Mi amas vin.

My life is my message

『大学を辞める』ということ。怖さ。

優しく見送られてるかのようなきれいな朝日を見ながらチェンマイを去った。いまはバンコクの空港にいる。今日の22時ごろ、関空に着く予定。

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今朝、わたしが辞めた大学の後輩からあるラインが入っていた。

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なんだかすごく、うれしかった。
母親のような気分で微笑んだ。笑
そして怖さを受け入れると、

肚を決めたんだなあと
かっこいいなあと心から思った。

 

 

彼とは先日2時間ほど電話した。
その時の彼の決定は
「大学を辞めずに休学をして海外へ行く」
というものだった。

親と相談した結果
社会人にもらった言葉

それらをトータルして出した結論だと言っていたけど、

 

それらはあまり、彼の真ん中から出てきている言葉ではないように感じた。

 

だから、正直に、ありのままに、なるべく言葉を選ばずに、わたしが思うことを彼に伝えた。

 

 

わたしは確信があった。

 

彼は身の周りにまとっているものを
すべて剥がしたら、めちゃくちゃ輝く人だということを。

 

 


何かに「所属」しているだけでも
実はエネルギーはそこに流れてて。
だからその所属を外して
どフリーに裸の《いち人間》になったら
もっともっと入ってくるものがあったのだろうと、休学を終えて退学をした今、わたしは思っていた。


「学生」という身分が安心なこと
いろんなことが許されること
世間の目があたたかいこと

 

休学なら帰ってくる場所があるから安心なこと
大学の仲間やバイト先、土地などのすべてと決別する必要がないこと

 

それはそうなんだよね。
怖くない。ほっとできる。安心できる。

 

 

でも真の道ってのは
その『怖さ』と真正面に向き合うこと。

 

 

自分は、
何から逃げたかってるのか、
何を怖がっているのか、

 

そしてその、怖さを避ける道は
本当に自分が望んでいる道なのか。

 

なにも怖さも不安も心配もなくて
ぜーーーんぶが上手くいくとしたら
『ほんとは自分、どうしたい?』

ってところ。


怖さの先にしか、ホンモノはない。

怖さを越えた先で初めて歩める『自分の人生』がある。


どれだけ怖さを乗り越えるかなんだと思う。

怖さを一歩超えない限り想定外のことは起きない。想定内の人生はわたしは嫌だなあ。つまらないと感じる。

 

 

だからとことん、自分が怖気付いてしまうようなものにこそ、光を当てて向き合うべきなんだと思ってる。

 

 

アタマでわかっていても
なかなか怖さの先に一歩踏み出してみることはすごく勇気がいるけどね。。

 

 


わたしが大学辞める時も向き合った。
もう「辞める」ということに覚悟を決めたとき、自然と周りの反対は消えていった。

結局は周りに起きる現実、現象は、自分の内側のエネルギーが決めているんだと実感した。

 

自分が覚悟できていなかったら、

自分の内側が決まってなかったら

そりゃあ親は反対する。

 

でも覚悟を決めれた時には、その人の覚悟を反対する人っていないんだと思う。

 

 

 

そしてぜーんぶの壁がとっぱらわれて
さぁどうする?ってなった時に
やっぱり最後の最後どかんと来る怖さはあった。

 

 

これまで小中高大と、ずーっと何かに所属していた。
それがここで初めて、何にも所属していない「ただの小林茉優」になる。
学生でもない、職場があるわけでもない。

そのことは小学生以降
22年間生きてきて、1度もなかったことだった。

 

学歴もない、免許もない、資格もない。

 

辞めてどうする?

仕事はどうする?

どう生きていく?

奨学金はどう返す?

 

そんなことが頭の中にいっぱいだった。

 

でももう決めたんだ。

「何かを身につけていく」生き方は、辞めるんだと。

 

どんどん脱いでいって、

他人や周りに左右されない

ありのままの、本来の自分に戻るのだと。

 

そして

何かやることがなきゃ、何かを辞めれないってことはないはずだと。

 

 

あとは

自分の真ん中を生きる人間を神様は見捨てたりしないんだと思う。どんなにお金の出所なさそうでも、もろもろ大変そうでも、真ん中を生きる人間を神様は『生かす』のだと思う。ちょうどい〜いタイミングで、ちょうどい〜いアイテムを与えてくれるのだと思う。

 

まずは【なんとかなる】と思うこと。自分が不安を見れば、現実も不安になる。

単純なことだけど、それがすごく大切な気がする。

 

大学辞める前の

「辞めてどうするの?」

という質問と同じくらいに多い質問。

 

それが、

「茉優っていろいろ転々としてるけど、お金どうしてるの?」

 

すごくすごく聞かれる。

 

 でもなーんかどうにかなってるんですよね。

おもしろいけど。有り難い。

 

お父さんからの不定期のお小遣いとか

奨学金もらってたものの、授業料は

ほぼ毎回、全額免除申請が通ってたから(ちょーラッキー。国公立のおかげ。母子家庭のおかげ。)その使われてない奨学金とか、あとは思いもよらぬところからお金が降ってきたりする。最近で言ったらなおのお母さんからの餞別とかね。

 

あとはそもそもお金がかからない。

ヒッチハイクすれば移動タダだし、日本でも海外でも友達んちとか瞑想センターに滞在すればタダだし。

 

いかにお金をかけずに楽しむかってのも面白い。笑

 

これからの奨学金の返済もおばあちゃんが

全面的に協力してくれるって言ってる。

 

そんなこんなでわたしは

わたしの好きなことをやれる。

 

 

自分が

好きなことをやれて

輝けるからこそ、

家族に渡せる『ほんものの思い』がある。

家族に渡せる『愛』がある。

 

そうなるとすごくいい循環が生まれる。

 

我慢の時代は終わったんだ。

 

 

 

大学を辞めたいま、感じるのは

なんだか肩の力がすーーっと抜けた感覚を感じてる。すごく気が楽で、ニュートラルな感覚でいれる感じ。

 

 

わたしにとって、大学という場所自体が
「こういうもん」っていう固定観念を押し付けてくるところだったり、課題に卒論に常に何かに追われるところだったり、就活などのみなと足並みを揃えなきゃならないっていう同調圧力を感じるところだったりした。

 

 

それゆえに、異様に人の目を気にしたりで、自然体でいれなかった。

 

 

だから、【自分が自分らしくあること】そんな自然なことが当たり前にできなかった。大学にいると、流れに逆らっているような、1人逆流をしているような、そんな感覚だった。そこで生まれる抵抗はいちいち、わたしの心にとってはストレスだった。

 

 

授業もつまらなく感じてきてた。
休学の間、フィリピン2カ月、ピースボートで南半球一周して、たくさんの人と出会って、たくさんのものを自分の目でみて、肌で感じてきた。

今のわたしは90分座って教授の話をずっと聞いてる時間よりも、自分の足を動かして、自分の五感でなにかを学び得ていきたいって思いが強かった。学生が受動的で、寝たりケータイをいじったりしてる、その講義室の空間に耐えられなかった。自分の中の何かが蝕まれていくような感覚だった。

 

そんなこんなで、12月の頭に大学を辞めた。

 

 

 

辞めてからの新しい発見。

 

それは
なにをしているの?って聞かれたとき。

 

これまでは「函館の学生です」

それだけでよかった。

 

でもいまは大学を辞めたことを説明する。

(でも本来は「ただの小林茉優です。」でいいはずなんだよなあと思いながら、、)

 

すると、あっけらかんと

 

「お〜辞めたんだねえ〜!」

「いいねえ〜👍」

「わたしも昔大学辞めたんだよね」

「うんうん、いいと思う」

 

などなど、そんな前向きで肯定的な返事が返ってくることがここ最近ほんと多い。

 

わたしが勝手にイメージしてた

世間体からの冷たい言葉は未だもらったことがない。

 

 

なーーーーーーーーんだ。

自分が自分らしい道を進む先で出会う人って、似た道を歩んでいたり、共感できることが多い人たちになってくるんだなあ〜と。そんな発見をした。

 

 

それなのにわたし自身がまだ

囚われを持っているんだよね。

どこかでジャッジ[判断]をしたがる。

 

だから、ついつい気になっちゃう。
旅で出会って仲良くなった人とかに
なにしてるの?とか何歳なの?とか。

聞いちゃう。。笑

そこにわたしは固定観念を持ってるんだよね。

そしてそのジャッジの目は他人だけでなく、常に自分にも向いている。

 

 でもそんなの、必要ないんだよね。

 

みんながみんな、自分の色を全力で出し切る先に、ちょーカラフルですてきな世界はあるんだろうな。

 

 

日本では高校卒業したら[就職or大学]って、流れが強くて、『なんとなく』大学に入っちゃう人って少なくないと思う。(もちろん目的意識あって入ってる人もたくさんいるよ)

 

でも、

『なんとなく』大学に入り

『なんとなく』4年生が過ぎて

『なんとなく』就活をしてみる。

 

それでいいの?

 

って思うことが多々あるのだよね。

 

この考え、意見は自分の経験からしかものを言っていないからすごく偏ってて固定的かもだけどね。

 

怖さもあるし、

世間体もあるし、

この先の不安もあるし、

親とのやりとりもあるし、

大変だった。大変なんだと思う。

 

だからこそ、この後輩の勇気はほんとうに素晴らしいと思うし、少しでも多くの人に触れられたらいいなあと思った。

 

 『こっから始まるんだなって思う。自分の人生は』そう彼が言った。

なんだかすごくうれしくて。

 

そう思える瞬間ってほんとうに言葉では表現できない感覚が体に起こる。なんかこう湧き上がってくるような。溢れてくるような。すごく幸せ。自分が自分でよかったと思える。

 

そんな始まりを歌っていたのが

私が乗っていたピースボート93回クルーズでの出港曲。

「Today my life begins 」Bruno Mars

その歌詞のわたしが好きなところだけのっけて終わりにしよう。笑

 

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 おわり。