mayu’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

あれれ?最高で完璧だったじゃん!!

 

 

私が1年くらい前から

尊敬してていつも背中を押してくれてた存在に

まゆちゃぱうぉにか さん  がいる。

 

 

等身大にめいっぱいに全開で生きる姿

彼とのセックスレスによるあれこれを

堂々と清々しく文章にする姿

 

 

に、いつも、いい刺激をもらっていた。

すてきな人だな〜って思っていた。

 

 

 

 

そのまゆさんが、[ここまっぷ]っていうのやってて、

http://chapawonica.hatenablog.com/entry/2018/09/18/111458

 

それを千葉に行ってやってもらった。

 

 

 

というか、正確にいうと、

会いたい人に会いたくて

ここまっぷやる直についてったら

その後の変容が見事なもので

わたしもやる!と急きょ決めた感じ。

 

 

 

 

 

 

ここまっぷは、自分の中にある・いる

チームメイト(キャラ的な)や、感情を

一つ一つ見ていく。

 

 

 

 

わたしは、このブログのおかげか、

直との濃密なコミュニケーションのおかげか

自分のことをある程度認識できてて。

 

 

 

あとは、チームプレー、連携のところだねって、話してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

0か100かの極端な人間なんだけど、

まゆさんと話してるうちに、

 

 

100のわたしは最高で、そのままでいいけど、

 

【0のわたしは、最高ではなくて、

努力して1〜99にいけるのなら

行ったほうがいいかも、、?】

 

 

って思ってる自分に気付いた!

 

 

 

 

わたしの中の

100のわたし

0のわたしが

 

 

融合してったらなぁ

融合したら今よりいい感じになるかも

 

 

って思う自分がいたんだけど、

そもそも100のわたしの態度が

【分離の姿勢】だって気付いて、

自ら分離させときながら、融合したらなあ

とか思ってたわたしなんなんだ!

てか『今より』とかねぇし!いましかねぇし!

 

 

ってなった笑

 

 

 

 

知らず知らず、

良い悪い   とか

上と下    とかのフィルターを

自分自身に採用してることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

そもそもわたしの

0の世界のすべては、

 

 

あのときに始まった。

 

 

 

わたしが2歳か3歳のころ、

 

 

両親が離婚して、

お母さんとわたし。

お母さんは水商売と彼氏。

あまり一緒にはいなかった。

彼氏の家にわたしひとりでいた時もあった。

 

 

 

ある大雨の日の夜。

雷が鳴ってて怖かった。

1人で寂しかった。

寂しいけど誰もいなくて悲しかった。

わたしはただ、部屋にひとり

テレビの七色を眺めていた。

 

 

 

このとき、わたしは、

地球のなかで「点」(=壮大な孤独感)であることを突きつけられた。

 

「点」でしか、あらざるを得なかった。

 

 

 

さみしいよって

かなしいよって

こわいよって

子どもが子どもらしく、

純粋な感情をそのままに感じて出してたら

そこには誰もいなくて

感情の行き先がないから、

どうにかなっちゃいそうで、

 

 

だから【無】ってのがでてきて、

無のお兄ちゃんのナイフくんにより、

ぐさっと、突き刺されて

そのとき、

胸は、こころは、いたいけど、

 

 

 

痛いってことは、あなた生きてるってことだよ

 

 

 

って。

 

 

 

 

ここにいるよ

 

 

 

って。

 

 

 

 

 

生きてね

 

って。

 

 

 

 

そう教えてくれていた。

 

最後の砦だった。

 

 

 

 

 

このナイフくんによる、胸の痛みは、

彼氏と別れる時に出てくる感覚と一緒。

 

 

 

 

 

そう考えたら、

【あの感覚】えぐられるような、胸に突き刺さるような、あれ。

 

それは、

あなた生きてるよって

ここにいるからねって

伝えてくれて、

その正体は《愛》だったんだと気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは自ら、0にして、

ひねくれて、孤独を味わうのだけど

 

 

それも、あえてしてるというか

わざとしてるって感覚がいつからかあって、

 

 

それは、ここにナイフくんが

ぼくはいるよ〜〜って

監督(わたし)気付いて〜〜って、

 

 

そう、訴えてくれてたんだなあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球のなかでたったひとつの点。

壮大な孤独を味を知っているからこそ、

 

 

わたしは、人とつながることの喜びを

泣くほど知っている。

 

 

そこらじゅうに溢れてる愛を

見ることができる。それに感動し、感謝することができる。

 

 

 

2つは必要不可欠だった。

 

 

 

これがわたしのチームだった。

 

 

 

 

 

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わたしは、そんなチーム小林茉優を

引き連れて、

目の前の人と、『どうしたいか?』

ってところ。

 

 

 

 

人と、他人と、つながることも大事だけど、

その前にまずは、

 

 

わたしの中にいる、

チームメイトが、手を繋いで、

調和のなかにいれるように、

わたしは監督として、

この子たちを面と向かって確認する。

 

 

 

あなたいるね って。

こう感じてるんだね って。

ありがとう って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日直と、叩いたり投げたりの盛大なケンカをして気付いた。

 

 

 

 

 

わたしが、

大切な人を、これでもかってほどに

傷つけるのは、

 

 

 

お母さんと2人で暮らしてたときに

しょっちゅう出てきてたわたしの中の

さみしい子ちゃん。

 

「どこにもいかないよね?」

「どこへ行っちゃうの?」

「誰のところにいっちゃうの?」

「ひとりはさみしいよ」

「かなしいよ」

「こわいよ」

 

 

この子は、今もわたしの中にいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなに傷つけてもあなたはどこにもいかない?離れていかない?信じてもいいの?」

 

って、確かめたくて、確かめたくて

 

 

 

傷つけてた。

 

 

 

 

 

それに対していつも直は、愛を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

その度にわたしは、わんわんと泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもいまはね、

監督として、

大切な人を大切にしたい

って思いがある。

 

 

 

 

だから、もう傷つけるのはやめようって思うんだ。

 

 

 

 

これまで傷つけてきた意味を、わけを、

初めて知ったときに、味わったときに

それはもう、卒業だなと思えた。

 

 

 

 

 

ありがとう、ありがとう。

わたしにとって、大切な

意味のあるじかんだったね。

 

 

 

ありがとう、ありがとう。

傷つけられても傷つけられても

愛で返してくれて。

これまでわたしが味わったことのない

愛を味わわせてくれて。

愛をおしえてくれて。

 

 

 

 

 

 

そしてね、こんなにも、

傷つけていながらも、

 

愛していいってこと、

好きでいていいってこと、

 

それに、涙が止まらなかった。

 

 

自分が何をしても

 

愛したい人を

愛せるってこと。

 

 

 

 

それがわたしにとっては

当たり前じゃなくて。

 

 

 

 

 

 

ケンカをした後に、

直の肘や手をマッサージしてるとき、

そのことに、胸が溢れてた。

 

 

 

 

 

 

 

直が直を大切にしてないから

わたしによって傷つくんだ!

 

とか思ってたけど、

 

 

 

『わたしは、確かに、直を、傷つけていました。』

 

 

 

この言葉を、初めて、口にしたわたし。

 

 

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

許してください。

愛しています。

 

 

 

そう、心の中でつぶやいて、眠りについた昨日の夜。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

[お母さんからの愛]を、

あたまでは、わかっていたけれど、

(ここ最近はすごく感じるけど)

過去のことに関しては、

【実感】が、伴っていなかった。

 

その、欲しかった【実感】を、

必死に直に求めてた。

 

 

 

そして、もう、じゅ〜〜ぶんに、

【実感】を感じれた。味わえた。

 

 

 

まゆさんが言ってくれた。

 

「あなたのお母さんは神なんだから、

愛されてないわけないじゃん!」

「神が愛さないわけないじゃん!」

 

って。

 

 

 

 

 

どうとでもとれる過去。

 

 

 

 

自分の心地いい方に、

自分がしあわせだと思う方に

とっていこう。

 

 

 

 

確かなものは

 

わたしが何を感じるか

 

だけ。

 

 

 

 

 

あの人がどうとか

この人がこう言った

 

とかじゃない。

 

 

人の言葉や行動や、社会通念、常識は

不確かなもの。

 

 

 

 

 

 

そう、教えてくれたまゆさん、

ありがとう。 

 

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