Mi amas vin.

My life is my message

頑張り屋、卒業。

 

日本に帰ってきて、道をお散歩して、

花の美しさに感動した。

 

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日本はなんて、花が多いのだろうと。

 

日本はなんて、美しいものが多いのだろうと。

 

 

ゆりなさんに教えてもらったヒーリングをお花にしてみた。なにかを手のひらに感じた。

 

 

目に見えないもの、

目に見えない世界、

確実に、おもしろい。

 

 

 

空もきれいだ。

これは今いる群馬は、特にきれいだと思う。

いつも晴れた日は、空が青い。

 

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何気ない葉っぱも美しく見える。

 

 

空が青いこと、包んでくれてること、

太陽が暖かいこと、日が差していること、

 

ぜーーんぶ、愛で

ぜーーんぶ、ギフトで、

見返りなんてない。

 

 

ただただ、与える。

ただただ、自分の命を全うする。

 

その姿に惹かれる。

 

 

わたしもそうありたいと、おもった。

 

 

 

.

.

.

 

もう、1人で立とうとしなくていいのかも。

 

 

もう、足りないところを、

 

直そうとしたり、

 

どうにかしたり、

 

努力したり、

 

ごまかしたり、

 

頑張ったり、

 

しなくていいのかも。

 

 

 

 

 

わたしには、こんな足りないところがあるんですって。

 

だから助けて欲しいんですって。

 

 

そう言える自分、新しいね。

 

 

そうあれるようになったら、

緊張もとれて、慢性的な首の痛みもなくなるのかな。

 

 

『頑張る』

『頑なに、張る』

 

 

 

それは、もう、必要ない。

 

 

 

もう頑張り屋は卒業だ。

(全く頑張らない部分もたくさんあるけど。。笑)

 

 

 

だから、目の前で、自分の足りないところ、弱いところを認め、全力で助けを求めてるなおの姿を許そう。その姿と真摯に向き合おう。

 

 

 

 

そして、空や太陽や花のように、

ただただ、与える。

与えてる側に思えて、ほんとうは受け取ってるから。与えられてるから。

 

 

 

それは、お互いの関係を窮屈にすることとは違う。空を低くすることとは違う。

 

 

 

より、深いところで、つながるための、一歩なんだ。

 

 

 

.

.

.

 

同じ場所で

確かに違う「いま」。

 

 

 

リハビリをふたりですること、

それはまぐあいと、おなじものを意味する。そう、信じて。

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鏡によって照らされる、傷。

 

自分に近い存在は、

自分にとっての、強い鏡となる。

 

 

強い鏡は

自ら作ってきた傷を

強く照らす光になる。

 

 

光に照らされた、わたしの傷。

 

 

それを、どう扱うかは、

選べるんだと。

 

こんなにも自分で傷つけてきた、「わたし」がいるんだと。

 

そう気付くことができた。

 

 

そして選べるということを。

 

 

 

 

 

なおに助けの手を出すものの、

 

不満ばかり、見返りを求めてばかりの自分を、許してしまおう。

 

 

そこで生まれる、わたしの内側の声に、耳を傾けよう。

 

 

 

 

作り上げきた自我。

 

 

「わたしはこういう人間」

「わたしってこういう癖あるから」

「わたしって〜だったから」

 

 

そんな自我や過去を、

 

起きる出来事の度に、浄化して、溶かしていこう。

 

 

目の前の現象に、自分を見る。

目の前の現象から、自分を知る。

 

 

そして、それを一歩引いて、人生ゲームのように見るんだ。

 

 

 

以下、もやもやが晴れた直後に書いたメモ。

 

 

わかった!

 

 

なおに対して、

もろもろでる不満は

ぜーーんぶ

自分の癒されていない「小さい茉優」のこえ。インナーチャイルドてきな。

 

その子に共感しよう。
寄り添おう。
そしてこう唱えるんだ。

 

 

 

ありがとう、ここまで生きてくれてて。

 


傷ばかりつけて、ごめんね。

 


そんなわたしを、許してください。

 


あなたを、愛しているよ。

 

 

 

って。

 

 

クリーニングしてこう。

 

 


助けて欲しいんだよね


そばにいて欲しいんだよね

 

こっちを見てほしいんだよね


横に来て欲しいんだよね

 

受け入れられたかったんだよね

 

認められたかったんだよね

 

愛されてるってこと、感じ切りたかったんだよね

 

それくらい、癒されていない「わたし」がいるんだよねって。

 

 

 

その、
【癒されていないわたし】
に気付かせてくれて、

癒すチャンスをくれて、
本当にありがとう。

 

 


わたしが1人では気付けない傷を、
なおが気付かせてくれる。

 

 

 

 

その傷をまた、えぐることもできる。

 

 

そして、

 


その傷を、癒すこともできる。

 

 

 

 

わたしはどっちをえらぶ?

 

常にその選択だよ。

 

 

 

自我が形成される前の、ちいさなわたし。

と、おにいちゃん。🌻

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変化。スタートライン。想念。

やっとわかった。

見え方が変わった。

 


「それくらい自分でやったらいいのに」

 

「甘え過ぎ」

 

そう、なおに対して
わたしの頭の中に生まれるものは
なお自身の中でも生まれていた。


ということを、今朝のやりとりで、初めて知った。

 

というか、なんていうかな、実感をもって、「わかった」。

 

 

 

なおは、自分の中に生まれる
数々の嫌悪、抵抗感を、乗り越えて

 

 

わたしにその姿を、見せてくれていた。

 

 

わたしは自分に許せないことを
なおにも許せずいたけれど、
だからいちいちイライラしていたけれど、


なおは自分の中で、向き合いながら
抵抗感と戦いながら、それをしていた。

 

それは許し。

 

 

 


なお曰く

小さいころ、女であるがゆえに、男たちの仲間に入れてもらえなくなったとき、


こんな自分じゃだめだ!


もっと一人前にならなくちゃ!


こんなことで悲しんでちゃだめだ!

 

 

そう、言い聞かせて、言い聞かせて、生きてきた。

 

 


だから、

自分の中に確かに生まれている【悲しみ】を、認めることができず、

受け入れることもできず、

許すこともできず、

でも辛すぎて、どうしようもないから、

【怒り】が出る。

近い人に当たりまくる。

 

 

なんでわかってくれないんだ!

 


察してよ!

 

って。

 

 

 

人はみな、怒りの根っこには悲しみがある。
でもその根っことなる悲しみに目を向けて、そこを相手に伝えることがたいせつだけれど、なおはそれをずーっとできずにいたんだなあって。

 

 


ほんとうは、悲しみを見過ごしたくなかったんだよね。

 

 

ほんとうは、悲しむ自分を、許して受け入れてあげたかったんだよね。

 

 

ほんとうは、悲しみを、味わい尽くしたかったんだよね。

 

 

ほんとうは、悲しいよって、大切な人に、伝えたかったんだよね。

 

 


そんな風に思った。

 


ここ最近ジタバタ、喧嘩してばかりで、

初めて、なおに寄り添えた気がした。
久しぶりな感覚だった。

 

 

 


わたしは、なおとの関係が始まってから、

何百回も「悲しい」ということを、なおに言われている。

 

 


その度に、わたしは、
自分を責め、

自己卑下モードになったり、

ひねくれたりしていた。

 

 

 

なんてことをしていたんだ、、!

 

 

 


あんなにも、

 

悲しいということに気づけなかったなおが、


悲しいと言えなかったなおが、

 

「悲しいよ」と言葉にしてくれてきたこと。

 

 

それがどれだけ、
うれしいものなのか。

 

 

責められているように感じて、反応してたわたしとさよならしよう。

 


だってそれ、なおからしたら、お祝いだよ。

 

(悲しんでるのに、めでたがってたら、また怒られそうだけど。。)

 

 

それくらいに、お祝いくらいに、なおにとっては、

 

ひとつ、

ありのままに在れてる、

そんな瞬間なんだ。

 

 


というか、ピースボートで出会った頃、
あまりにもなおが、自分の中に生まれている感情に鈍感すぎて、

 

「くわちゃんのこころがかわいそうだよ!」

 

と散々言っていたのは、わたし。

 

 


そして、

 

なおには心のままに生きて欲しい、

 

と心から思った、そんなわたしの初心が、

叶いだしているんだなあ。

 

 

 

今朝、3時に目が覚め、リハビリしなきゃと、思ったものの、あまりの痛さに中断。

この先の不安や、自分を責める気持ちに、気持ちが下がっていた。

 

そんな、なおが、

 

「抱きしめて欲しい」

 

と叫んだ。

 


初めてのことだった。


初めて、怒りではないもので、SOSを叫んだ。

 

 


純粋に、うれしかった。

 

 

なおが何を言っても、何をしても、

相手の反応に関わらず、

ただ、強く抱きしめ続けること。

 

それが本当の愛なんだなって。

 

 

いまのわたしにはそれができなかった。

 

相手の言動に反応して、わたしを突き動かしてしまうものは、わたしの内側にある。

 

ということを、忘れないでいよう。

 

 

 

 

そして

新しい選択続けること
新しいチャレンジをすること

わたしもなおを見習おう。

 



 

16日に新月を迎えてから、
確実にわたしたちは、新しい色で「いま」を過ごしている。

似た状況になっても、これまでにはなかった展開になっている。


新鮮な感じ
スタートラインに立った感じ
新しい始まり。

 

「これまでのわたし」を崩壊させて

「これこそがわたし」を創造していく。


過去を引っ張らずに
色鮮やかな、いま、を過ごそう。


人と人の関係って
同じ人間同士の間でも
何度でも、新しくなるんだ。

 

 

わたしたちの関係性の色カタチは目まぐるしく、変化している。

 

 

 


2度と同じ「いま」などないし
過去と同じ「いま」もない。

それは現象も、人間も、おなじ。


だから、ほんとうに、おもしろい。
そう在り続ける限り、飽きるということはないのだろうな。


そんな、心踊る、わくわくした時間を、
なおと、積み重ねていきたい。




あともうひとつ。

今日の瞑想、2人で座っている時に、
ほんとうはダメだけど、
ふと、なおへの感謝や尊敬の想いが
湧き上がってきて、
瞑想をして目をつぶっているなおのほうを向いて、


「ありがとう。尊敬してるよ。あいしてるよ。」

 

ってなおの方を向いて、ばっちり目を開けて、そう心の中で唱えた。

 

そしたらその瞬間に、なおがわーって湧き上がる表情をして泣きそうになってた!!

 


わ!これはぜったい想念だ!


いまこの瞬間、わたしたちは、無意識で繋がったな!

 

って思った。

 

 

そしてその、数分後、
瞑想の切れ目に、


なおがわたしのほっぺにキスをした。

 

 

その無意識下での、やりとり、つながりが、今度は目の前で「現象」になった!すげー!!

って思った。笑

 

 

なお曰く、なんかわからないけど、キスしたくなった、とのこと。

 


これぞまさに無意識、想念なのだとおもう。

 


想念は、光より速い、と聞いた。


おもしろい。


これからはどれだけ、波動やエネルギーといった【目に見えないもの】を信じて、そこにフォーカスをあてていくかによって、目に映る世界が決まってくるのだとおもう。

 

 

 

 

残り6日となり、

ルピーに大胆になり、THE観光客になりだしたわたしたち。笑

 

in  インドの服屋さん

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NOに正直でいること。自立。


カメラの前で中にあるものを全部吐き出してみたら?
と言われて、1人カメラの前で、思いつくままにしゃべってみた。

たしかにわたしは、文字だと取り繕えちゃう。
でも映像って、ごまかしや取り繕いが、リアルにわかってしまうんだろうね。




ここ最近よく目につくキーワード

 

自立
依存
喪失感
孤独
新たな一歩

 

あーこれは完全に、
「自分から、なおと離れることじゃん」
って思う自分がいた。

 

1個前のブログに、つらつらと書いた。

なおへの文句や、
自分の被害者ぶりたい度や、
暴力的な醜い部分を持ってること、
父親のこと元彼のこと、
恋愛関係の人とは自分から離れれないこと。

http://mayu76.hatenablog.com/entry/2018/04/15/133836

 

 

 

わたしは、最近
自分が生き生きしてない感じ
遠い目をすること
どうしてこんな日々を過ごしてるんだろうって疑問
なんだかスッキリしない、もやもやした感じ


それらは、「なおといるからだ」と思っていた。

 

だからそこから離れれば、
自分の望む状態になるんじゃないかって思ってた。

 

自分から離れるということは、
これまでわたしがなかなかしてこれなかったことで、新しい選択になるから。

 


でもそれは違った。

 

完全に人のせいにしてた。


ぜーんぶ自分でそれ選んでるのに。

 


わたしは《自立》のことばの意味を

履き違えていた。


なおから離れて1人になれば
自立できるわけじゃない。

 

 

 

わたしの意味での自立は、
自分の中のNOに正直でいること。

 

 


なおがこうしてって言うから
なおがこれを求めてるから

それに応えるばかりで、

自分の中に生まれる正直なものを、
ぜーんっぜん、出せなかった。
というか気付かないふりしてた。
目をそらしてた。

 

やりたくないことはやらない。
したい!って思えないことはしない。
湧き出る気持ちがないのに、偽らない。
いい人のフリをしない。

 

なおの悲しむ顔が見たくないとか
なおの辛さ、苦しみに寄り添いたいとか、
もう一旦いいよ。

 

いい人ぶるの、やめにしよう。


わたしのなかで、
いっちばん言いたいこと(やだ、したくないって)言えないのが、
1番近い存在のなお。

 

大切だからこそ
失いたくないからこそ。

でもそれ1番ひどくて、1番失う可能性高めてる。

 

 

近ければ近いほど、
断るのが怖いんだよね。

嫌われるのが怖いんだよね。

そこから相手が離れてっちゃうのが怖いんだよね。

だからましてや、自分から離れることは選択できない。

 

でもそれは執着してる。こころが不健康だ。

 

関係性に軽やかさを求めてたはずが、

知らぬ間に

いつのまにか

どっっしりと、重たいものになっていた。

 

 

そして、この数日間でわかった。


自分のNOに正直にいれないと
どんどんどんどん、蝕まれてく、腐ってく。

 

訳がわかんなくなってくる。

何がしたくて、何がしたくないのか。

 

「ほんとうの自分」がわからなくなる。


だから2人の関係もこじれてく。
というかわたしがこじらせてる。

 


自分のNOに正直にいることで
離れて行く関係ならば、
それはそれ、って受け入れること。

 

それが、わたしにとっての自立だなって。

 

 


とはいえ正直になると本当にわたしは残酷な人間で、

そのときの気分によって
なおのリハビリを心から手伝いたいと思えてなかったり、
(今も隣のベッドでなおが1人苦しいリハビリをしてる横で文字を打っている)

 

性への囚われが強いなおの前で、平気でまぐあいのときに、自分の本当の本当の気持ちから目を背けたりする。心から触れたいと思えてないのに、触れたり。


それはもう裏切り。

 

なおは、わたしによって
どんどん、ブロックが強くなってく。
どんどん、身を委ねたくなくなってく。

 

なんてひどいんだろうね、わたし。
なにをしてるんだろうか。

 

どうして大切な人なのに、
こんな冷たく在れるのだろう。

 

正直でいないことって、
何より人を傷つけるんだね。


それを何度も何度も繰り返してる。


いい加減、突き抜けたいな。

 

わたしたちは、

愛ある穏やかな時間を過ごせたかと思えば

そのすぐあとには、

些細なきっかけで闘ってばかり。

 

 

もがいて

当たって

傷つけて

突き放して。

 

どんどん脱いで

素っ裸になるなおに、

わたしはどこまで、横にいれるのだろう。

 

自分が変わらない限りは

自立しない限りは

2人の関係は成り立たなくなっていく気がしている。

 

そろそろ分岐点だ。

 

すべては移り変わっていく。

 

なおを

憎たらしく思う瞬間はたくさんあるけれど、

愛おしく思う瞬間もたくさんある。

 

 

わたしは、なにを、決めるのか。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこのときの

わたしがカメラに向かって吐き出してる映像は

なおは最後まで見てくれなかった。

 

いつもと同じことを言ってる。

まだそんなことを言っている。

 

【うわっつら】って思ったのだろう。 

 

(後から聞いたら

「興味が持てなかった」と言っていた)

 

そして1人、リハビリを始めた。

わたしはそれを手伝おうと思えなかった。

 

今なおがインドで通ってる病院での通院生活は

一旦、明日でおわり。

 

インドでの旅を続けるのか、やめるのか。

 

日本に帰るのか、帰らないのか。

 

撮影を続けるのか、やめるのか。

 

てぃんくるも今、撮影のこと、映画のこと、スタンスのこと、揺れている。

 

 

わたしたち3人は、それぞれ、過渡期にいる。

 

なにを選択し、どこに向かうのか。

 

未知。

 

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全ては自分で選べる。

被害者ぶりたい自分を認める。
だったらもうばーって出してみちまえよ!
と思ってなおに対しての文句を書きなぐった箇条書き。

 

・顔面を鷲掴みにされ、指が目に入った
・叩かれた
・「死んでほしいと思った」って言われる
・「もうやめて。邪魔くさい」って言われる
・リハビリを手伝ってもキレて「1人でやる」と言われる。でもいざそのまま放っておくと、「どうして手伝ってくれないの?」「どうして助けてくれないの?」と言われる。
・ご飯を作っても来るのは文句ばかり
・というか、なにをしても文句ばかり
・殴られるかもって瞬間が最近よくある
・なおはなおフォーカスなのに、わたしがわたしフォーカスになると一緒にいたくないと言われる
・主人公はなおだから、なおを見てっていう強烈なアピール
・わたしがいる後ろを全く気にせず、あたかも1人で行動したいかのように、1人スタスタと歩く

 

 


リハビリの痛み、ストレス、過食。
なおはいま、
盛大にジタバタしてて、
怒りに飲まれて、
わたしを突き放す。当たり散らす。

 

 

がんばって
勇気をだして
差し出した手を
簡単に振り払われる。

 

 

リキシャのドライバーや
スーパーの入り口の人に
この日本人みた?って聞き回って
ようやく居場所がわかり、なおの姿を見つけ
少し迷ったけど勇気をだして歩み寄っても、
簡単に振り払われる。

 

一緒にいたくない。なんできたの?
って目で見られる。

 

どうして?

なんで?

なんなの?

せっかく〜したのに。

がんばって〜したのに。

勇気を出して〜したのに。

 


自分のニーズは
「茉優と一緒にいること」
「助けてもらうこと」
っていつもなおは言っているのに、

どうしてわたしを振り払うの?

どうしてわたしを突き放すの?




 

 

そんな風にいつも被害者ぶって、
すーぐ自分で自分を傷つけてた。


でもそれは、
《選べる》ということに気がついた。


ひどい!って被害者ぶって自分の傷にフォーカスし続けて、相手に怒りや憎しみをぶつけることもできるし、

 

相手からのそれをただ受け取って、ただひたすら、相手のほんとうのニーズに目を向け続けることもできる。


相手によって、自分が過去に傷つけた、自分の傷、が照らされてる。そこをまた傷つけるかは、わたしが選べる。

 

 

そんな風にしてしまうほど、
そんな風になってしまうほど、

苦しいんだよね、
SOSなんだよね、
って。

 

そう思えたとき、
どんな言葉を吐かれても
どんなに拒否されても

 

「わたしはあなたの方を向いているよ」
ってことを、伝え続けようと思える。

寄り添おう、と思える。

 


数日前、突然思い出した。
かつてなおと、やりとりをした。

自分や相手の、どんなに醜いところも、どんな怒りにも、どんなにジタバタしてても、
それを可愛らしく、愛おしく思えたなら、目に映る世界はどれだけやさしく、あったかく、すてきなんだろうね、って。

いつかそんな世界にいきたいねって。

そう2人でやりとりしたときがあった。


その最大のチャンスだ。

 

 

 

そしてもう1つ。

怒りに飲み込まれて、手が出るなお。

それはわたしが見てきた父親の姿と重なる。
それは過去にあった自分の姿と重なる。

 

父親はすぐにカッとなる人で、
母親に暴力してた。
よく、ものに当たってた。

 

そしてそんな父親と、似たところを持っている人とわたしがお付き合いをしてたとき、
彼がキレてものに当たってる姿を、

わざと、あえて、冷めた目で見てた。
怒りに飲み込まれてる様を
ものに当たってる様を
鼻で笑うようにしてた。

 

 

そうしないと、胸の中に生まれるドクドクした怖さに平気でいられないから。

 


でもそれは、ほんとうは、全然、平気でいられてなかった。

なかったことにして、無視して、抑え込むことは、できてなかった。

 


ある日、爆発したかのように、
わたしが怒り狂ったときがあった。

 

別れたいのに別れさせてくれない
離れたいのに離れさせてくれない
帰りたいのに帰らせてくれない。

 

そんな彼にわたしは、一瞬にして暴力的になった。

叩いて蹴ってひっかいて。

ようやく外に出れてもしつこく追いかけてくる彼を、傘で本気で殴ったりもした。

 

そして、そんな自分を、
見たこともない、暴力的な自分を
許せなかった。醜いと感じた。

 

父親やこの人と、自分おんなじなんじゃん。

そう思った。

 


そしていまは、なお。

手が出るなおに対して、
「結局父親とおんなじなんじゃん」
そう思ったことがあった。

 

でもそれは
わたし、ともおんなじ。

 

みな、その部分を持っている。


その部分をなかったことにすることも、
消し去ることもできない。

 

 

それは常にわたしの中にあります。
それを認めます。
それを受け入れます。
そしてそれを、愛します。

そう許すことが必要なんだ。

 

 

それはわたしにとって、
クリアしなくちゃならないものなんだな。

 

 


昨日なおとも話してたけど、
たまに、
もうこんなんだったら、
リハビリのために日本に帰ってもらって
なおと離れて、
自分1人の時間を作ったほうがいい。

そうすることで、今のわたしのテーマである
『自立』にも近道だと思った。


自らなおから離れようとするとき、
いつも体が震える。

怖いんだね。

 

もう1人で生きていけなくなるような、おっきなおっきなものを失うような、怖さを見る。

 


今までわたしは、恋愛関係の人間を
自ら振って、自ら離れたことがない。

 

なぜだか、それができない自分でいつもいた。

 

そこには絶対何かある。

 

だから、いま、このときが、
「そのとき」なのかもしれないと。

 

 

自分でも、どこか、薄々わかっていた。
自ら離れれない自分の弱さに。

 

そこには、カラッとした潔さはない。

涙や寂しさなどのじめっとした感じ。
でもそれじゃあ自分の中にカビが生えてしまうんだよね。

 

怖いけど
嫌だけど
今は離れることが
お互いにとってベストな道なのか。


その「離れる」にはなんの保証もない。

関係が続く保証も
気持ちが変わらない保証も
いつかまた会える保証も
ぜーんぶない。

 

アニッチャ。全ては移り変わっていくから。

 

離れるときは、全てを失う覚悟で離れるのだと思う。

 


『自分を大事にする』の意味を履き違えてると気付き、

 

「自分を大事にする」じゃなく
「自分だけを大事にする」自分に気付き

 

自分で選んで行動してるくせに
そんな自分はもうなおのパートナーなんかじゃないと、責める自分に気付き、

 

もっと、その瞬間、なおに対して、こうしたい、と思ったように、行動をしたいって、自分の望みにも気付き、

 

わたしがなにを選ぶかで、生まれる現実はこんなにも変わってくる、ということを実感し、


さあ、わたしはなにを選択するのか。

変わるのは常に今、この瞬間。

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性のこと。

もっと自分だけ愛しちゃお。

『自分がかわいそうだよ』って実感を持って思った日。

そりゃあ、遠い目をするよ。

なんだか抜け殻になるよ。

土偶のような顔になるよ。

 

ここ最近、疲れてた。
なんだか逃げ出したくなってた。

【もっと、ありのままでいたい】そう強く望む自分がいた。

ずっと何かに囚われてた。
それは誰かや何かによるものではなくて、
自分が自分へ作り出してるもの。

 

なにも気にせず
なにも頑張らず
なにも溜め込まず
なにも抑えず
なにも責めず
なにも殺さず

 

生きてたい。そう思った。

ということは、わたしは、

 

なにかを気にして【どう思われるか】
なにかを頑張って【理想の自分であろうと】
なにかを溜め込んで【生まれる言葉】
なにかを抑えて【ストレートな感情】
なにかを責めて【自分】
なにかを殺して【ありのまま】

生きていた。


かわいそうすぎる!!!!!

 


もっとなーんも気にせず、
1番に自分を大事にしてあげよ。
1番に自分を愛してあげよ。

 


堂々と『これがわたしなんです』って
100%の自分で真っ向から向き合えば
それが誰にどうはねつけられても
「あらっ、そうですか♪」
って清々しく去れるから。


自分の大切な人に嫌われるよりも
わたしはわたしを大事にしたい。

 

やっと心から、実感を伴って、そう思えた。

 

誰かの言葉では何度も分かってた言葉。
でもそれは、自分が動く原動力にはなりにくいんだ。
本当に自分の中で実感を持って、なるほど!こうなんじゃん!と思った時に、ひとは初めて動くんだなあって。


自分でたくさん、自分を縛ってたなあーー。

 

 

 

【今日世界が終わるとしたら、今、自分はなにをするか】

その問いかけは、

 

ほんとうに自分が望むもの
ほんとうに自分が言いたいこと
ほんとうに自分がしたいこと
ほんとうは自分がしたくないこと

 

それに気付かせてくれる。


今この瞬間、わたしが選ぶものは、


〈なおとのやりとりで生まれた自分の中のことを文字に起こして、ここに残すこと。〉

 

だからまた、いろんな抵抗感が生まれてるけれど、それを無視して、書いてみようと思う。

 

 

 

 


ずーーーーっと、押し殺して、抑えて、言えなかった思い、言葉、それは


「もっと深いところで触れ合いたい」
「わたしの体を愛して欲しい」
「大事に扱われてると感じたい」
「まぐ愛をしたい」

 

でもそんなの言えなかった。

 

なおは、それを、必要としていないことをわかってたから。

 

なおが持つ、


性的なことへのブロック、
せっくすがなおにとって
いい感じのものに思えないこと、
性的なことをする自分への責める気持ち、
女性器への嫌悪感、

 


それらもろもろが、
わたしとなおとの間に「ギャップ」を生んでいた。

 


わたしはなおとまぐ愛がしたいけれど、
なおはそれを必要としていなくて、
ハグやキスで充分と思ってる。


その状況が辛かった。


「自分ばっかり」
「一方通行だ」
「惨めだな」
「みすぼらしいな」

とさえ、思うときもあった。

 

でもさ、

好きな人がいて
その人と一緒にいたいなとか
その人に触れてたいなとか
自分の体を大事に扱われたいなとか

もっとストレートに言えば

まぐ愛の中でその人の愛を受け取りたいな、感じたいな、想いのやりとりをしたいなあ

ってすんごく、自然ですてきな想いじゃん?


そんな想いで、交わされる性的なことは、すんごくすてきじゃん?

好きな人の手によって感じれること、それを味わえること、すごく幸せなことじゃん?


自分が勝手に、
自分に対して

性的なやりとりをしたいと思うことを

偏見的な目で、よこしまな目で見て
責めてた。

 


なーにしてんだって思うけど、
それが事実、それがわたし。
そんな自分にすら、OKを出していこう。


三大欲求と言われる「性欲」
わたしにとっての、その言葉の本質は
【人とつながりたい欲求】なんだと思う。

 


その欲求はなおも持ってる。2人とも同じものを持っている。

 

でもそこでなおは、
人とつながりたい欲求が性欲という存在によって、邪魔されてしまう、壊されてしまう、と感じている。

 

わたしは、
人とつながりたい欲求というものが、性的なやりとりによって、深いところで満たされると、感じている。
自分にはその実感があるから。確かな実感を持ってるから。

 

なおとのまぐ愛の時間に
生まれて初めて感じた感覚、
自分の体に起きたこと、
それが自分の中の確信になってる。

 

 

人間ってすごいんだなあ!

 


こんなやりとりができるんだなあ!

 


せっくすって、まぐ愛って、なんだかすごい世界なんだなあ!

 

そんな風に目を輝かせる「わたし」が、確かにいるんだよね。

 

そんなわたしを大切にしたい。
そのわくわくを、感動を、好奇心を、大事にしたい。

 

 

でもなおには、持ってるブロックによって、遮るものが多すぎて、邪魔するものが多すぎてその実感はないみたい。

 

2人でまぐ愛してても、その人が何を持ってるか、何を感じてるか、どんな内側でいて、どんな世界を見てるかは、全然違うんだねえ。

 

なんだか少し寂しいね。


でも、まぐ愛すらも、せっくすすらも、
見たい世界は選べるんだなあって。

 

ほんとうは2人同じ世界を見ながら
できたら、そりゃあいいけどね。

 

うちらはまだまだ、これからみたい。

 


なおの中の女性器への嫌悪感が、解放されない限りは、純粋な想いで触れ合いたいとは思えないだろうし、
ほんとうの意味でわたしの女性器が、なおに愛されることもない。

 


いまは女性性解放の道を辿っていて
どんどん女性らしさを感じる瞬間が増えているインドの日々だけれど、
おっぱいだけは、もう戻ってこないでほしいってなおは言ってる。

 

ずっと潰れてほしくて本気で自分で殴ってきたおっぱいを29歳で切り落として、もう2度と戻ってきてほしくなくて、
唯一残ってる女性器も嫌悪感が消えなくて。


ほんとうに、ほんとうになおは、
「女性性」と言うものを嫌って、嫌って、生きてきたんだなあって。今も。


わたしは
男性とお付き合いしてきた身で
異性愛者だと思ってて

そういう認識を持ったまま、
なおを好きになった。

 

好きになった頃のなおは「おっさん」だった。(最近、ほんとうになおの見た目の変化が目まぐるしくて、ピースボート時代のなおが、坊主で、太ってて、ゴツくて、顔も違うしで、ほんとうにおっさんだったね、と、わたしとティンクルで話している)

おっさん時代f:id:mayu76:20180328024924j:image

いまf:id:mayu76:20180328025016j:image

 


でも、そんなおっさん時代のなおの時から
わたしはなおの女性器には何の抵抗もなかった。


愛したいな

と思ってた。

 

それがなおのもつ一部。
それをありのままに受け入れて愛したいと思ってた。

 

そこに、普段わたしが持ち出す、男だの女だのなんだのといった性への固定観念は1ミリもなかった。

 

 

なおは女性器を人に見られることを異様に嫌がってて、頑なに鍵をしめて、見られまいと、明け渡すまいと、逃げまわっていたけれど、導きにより今は、すべてをわたしに委ねさせてくれている。


でも、わたし、男性としかせっくすしたことなかったから、なおの膣に指入れても、どう動かしたらいいのか、まっっったく分からないんですけどね。。。
されるのと、するのと、では全然違う。
勉強しろって話なのかもだけど、なんだかそれは変な気がするから、しない。気が乗らない。

 

そもそも感じさせることとか、いかせることが、わたしの目的ではないから。それは必要ない。

 

でもなおが、感じてるところを見るのは好き。
まだまだ、ブロックが強いから、感じてることを我慢しようとしてしまったり、「どうしたらいいかわからない」ってなる、なおだけど、

 

 

もっと肩の力を抜いて
しぜーーんに、そのままーーに、
わたしとの触れ合いを感じてほしいなあって、気持ちよく感じてほしいなあって、そう思う。

 

 

女性器によって感じてるその姿
ってのは、

伸びた髪よりも、
柔らかくなった顔よりも、
すらっとしてきた足よりも、
くしゃって笑うかわいい表情よりも
でてきた、くびれよりも
自然な女性の骨格よりも
白くてつるつるな肌よりも


なによりも『女性らしい』なおの姿なはずなのに、
それはいとも簡単に受け入れられてるわたし。

 


あーきっと、
なおの見た目の変化によって、
ちーーんってなったり、
落ち込んだりしてるのは

【周りにどう見られるか、どう思われるか】
それでしかないんだなあって。


なおが、どう見られるか。
そのなおといるわたしが、どう見られるか。

それはもういらないよね。ポイッてしちゃおう。

 

ほんとうは、大丈夫。

大丈夫なんだ。

 

一歩引いて見れたら、すんごくおもしろいよ、わたし。なお。そして、わたしたち。


女で生まれて、

男を目指して、

一時期はおっさんになって、

でもまた、きた道を戻って、

女らしくなりつつある今。

そんなことある!?1回の人生でだよ。


そして、

おっさん時代のなおと出会って関係が始まって、でもおっさん(おとこ)だったはずのパートナーが、
いまだんだん女らしくなってて、
あーほんとに生まれた時は女だったんだなあと今更ながら実感したり、
その変化に困惑したり、ショック受けたり、
いろんな偏見、固定観念に気付かされたり、気持ちが変わるかもと騒いでみたり、
めちゃくちゃジタバタしているわたし。

実に、おもしろい。

これがしたいんだと思う。

 

ジタバタ苦しんでもがいてたいんだと思う。


だって、こんな目、なかなか遭えないもん。


わたしは、この設定を自らして、生まれ落ちた。

 

この先に、どんな物語が待っているのか、予想できなさすぎて、未知すぎて、たのしみすぎるもん、自分の人生。

 

わたしの知らない無我の自分、なかなか、いいセンスしてるな、なんて思ったり。


そしてそんな、わたしたちの関係性の色かたちは目まぐるしく変化している。

この先、一体わたしたちがどんな関係性になっているのかは、わたしにも、なおにも、1ミリも想像がついていない。

 


いまは、
ずーーーっともやが、かかっていたわたしの内側がすーーっと晴れてった感覚。

 

あれだけ避けてきた「決める」ということを自然としたのだと思う。

 

そしてこれから、たくさんの、これまでのわたしが避けてきた状況が目の前に現れる。
そこで1つ1つ、要らないものとさよならしてこ。

 

 

すべての状況に、
すべての自分に、
OKをだして、赦してこ。

 


まんまの、自分を出していこ。
自分を1番大切に。

それがなにより、自分を愛することだから。

わたしのやりたいことだから。


もう少しで、インド3人のホームページができる予定なんだけど、そのキーワードは
sex
forgive
love

 

いよいよこのキーワードが、自分の中で、2人の中で、本格化していくのかもだなーと。

 

まぐ愛
赦し

 

おわり。

 

《見た目の変化》によって生まれる思考。

インドに来て1ヶ月半。

なおが男性ホルモンの注射を辞めてから半年。

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順調になおの容姿がグレーになっている。

シータルの友達たちも、

「この人男なの?女なの?」

という質問をたくさんしていたそう。

 

シータルには、なおの性のこと、体のこと、すべて話した。(これがまたいい語りの時間だった)

 

シータルはなおの性のことを知っても

あっけらかんと、

なんでもおっけーよ

No problem 👍

と言う。すてきだ。

 

なおの声は低い。おっぱいもない。

 

それでも、ここインドでは、

「みな疑問に思うんだなあ」って。

それがすごく興味深かった。

 

何をもってひとは「おんな」と判断し

何をもってひとは「おとこ」と判断するのか。

 

 

 

そして、なおの近くにいる中でも

ふとしたときに見せる表情が

「きれいだな」と思うことが出てきた。

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それは男としてきれいと思ってるのか

女としてきれいと思っているのか、

もうわからない。

 

ただの、いち桑原直 という人間を

きれいだなと思う。(のだと思う)

 

でも性の固定観念が強いわたしは

どこか、なおの存在が自分の中で、

おとこゾーンから

おんなゾーンへと

グレーなところにきていたのかもしれない。

 

↓こっからはぜーんぶいらない《思考》。

それをわかった上でここに残す。

 

ここ最近頭にあった【何かに対しての諦め】

 

それは主に3つ。

 

①自分の持っていた理想のパートナー像

こんないい感じの(やや男女)のパートナーに見られたい。

 

いよいよ周りから、

すーっと、スムーズに

「男」に見られなくなってきたなお。

 

自分のなおとの間に抱く、利己的な期待や願望を諦めるという最中にまさに今いる気がした。

 

 

②なおに女性として魅力的に見られること

 

そのさっき言った、なおがきれいに見える瞬間、その瞬間は正直、負けた感覚がある。なおはわたしよりも濁りがなく、透き通っていて、人としてのきれいさや美しさがあると感じている。そこはもう届かない、敵わない、という感覚がある。

 

そのせいか、

『なおにきれいに見られたい』

そう思う気持ちや、身なりに気を使う度が

関係が始まって以来、いまが1番少ない。

 

 

③なおと性的な触れ合いをすること

 

①と②があってなのか、

なんだか今はなおと性的な触れ合いをすることが全くイメージつかない。それをしたいとも思わない。それはお互いに。

 

うちらはそういう性的なやりとりがなくても、十分人としていい関係でいれる、という感覚を持っている。

 

以上3つ。

そんな諦めを頭のどこかに持っていたわたしはなおから見て、死んだ顔に見えたそう。土偶のようだと言われた。

 

この3つはぜーーんぶ思考。

 

 

 

思考という、どす重たいトンネルの中

光を見れずにいたわたし。

 

そのトンネル自分で作ってるよ。

 

わざわざ、自分の生む思考に埋没しにいってる。

 

それはヴィパッサナーをもって《観察》するだけでいい。

 

 

生まれる感情や思考に浸って

それを言葉にすること、

それはよく自分がしてきて、きっと得意としていること。

 

だから、よーく意識していないと危ない危ない。

 

 

なおが女性らしくなることで

ほんとうに

もうわかんなーい!

好きじゃないかもー!

とか、思ってたら、

いま、一緒にはいないだろうから。

 

 

そして、人の見た目っていう外側の変化だけで、気持ちが揺らぐということ、

外側だけを見て、その人の変わることのない内側の本質を見つめれないこと、

それはほんとうに酷いことだなあって。

 

そんな言葉の矢をなおに刺すということは
同時にわたしがわたし自身に矢を刺してる。

 

でもその一方でこんなにもリアルに見た目が変わっていくことによって、自分の中にいろんなものが生まれるんだなあって。それはそれで面白い。

 

対「おとこ」だったら絶対に生まれない

対抗心とか。

 

 もう、なおを「おとこ」か「おんな」か、どうに見てるかよくわからないけれど、

 

なんにせよ、

生まれる抵抗感、嫌悪感、

様々な感情、思考すべてを観察して、

《目に見えない本質》をたいせつにしたい。

 

2人が惹かれあったわけは、そこ《目に見えない本質》にあると思うから。

 

 

【お互いに心地よくて、

心の深いところでつながれる関係】

 

それがわたしにとっての、なおとの関係での望み。

 

そのために、自分の中をpeaceful に。

 

といいつつも、ぜんぜん喧嘩はするし、うまくいかないコミュニケーションばかりするわたしたち。。その何かはどう変化していくのか。