Mi amas vin.

My life is my message

性のこと。

もっと自分だけ愛しちゃお。

『自分がかわいそうだよ』って実感を持って思った日。

そりゃあ、遠い目をするよ。

なんだか抜け殻になるよ。

土偶のような顔になるよ。

 

ここ最近、疲れてた。
なんだか逃げ出したくなってた。

【もっと、ありのままでいたい】そう強く望む自分がいた。

ずっと何かに囚われてた。
それは誰かや何かによるものではなくて、
自分が自分へ作り出してるもの。

 

なにも気にせず
なにも頑張らず
なにも溜め込まず
なにも抑えず
なにも責めず
なにも殺さず

 

生きてたい。そう思った。

ということは、わたしは、

 

なにかを気にして【どう思われるか】
なにかを頑張って【理想の自分であろうと】
なにかを溜め込んで【生まれる言葉】
なにかを抑えて【ストレートな感情】
なにかを責めて【自分】
なにかを殺して【ありのまま】

生きていた。


かわいそうすぎる!!!!!

 


もっとなーんも気にせず、
1番に自分を大事にしてあげよ。
1番に自分を愛してあげよ。

 


堂々と『これがわたしなんです』って
100%の自分で真っ向から向き合えば
それが誰にどうはねつけられても
「あらっ、そうですか♪」
って清々しく去れるから。


自分の大切な人に嫌われるよりも
わたしはわたしを大事にしたい。

 

やっと心から、実感を伴って、そう思えた。

 

誰かの言葉では何度も分かってた言葉。
でもそれは、自分が動く原動力にはなりにくいんだ。
本当に自分の中で実感を持って、なるほど!こうなんじゃん!と思った時に、ひとは初めて動くんだなあって。


自分でたくさん、自分を縛ってたなあーー。

 

 

 

【今日世界が終わるとしたら、今、自分はなにをするか】

その問いかけは、

 

ほんとうに自分が望むもの
ほんとうに自分が言いたいこと
ほんとうに自分がしたいこと
ほんとうは自分がしたくないこと

 

それに気付かせてくれる。


今この瞬間、わたしが選ぶものは、


〈なおとのやりとりで生まれた自分の中のことを文字に起こして、ここに残すこと。〉

 

だからまた、いろんな抵抗感が生まれてるけれど、それを無視して、書いてみようと思う。

 

 

 

 


ずーーーーっと、押し殺して、抑えて、言えなかった思い、言葉、それは


「もっと深いところで触れ合いたい」
「わたしの体を愛して欲しい」
「大事に扱われてると感じたい」
「まぐ愛をしたい」

 

でもそんなの言えなかった。

 

なおは、それを、必要としていないことをわかってたから。

 

なおが持つ、


性的なことへのブロック、
せっくすがなおにとって
いい感じのものに思えないこと、
性的なことをする自分への責める気持ち、
女性器への嫌悪感、

 


それらもろもろが、
わたしとなおとの間に「ギャップ」を生んでいた。

 


わたしはなおとまぐ愛がしたいけれど、
なおはそれを必要としていなくて、
ハグやキスで充分と思ってる。


その状況が辛かった。


「自分ばっかり」
「一方通行だ」
「惨めだな」
「みすぼらしいな」

とさえ、思うときもあった。

 

でもさ、

好きな人がいて
その人と一緒にいたいなとか
その人に触れてたいなとか
自分の体を大事に扱われたいなとか

もっとストレートに言えば

まぐ愛の中でその人の愛を受け取りたいな、感じたいな、想いのやりとりをしたいなあ

ってすんごく、自然ですてきな想いじゃん?


そんな想いで、交わされる性的なことは、すんごくすてきじゃん?

好きな人の手によって感じれること、それを味わえること、すごく幸せなことじゃん?


自分が勝手に、
自分に対して

性的なやりとりをしたいと思うことを

偏見的な目で、よこしまな目で見て
責めてた。

 


なーにしてんだって思うけど、
それが事実、それがわたし。
そんな自分にすら、OKを出していこう。


三大欲求と言われる「性欲」
わたしにとっての、その言葉の本質は
【人とつながりたい欲求】なんだと思う。

 


その欲求はなおも持ってる。2人とも同じものを持っている。

 

でもそこでなおは、
人とつながりたい欲求が性欲という存在によって、邪魔されてしまう、壊されてしまう、と感じている。

 

わたしは、
人とつながりたい欲求というものが、性的なやりとりによって、深いところで満たされると、感じている。
自分にはその実感があるから。確かな実感を持ってるから。

 

なおとのまぐ愛の時間に
生まれて初めて感じた感覚、
自分の体に起きたこと、
それが自分の中の確信になってる。

 

 

人間ってすごいんだなあ!

 


こんなやりとりができるんだなあ!

 


せっくすって、まぐ愛って、なんだかすごい世界なんだなあ!

 

そんな風に目を輝かせる「わたし」が、確かにいるんだよね。

 

そんなわたしを大切にしたい。
そのわくわくを、感動を、好奇心を、大事にしたい。

 

 

でもなおには、持ってるブロックによって、遮るものが多すぎて、邪魔するものが多すぎてその実感はないみたい。

 

2人でまぐ愛してても、その人が何を持ってるか、何を感じてるか、どんな内側でいて、どんな世界を見てるかは、全然違うんだねえ。

 

なんだか少し寂しいね。


でも、まぐ愛すらも、せっくすすらも、
見たい世界は選べるんだなあって。

 

ほんとうは2人同じ世界を見ながら
できたら、そりゃあいいけどね。

 

うちらはまだまだ、これからみたい。

 


なおの中の女性器への嫌悪感が、解放されない限りは、純粋な想いで触れ合いたいとは思えないだろうし、
ほんとうの意味でわたしの女性器が、なおに愛されることもない。

 


いまは女性性解放の道を辿っていて
どんどん女性らしさを感じる瞬間が増えているインドの日々だけれど、
おっぱいだけは、もう戻ってこないでほしいってなおは言ってる。

 

ずっと潰れてほしくて本気で自分で殴ってきたおっぱいを29歳で切り落として、もう2度と戻ってきてほしくなくて、
唯一残ってる女性器も嫌悪感が消えなくて。


ほんとうに、ほんとうになおは、
「女性性」と言うものを嫌って、嫌って、生きてきたんだなあって。今も。


わたしは
男性とお付き合いしてきた身で
異性愛者だと思ってて

そういう認識を持ったまま、
なおを好きになった。

 

好きになった頃のなおは「おっさん」だった。(最近、ほんとうになおの見た目の変化が目まぐるしくて、ピースボート時代のなおが、坊主で、太ってて、ゴツくて、顔も違うしで、ほんとうにおっさんだったね、と、わたしとティンクルで話している)

おっさん時代f:id:mayu76:20180328024924j:image

いまf:id:mayu76:20180328025016j:image

 


でも、そんなおっさん時代のなおの時から
わたしはなおの女性器には何の抵抗もなかった。


愛したいな

と思ってた。

 

それがなおのもつ一部。
それをありのままに受け入れて愛したいと思ってた。

 

そこに、普段わたしが持ち出す、男だの女だのなんだのといった性への固定観念は1ミリもなかった。

 

 

なおは女性器を人に見られることを異様に嫌がってて、頑なに鍵をしめて、見られまいと、明け渡すまいと、逃げまわっていたけれど、導きにより今は、すべてをわたしに委ねさせてくれている。


でも、わたし、男性としかせっくすしたことなかったから、なおの膣に指入れても、どう動かしたらいいのか、まっっったく分からないんですけどね。。。
されるのと、するのと、では全然違う。
勉強しろって話なのかもだけど、なんだかそれは変な気がするから、しない。気が乗らない。

 

そもそも感じさせることとか、いかせることが、わたしの目的ではないから。それは必要ない。

 

でもなおが、感じてるところを見るのは好き。
まだまだ、ブロックが強いから、感じてることを我慢しようとしてしまったり、「どうしたらいいかわからない」ってなる、なおだけど、

 

 

もっと肩の力を抜いて
しぜーーんに、そのままーーに、
わたしとの触れ合いを感じてほしいなあって、気持ちよく感じてほしいなあって、そう思う。

 

 

女性器によって感じてるその姿
ってのは、

伸びた髪よりも、
柔らかくなった顔よりも、
すらっとしてきた足よりも、
くしゃって笑うかわいい表情よりも
でてきた、くびれよりも
自然な女性の骨格よりも
白くてつるつるな肌よりも


なによりも『女性らしい』なおの姿なはずなのに、
それはいとも簡単に受け入れられてるわたし。

 


あーきっと、
なおの見た目の変化によって、
ちーーんってなったり、
落ち込んだりしてるのは

【周りにどう見られるか、どう思われるか】
それでしかないんだなあって。


なおが、どう見られるか。
そのなおといるわたしが、どう見られるか。

それはもういらないよね。ポイッてしちゃおう。

 

ほんとうは、大丈夫。

大丈夫なんだ。

 

一歩引いて見れたら、すんごくおもしろいよ、わたし。なお。そして、わたしたち。


女で生まれて、

男を目指して、

一時期はおっさんになって、

でもまた、きた道を戻って、

女らしくなりつつある今。

そんなことある!?1回の人生でだよ。


そして、

おっさん時代のなおと出会って関係が始まって、でもおっさん(おとこ)だったはずのパートナーが、
いまだんだん女らしくなってて、
あーほんとに生まれた時は女だったんだなあと今更ながら実感したり、
その変化に困惑したり、ショック受けたり、
いろんな偏見、固定観念に気付かされたり、気持ちが変わるかもと騒いでみたり、
めちゃくちゃジタバタしているわたし。

実に、おもしろい。

これがしたいんだと思う。

 

ジタバタ苦しんでもがいてたいんだと思う。


だって、こんな目、なかなか遭えないもん。


わたしは、この設定を自らして、生まれ落ちた。

 

この先に、どんな物語が待っているのか、予想できなさすぎて、未知すぎて、たのしみすぎるもん、自分の人生。

 

わたしの知らない無我の自分、なかなか、いいセンスしてるな、なんて思ったり。


そしてそんな、わたしたちの関係性の色かたちは目まぐるしく変化している。

この先、一体わたしたちがどんな関係性になっているのかは、わたしにも、なおにも、1ミリも想像がついていない。

 


いまは、
ずーーーっともやが、かかっていたわたしの内側がすーーっと晴れてった感覚。

 

あれだけ避けてきた「決める」ということを自然としたのだと思う。

 

そしてこれから、たくさんの、これまでのわたしが避けてきた状況が目の前に現れる。
そこで1つ1つ、要らないものとさよならしてこ。

 

 

すべての状況に、
すべての自分に、
OKをだして、赦してこ。

 


まんまの、自分を出していこ。
自分を1番大切に。

それがなにより、自分を愛することだから。

わたしのやりたいことだから。


もう少しで、インド3人のホームページができる予定なんだけど、そのキーワードは
sex
forgive
love

 

いよいよこのキーワードが、自分の中で、2人の中で、本格化していくのかもだなーと。

 

まぐ愛
赦し

 

おわり。