がされてなくて、バランスが取れてないってこと。

 

 

 

 

これによる、現象、現実を、たくさん目にする。その度にそれを、教えられて、それが面白い。

 

 

 

 

 

あんなにも、

「もっと愛してよ!!」

「もっと受け取ってよ!!」

「もっと与えてよ!!」

と、ぶつかり合ってたわたしたちも、

 

 

 

気づき、学び、今はまた新しいところに立っている。

 

 

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直の前でわたしが先に寝ること、

起きてる直の横ですやすや寝れてること、

それが新しかったね。ってときの直が撮ってくれてた写真。

 

 

 

 

 

わたしってつくづく、

どこまでも、細部にわたって

相手軸だったんだと

それが染み付いてるんだと、

痛感させられた北海道旅でした。

 

 

 

そして、どこまでも本気でぶつかりあって、本気で愛を交わし合った北海道旅でした。

 

 

 

 

生きててくれて、ありがとう、直。

ともに生きてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

また今日から直と離れて、

わたしはひとり瀬戸内海の豊島へ。

 

 

 

家探しと1年ぶりのバイト。

 

お金を稼ぐということ、

働くということ、

 

わたしは何を感じるかな。

恐怖をどれだけ味わえるかな。

 

次のテーマは、「おかね」かなあ。

 

豊島でいっぱい味わってこよう。

直とのお産。屋久島から北海道へ。

 

今、北海道の、北広島を出発した。

 

道東の知床を目指している。

 

直と、軽バンに、布団を積んで。

 

 

 

 

 

 

屋久島から、北海道。

 

 

わたしにとっては大きな決断だった。

 

 

 

 

 

大きな決断だけど、

 

そうでしか、あり得なかったというか、

 

必然中の、必然、みたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何から話したらいいかわからないけど、

 

まず、ひとつずつ。

 

 

 

 

わたしが屋久島にいる間、

 

わたしと直は、物理的に離れていた。

 

 

 

 

 

直が、まぐあってくれる男性を募集する

投稿をFBでして、その結果興味を持ってくれて、会うことになった男性がいた。

 

 

 

わたしは、

 

直が、その男性とせっくすを

するかもしれないという覚悟というかを、

1人屋久島でしてたなあ。

 

 

 

 

その結果、

直には大きな気づきがあった。

 

 

自分の中にあった決めつけや固定観念

自分の中の女性性を開くためには

男性が必要で、男性器が必要、という概念を持っていたこと。

 

自分をないがしろにしてしまっていたこと。

その男性と会ったあと2日間くらい、

直は、落ちに落ちていた。

 

 

そして、本当の望み。

 

 

 

 

 

あ、結局その男性とせっくすは

しなかったけど、

 

ハグや体に触れることはしてて、

直から男性にキスをしようとしてみたこともあって、でもなんか無理で、キスはできなくて、

 

 

 

って、

 

 

なんでそんながんばるん!!!?

 

 

て直に思った。

 

なんで『頑張って』キスしようとする?

なんで『頑張って』せっくすをしようとする?

 

 

 

 

これが、そのやりとりの

直から茉優へのLINE

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ハグした
涙が出た

ちんこ触らせてもらった
ズボン越しに


オッサン臭かった
全然好きにはならないと思った


目の奥には優しさや寂しさが見えた


乳首触ってほしそうだった

嫌だなと思った


頑張って試しにキスしてみようかと思った


でも何かキツかったから
出来なかった

 

私がしたいソレ全部は
茉優なのにって思った

 

どうしていいか分からなくなった

 

茉優のこのLINEにたまらなく泣いた


北海道一緒に行かない?

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

わたしの中では、

その『頑張って』やることが、

理解できなくて、

少し、直に対しての

 

悲しみと怒りがあったんだなあ

 

って、今この文章を書いてて気付いた。

 

 

 

 

だから、わたしは、

直の

「北海道一緒に行かない?」

 

ってお誘いを断った。

 

 

距離もすごいし、お金もかかるし。

 

 

その、北海道っていうのは、

昨日あったイベントのこと。

 

 

 

《オーガズミックバース》

 

 

触れ合いや、安心や、愛、信頼

 

の中で、リラックスした状態で

 

自分を開ききった状態で

 

するお産は、気持ちのいいものなんだ

 

ってことを、教えてくれる上映会&イベント。

 

 

 

 

わたしは、わたしの中で、

 

 

「お産とか、まだ早いし」

「自分が子どもなのに、子どもを産むのは想像がつかない」

 

 

だから、

このイベントに、わたしは、行かない

 

 

って思ってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、わたしがしたいこと

 

 

それは、

わたしの好きなひとたちと

わたしの大切なひとたちと

自然の中で生きること。

 

 

人と人とがつながる瞬間を、

たくさん、経験すること、目にすること。

 

 

それがしたいこと。

 

もっと言えば、

 

直と生きて

直と関わって

直と触れ合って

直とまぐあって、

 

 

って考えたら、あれ?

 

その先に、つながるものなんだ!って気づいた。

お産が。

 

 

 

 

延長線上のものだったって気づいた。

 

 

そうしたら、

 

直の北海道一緒に行かない?

 

って言葉も、見え方が変わってきて、

 

 

 

ただ、茉優と一緒にいたいから、

茉優と時間を過ごしたいから

 

だから、北海道一緒に行こうって

誘ってるって

 

受け取ってたけど

 

そうじゃなくて。

 

 

 

 

直は、

「あの、オーガズミックバースの

世界観を、茉優と共有したいんだ」

 

って。

 

そう言ってくれた。

 

 

オーガズミックバースすごいの。

 

出産までの時間も

産むその瞬間も、

 

パートナー

産む妊婦さん

 

の間に、

 

 

ものすんごい信頼関係と、愛、が存在してて。

 

 

 

キスをしながら、

ハグをしながら、

肌に触れ合いながら、

抱きしめ合いながら。

 

 

 

わたしからしたら、

 

これ、

《まぐあいながら、子ども産んでるなあ》

って。

 

そう思った。

 

 

てか、

 

まぐあい

から、

生命が生まれて、

 

まぐあい

ながら、

生命を産む。

 

 

 

なんじゃこりゃあ!!

 

ってくらいにその営みを美しいと感じた。

 

 

 

 

そして同時に、

その美しい営みを、

その感覚を、

 

わたしは、知っている

 

とも思った。

 

 

 

 

いつかのブログでも書いたけど、

 

直とのまぐあいの中で

わたしが感じたもの

わたしが味わったもの

 

 

まぐあいって

すごいものなんだな

って、

 

まぐあいって

すごい境地があるんだな

って。

 

 

 

 

女性同士で、

精子卵子なく

 

妊娠する人

子どもを産む人がいる

 

って、最近聞くようになったけど、

(それを宇宙妊娠と呼ぶらしい。)

 

ありゃ、できるわ。

 

 

って、思う自分がいる。

 

 

 

それだけ、

 

開ききった女性性と、

開ききった男性性と、

大きく、深い、愛は

 

壮大なパワーがある。

宇宙そのもの。

愛そのもの。

光そのもの。

 

 

 

 

人間とかいう枠を超えている。

 

 

 

 

わたしの中にある、

女性性と男性性。

 

 

直の中にある、

女性性と男性性。

 

 

 

茉優  女性性

直  男性性

 

は、もう、一度融合したのだと思う。

 

 

 

次のステージは

 

直 女性性

茉優 男性性

 

 

が、交わって融合するとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋久島から、成田への飛行機の中で、

 

 

ふと、思ったことがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは与えられてばかりで

受け取ってばかりで、

愛されてばかりで、

 

いったいどれだけ、

与えることができてるだろう

 

いったいどれだけ、

愛することができてるだろう

って。

 

 

 

この世はいったいどれだけ

愛で溢れてるんだろう

って、

 

涙が流れたんだよね。

 

 

 

 

 

もし命が尽きるとしたら、

愛されて喜んでうれしくて、

ありがとうって、感謝して死ぬのもいいけど

 

 

わたしは、

なんか、

 

愛したいって、

愛し尽くしたい

 

って思ったんだよね。

 

 

というかもう、

満たされたんだと思う。

 

 

まだ、昔からの自我の癖やパターンは

持ち続けてるけど、

 

 

たっくさん

愛に触れて、

 

たっくさん、

愛をみて、

 

たっくさん、

愛を経験して、

 

たっくさん、

愛されて、

 

たっくさん、

愛を受け取ってきた。

 

 

 

 

 

「受け取る」という、

《女性性》が開いて、満たされて

 

 

だから次は

「与える」という、

《男性性》をひらくとき。

 

 

 

 

直はちょうど、まさに、

「受け取る」という

《女性性》を開こうとしているところにいる。

 

 

 

 

まずは、

それぞれの人間の中にある

女性性と男性性が統合されて、

 

そのあとに、

パートナーとの統合があるんだろうなあ。

 

 

そんな中に、いま、わたしはいる。

わたしたちはいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ?だーーいぶ、話が逸れたけど、

 

 

言いたかったのは、

 

 

 

わたしが屋久島にいて

 

 

直が群馬にいて。

 

 

せっくすしてみたいと募集をして

男の人とそういうやりとりがあって。

 

 

 

 

それ、

ぜーーーーーーーーーんぶ、

必要だったんだよね。

 

 

 

 

物理的に離れることも

 

 

男の人とそうに関わってみることも

 

 

それがあったから、

生まれたわたしたちのやりとりが、

本当に本当に大切で、

かけがえがなくて。

 

 

 

 

わたしたちの繋がりを

強い結びつきを、

 

思い出させてくれた。

確信に変えてくれた。

 

 

 

 

 

 

屋久島から成田に飛んで、

成田に直が、

わざわざ群馬から迎えにきてくれた。

 

 

 

会った時はまずうれしすぎた。

 

 

1人の人間と、

1人の人間とが、

 

ともに

「会いたい」って、

思い合えること。

 

 

 

その気持ちのままに、

2人ともが行動を、起こすということ。

 

 

 

 

そして、

わたしは南から

直は北から、

 

1つの場所をめがけて、

足を体を運んで。

 

 

ふたたび2人が会えるっていうこと。

何事もなく。

 

 

 

 

それは超絶な奇跡。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに会った直は、

 

 

同じようで違くて

違うようで同じ人。

 

 

そんな感覚だった。

 

 

 

 

 

 

そして成田から青森まで行って

青森から、フェリーに乗って函館入りして

函館から、札幌を目指して

 

 

無事に目的のイベントに、

参加することができた。

 

ずっと会いたかったまゆみちゃんにも会えた。

 

 

イベントの、

オーガズミックバースのこと、

お産のこと等々は、

またそれ用にブログかこーっと。

 

 

 

わたしたちが子どもに出会えるのは

いつになるかな〜

 

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神聖だった、屋久杉。

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(きれいにとれたハート)

 

 

 

 

すごくすごくよかった。

 

 

 

縄文杉にたどり着くまでの、

8時間のトレッキング。

 

 

 

 

ほんとにジブリみたいで、

作られたものでも

美術でもなく、

 

 

いま

わたしの目の前に確かに存在してて、

自然たちは生きていて、

それを自分の目で「見る」ということ

 

 

ができてることが、

 

すごくすごくうれしかったなあ。

 

 

 

 

 

岩の感じ、

こけのかんじ、

草の感じ、

落ち葉の感じ、

空の感じ、

太陽の感じ、

木漏れ日の感じ、

川の感じ、

木のベンチの感じ、

木の鶴の感じ、

 

 

 

 

 

ぜーーんぶぜんぶが、さいこうだった。

 

 

 

 

 

ロッコ道の途中までは、

1人でトトロを歌って歩いてた。

 

 

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シカさんにも会ったよ。

 

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『人が祈る姿が1番、美しい』

 

 

ってことば、

よく聞くけど、

 

 

 

 

神聖で

美しくて

厳かな

 

ものを前には、

 

 

人は自然と、

 

手を合わせる生き物なのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

 

反射的に、

無意識的に、

 

心を奪われた杉の木を前に

 

 

ふと、なんの気もなしに、

手を合わせている自分がいた。

 

 

そして

「ありがとう。あいしています」

 

 

と、つぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロッコ道おわって、

山道入ってからは、

 

「絶対にこれがゴールの縄文杉でしょ!!!」

 

って何度も思った。

 

 

だって、風貌、風格が、でているんだもの。

 

 

 

ものすごいものを放っている。

 

 

 

 

なのに、その先にもまだ道が続いている。

 

 

 

ん〜〜ということは、まだこれは、

縄文杉(=ゴール)ではないのかあ、、

 

 

 

 

その繰り返しだった。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それくらいに、

世界遺産区域に入ってからは、

 

 

 

空間のもつパワー、エネルギーが

すごかった。

 

 

 

木からでてるものが、あまりにも、神聖で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、

23年間生きてきた中で、

いっちばん、時間も距離も、

歩いた日だったんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に広がる

 

ひとつひとつの、いのちに、景色に

 

励まされながら、

 

足の痛みを感じながら、

 

呼吸を感じながら、

 

たまに音楽を聴きながら、

 

 

 

歩いてたそのときに、ふと、

 

 

 

 

 

どこまでも続く自由を、

 

際限なく広がる自由を、

 

感じた。

 

 

 

 

 

自由が、わたしの中の宇宙に、

 

 

めいっっっっっぱいに、

充満してることを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間に、涙が出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で自分を『不自由』にしている、

 

ということは、

 

あたまでも、わかっていた。

きっと実感でもわかってた。

 

 

 

 

それとは真逆の

 

 

自分で自分を『自由』にする

 

 

この感覚。

 

 

 

 

「めちゃめちゃ自由やーーーーーー!!」

 

 

って叫んだ。笑

 

 

 

 

 

うれしくて

心地よかった。

 

 

 

 

 

 

ここまでのプロセスのひとつに、

【失恋と片思い】っていう、

直との関係のことがあって、

それはまたべっこで、ブログに書こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの、感覚なんだとおもう。

 

 

 

 

どこまでも自由が広がる感覚。

 

 

それにうれしくて、涙が出る感覚。

 

 

 

豊島に行った時も同じ感覚があったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは、今回1人で行ったのだけど、

 

 

時間の過ごし方、

人との出会い、

 

 

1人で行ってよかったなあとほんとうに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道中お昼寝したり、

川でぼーーっとしたり、

いい感じのところでおにぎり食べたり、

平らなところで横になったり、

そしてゴキブリ体操したり(仰向けで手足ぶらぶら)、

歌をひとりで熱唱したり、

疲れたときはちびちびゆっくり歩いたり。

(そしたら、おじさん「疲れてるのか?」って声かけてくれて、きれいな川を教えてくれて、すてきな景色と出会えた!)

 

 

 

 

 

 

 

 

前回、群馬の岩櫃山ってのに登ったんだけど、

 

 

あの経験、これのためだったのね!!!

 

 

ってすごくなった。

 

 

 

 

あのときは、恐怖ばかりみてた。

 

 

 

 

 

でもそんなんじゃ、

1人で山なんて登れないって、

坂爪さんのタイムリーな言葉があって、

 

 

 

 

結局は、

 

自分に自分で、どんな話を聞かせるのか。

自分に自分で、どんな世界を見させるのか。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

 

いける、大丈夫。

 

 

って。

 

 

 

〜かもしれない

って、不安&恐怖は、とっぱらった。

というか、選ばなかった。

 

 

 

 

 

 

そしたら、前回の岩櫃山とは、

 

まっっっったく違う感じに登れて、

 

 

 

 

でかい岩だらけの、

木のツルだらけの、

急な山道に、

 

わくわくして、るんるんと、とんとんと

登ってる自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもしろかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうに、いい経験になりました。

ありがとう。

 

 

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香港の人が撮ってくれた写真

 

 


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帰り道の夕焼け

 

あれれ?最高で完璧だったじゃん!!

 

 

私が1年くらい前から

尊敬してていつも背中を押してくれてた存在に

まゆちゃぱうぉにか さん  がいる。

 

 

等身大にめいっぱいに全開で生きる姿

彼とのセックスレスによるあれこれを

堂々と清々しく文章にする姿

 

 

に、いつも、いい刺激をもらっていた。

すてきな人だな〜って思っていた。

 

 

 

 

そのまゆさんが、[ここまっぷ]っていうのやってて、

http://chapawonica.hatenablog.com/entry/2018/09/18/111458

 

それを千葉に行ってやってもらった。

 

 

 

というか、正確にいうと、

会いたい人に会いたくて

ここまっぷやる直についてったら

その後の変容が見事なもので

わたしもやる!と急きょ決めた感じ。

 

 

 

 

 

 

ここまっぷは、自分の中にある・いる

チームメイト(キャラ的な)や、感情を

一つ一つ見ていく。

 

 

 

 

わたしは、このブログのおかげか、

直との濃密なコミュニケーションのおかげか

自分のことをある程度認識できてて。

 

 

 

あとは、チームプレー、連携のところだねって、話してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

0か100かの極端な人間なんだけど、

まゆさんと話してるうちに、

 

 

100のわたしは最高で、そのままでいいけど、

 

【0のわたしは、最高ではなくて、

努力して1〜99にいけるのなら

行ったほうがいいかも、、?】

 

 

って思ってる自分に気付いた!

 

 

 

 

わたしの中の

100のわたし

0のわたしが

 

 

融合してったらなぁ

融合したら今よりいい感じになるかも

 

 

って思う自分がいたんだけど、

そもそも100のわたしの態度が

【分離の姿勢】だって気付いて、

自ら分離させときながら、融合したらなあ

とか思ってたわたしなんなんだ!

てか『今より』とかねぇし!いましかねぇし!

 

 

ってなった笑

 

 

 

 

知らず知らず、

良い悪い   とか

上と下    とかのフィルターを

自分自身に採用してることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

そもそもわたしの

0の世界のすべては、

 

 

あのときに始まった。

 

 

 

わたしが2歳か3歳のころ、

 

 

両親が離婚して、

お母さんとわたし。

お母さんは水商売と彼氏。

あまり一緒にはいなかった。

彼氏の家にわたしひとりでいた時もあった。

 

 

 

ある大雨の日の夜。

雷が鳴ってて怖かった。

1人で寂しかった。

寂しいけど誰もいなくて悲しかった。

わたしはただ、部屋にひとり

テレビの七色を眺めていた。

 

 

 

このとき、わたしは、

地球のなかで「点」(=壮大な孤独感)であることを突きつけられた。

 

「点」でしか、あらざるを得なかった。

 

 

 

さみしいよって

かなしいよって

こわいよって

子どもが子どもらしく、

純粋な感情をそのままに感じて出してたら

そこには誰もいなくて

感情の行き先がないから、

どうにかなっちゃいそうで、

 

 

だから【無】ってのがでてきて、

無のお兄ちゃんのナイフくんにより、

ぐさっと、突き刺されて

そのとき、

胸は、こころは、いたいけど、

 

 

 

痛いってことは、あなた生きてるってことだよ

 

 

 

って。

 

 

 

 

ここにいるよ

 

 

 

って。

 

 

 

 

 

生きてね

 

って。

 

 

 

 

そう教えてくれていた。

 

最後の砦だった。

 

 

 

 

 

このナイフくんによる、胸の痛みは、

彼氏と別れる時に出てくる感覚と一緒。

 

 

 

 

 

そう考えたら、

【あの感覚】えぐられるような、胸に突き刺さるような、あれ。

 

それは、

あなた生きてるよって

ここにいるからねって

伝えてくれて、

その正体は《愛》だったんだと気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは自ら、0にして、

ひねくれて、孤独を味わうのだけど

 

 

それも、あえてしてるというか

わざとしてるって感覚がいつからかあって、

 

 

それは、ここにナイフくんが

ぼくはいるよ〜〜って

監督(わたし)気付いて〜〜って、

 

 

そう、訴えてくれてたんだなあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球のなかでたったひとつの点。

壮大な孤独を味を知っているからこそ、

 

 

わたしは、人とつながることの喜びを

泣くほど知っている。

 

 

そこらじゅうに溢れてる愛を

見ることができる。それに感動し、感謝することができる。

 

 

 

2つは必要不可欠だった。

 

 

 

これがわたしのチームだった。

 

 

 

 

 

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わたしは、そんなチーム小林茉優を

引き連れて、

目の前の人と、『どうしたいか?』

ってところ。

 

 

 

 

人と、他人と、つながることも大事だけど、

その前にまずは、

 

 

わたしの中にいる、

チームメイトが、手を繋いで、

調和のなかにいれるように、

わたしは監督として、

この子たちを面と向かって確認する。

 

 

 

あなたいるね って。

こう感じてるんだね って。

ありがとう って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日直と、叩いたり投げたりの盛大なケンカをして気付いた。

 

 

 

 

 

わたしが、

大切な人を、これでもかってほどに

傷つけるのは、

 

 

 

お母さんと2人で暮らしてたときに

しょっちゅう出てきてたわたしの中の

さみしい子ちゃん。

 

「どこにもいかないよね?」

「どこへ行っちゃうの?」

「誰のところにいっちゃうの?」

「ひとりはさみしいよ」

「かなしいよ」

「こわいよ」

 

 

この子は、今もわたしの中にいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなに傷つけてもあなたはどこにもいかない?離れていかない?信じてもいいの?」

 

って、確かめたくて、確かめたくて

 

 

 

傷つけてた。

 

 

 

 

 

それに対していつも直は、愛を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

その度にわたしは、わんわんと泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもいまはね、

監督として、

大切な人を大切にしたい

って思いがある。

 

 

 

 

だから、もう傷つけるのはやめようって思うんだ。

 

 

 

 

これまで傷つけてきた意味を、わけを、

初めて知ったときに、味わったときに

それはもう、卒業だなと思えた。

 

 

 

 

 

ありがとう、ありがとう。

わたしにとって、大切な

意味のあるじかんだったね。

 

 

 

ありがとう、ありがとう。

傷つけられても傷つけられても

愛で返してくれて。

これまでわたしが味わったことのない

愛を味わわせてくれて。

愛をおしえてくれて。

 

 

 

 

 

 

そしてね、こんなにも、

傷つけていながらも、

 

愛していいってこと、

好きでいていいってこと、

 

それに、涙が止まらなかった。

 

 

自分が何をしても

 

愛したい人を

愛せるってこと。

 

 

 

 

それがわたしにとっては

当たり前じゃなくて。

 

 

 

 

 

 

ケンカをした後に、

直の肘や手をマッサージしてるとき、

そのことに、胸が溢れてた。

 

 

 

 

 

 

 

直が直を大切にしてないから

わたしによって傷つくんだ!

 

とか思ってたけど、

 

 

 

『わたしは、確かに、直を、傷つけていました。』

 

 

 

この言葉を、初めて、口にしたわたし。

 

 

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

許してください。

愛しています。

 

 

 

そう、心の中でつぶやいて、眠りについた昨日の夜。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

[お母さんからの愛]を、

あたまでは、わかっていたけれど、

(ここ最近はすごく感じるけど)

過去のことに関しては、

【実感】が、伴っていなかった。

 

その、欲しかった【実感】を、

必死に直に求めてた。

 

 

 

そして、もう、じゅ〜〜ぶんに、

【実感】を感じれた。味わえた。

 

 

 

まゆさんが言ってくれた。

 

「あなたのお母さんは神なんだから、

愛されてないわけないじゃん!」

「神が愛さないわけないじゃん!」

 

って。

 

 

 

 

 

どうとでもとれる過去。

 

 

 

 

自分の心地いい方に、

自分がしあわせだと思う方に

とっていこう。

 

 

 

 

確かなものは

 

わたしが何を感じるか

 

だけ。

 

 

 

 

 

あの人がどうとか

この人がこう言った

 

とかじゃない。

 

 

人の言葉や行動や、社会通念、常識は

不確かなもの。

 

 

 

 

 

 

そう、教えてくれたまゆさん、

ありがとう。 

 

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怒鳴ったら、ひと山越えた話。直を送り出します。

前に見ていた、坂爪さんのこのブログ。

 

「茉優じゃん」と、直に言われていた。

 

 

私は思う。怒りや悲しみの感情『だけ』を押し殺すことは不可能で、それらを封じることは感情全体を封じることになる。ネガティブに蓋をすると、皮肉なことに『ポジティブも絶滅をする』のだ。自分の嫌いに蓋をすると、自分の好きがわからなくなる。怒りを忘れた人間には、冷たい血が流れる。そして末端冷え性になる。

 

怒りはホッカイロである。怒りはネガティブなものではない。怒りは一種の愛情表現である。不機嫌と怒りは違う。憎しみと怒りも違う。怒りは瞬間沸騰的なもので、あと腐れのないものだ。溜め込んだ怒りが腐敗をすると、憎悪や呪詛や不機嫌になる。誰かに対する憎しみを耕す時、それは『自分自身に対する憎しみ』も同時に耕してしまっている。我々は「愛」とか「感謝」という言葉を好んで使う。大事な概念だとは思うが、愛や感謝が「怒りを出すべきタイミングを殺している」場合もある。愛している場合ではない。感謝をしている場合ではない。それよりも怒ることだ。と、そのように感じる瞬間がある。もっと言えば「愛とかなんだとかお利口なことを言っているときより、怒りを爆発させているときの方がよっぽど人間を愛せている」とさえ思う瞬間がある。もっともっと言えば、怒るときに『愛そのもの』になっているとさえ、私は思う。

 

愛とか感謝とか優しさよりも、我々は怒り方を覚えなくちゃいけない。怒り方にはコツがいる。SNSとかでよく見る「あべ死ね」とか言っているタイプの怒りは最低最悪で、絶対に真似をしちゃいけない。真の怒りは切れ味鋭く、尾を引かない。爽快で、潔く、根底に愛がある。怒りを避けることは、自分の嫌いを受け入れるということだ。自分の嫌いを受け入れるということは、自分が「嫌うものそのもの」になるということだ。別に人類全体を愛する必要はないと思う。が、自分が常に近くにいる人間、職場、学校、家庭など、自分の生活の基盤となる場所では、怒りを表明していきたいと思う。

 

https://www.facebook.com/1482349508/posts/10217709765244200/

 

 

 

確かにわたしは怒らない。

 

 

怒鳴らない。

 

 

 

 

あ、でもよくひねくれる

ということはしてて、

 

その、ひねくれの最高潮に

キレることはあるけど、

 

 

 

それも、たまって、たまって、

 

 

爆発したように、

 

 

出る怒りなんだよね。

 

 

 

 

 

『溜め込んだ怒りが腐敗をすると、憎悪や呪詛や不機嫌になる』

 

 

 

わたしのこれまでの

 

 

『ひねくれ』

 

 

って、

溜め込んだ怒りによる、不機嫌じゃん!!!

 

 

 

 

その場、その瞬間、で

 

 

怒ることって、

 

 

 

そうそうないなあ。

 

 

 

 

 

 

なんか自分の中でぐるぐる会話が始まって

結局外に出す言葉は

何もないというか

何も言えないというか、

何も出てこなくなる。

 

 

 

 

 

でも今日、瞬間沸騰的に

 

 

怒鳴った!!

 

 

 

 

 

男性とセックスしたいだの

 

茉優とのまぐあいがどったらだの

 

 

 

 

ぐちぐちと、言い争ってたわたし達。

 

 

 

 

 

 

『これまでの、茉優とのまぐあいはちっぽけだ』

 

 

と、直に言われて、

 

 

 

ちっぽけ=価値がない

 

 

と解釈したわたしは

 

 

 

もう悲しくて腹立たしくて、

 

 

 

 

『行けよ!!!!!!』

 

 

『男のところ行ってこいよ!!!』

 

 

『行け!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 

 

って、本気で怒鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その怒りは、

 

坂爪さんの言う通り、あと腐りのないものだった。

 

 

 

爽快で、潔かった。

 

 

 

 

 

あんな怒鳴ったこと、なかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度、京都のヴィパッサナーセンターにいたときに見た夢で、

 

 

お兄ちゃんと車に乗ってわたしを置いていこうとする、運転席にいるお母さんに対して

 

 

 

 

叩き割るような力で

窓ガラスを叩きながら

 

 

 

 

怖すぎる男みたいな怒鳴り声で

 

 

「おい!!!」

 

「おい!!!!」

 

「おい!!!!!!」

 

 

 

って言ってた。

 

 

 

 

そしてその「おい!」は、

 

 

夢にとどまらず、

 

 

実際に口にしちゃってて、

 

 

 

その自分の怒鳴り声で、目が覚めた。

 

 

 

 

 

目を覚ました時は、

 

信じられなくて

 

自分が自分でなくなったような、

 

そんな末恐ろしい感覚だった。

 

 

 

今思えば、あんな風になることが、

大切ですよ〜〜ってメッセージを

夢が教えてくれてたのかもなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちっぽけって言葉が引き金だったけど、

それも面白くて、

 

 

わたしは

 

[ちっぽけ=価値がない]

 

 

だけど、

 

直が言ってた意味は

 

[ちっぽけ=足りないからもっとして]

 

 

 

だった!

 

 

 

面白いね〜

 

 

 

 

 

 

そして、怒鳴った後は

 

なんだかすっきりして、

 

 

 

 

 

 

てかなんで、

余命半年だったらこれする!

ってのを、いま、やらないの?

 

 

 

って思い出してきて、

 

 

 

 

「茉優には、直を埋める気がない」

 

 

って確定を得てから、

 

男性を探すって、直が言ってたんだけど、

 

 

 

 

 

や、茉優の意思がどうこうに関わらず

 

 

 

 

もうそれやりたいんだから、

 

 

好奇心に勝るものなんてないんだから、

 

 

探しちゃえよ!!

 

 

って思って。

 

 

 

 

別に茉優との間が

どうこうしてからじゃなくたって

 

茉優との関係は、何を決めなくても、

そのまんまにさせときながら

 

 

 

もうあなたは、その一歩を踏み出したらいいやん!!?

 

 

 

って思って、

 

 

というかね、

 

好奇心に勝るものはないんだから、

 

 

直がその、壮大な好奇心を抱いたまま

一緒にいられても、宙ぶらりんな感じなんですよ。

 

 

 

だったら、

 

「一回その好奇心を満たしてこい!

じゃないと何も始まらない!」

 

と、ケツを叩いて

 

命令口調で、直にあれこれ言いだす自分がいた。笑

 

 

 

FBに書いてみなさい

思い立ったが吉日だから、今から書きなさい

ほらケータイどこ!

 

 

って笑

 

 

 

 

あんなに、

「男性とセックスがしてみたい」

という直に対して

 

ひねくれて、ぶつけて、怒って、

泣いて、突き放そうとしてたわたしが

 

 

 

 

直のその願望、好奇心に、

応援的になり、

尻を叩く

 

 

その姿に、あっけらかんとしていた直が

ひとこと。

 

「茉優、ひと山越えたね、、、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

越えたわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、軽くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして直は、いま、となりで、

Facebookに、投稿文を打っています。

 

 

これ。

読んであげて。

 

【ダイブする私と手を繋いで下さい!】
〜素敵な人に届きますように〜

 

私、余命半年なので(仮)、

思いきって、飛びます。

私と、まぐあってくれる男性を探しています。

 

【私】

私は今まで一度も経験がありません。

 

今までの相手は全て女性で、今も女性のパートナーがいて、彼女との関係は私にとってかけがえのないものです。
私は彼女を性的に丸っと受け入れられるようになりたいと思い、現在進行形でトライ中です。男性とまぐあってみたいという願望が、引っかかりとなってしまっているように感じます。

 

私はずっと女性扱いされることに抵抗を感じてきたし、女性として男性とセックスすることがこの世で1番怖いことです。

 

 

小学生の頃から胸を潰してきたし、5年ほど前におっぱいはとってしまったので、
胸はかわいそうな感じになってしまいました。

猛烈な恐怖や不安に襲われる度に過食してしまう習性があるため、(今まさに過食期)お腹はたぷんたぷんでだらしないことになっております。

頭が大きく、手足が短く、胴がでかい。
ドラえもんと言われる度に実はとても傷付いてきました。
男としても女としてもこの体を求めてくれる人なんていないと思って生きてきました。

男性ホルモンの注射を5年ほど打っていたので、 脇毛やすね毛、大事なところの毛など、かなり豊富です。私は気に入っています。

 

不恰好な私が女としてセックスしたいと男性に求めることに、
私は猛烈に惨めさを感じています。

 

 

そんな私もぜーーーーーーーーんぶ道連れに一歩を踏み出すと決めました!!!!!

 

 

【そんな私が男性とセックスがしてみたいと言い出したのは…】

 

自分の命が余命半年だったら…という企画に参加した時に、
一番に出てきたやりたいことだったから。。。。

 

イベントではノリノリだったものの、
家に帰って得体の知れない猛烈な不安に襲われて、
得意の過食とテレビ&動画漬けの時を過ごしました。


そんな日を丸2日ほど送っていたところ、
ケンカをしまくっていたパートナーの茉優から、ついに痛烈な一言が。

 

 

「一回好奇心を満たしてこい。そうしないと何も始まらない。」

 

 

私が男性とセックスをしてみたいと言う度に、泣いて拗ねたり、キレたり、モノを投げたり、していた彼女から出た、

 

キレッキレの言葉。

 

 

私は遂に動かざるを得なくなりました。

 

 

そうなんです。

 

私は男性とまぐあってみたい。

その最中に私が何をどう感じるのか。

気持ちいいのか痛いのか。

満たされた感じになるのかならないのか。

見える世界はどうなるのか。

苦手な男性が敵から味方に変わるのか。

女である私を私は愛せるようになるのか。

茉優との関係はどんな色になるのか。

死にたくなるのか。

それとも、
なーーーーーーーーーんにも変わらないのか。

 

なんだか分からないけど、
とりあえず死ぬ前に一回、体験してみたいのです。

 

 

何よりも、

どんなに否定し続けても私の中に間違いなくいる《女の私》を

男性に受け入れてもらってみたいのです。

 

 

 

全ての自分を抱きしめて
今、
投稿ボタンを押します。

 

恐ろしく勇気のいることではあると思いますが、
もしピンと来た方がいましたら、メッセンジャーで連絡下さい。


お待ちしています。

 

愛を込めて

 

 

https://www.facebook.com/100006023828466/posts/913995385477914/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずーっと直は、

 

「怖い怖い」って、

「何が怖いのかわからない」

 

って言ってるけど、

 

 

あなたは、

 

 

 

あなたが、

あなたを、

女性として受け入れきることが、

怖いんでしょう?

 

 

 

誰よりも否定してきた

あなたの女性の部分を

認めてあげるのが怖いんでしょう?

 

 

 

 

怖くて怖くて仕方なかったけど、

本当は男性に、

そのまんまの女性の桑原直子

として、

受け入れられたかったんでしょう?

 

 

 

 

 

 

死を目前に(仮)、出てきた

いっちばんにやりたいことが、

それなんだから、

 

それをしなさい。

 

 

 

 

男性に身をゆだねてみなさい

受け入れられてみなさい

その、

「男性に受け入れられてる自分」を

受け入れてみなさい

 

凹凸を、からだが求めてるままに。

 

 

女性として、

感じること、を味わい切ってきなさい。

 

 

 

その先に、

あなたが、女性の体をもって、

生まれてきた意味が、

 

そのしあわせが、よろこびが、

 

あるのでしょうね。

 

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男性とせっくすがしたい直

 

 

【余命半年だったら何したい?】

 

 

 

っていう問いに

 

 

1番に出てきたのは

 

 

 

 

 

 

 

男性とせっくすをすること

子どもを産んでみること

 

 

な直。

 

 

 

 

 

一方わたしは、

どうせ半年で死ぬのなら、

もっともっとまぐあって、

まぐあいによる、しあわせや、よろこびを

味わい切ってから死にたい!

 

と思った。

 

 

あとは自分の場所を持ってみたい。

 

 

いろんな人が出入りできて、

泊まりたい人は泊まって

みんなでご飯食べたり

それぞれ好きなことしたり、

なんもルールがなくて

在りたいように在れる空間。

 

 

そんな空間が、自然の中に、

川か海の近くに、湧き水の近くに、ほしい。

 

 

 

この2つが出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夜、【余命半年だったら何する?】イベントから、夜中の1時ごろ、直が帰ってきた。

 

(ペーパーのわたしはサイドブレーキをかけたまま、家から駅まで初めての?1人ドライブをした笑)

 

 

 

大好きなおうちに帰って

茉優と寝たい!

 

 

そう言って帰ってきたものの、

 

 

 

家に着いてからはシリアスな感じに。。

 

 

 

 

というか、また、わたしの中で

0か100かの極端な思考の癖が出てきて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直は、

「女性」として、男性に受け入れられたくて

「女性」として、感じきりたくて

だから[男性とせっくすをする]

 

っていうのが、1番の望みとして、ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茉優との、まぐあいを、いくらしたところで、

その直の中の望み、ニーズは、

埋まること、満たされることは、ない

ってはっきり言われた。

 

 

 

 

その相手は[男性]である必要がある、と。

 

だから茉優には無理だ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しかった。

 

すごくすごく、悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして入る、わたしの極端スイッチ。

 

 

 

 

 

 

 

余命半年だったらそれが1番にしたいんだったら、それしたらいいじゃん!てかそれしてよ!

 

 

(もうこっからは、直の範疇のことを、強いコントロール性を発揮するわたし)

 

 

 

 

わたしとのまぐあいは、

1番の望みじゃないんだから、

 

する意味がない。

 

 

意味がないこと、したくない。

(これは小学生の中から、わたしの中にあるもの。)

 

 

 

男性とのせっくすを実現したいのなら、

もうそこに100%のエネルギーを向けた方がいい。

わたしとのまぐあいしてる限り、

そっちにもエネルギーが向くから、

すぱっと、断ったほうがいい。

 

 

 

 

そう思って、そう言った。

(ぶつける感じではなく、優しめに。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも直に、

それは自分が決めること。茉優が決めないで。

 

 

「直がどうこう、こうしたほうがいい」

 

とかじゃなく、

 

 

 

 

 

茉優の中は、どうしたいってなってるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

そう聞かれて、

 

わたしはただ、

 

 

 

『悲しすぎるから

直とのまぐあいしたくなくなっちゃった』

 

 

 

 

 

っていう、ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひねくれて、そんなことを言って、

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうは、直とのまぐあいがたいせつで、

これからもたいせつにしていきたくて、

 

 

 

 

っていう自分の中の

奥の奥の、ほんとの気持ちを、

 

 

 

 

 

悲しみと意地とで、

 

 

ないことにして、

 

 

 

 

 

 

わたしのほんとうの想いとは、

 

 

まるで真逆な方に

 

 

現実をつくろうとする。

 

(強いコントロール性で)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのモードになってるときのわたしは、

デビル土偶の顔らしい👿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまたまわたしが、

昨日、ひとりで、時間を過ごしてる時に

何気なく描いた絵。

 

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この周りの子たちは

ぜーーいん表情が違くて、

 

 

わたしという人間の中に

たくさんの感情がいて

たくさんのわたしがいる。

 

 

 

そんなことをイメージしながら描いた絵。

 

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そしたら、直の口からも、同じようなことが。

 

 

 

男性とせっくすをしてみたい自分【A】もいるけど、

茉優のことを愛してて、茉優とのまぐあいも大事と思っている自分【B】もいる。

 

 

 

【A】がいるから【B】がなくなるとか、

そういうのじゃない、

 

と。

 

 

AもBも、自分なのだと。

 

 

 

 

 

なーるほどね。

 

 

 

でも、

正直、

 

 

いろんな、ものが、邪魔して、

 

 

AもBも、持ちあわせてる、

そのままの直を、受け入れれる自信がないなあ

 

 

とそのときは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だし、

「逆の立場だったらどうなの?」

(茉優が男性ともまぐあいたい!っておもって男性とまぐあったと仮定。でも直とのまぐあいも大事だよ。ってなったら、そのわたしを受け入れれるの?)

 

と、聞いてみたら、

 

 

 

「それはわかんない」 

 

と。

 

 

 

 

 

ごめんやっぱ、自分無理だわ。。

 

ってなるかもだし、

 

受け入れられるかもだし、

 

 

 

って直が言ったとき、

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、

 

 

 

 

 

わたしの場合も、

受け入れられるって

保証をゲットしてからじゃないと

 

受け入れたくない

 

 

って思う自分がいた。

 

 

 

 

 

わたしは、

直のすべてを受け入れるのに

直はわたしのすべてを受け入れてくれない

 

だなんて、そんなのぜったいやだ!

 

 

 

って、そう思ったわたしがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしって、

なんて条件付きの愛なんだろ〜

てかもはや愛だなんて言えない〜

なんて子どもみたいなんだろ〜

 

 

って思ったけど、

 

 

それもわたしの一部なんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつもの「わたし」がいる中で、

 

 

大事なわたしの一部。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まゆちゃぱうぉにかさん曰く、

[嫌いな自分]ってのは、

自分のために、いっちばん、一生懸命に

働いてくれた子だって。

わたしを守るために頑張ってくれた子だって。

 

 

 

わたしが描いた、

[嫌いな自分]

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これを描きながら、

涙が止まらなかった。

 

 

 

 

その涙は、

 

 

ごめんね、のような、

がんばったね、のような

ありがとう、のような、

 

なんか、

 

労いと

感謝と

愛と

悲しみ or 切なさ

 

 

のような涙だったように思う。

 

 

 

 

あ、ちなみに[好きな自分]は、

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これ。

 

 

あ、結局、シリアスな話し合いをしたのち

 

わたしはいつも通り、

直の

ウォーターベッドのような

ぷにぷに気持ちいいお腹を、

すべすべなほっぺを、

 

さわっちゃった。

 

 

意地が、負けました。

 

 

 

 

 

そして、

わたしのデビル土偶のスイッチがオフになり、

 

直もすやすや眠れた。

 

直の寝息を聞きながら、

わたしもいつの間にか寝てた。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、すべての、わたしを

抱えたまま、歩いていくのだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

条件付きのこどもみたいな、

ひねくれと意地のわたし

 

も、

 

大切に抱いたまま。

 

 

 

 

 

みんなは、

あなたのいのちが、

あと、余命半年だとしたら、

 

 

なにする?

なにしたい?

 

 

 

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