《見た目の変化》によって生まれる思考。
インドに来て1ヶ月半。
なおが男性ホルモンの注射を辞めてから半年。
順調になおの容姿がグレーになっている。
シータルの友達たちも、
「この人男なの?女なの?」
という質問をたくさんしていたそう。
シータルには、なおの性のこと、体のこと、すべて話した。(これがまたいい語りの時間だった)
シータルはなおの性のことを知っても
あっけらかんと、
なんでもおっけーよ
No problem 👍
と言う。すてきだ。
なおの声は低い。おっぱいもない。
それでも、ここインドでは、
「みな疑問に思うんだなあ」って。
それがすごく興味深かった。
何をもってひとは「おんな」と判断し
何をもってひとは「おとこ」と判断するのか。
そして、なおの近くにいる中でも
ふとしたときに見せる表情が
「きれいだな」と思うことが出てきた。
それは男としてきれいと思ってるのか
女としてきれいと思っているのか、
もうわからない。
ただの、いち桑原直 という人間を
きれいだなと思う。(のだと思う)
でも性の固定観念が強いわたしは
どこか、なおの存在が自分の中で、
おとこゾーンから
おんなゾーンへと
グレーなところにきていたのかもしれない。
↓こっからはぜーんぶいらない《思考》。
それをわかった上でここに残す。
ここ最近頭にあった【何かに対しての諦め】
それは主に3つ。
①自分の持っていた理想のパートナー像
こんないい感じの(やや男女)のパートナーに見られたい。
いよいよ周りから、
すーっと、スムーズに
「男」に見られなくなってきたなお。
自分のなおとの間に抱く、利己的な期待や願望を諦めるという最中にまさに今いる気がした。
②なおに女性として魅力的に見られること
そのさっき言った、なおがきれいに見える瞬間、その瞬間は正直、負けた感覚がある。なおはわたしよりも濁りがなく、透き通っていて、人としてのきれいさや美しさがあると感じている。そこはもう届かない、敵わない、という感覚がある。
そのせいか、
『なおにきれいに見られたい』
そう思う気持ちや、身なりに気を使う度が
関係が始まって以来、いまが1番少ない。
③なおと性的な触れ合いをすること
①と②があってなのか、
なんだか今はなおと性的な触れ合いをすることが全くイメージつかない。それをしたいとも思わない。それはお互いに。
うちらはそういう性的なやりとりがなくても、十分人としていい関係でいれる、という感覚を持っている。
以上3つ。
そんな諦めを頭のどこかに持っていたわたしはなおから見て、死んだ顔に見えたそう。土偶のようだと言われた。
この3つはぜーーんぶ思考。
思考という、どす重たいトンネルの中
光を見れずにいたわたし。
そのトンネル自分で作ってるよ。
わざわざ、自分の生む思考に埋没しにいってる。
それはヴィパッサナーをもって《観察》するだけでいい。
生まれる感情や思考に浸って
それを言葉にすること、
それはよく自分がしてきて、きっと得意としていること。
だから、よーく意識していないと危ない危ない。
なおが女性らしくなることで
ほんとうに
もうわかんなーい!
好きじゃないかもー!
とか、思ってたら、
いま、一緒にはいないだろうから。
そして、人の見た目っていう外側の変化だけで、気持ちが揺らぐということ、
外側だけを見て、その人の変わることのない内側の本質を見つめれないこと、
それはほんとうに酷いことだなあって。
そんな言葉の矢をなおに刺すということは
同時にわたしがわたし自身に矢を刺してる。
でもその一方でこんなにもリアルに見た目が変わっていくことによって、自分の中にいろんなものが生まれるんだなあって。それはそれで面白い。
対「おとこ」だったら絶対に生まれない
対抗心とか。
もう、なおを「おとこ」か「おんな」か、どうに見てるかよくわからないけれど、
なんにせよ、
生まれる抵抗感、嫌悪感、
様々な感情、思考すべてを観察して、
《目に見えない本質》をたいせつにしたい。
2人が惹かれあったわけは、そこ《目に見えない本質》にあると思うから。
【お互いに心地よくて、
心の深いところでつながれる関係】
それがわたしにとっての、なおとの関係での望み。
そのために、自分の中をpeaceful に。
といいつつも、ぜんぜん喧嘩はするし、うまくいかないコミュニケーションばかりするわたしたち。。その何かはどう変化していくのか。