Mi amas vin.

My life is my message

関係性は[自然]です。

 

 

さようなら

 

いままで、ほんとうに

ありがとう

 

わたしはあなたから

旅立ちます

 

どうぞ、あなたもここから

旅立って

 

ほんとうに

出会えて、こころから

よかった

 

ひとの気持ちなんて

動かせない

波のよう

風のよう

自然のよう

 

すべてを、あるがままにしておこうよ

 

 

 

↑ここまでが、出したいままに声を出してたら、ふと出てきた言葉たち。

 

 

 

フラットに戻します。

0に戻します。

恋人でもない

パートナーでもない

 

ただの、ひと、に。

 

 

そうしたら、

 

キスしたくないとか

触れたくないとか

触れられたくないとか

 

思っても、思われても

 

悲しくないでしょう?

罪悪感もないでしょう?

不思議じゃないでしょう?

 

 

 

悲しみはちゃんと言葉にできた

伝えることができた

涙として流すことができた

 

 

 

 

 

わたしの頭の中に蔓延っている

「恋愛」「恋人」「パートナー」

という観念、概念では、

おっつかない。古い。

在りたい在り方の妨げになる。

 

傷からわたしを守るために、

作り上げてきたものだけど、

もう、だいじょうぶ。

 

 

 

だから、さらば。

 

 

 

 

自然として、見よう。

 

 

 

 

水って流れるのが自然。

水が流れなかったら不自然。

 

風って吹くのが自然。

吹かなかったら風は風にならない。

 

それと同じように

そんなふうに。

 

水が流れるように

あなたとふたり。

 

風が吹くように

あなたとふたり。

 

 

 

 

水が流れるように

風が吹くように

鳥が鳴くように

月が照らすように

大地がめぐるように

雨が降るように

星が流れるように

日が昇るように

 

 

 

そんなふうに。

 

 

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ありがとうと死ねの狭間で

 

 

直に対して

 

 

「ありがとう」という気持ちと

 

 

「死ね」という気持ちと

 

 

両方同時に存在するというこのカオス。

 

 

 

 

 

 

わたしたちが、

 

2人の関係を軸に

 

360度まわりのひとと

 

愛で繋がるためには

 

避けては通れぬ道。

 

目を背けれないもの。

 

向き合うしかないもの。

 

 

 

 

いまはたしかに、必要な道の過程にいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはすぐに、

相手の些細な反応に

【見捨てられる不安】を発動させる。

 

誰よりもわたしが、

相手の1番でいたい。

 

誰か女の人に向ける「最高」という言葉が

わたしの胸にずきんと刺さる。

 

 

 

ただ、最高なものを、

直と共有したいのに。

 

ふたりで泣いて笑って感動したいのに。

 

ただ直が心震わせて感動したり

人とこころ通わせてる姿を

心から喜べるときもある。

 

その時の自分の状態を

わたしは知っている。

 

 

心が澄んでいて

自分の軸を、他人に明け渡さない。

自分の軸を、自分の中にしっかり立てる。

 

 

 

そういうときには、

この【見捨てられ不安】は発動しにくくなる。

 

 

 

 

でも発動したらもう、

相手の一挙手一投足が苦しい。

 

 

憎しみが

怒りが。

 

 

沸々と沸き起こる。

 

煮えたぎる。

 

怒る。キレる。物投げる。枕で叩く。肘打ち。などなどで攻撃する。

 

 

あーーいたたまれない。。

 

 

かわいそうすぎる。。直。。

 

 

 

自分の中にある

傷によって、

苦しみによって

 

相手を攻撃して、

自ら関係性を破壊しにかかる。

 

 

相手からしたら

とんだ、とばっちりだよなあ。

ただ、感動するものに感動し

最高だと思うものを最高と言葉にするだけで攻撃されるなんて、、ね、、笑

 

 

 

 

 

 

でも、もう、『ある』んだ。

 

たしかに。

 

確実に。

 

わたしのなかに。

 

 

それをないことにはできないんだ。

 

 

 

その叫びを

癒えてない子に

ちゃんと、気づいてあげるんだ。

 

 

この世でたったひとり、わたしが、

受け入れて、ゆるしてあげるんだ。

 

 

 

 

自分の存在意義や価値が

他人の軸に委ねられていると

 

 

すべてが傷になる。

 

 

というか、傷を思い出させてくれてる。

 

 

そうでなきゃ、生きてこれなかったわたしを。

そうでなきゃ、生きれないと思ってたわたしを。

 

 

それがわたしを《まもってくれるもの》だった。

でもいまは、《ありがとうって。もう大丈夫なんだよ》ってするものになった。

 

 

 

 

 

わたしがここまで、

この【見捨てられる不安】を発動できるのは

ここまでわたしのなかにある苦しみと向き合えるのは

 

 

直という存在がいるから。

 

1人ではできないこと。

 

2人だからできてること。

2人だから味わえているもの。

2人だから体験できていること。

 

 

そして直が、『自分が正直な自分で在る』という選択をしてくれてるから。

 

 

偽りの優しさで、

茉優の欲しいであろう言葉を

茉優の欲しいであろう態度を

差し出していたら、

わたしは、この闇は体験できていない。

 

 

 

茉優がどんなに

怒りをぶつけてきてても

泣いてわめいていても

 

そのすべての理由は

直にはなく、

茉優の中あって、

 

 

茉優のあれこれに振り回されず

自分のほんとうに従う選択をすること。

 

 

それができる直に

それをしてくれてる直に

 

 

『ありがとう』と思うわたしがいる。

 

 

 

と同時に、

苦しみの中、闇の中、

見捨てられる不安の中、怖さの中、

わたしでない女性に

心震わせる

涙を流し

自分に合う声だと言い

毎日寝るときに聞きたい声だという

その直に

 

『死ね』とおもうわたしもいる。笑

 

 

 

その反対には、

あーー最高だったなー。

すてきだったなー。

美しい声だった。

わたしたちに届けてくれてありがとう。

感動したよね!よかったね、直。

ありがとう、さおり。

ふたりとも、あいらぶゆーー!

 

と思ってるわたしも

ちゃっかり、

そしてちゃんと、

いるのです◎笑

 

 

 

 

 

 

 

日々、瞬間瞬間、

気付かされる。

 

 

 

わたしの中心はどこにあるか。

 

 

 

 

 

パートナーという、最も近い人間が

わたしにとっては唯一の最難関。

 

 

 

 

どしんと真ん中で立ち

深く深く根を張り

たくさんの幹と葉で

誰かの心を休めるような

木のようになりたいな〜。

 

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闇記録。

覚えておこう。

 

今がこんなに辛いということを。

 

 

やり場のない感情。

もはやなにが自分の本当の気持ちなのかもわからない。わかっても言葉にできない。

まったくそのままにまっすぐ交わされない会話。相手のてきとーな態度。

 

 

怒りを直にぶつける。

ものにぶつける。

 

 

突発的な行動。

歯止めの効かない衝動。

 

あー人はこうやって人を殺すんだ。

わたしはこの怒りと、この憎しみと、この衝動に、身を任せれば、人を殺せる。

 

 

わたしの知ってる歌で

 

『どうか殺すことなく殺されることなく生きてゆきたいものです』

 

って歌詞があるけど、ほんと、その通り。

 

 

わたしがいまここで死んだら、直はどんな思いするかな?

 

そう思う。

 

 

少しは後悔してくれるかな

少しはわたしを見ればよかったって

少しは自分のことばかりで動画漬け

で、わたしをほったらかしたなって

少しはもっと愛情表現すればよかったって

思ってくれるかなって

 

 

死にたいほど辛い。

死にたくて涙が出る。

 

 

紐で首をくくろうか。

 

あ、でもそうしたら、直の妹が首をつって自殺してるから、ちょっと酷かな。じゃあどんな死に方がいいかな。

 

そんなことを考えた。

 

 

どこへ行こうか。

 

 

 

 

生きづらさの本を読んだ。

 

 

わたしは攻撃されるかもしれない

わたしは見捨てられるかもしれない

わたしは価値がないかもしれない

 

 

この3つの思い込みが存在するらしく

わたし、ぜんぶあるやーーーん。

 

 

 

攻撃されるかもって思うから

相手の些細な行動、言葉が

わたしを否定されたように感じる。

だから『でも』から始まり

防衛的な反応をする。

 

 

わたしは見捨てられるかもしれない

って思うから

相手の小さな行動に敏感に反応する。

知らぬ間にどこかへ行ってしまわないか心配になる。から常に相手の動きを知っておきたくなる。コントロールしようとする。

他の人のもとにいっちゃいそうって不安だから嫉妬ややきもちが異常。

 

 

わたしは価値がないかもって思うから

人からの批判がまんま自分への全否定になる。

だから人の反応や評価を、これでもかってほどに気にする。怯える。怖くて何もできない。

「どう思われるか」それだけに頭が囚われる。

 

 

 

 

 

そんな中にいると

 

この世に、

自然の中に

たったひとりになれる場所は

ないのだろうか。

あ、動物とは一緒がいいな。

 

とか思っちゃう。

 

 

 

 

こんな闇をわたしは今味わっているけれど、

その中でも

やっぱり体を動かすことはいいことだと知った。

 

 

 

ビリーズブートキャンプを昨日やった。

ハード過ぎたけど、たのしかった。筋肉痛なった。

 

なんか痩せるとかいうエクササイズを今日はやった。ぜんぜん踊りのセンスなく動画の通りには体を動かせなかったけど、その自分のセンスのなさに笑いながら体を動かせた。

 

 

 

瞑想は無になるからいい。

そして必ず眠くなる。

この眠気のまま眠りにつきたい。

この眠りを邪魔されたら怒る。

 

 

あといまは

身体柔らかくなろうキャンペーンだ。

少しずつ。足が開くよう。前屈がもっとできるよう。

 

 

 

 

 

今日の発見は、

わたしは、

赤ちゃんが女の人のお膣から生まれてくる映像をみると具合が悪くなるということ。

息が苦しくなる。

 

まず、膣が広がりすぎてびびる。

ちんこしか入ってこなかった膣が

こんな開くもんなん!!??って。

 

あとは、頭まで出たらあとの体は

「ぎゅるんっっ!」って出てくる。

これが生々しいのなんのなんの。

 

 

胎盤はぐろっきーだぜ。

よく自然派の人が食べるけれど

わたしは無理だっ、、、ってなった。

 

 

 

いくつもの、

膣から赤ちゃんでてくる映像みて

何度も何度も

息を吐いて

Oh my gosh....

と、つぶやいていた。

 

 

 

 

この生まれてくる映像を見るときの

息の苦しさは

わたしが自分の指を膣にいれるときと

同じ息苦しさだ。

 

 

 

オイルマッサージで膣ケアとかいってたけど、

いまは遠のいている。億劫。抵抗ある。

 

 

 

なんかあるんだろうなー。

膣。

 

 

わたし、子どもの頃

一体どんなふうに生まれてきたんだろ。

 

 

 

 

そしてわたしが、子どもを産むことがあるのだろうか。

 

 

産むとしたらこんな感じがいいな

赤ちゃん産んですぐピザ頬張るくらいなこのポップさ。いいな。

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闇が深すぎて

でも絶対理解されなくて

呆れられて見捨てられる惨めさよりも

わたしは自ら離れる方をとりたいと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

境界性パーソナリティー障害

 

 

 

これとまんま一致する質をわたしは持ってる。

 

 

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直と出会う前、

付き合ってた人に振られて

見事に「見捨てられた」とわたしは思い、価値がない、生きてる意味がない、と思い、死のうとしました。海に行きました。最後に「ありがとう」を、と思い愛いっぱい育ててくれたおばあちゃんに電話もした。泣きながらありがとう、と言って電話を切った。あの日あの時、夜中を通り過ぎてもう朝方だったというのに、おばあちゃんは睡眠薬を飲んでいつも寝るはずなのに、おばあちゃんが電話に出たことに驚いたなあ。

 

 

 

境界性パーソナリティー障害という概念に、特徴にどんぴしゃりで、

この名前を知ったときはびっくりした。

 

 

あーこういう特徴、障害として認知されてて

こういう風になるのが

わたしだけかと思ってたけど、

わたし以外にもこうなる人がこの世にいるんだ

って思えた、それだけで随分と楽になった

 

 

わたしは、

ただのひとの特質、特徴、個性を

わざわざなんちゃら障害とか

既存の病名にはまりにいくのを

なんでだろうって、

そんなことしなくていいのにって

思ってた。

 

 

でもわかった。

 

なるほど、人は枠にはまることで

はまりにいくことで、

こんな心理が働くのだなあ〜と。

 

勉強になった。

 

安心。

言い訳。

 

 

 

 

そっから抜け出せなくなると怖いね

それとアイデンティティが混同すると怖いね

 

ただの一部。

ただの特徴。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまで書いたところで、

いま、直と直接話した。

 

 

わたしが死んでも後悔はしないと。

今の茉優とは関わりたくないと。

 

 

 

 

後悔させたくて死んだって

そんなん意味ないことで

馬鹿げたことだって

そんなのわかってる。

 

でも死にたくなるんだよ。

誰しもがきっとそうだ。

意味がなくったって

馬鹿げてたって

死にたいから死ぬんだ。

 

 

 

 

わたしのこの闇は

相手に重荷を与える。

 

いつもそうだった。

 

自分がどこまでも自分のままで

生まれる闇のままにいればいるほど

見捨てられる恐怖は大きくなる。

 

 

わたしの安心の出来なさに

わたしの不自然さに

あなたは悲しむけれど、

 

あなたより地球の誰よりも

このわたしが、

あなたの前で安心できるわたしでいたいし

自然でいたいと切に思ってるんだよ

 

しようと思ってできてたら

もうとっくのとうにできとるわい!

 

 

 

 

 

悲しいよね。

 

 

 

 

1番悲しいのは

 

 

 

死ぬか

殺すか

 

 

そんなところになってしまいそうで。

 

 

それが怖いから、

自ら離れようとしてること

被害者意識も悲劇のヒロインもせずに

それを認めよう。

 

 

 

 

 

わたしがどんなに頑張って

直に何かをさせようと

わたしの望むものは手に入らない。

たとえ死んでも。

 

 

 

それが事実。

わかってるようでわかってない。

受け入れたくないから受け入れれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

文字で残せたなかでは

史上最大の闇な気がする。

 

きっと大切な闇記録。これにて。

 

 

 

 

 

 

無料相談窓口 の限界

ああ、もう無理だ。

 

どんどん吸い取られてる。

 

自分がエネルギーをかけていること

それが受け取られず、返ってこず、

循環しない。

 

 

これじゃあエネルギーの浪費だ。

 

 

しっかり、受けとる

そのために、「お金」ってのは

本当にいい道具。手段なんだ。

 

 

 

ただで

無料で

友達だから

 

ってやってるから、こうなる。

 

 

 

もう、

これまで通りは生きていけない。

 

 

 

 

『受けとる覚悟』のためにも

お金をもらおう。

 

 

 

本当に

同じ世界で

交わし合える

与えて

受け取って

循環できる

 

それは心地がいい。

そこにはお金を介する必要はない。 

 

 

 

でも、そうじゃない対象と関わるときには、

 

何をどうしたら

【自分が心地よく在れるか】

 

そこに尽きる。

 

 

 

 

いまはあらゆるノイズから、雑念から

距離を置き、『独り』になりたい。

 

リトリートハウスを!と言ってるけれど

誰よりも必要なのはわたしで、

 

どこにいて

誰といたって

静かに、

自分の中と繋がってる時間、感覚を

だいじに、だいじにしたいんだ。

 

 

 

 

 

というわけで、

茉優に会ってほしい

茉優と繋げたい

茉優に話を聞いてほしい

茉優と会いたがってる子がいる

 

そんなこんなで、

めぐり巡って

わたしのもとへ来る人たちからは

お金をもらいます。

 

わたしもその分本気でエネルギーをかけるし

あなたもその分本気で受け取って

本気でどすこい相撲しような🤝

 

あなたはあなたのままの色で

わたしはあなた色微塵も染まらず

わたし色のままに。(←ここが勝負)

その2つの色が掛け合って

どんな色が生まれるか。どんな景色が生まれるか。

 

 

 

ってことで。

 

いろいろ試行錯誤してみよ〜

心地いいところ探そ〜

 

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好きな人といる時のわたしの不自由さ。

【恋愛すると不自由になる私=ださい隠したい】
って、ブロックを壊して出しちゃおう🌞
今日は初めて宇宙人の交信の音が聞こえた。
そうしたらいつも見てるオリオン座が
カラフルにチカチカして見えた。きれいだった。
わたしたち、仲がいいねとか、自然だねとか
言われることが多いけれど
わたしの実態はこれ。。。
『失う怖さ』
もういい!愛しきる!って覚悟持てるほどに、その怖さを味わい切れていないんだなあ。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたはいいよ。

 

 

 

1番大切な人の前で

1番失いたくない人の前で

自分らしく在れるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはそうじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは

一緒にいるのに何も言わずに襖を閉めることはできない

わたしは

楽しそうに話してるあなたに

もう眠いからもう聞きたくないって言えない

わたしは

ぶつかるかもなのに目をつぶりながらあなたと踊ることはできない

わたしは

あなたの存在を無視してほったらかして、ひたすら動画を楽しむことはできない

わたしは

キスしたくないとか可愛くないとか今はあなたが好きじゃないとか、そういうことは言えない

わたしは

誰もやってあげる人がいなくて、絶対にその人が困るって時に、やりたくないという気分を貫き通すことはできない

わたしは

待たせてる人がいるのに悠々とトイレは行けない

わたしは

繋いでくる手を、繋がないという選択ができない

わたしは

相手がキスしようとしてきてるときに、断るということができない

わたしは

相手が自分に手を伸ばしてきてもめんどくさいからスルーするってことができない

わたしは

相手の体勢・状況・雰囲気よりも、自分のその瞬間の体の心地よさのままに、体勢を変えることができない

わたしは

相手と喧嘩して、自分の中が平和じゃないときに家族や第三者とげらげらと大笑いしながら、時間を楽しむことはできない

わたしは

〜とキスしてみたいかも、とか、見てたらドキドキする、とかセックスしてみたいとか、言えない

わたしは

相手の全てを度外視して、「〜してほしい」「〜して」と願望や頼みごとをなにも気にせずに言うことができない

わたしは

相手がしてくれたことやくれたものに対して、気に食わなかったときにそのままに、気にくわないと伝えることができない

わたしは

相手が喋ってるときに、眠いからといびきをかいて寝ちゃうことはできない

わたしは

自分のせいで汚れた湯船に浮くゴミや髪の毛を、少しもきれいにしようとしないままお風呂を出ることはできない(これはただの文句だなあ笑)

わたしは

口で約束したことを、その時の気分で約束を破ることができない

 

 

 

 

わたしは

〜〜が

できない。

 

その意味は

 

 

直は

〜〜が

できる。

 

 

 

わかりやすく

わたしは〜「できない」って

書き連ねてみたけど、

厳密には

できないものと

難しいものと

勇気がいるものと、ある。

 

 

 

 

全部がぜんぶ、

できない、わけではないけれど、

そこに勇気や怖さがあるから、

 

それをけろっとやってのける(ように見えてる)直に、わたしは腹がたつ。

 

 

 

 

 

わたしが同じことをしようとしたら、

めっちゃ勇気いるのに。。

めっちゃ怖いことなのに。。

わたしはできないのに。。

ってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の本当の本当の意味で、

 

失う覚悟も

嫌われる覚悟も、

遠ざかってしまう覚悟も

悲しませる覚悟も

 

 

持って、わたしが

『ほんとうのわたしのしたい選択』が

一体どれだけできているだろう。

 

逆にどれだけそれが、

できてないだろうか。

 

 

 

 

あんだけできてないんだよーー!!!!!!

 

 

ぶわーーって書き連ねてみたけれど

全てを出し切れた気はしてない。

きっとまだまだある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病的だと思う。

 

頭から直が離れない度が。

 

 

 

直はなにしてるのかな?

直はどう思ってるのかな?

直はどんな気持ちなのかな?

直はいまどこにいるのかな?

直はいまわたしのことどう思ってるのかな?

直にどう思われるかな?

直が悲しんでしまわないかな?

直に嫌われてしまわないかな?

直を失ってしまわないかな?

 

 

 

 

 

そんな思考が

ほぼ一日中ぐるぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

 

究極的に言ったらね、

これはきっと、わたしが小さい頃からずーーーーーーーっと、お母さんに対して、思ってきたもの。

 

 

 

 

 

離婚してお母さんとわたしの2人になり。

お母さんは水商売や男の人とお付き合いして。

 

 

わたしがなによりも、恐れていたのは

 

お母さんまでも、離れていくこと

わたしを置いてどこかへ行っちゃうこと

そしてたったひとり孤独になること

 

 

お母さんが家を出るその度に

お母さんが仕事に行くその度に、

 

 

わたしは

大きな不安と恐怖を、

感じ続けていたのだなあ。

 

 

その、癖というかパターンというか。

 

 

癒されていないもの。

安心を感じれていないもの。

 

そういう質。

 

 

 

これ、いまはもう

わたしにとっては

自分で作りだしている檻。

 

 

 

だがしかし、

この檻から、抜け出ることができるのは

1日でほんの数瞬。笑

 

 

 

おふろの、あっつあつの湯船に浸かる、

その瞬間。「ああああぁぁーーー!!!きもちいーーーーーーー!!」って叫んでるその瞬間。

 

 

 

ヨガや瞑想をして

自分の体の内側の感覚や

血液が脈打ってる感覚

伸びの感覚

緊張の感覚

緩みの感覚

に、ただ気づいていて

思考が0になり、

『ただ在る』という状態にいるとき

 

 

 

 

もうこの2つくらい。

 

 

あとは、

前の記事に書いたけど

ひとりで好きなように体伸ばすように表現したいように、体を動かしたときだ。

 

 

それ以外の時間は

すべて檻の中にいるような、そんな感じ。

 

 

 

思考の檻の、外にいれたら、

俯瞰してるところにいれたら、

いいのだけど。

 

 

 

 

難しい。。わたしにとっては。

1番大切な人

1番失いたくないと思う人

の前で

自分のままに、在る

ってことが、

本当に怖くて難しくて勇気いる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついついわたしは、

わたしの望む状態[being]のために

すぐなにかしらの行動[doing ]を

取ろうとしてしまう。

 

 

でも、

この家にいながら

直と近くにいながら

自分で在ることに努めるのも

 

直の存在を端に置いて

自分のやりたいことを

「自分だけで」やることも

 

なんていうかな、

Doing だけでみたら

 

ただ直と同じ家にいる

ってことと

1人で物件探して拠点を持つ

っていう2つ。

 

ぜんぜん大きさの違うdoingに見えるけど、

 

どんなに大きなdoing をしたって、

内側が、心の中が、

檻の中ってこと、ざらにあるのよね。わたし。

 

 

もう直のことばかり考えてしまって嫌だー!!!もうそばから離れるー!!

 

って言って、

 

そばを離れても

一人で家で暮らしても

海外いっても

地球の反対側にいても、

 

だからって檻の外に出られるわけじゃない

 

 

 

何をするしないの

Doing によらずに

 

 

檻の外にいること

檻の外にいる檻の外にいる状態being で

いるということ、

 

それが大切って散々わかってんのになー。

難しいんだわ〜〜これが。

 

そりゃあ、助けてくれるdoingもあるのさ。

瞑想とかヨガとかね。

それも立派なdoing で。

 

でも、

Beingからの逃げのためのdoing 

Beingのためのdoing 

ってのが、

 

わたしにとっては

紙一重というか

曖昧というか

ごっちゃになりやすい。

 

 

そんでもって、わたしは

一箇所にじっとしてられないタイプ

 

 

だからついつい、動く方へ頭がいく。

 

 

でも最近はもう、それすら、

それでいいんだと思うようになってきた。

 

 

 

行きたくなったら行きゃあいい。

 

 

 

行って、

あーよかった。

あー変わらなかった。

あー逃げだった。

 

わかればいい。

 

 

そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、

わたしがひとり個体として

誰かと関わったり

誰かにコメントしたりすると、

 

相手の方から

直とセット

みたいに扱われることがほんとうに多くなってきた。

 

 

わたしがわたしの中で、

わたしという輪郭を持たせることができているときは、これを素直に嬉しいと、喜ぶことができる。

 

 

でもわたしが、わたしという輪郭を、直から離せずにいる時には、

直とわたしを一緒にしないで!

2人セットにしないで!

わたしをわたしだけとして見て!

って思ってしまうんだなあって、最近気がついた。

 

 

 

 

 

2人は仲がいいねって、よく言われるけど、

 

暴力的な喧嘩もするし

胸ぐら掴んだり殴り合いしたり

叩きあったり蹴り合ったり

物を相手に投げつけたり(特にわたし)

する。

 

 

先ほども挙げたけど

好きじゃないとか

キスしたくないとか

可愛くないとか

ぶさいくだねとか

直は平気でわたしに言うし。

 

 

ぜんぜんわたしは

まだまだ直の前でのびのびしていない。

自ら作り出している不自由の中にいる時間が多くある。

 

 

 

 

 

でもそれすらも、

ぜーーーーんぶひっくるめて、

一緒に生きていきたいと

思いあえている、

そのことを、仲がいいというのかもだけど。

 

 

 

 

その中でも

すこーーーーしずつ、

確かな変化もあるよ。

(なんとなくこれ。直のブログ

『私の好きは変わらなかった』http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2018/12/09/213010

 

 

直と一緒にいる時の身体の緊張はだいぶ、とれてきた。『強張ってる』ってことに、自分で気がつけるようになった。

直より先に寝れるときもすこーーーしずつ。

 

 

直は、

茉優が茉優らしい姿

が1番すきなのに、

自分の存在によって

茉優が茉優らしく在れなくなる

という、、なんともな。

悲しいって今日も言ってた。

 

 

完全にわたしの質のせいで、

ごめんね、、っておもう。

 

 

 

 

 

 

小さな選択から。

わたしがわたしのままの選択を。

 

 

 

 

 

 

 

 

直に頼まれごとされて

力尽きたから

ブログはここまで。。

 

 

あ、今日ね

昨日のブログに紹介してた

キッサコの般若心経聞いてたら、

宇宙語というか、

宇宙人の交信、会話みたいな音が

イヤホンから聞こえてきて。

 

あー面白いなあ。こんなふうにしゃべってるんだ〜〜!って楽しく聞いてて。

 

あ、そういや直の魂は地球が初めてで

宇宙人みたいなひとだって

おちゃらけライトワーカーさんが

子宮シーディングのときに言ってたから

きっと懐かしむのだろうなと思って

直にも聞かせてみたら

うぁーんって、泣いてた顔(﹡ˆᴗˆ﹡)笑

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案の定、なつかしくて嬉しかったご様子でした。

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わたしの苦手な踊り

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わたしはびっくりするくらいに、

踊りができない。

 

なにかを見て

同じように踊るってことができない。

 

 

え、なんで、目から入る情報を

自分の体で再現できるの!!!???

どうやるのーー!!!??

って感じ。笑

  

 

ダンススクールとかで、

鏡の前で

真ん中にいる先生の動き見ながら

おんなじように踊ってる人をみて

いつも、驚愕する。笑

 

 

 

 

試しにね、前やってみたの。

中込さんっていう、

世界で踊って、ダンスで世界中の子供たちと

繋がる人。

 

そのひとの踊りがたくさん動画でアップされてるから、

鏡の前で、その動画を見ながら

同じように動こうとしてみた。

 

 

結果、

まっっっっっったくもって

同じようには踊れず。。笑笑

 

 

 

あーわたしは、

どこまでも、

 

何かや誰かに「合わせて」

ってことができないんだと、

わかった。もう参りましたって感じに笑

 

 

 

 

 

最近、キッサコっていう、

本当のお坊さんが、

般若心経を音に合わせてハモりながら

歌ってる動画にはまってて。

https://youtu.be/958qchBNs60

 

 

 

ほんとうに音が気持ちいいんだ。

 

初めて聞いた時から、

ほぼ毎日、何度も聞いてる。

 

 

心が落ち着くんだよね。

 

 

感情がぐちゃぐちゃしたとき、

それを聞いたら

涙が流れた。

 

 

わたしの苦手で怖い、

1人での運転も

その曲をかけると少し

安心して運転ができる。

 

 

 

お経もマントラだから

言葉にエネルギーがあるんだろうね。

 

 

 

その、わたしのお気に入りの般若心経を聴きながら、

 

1人で

好きなように

伸ばしたいところを伸ばすように

踊りのようなヨガのような感じに

体を躍らせてみたときがあった。

 

 

 

そのときの、

生き生きとした

のびのびとした

喜びのような感覚が、

わたしは忘れられない。

 

 

 

あーーー、

わたしの中にあるものを、

どんな目も気にせずに

ありのままに、

そのままに、

体いっぱいに表現できるとき

わたしの心はこんなにも、るんるんする

 

 

 

ダンサーとか

みんながすぐイメージするような

かっこいい、

形のある

踊りじゃない。

 

 

その「瞬間」の、

その「わたし」

にしか

踊れない

動き。

 

 

 

 

それを大切にしていきたいんだ。

 

 

 

 

 

もう、その一曲全力で踊ると

もうへろへろで。

 

 

だから、1日1回って決めてて。笑

 

 

 

今日は初めて直の前で踊ってみたのだけど、

今はまだ、直の前でも恥ずかしい。

 

 

 

写真は直の前で踊ったとき。

 

 

だから、まだ当分は一人で踊ろうかな。。

 

 

 

あ、ちなみにこの写真も

 

わたしが中学とか高校生ころから

自分が太ってること

というか

足が太いことがずっとコンプレックスで。

 

 

『わたしはもう一生死ぬまで

膝上は出さずに生きていく』と

心に固く決めたときがあった。笑

 

中学生だったかなあ。

 

高校生のころは本気でバドミントンやってたから、ふくらはぎが、ぼこってししゃものように筋肉ついてて。だから高校生から、わたしの足すべてがいやだった。筋肉質すぎて。太すぎて。

だから大学では、絶対に黒タイツ。素足だなんて言語道断。

足首まである長い丈だったり

ふわっとして足の太さのわからない

ズボンやスカートを履くようになってた。

 

 

 

だからこの服にいつもレギンス履いてるのだけどお風呂上がりに踊ったもので、素足。

 

しかも全然膝上。

 

 

だから、けっこう1F。

怖いこと。勇気あること。

でもだからこそ、ここに写真を載せとこうと思う。

 

 

 

あ、でもピースボート降りてからわたし

13キロ痩せたから、

そのコンプレックスに思ってた時代よりは

だいぶすっきりした方なんだ〜

 

 

体がコンプレックスだなんて

肉体を選んだわたしに

かわいそうすぎるよね。

 

 

少しずつの、

ちっちゃな、

体の心地よさを

大切にしていこう。

 

食べるでも

動かすでも

動かさないでも。

ストレッチとかヨガとか瞑想とか。

 

 

 

 

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怒鳴られて泣き、抱きしめられて泣く。

 

 

 

 

ついにその時が来た。

直のお父さんの嘆きや悲しみ、寂しさが、

ふとしたことを引き金に

怒りとして爆発した。

 

 

 

 


これが爆発するのを

わたしはずっとずっと、怯えてた。

 

だから、

お父さんから目を背けたかった。

向き合いたくなかった。

 

 

 

 


でも、それは突然に。

しかも初めて、わたしに対して。

いつも家族のおばあちゃん、お母さん、直に対してだけだった。

 

 

 

 


怒り、怒鳴るそのお父さんの

目から、表情から、

いっぱいいっぱい伝わってきた。

 

 

 

自分の思いが無視されて悲しかったよね

嫌な気持ちをないことにされたんだね

ないがしろにされたと感じてたんだね

嫌なものを、嫌とはっきり言い切れず

伝えきれず、ニーズが叶い切らなかったんだね

 

(書きながら、あーこれ、自分に言ってるみたいだなあ〜。あー自分に言ってるのか。わたしからわたしの言葉なんだなあと、わかった。)

 

 

 

 

 

お父さんの思い全てをキャッチして

「ごめんなさい」と謝れた。

 

 

 

 

 

わたしはお父さんが怒鳴りだしてから

終始泣いていた。

 

 


人が悲しみや寂しさを言えずに

溜めて溜めて溜めて、

怒りとして爆発したときの

エネルギーとは凄まじく恐ろしい。

 


しかも突然だから、わたしはびっくりした。

 

 


びっくりと怖さとで、ずっと泣いてた。

 

 


でも、その怖さは怖さのまま、

形を変えることなく

涙とともに昇華された。

 


だからお父さんに対する

反抗心とかは生まれなかった。

 

 

 

お父さんの思いをすべてキャッチし、

その上で、わたしもわたしの思いを話せた。

 

 


わたしに対するお父さんの思いや愛は

伝わってるよ、受け取ってるよ

ってこと。

 


わたしにとってのやりたいことってのは

お父さんのニーズとぶつかるから、

もうこの家ではやらないねってこと。

 


でもわたしは、やりたいことをやって生きていくから、そのためにこの家を出ていくねってこと。

 

 

お父さんは、頷きながら

わたしのことばを受け取ってくれた。

 

 

 

 

お父さんはしきりに、

 

おまえたちにこの家から出てけって言ってるんじゃないぞ

って。

明日、「おせわになりました。」とか言うのはやめてくれよ

って。

 

ただ、わたしたちに対しての

愛や優しさを伝えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「まゆちゃん、うちに娘ができたようなもんなんだからな」

 

 

 

 

 

そう言いながら涙を流してるお父さんに

わたしもまた、うあーーーーーんって泣いた。

 

 

 

お父さんは、自分の子ども4人の中の

唯一の娘を、亡くしている。

17歳の時に直の妹は自殺をした。

 

 

それによる、心のダメージは計り知れない。

 

 

だからこそ、

お父さんが、どんな思いで

わたしに対して

「娘ができた」と言ってくれてるかなんて

想像に容易かった。

 

 

わたしはうれしさと胸の苦しさと喜びと

涙ぼろぼろ流しながら

「ありがとう」って言った。

 

 

リビングにきてからずっと

わたしの隣で手を握り

わたしの体をさすり続けてくれてた直も

泣きながら「よかったね」

って言ってくれた。

 

 

 

直は終始、

「2人ともに在る」という在り方で

そばにいてくれた。

直の手はいつも通りあったかくて。

冷たいわたしの手をあっためてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

ひと通り話が終わり、

直と二階にかえろっか

となって、腰を上げて

リビングを出ようとしたら、

 

 

お父さんが近寄ってきて、

腕を広げてきた。

 

一瞬、え!?って、わけわかんなかったけど、

同時に

一瞬で、わけがわかった。

 

 

そしてお父さんが、

『お父さんの方から』、ハグしてくれた。

 

 

『お父さんの方から』ってのが本当に

これまでだったらあり得ないこと!

奇跡!!!!え!!??まじ!!!??

ぐらいな、感動的な奇跡なの。

 

 

 

だから、

ほんとうにうれしかった。

 

 

 

お父さんは

しっかりと、

とてもしっかりと、

抱きしめてくれた。

 

 

ハグしてる間

わたしのほっぺと

お父さんのほっぺがくっついてて。

 

お父さんのほっぺはやわらかくてあったかかった。

 

 

こんなにも『父性』というものを感じたことあるだろうか?記憶がある中では初めてだなあって。そう思った。

 

 

 

 

わたしを抱きしめてくれたお父さんに、

 

わたしの代わりに直が「ありがとう」って

言ってくれて、リビングを去り、扉が閉まったその直後に廊下で、直とわたしが抱きしめ合って。

 

 

2人泣いて喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あーー、わたしは、

直と出会って、

桑原家にきて、ほんとうによかったなあ

 

 

って、心の底から思った。

 

 

 

わたしがこの家に住み始めてから

直と共に生きてから

想像を超えるような『変化』が

ほんとうにいっぱいあった。

 

 

 

 

直のお母さんとは、

対いち人間として、

ありのままに、関われた。

思うことを、正直話すことができた。

 

 

でもいつもいつも、

お父さんとは、

見る世界が生きる世界が違すぎて

理解しあえなかったり

お父さんの話がおもしろくなかったり

怒ると怖いなあって思ったり。

 

 

この群馬の家にいて

わたしのモヤモヤやストレスの原因は、

主にお父さんの存在と

直に写して浮き上がるわたしの内側によるもの。

 

だった。

 

 

実の父親との関係を、

一個前のブログに書いたけど、

 

なんだか

別のようで実は同じなんだってわかった。

 

 

わたしの中での

 

実の父親に対するもの

直の父親に対するもの

 

 

苦手意識や、

確かなつっかかりは、

同じだ。

 

 

 

 

だから

あのブログを書いた次の日に

この出来事があって、なんともまぁ

「流れ」なんだなあって。

宇宙の采配に、あっぱれって感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直と出会い、

ともに生きていきたいって一心で

直が住む群馬の実家に

わたしも一緒に住んでた。

 

そこで、生きながら、

桑原家が使っていない

二階に直と2人で生活しながら

(二世帯住宅だったから二階にトイレも台所も部屋も寝室もあった)

 

その中で、

直と出会う前から、

わたしのなかにある、「やりたかったこと」を

なんとかかんとか現実にしてった。

 

でもそれははっきり言って

セカンドベストだった。

妥協策みたいな。

 

 

ずっとわかってたんだ。

だから何度も何度も出ようとした。

文句言ってた。

 

 

 

でもそれらから逃げるように

出てくのではなく、

ちゃんと対峙して、

向き合ってその結果、

出ていくという運びになって

 

 

すべてのこれまでの、

わたしがこの家で過ごした時間全てが

必要だったんだと思えた。

 

 

 

ついに、そのフェーズがおわり。

 

 

 

何にも引っ張られず

何にも遠慮せず

 

 

やりたいことを、

『本当にやりたいように』やる。

 

 

その時がきた。

ずっと待ってたよ。

 

 

 

 

 

新たな拠点がどこになるのかはわからない。

何と出会えるだろうか。

 

 

やりたいことのイメージは

日々ふくらむ。

 

やってみなきゃわかんないから

とにかくやってみたい。

 

 

 

 

自分の声を聞いてもらえず、怒るお父さんによって、

わたしの声を聞いてあげれないわたし、とさよならができた。

 

 

群馬のこの家にいるときにしかできない

口唇ヘルペス

 

体が教えてきてくれた。

「あなたの生き方ちがうよ〜〜」って。

 

 

 

 

ありがとう。

ごめんね。

赦してください。

愛しています。

 

 

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ちなみにこれが直のブログ

同じ出来事を前に、

ここまで文章が違うことが

ほんとうに面白い(╹◡╹)

http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2019/02/07/132250