Mi amas vin.

My life is my message

あれれ?最高で完璧だったじゃん!!

 

 

私が1年くらい前から

尊敬してていつも背中を押してくれてた存在に

まゆちゃぱうぉにか さん  がいる。

 

 

等身大にめいっぱいに全開で生きる姿

彼とのセックスレスによるあれこれを

堂々と清々しく文章にする姿

 

 

に、いつも、いい刺激をもらっていた。

すてきな人だな〜って思っていた。

 

 

 

 

そのまゆさんが、[ここまっぷ]っていうのやってて、

http://chapawonica.hatenablog.com/entry/2018/09/18/111458

 

それを千葉に行ってやってもらった。

 

 

 

というか、正確にいうと、

会いたい人に会いたくて

ここまっぷやる直についてったら

その後の変容が見事なもので

わたしもやる!と急きょ決めた感じ。

 

 

 

 

 

 

ここまっぷは、自分の中にある・いる

チームメイト(キャラ的な)や、感情を

一つ一つ見ていく。

 

 

 

 

わたしは、このブログのおかげか、

直との濃密なコミュニケーションのおかげか

自分のことをある程度認識できてて。

 

 

 

あとは、チームプレー、連携のところだねって、話してた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

0か100かの極端な人間なんだけど、

まゆさんと話してるうちに、

 

 

100のわたしは最高で、そのままでいいけど、

 

【0のわたしは、最高ではなくて、

努力して1〜99にいけるのなら

行ったほうがいいかも、、?】

 

 

って思ってる自分に気付いた!

 

 

 

 

わたしの中の

100のわたし

0のわたしが

 

 

融合してったらなぁ

融合したら今よりいい感じになるかも

 

 

って思う自分がいたんだけど、

そもそも100のわたしの態度が

【分離の姿勢】だって気付いて、

自ら分離させときながら、融合したらなあ

とか思ってたわたしなんなんだ!

てか『今より』とかねぇし!いましかねぇし!

 

 

ってなった笑

 

 

 

 

知らず知らず、

良い悪い   とか

上と下    とかのフィルターを

自分自身に採用してることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

そもそもわたしの

0の世界のすべては、

 

 

あのときに始まった。

 

 

 

わたしが2歳か3歳のころ、

 

 

両親が離婚して、

お母さんとわたし。

お母さんは水商売と彼氏。

あまり一緒にはいなかった。

彼氏の家にわたしひとりでいた時もあった。

 

 

 

ある大雨の日の夜。

雷が鳴ってて怖かった。

1人で寂しかった。

寂しいけど誰もいなくて悲しかった。

わたしはただ、部屋にひとり

テレビの七色を眺めていた。

 

 

 

このとき、わたしは、

地球のなかで「点」(=壮大な孤独感)であることを突きつけられた。

 

「点」でしか、あらざるを得なかった。

 

 

 

さみしいよって

かなしいよって

こわいよって

子どもが子どもらしく、

純粋な感情をそのままに感じて出してたら

そこには誰もいなくて

感情の行き先がないから、

どうにかなっちゃいそうで、

 

 

だから【無】ってのがでてきて、

無のお兄ちゃんのナイフくんにより、

ぐさっと、突き刺されて

そのとき、

胸は、こころは、いたいけど、

 

 

 

痛いってことは、あなた生きてるってことだよ

 

 

 

って。

 

 

 

 

ここにいるよ

 

 

 

って。

 

 

 

 

 

生きてね

 

って。

 

 

 

 

そう教えてくれていた。

 

最後の砦だった。

 

 

 

 

 

このナイフくんによる、胸の痛みは、

彼氏と別れる時に出てくる感覚と一緒。

 

 

 

 

 

そう考えたら、

【あの感覚】えぐられるような、胸に突き刺さるような、あれ。

 

それは、

あなた生きてるよって

ここにいるからねって

伝えてくれて、

その正体は《愛》だったんだと気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは自ら、0にして、

ひねくれて、孤独を味わうのだけど

 

 

それも、あえてしてるというか

わざとしてるって感覚がいつからかあって、

 

 

それは、ここにナイフくんが

ぼくはいるよ〜〜って

監督(わたし)気付いて〜〜って、

 

 

そう、訴えてくれてたんだなあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球のなかでたったひとつの点。

壮大な孤独を味を知っているからこそ、

 

 

わたしは、人とつながることの喜びを

泣くほど知っている。

 

 

そこらじゅうに溢れてる愛を

見ることができる。それに感動し、感謝することができる。

 

 

 

2つは必要不可欠だった。

 

 

 

これがわたしのチームだった。

 

 

 

 

 

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わたしは、そんなチーム小林茉優を

引き連れて、

目の前の人と、『どうしたいか?』

ってところ。

 

 

 

 

人と、他人と、つながることも大事だけど、

その前にまずは、

 

 

わたしの中にいる、

チームメイトが、手を繋いで、

調和のなかにいれるように、

わたしは監督として、

この子たちを面と向かって確認する。

 

 

 

あなたいるね って。

こう感じてるんだね って。

ありがとう って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日直と、叩いたり投げたりの盛大なケンカをして気付いた。

 

 

 

 

 

わたしが、

大切な人を、これでもかってほどに

傷つけるのは、

 

 

 

お母さんと2人で暮らしてたときに

しょっちゅう出てきてたわたしの中の

さみしい子ちゃん。

 

「どこにもいかないよね?」

「どこへ行っちゃうの?」

「誰のところにいっちゃうの?」

「ひとりはさみしいよ」

「かなしいよ」

「こわいよ」

 

 

この子は、今もわたしの中にいて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんなに傷つけてもあなたはどこにもいかない?離れていかない?信じてもいいの?」

 

って、確かめたくて、確かめたくて

 

 

 

傷つけてた。

 

 

 

 

 

それに対していつも直は、愛を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

その度にわたしは、わんわんと泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもいまはね、

監督として、

大切な人を大切にしたい

って思いがある。

 

 

 

 

だから、もう傷つけるのはやめようって思うんだ。

 

 

 

 

これまで傷つけてきた意味を、わけを、

初めて知ったときに、味わったときに

それはもう、卒業だなと思えた。

 

 

 

 

 

ありがとう、ありがとう。

わたしにとって、大切な

意味のあるじかんだったね。

 

 

 

ありがとう、ありがとう。

傷つけられても傷つけられても

愛で返してくれて。

これまでわたしが味わったことのない

愛を味わわせてくれて。

愛をおしえてくれて。

 

 

 

 

 

 

そしてね、こんなにも、

傷つけていながらも、

 

愛していいってこと、

好きでいていいってこと、

 

それに、涙が止まらなかった。

 

 

自分が何をしても

 

愛したい人を

愛せるってこと。

 

 

 

 

それがわたしにとっては

当たり前じゃなくて。

 

 

 

 

 

 

ケンカをした後に、

直の肘や手をマッサージしてるとき、

そのことに、胸が溢れてた。

 

 

 

 

 

 

 

直が直を大切にしてないから

わたしによって傷つくんだ!

 

とか思ってたけど、

 

 

 

『わたしは、確かに、直を、傷つけていました。』

 

 

 

この言葉を、初めて、口にしたわたし。

 

 

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

許してください。

愛しています。

 

 

 

そう、心の中でつぶやいて、眠りについた昨日の夜。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

[お母さんからの愛]を、

あたまでは、わかっていたけれど、

(ここ最近はすごく感じるけど)

過去のことに関しては、

【実感】が、伴っていなかった。

 

その、欲しかった【実感】を、

必死に直に求めてた。

 

 

 

そして、もう、じゅ〜〜ぶんに、

【実感】を感じれた。味わえた。

 

 

 

まゆさんが言ってくれた。

 

「あなたのお母さんは神なんだから、

愛されてないわけないじゃん!」

「神が愛さないわけないじゃん!」

 

って。

 

 

 

 

 

どうとでもとれる過去。

 

 

 

 

自分の心地いい方に、

自分がしあわせだと思う方に

とっていこう。

 

 

 

 

確かなものは

 

わたしが何を感じるか

 

だけ。

 

 

 

 

 

あの人がどうとか

この人がこう言った

 

とかじゃない。

 

 

人の言葉や行動や、社会通念、常識は

不確かなもの。

 

 

 

 

 

 

そう、教えてくれたまゆさん、

ありがとう。 

 

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怒鳴ったら、ひと山越えた話。直を送り出します。

前に見ていた、坂爪さんのこのブログ。

 

「茉優じゃん」と、直に言われていた。

 

 

私は思う。怒りや悲しみの感情『だけ』を押し殺すことは不可能で、それらを封じることは感情全体を封じることになる。ネガティブに蓋をすると、皮肉なことに『ポジティブも絶滅をする』のだ。自分の嫌いに蓋をすると、自分の好きがわからなくなる。怒りを忘れた人間には、冷たい血が流れる。そして末端冷え性になる。

 

怒りはホッカイロである。怒りはネガティブなものではない。怒りは一種の愛情表現である。不機嫌と怒りは違う。憎しみと怒りも違う。怒りは瞬間沸騰的なもので、あと腐れのないものだ。溜め込んだ怒りが腐敗をすると、憎悪や呪詛や不機嫌になる。誰かに対する憎しみを耕す時、それは『自分自身に対する憎しみ』も同時に耕してしまっている。我々は「愛」とか「感謝」という言葉を好んで使う。大事な概念だとは思うが、愛や感謝が「怒りを出すべきタイミングを殺している」場合もある。愛している場合ではない。感謝をしている場合ではない。それよりも怒ることだ。と、そのように感じる瞬間がある。もっと言えば「愛とかなんだとかお利口なことを言っているときより、怒りを爆発させているときの方がよっぽど人間を愛せている」とさえ思う瞬間がある。もっともっと言えば、怒るときに『愛そのもの』になっているとさえ、私は思う。

 

愛とか感謝とか優しさよりも、我々は怒り方を覚えなくちゃいけない。怒り方にはコツがいる。SNSとかでよく見る「あべ死ね」とか言っているタイプの怒りは最低最悪で、絶対に真似をしちゃいけない。真の怒りは切れ味鋭く、尾を引かない。爽快で、潔く、根底に愛がある。怒りを避けることは、自分の嫌いを受け入れるということだ。自分の嫌いを受け入れるということは、自分が「嫌うものそのもの」になるということだ。別に人類全体を愛する必要はないと思う。が、自分が常に近くにいる人間、職場、学校、家庭など、自分の生活の基盤となる場所では、怒りを表明していきたいと思う。

 

https://www.facebook.com/1482349508/posts/10217709765244200/

 

 

 

確かにわたしは怒らない。

 

 

怒鳴らない。

 

 

 

 

あ、でもよくひねくれる

ということはしてて、

 

その、ひねくれの最高潮に

キレることはあるけど、

 

 

 

それも、たまって、たまって、

 

 

爆発したように、

 

 

出る怒りなんだよね。

 

 

 

 

 

『溜め込んだ怒りが腐敗をすると、憎悪や呪詛や不機嫌になる』

 

 

 

わたしのこれまでの

 

 

『ひねくれ』

 

 

って、

溜め込んだ怒りによる、不機嫌じゃん!!!

 

 

 

 

その場、その瞬間、で

 

 

怒ることって、

 

 

 

そうそうないなあ。

 

 

 

 

 

 

なんか自分の中でぐるぐる会話が始まって

結局外に出す言葉は

何もないというか

何も言えないというか、

何も出てこなくなる。

 

 

 

 

 

でも今日、瞬間沸騰的に

 

 

怒鳴った!!

 

 

 

 

 

男性とセックスしたいだの

 

茉優とのまぐあいがどったらだの

 

 

 

 

ぐちぐちと、言い争ってたわたし達。

 

 

 

 

 

 

『これまでの、茉優とのまぐあいはちっぽけだ』

 

 

と、直に言われて、

 

 

 

ちっぽけ=価値がない

 

 

と解釈したわたしは

 

 

 

もう悲しくて腹立たしくて、

 

 

 

 

『行けよ!!!!!!』

 

 

『男のところ行ってこいよ!!!』

 

 

『行け!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 

 

って、本気で怒鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その怒りは、

 

坂爪さんの言う通り、あと腐りのないものだった。

 

 

 

爽快で、潔かった。

 

 

 

 

 

あんな怒鳴ったこと、なかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度、京都のヴィパッサナーセンターにいたときに見た夢で、

 

 

お兄ちゃんと車に乗ってわたしを置いていこうとする、運転席にいるお母さんに対して

 

 

 

 

叩き割るような力で

窓ガラスを叩きながら

 

 

 

 

怖すぎる男みたいな怒鳴り声で

 

 

「おい!!!」

 

「おい!!!!」

 

「おい!!!!!!」

 

 

 

って言ってた。

 

 

 

 

そしてその「おい!」は、

 

 

夢にとどまらず、

 

 

実際に口にしちゃってて、

 

 

 

その自分の怒鳴り声で、目が覚めた。

 

 

 

 

 

目を覚ました時は、

 

信じられなくて

 

自分が自分でなくなったような、

 

そんな末恐ろしい感覚だった。

 

 

 

今思えば、あんな風になることが、

大切ですよ〜〜ってメッセージを

夢が教えてくれてたのかもなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちっぽけって言葉が引き金だったけど、

それも面白くて、

 

 

わたしは

 

[ちっぽけ=価値がない]

 

 

だけど、

 

直が言ってた意味は

 

[ちっぽけ=足りないからもっとして]

 

 

 

だった!

 

 

 

面白いね〜

 

 

 

 

 

 

そして、怒鳴った後は

 

なんだかすっきりして、

 

 

 

 

 

 

てかなんで、

余命半年だったらこれする!

ってのを、いま、やらないの?

 

 

 

って思い出してきて、

 

 

 

 

「茉優には、直を埋める気がない」

 

 

って確定を得てから、

 

男性を探すって、直が言ってたんだけど、

 

 

 

 

 

や、茉優の意思がどうこうに関わらず

 

 

 

 

もうそれやりたいんだから、

 

 

好奇心に勝るものなんてないんだから、

 

 

探しちゃえよ!!

 

 

って思って。

 

 

 

 

別に茉優との間が

どうこうしてからじゃなくたって

 

茉優との関係は、何を決めなくても、

そのまんまにさせときながら

 

 

 

もうあなたは、その一歩を踏み出したらいいやん!!?

 

 

 

って思って、

 

 

というかね、

 

好奇心に勝るものはないんだから、

 

 

直がその、壮大な好奇心を抱いたまま

一緒にいられても、宙ぶらりんな感じなんですよ。

 

 

 

だったら、

 

「一回その好奇心を満たしてこい!

じゃないと何も始まらない!」

 

と、ケツを叩いて

 

命令口調で、直にあれこれ言いだす自分がいた。笑

 

 

 

FBに書いてみなさい

思い立ったが吉日だから、今から書きなさい

ほらケータイどこ!

 

 

って笑

 

 

 

 

あんなに、

「男性とセックスがしてみたい」

という直に対して

 

ひねくれて、ぶつけて、怒って、

泣いて、突き放そうとしてたわたしが

 

 

 

 

直のその願望、好奇心に、

応援的になり、

尻を叩く

 

 

その姿に、あっけらかんとしていた直が

ひとこと。

 

「茉優、ひと山越えたね、、、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

越えたわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、軽くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして直は、いま、となりで、

Facebookに、投稿文を打っています。

 

 

これ。

読んであげて。

 

【ダイブする私と手を繋いで下さい!】
〜素敵な人に届きますように〜

 

私、余命半年なので(仮)、

思いきって、飛びます。

私と、まぐあってくれる男性を探しています。

 

【私】

私は今まで一度も経験がありません。

 

今までの相手は全て女性で、今も女性のパートナーがいて、彼女との関係は私にとってかけがえのないものです。
私は彼女を性的に丸っと受け入れられるようになりたいと思い、現在進行形でトライ中です。男性とまぐあってみたいという願望が、引っかかりとなってしまっているように感じます。

 

私はずっと女性扱いされることに抵抗を感じてきたし、女性として男性とセックスすることがこの世で1番怖いことです。

 

 

小学生の頃から胸を潰してきたし、5年ほど前におっぱいはとってしまったので、
胸はかわいそうな感じになってしまいました。

猛烈な恐怖や不安に襲われる度に過食してしまう習性があるため、(今まさに過食期)お腹はたぷんたぷんでだらしないことになっております。

頭が大きく、手足が短く、胴がでかい。
ドラえもんと言われる度に実はとても傷付いてきました。
男としても女としてもこの体を求めてくれる人なんていないと思って生きてきました。

男性ホルモンの注射を5年ほど打っていたので、 脇毛やすね毛、大事なところの毛など、かなり豊富です。私は気に入っています。

 

不恰好な私が女としてセックスしたいと男性に求めることに、
私は猛烈に惨めさを感じています。

 

 

そんな私もぜーーーーーーーーんぶ道連れに一歩を踏み出すと決めました!!!!!

 

 

【そんな私が男性とセックスがしてみたいと言い出したのは…】

 

自分の命が余命半年だったら…という企画に参加した時に、
一番に出てきたやりたいことだったから。。。。

 

イベントではノリノリだったものの、
家に帰って得体の知れない猛烈な不安に襲われて、
得意の過食とテレビ&動画漬けの時を過ごしました。


そんな日を丸2日ほど送っていたところ、
ケンカをしまくっていたパートナーの茉優から、ついに痛烈な一言が。

 

 

「一回好奇心を満たしてこい。そうしないと何も始まらない。」

 

 

私が男性とセックスをしてみたいと言う度に、泣いて拗ねたり、キレたり、モノを投げたり、していた彼女から出た、

 

キレッキレの言葉。

 

 

私は遂に動かざるを得なくなりました。

 

 

そうなんです。

 

私は男性とまぐあってみたい。

その最中に私が何をどう感じるのか。

気持ちいいのか痛いのか。

満たされた感じになるのかならないのか。

見える世界はどうなるのか。

苦手な男性が敵から味方に変わるのか。

女である私を私は愛せるようになるのか。

茉優との関係はどんな色になるのか。

死にたくなるのか。

それとも、
なーーーーーーーーーんにも変わらないのか。

 

なんだか分からないけど、
とりあえず死ぬ前に一回、体験してみたいのです。

 

 

何よりも、

どんなに否定し続けても私の中に間違いなくいる《女の私》を

男性に受け入れてもらってみたいのです。

 

 

 

全ての自分を抱きしめて
今、
投稿ボタンを押します。

 

恐ろしく勇気のいることではあると思いますが、
もしピンと来た方がいましたら、メッセンジャーで連絡下さい。


お待ちしています。

 

愛を込めて

 

 

https://www.facebook.com/100006023828466/posts/913995385477914/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずーっと直は、

 

「怖い怖い」って、

「何が怖いのかわからない」

 

って言ってるけど、

 

 

あなたは、

 

 

 

あなたが、

あなたを、

女性として受け入れきることが、

怖いんでしょう?

 

 

 

誰よりも否定してきた

あなたの女性の部分を

認めてあげるのが怖いんでしょう?

 

 

 

 

怖くて怖くて仕方なかったけど、

本当は男性に、

そのまんまの女性の桑原直子

として、

受け入れられたかったんでしょう?

 

 

 

 

 

 

死を目前に(仮)、出てきた

いっちばんにやりたいことが、

それなんだから、

 

それをしなさい。

 

 

 

 

男性に身をゆだねてみなさい

受け入れられてみなさい

その、

「男性に受け入れられてる自分」を

受け入れてみなさい

 

凹凸を、からだが求めてるままに。

 

 

女性として、

感じること、を味わい切ってきなさい。

 

 

 

その先に、

あなたが、女性の体をもって、

生まれてきた意味が、

 

そのしあわせが、よろこびが、

 

あるのでしょうね。

 

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男性とせっくすがしたい直

 

 

【余命半年だったら何したい?】

 

 

 

っていう問いに

 

 

1番に出てきたのは

 

 

 

 

 

 

 

男性とせっくすをすること

子どもを産んでみること

 

 

な直。

 

 

 

 

 

一方わたしは、

どうせ半年で死ぬのなら、

もっともっとまぐあって、

まぐあいによる、しあわせや、よろこびを

味わい切ってから死にたい!

 

と思った。

 

 

あとは自分の場所を持ってみたい。

 

 

いろんな人が出入りできて、

泊まりたい人は泊まって

みんなでご飯食べたり

それぞれ好きなことしたり、

なんもルールがなくて

在りたいように在れる空間。

 

 

そんな空間が、自然の中に、

川か海の近くに、湧き水の近くに、ほしい。

 

 

 

この2つが出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夜、【余命半年だったら何する?】イベントから、夜中の1時ごろ、直が帰ってきた。

 

(ペーパーのわたしはサイドブレーキをかけたまま、家から駅まで初めての?1人ドライブをした笑)

 

 

 

大好きなおうちに帰って

茉優と寝たい!

 

 

そう言って帰ってきたものの、

 

 

 

家に着いてからはシリアスな感じに。。

 

 

 

 

というか、また、わたしの中で

0か100かの極端な思考の癖が出てきて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直は、

「女性」として、男性に受け入れられたくて

「女性」として、感じきりたくて

だから[男性とせっくすをする]

 

っていうのが、1番の望みとして、ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茉優との、まぐあいを、いくらしたところで、

その直の中の望み、ニーズは、

埋まること、満たされることは、ない

ってはっきり言われた。

 

 

 

 

その相手は[男性]である必要がある、と。

 

だから茉優には無理だ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しかった。

 

すごくすごく、悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして入る、わたしの極端スイッチ。

 

 

 

 

 

 

 

余命半年だったらそれが1番にしたいんだったら、それしたらいいじゃん!てかそれしてよ!

 

 

(もうこっからは、直の範疇のことを、強いコントロール性を発揮するわたし)

 

 

 

 

わたしとのまぐあいは、

1番の望みじゃないんだから、

 

する意味がない。

 

 

意味がないこと、したくない。

(これは小学生の中から、わたしの中にあるもの。)

 

 

 

男性とのせっくすを実現したいのなら、

もうそこに100%のエネルギーを向けた方がいい。

わたしとのまぐあいしてる限り、

そっちにもエネルギーが向くから、

すぱっと、断ったほうがいい。

 

 

 

 

そう思って、そう言った。

(ぶつける感じではなく、優しめに。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも直に、

それは自分が決めること。茉優が決めないで。

 

 

「直がどうこう、こうしたほうがいい」

 

とかじゃなく、

 

 

 

 

 

茉優の中は、どうしたいってなってるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

そう聞かれて、

 

わたしはただ、

 

 

 

『悲しすぎるから

直とのまぐあいしたくなくなっちゃった』

 

 

 

 

 

っていう、ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひねくれて、そんなことを言って、

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうは、直とのまぐあいがたいせつで、

これからもたいせつにしていきたくて、

 

 

 

 

っていう自分の中の

奥の奥の、ほんとの気持ちを、

 

 

 

 

 

悲しみと意地とで、

 

 

ないことにして、

 

 

 

 

 

 

わたしのほんとうの想いとは、

 

 

まるで真逆な方に

 

 

現実をつくろうとする。

 

(強いコントロール性で)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのモードになってるときのわたしは、

デビル土偶の顔らしい👿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまたまわたしが、

昨日、ひとりで、時間を過ごしてる時に

何気なく描いた絵。

 

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この周りの子たちは

ぜーーいん表情が違くて、

 

 

わたしという人間の中に

たくさんの感情がいて

たくさんのわたしがいる。

 

 

 

そんなことをイメージしながら描いた絵。

 

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そしたら、直の口からも、同じようなことが。

 

 

 

男性とせっくすをしてみたい自分【A】もいるけど、

茉優のことを愛してて、茉優とのまぐあいも大事と思っている自分【B】もいる。

 

 

 

【A】がいるから【B】がなくなるとか、

そういうのじゃない、

 

と。

 

 

AもBも、自分なのだと。

 

 

 

 

 

なーるほどね。

 

 

 

でも、

正直、

 

 

いろんな、ものが、邪魔して、

 

 

AもBも、持ちあわせてる、

そのままの直を、受け入れれる自信がないなあ

 

 

とそのときは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だし、

「逆の立場だったらどうなの?」

(茉優が男性ともまぐあいたい!っておもって男性とまぐあったと仮定。でも直とのまぐあいも大事だよ。ってなったら、そのわたしを受け入れれるの?)

 

と、聞いてみたら、

 

 

 

「それはわかんない」 

 

と。

 

 

 

 

 

ごめんやっぱ、自分無理だわ。。

 

ってなるかもだし、

 

受け入れられるかもだし、

 

 

 

って直が言ったとき、

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、

 

 

 

 

 

わたしの場合も、

受け入れられるって

保証をゲットしてからじゃないと

 

受け入れたくない

 

 

って思う自分がいた。

 

 

 

 

 

わたしは、

直のすべてを受け入れるのに

直はわたしのすべてを受け入れてくれない

 

だなんて、そんなのぜったいやだ!

 

 

 

って、そう思ったわたしがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしって、

なんて条件付きの愛なんだろ〜

てかもはや愛だなんて言えない〜

なんて子どもみたいなんだろ〜

 

 

って思ったけど、

 

 

それもわたしの一部なんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつもの「わたし」がいる中で、

 

 

大事なわたしの一部。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まゆちゃぱうぉにかさん曰く、

[嫌いな自分]ってのは、

自分のために、いっちばん、一生懸命に

働いてくれた子だって。

わたしを守るために頑張ってくれた子だって。

 

 

 

わたしが描いた、

[嫌いな自分]

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これを描きながら、

涙が止まらなかった。

 

 

 

 

その涙は、

 

 

ごめんね、のような、

がんばったね、のような

ありがとう、のような、

 

なんか、

 

労いと

感謝と

愛と

悲しみ or 切なさ

 

 

のような涙だったように思う。

 

 

 

 

あ、ちなみに[好きな自分]は、

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これ。

 

 

あ、結局、シリアスな話し合いをしたのち

 

わたしはいつも通り、

直の

ウォーターベッドのような

ぷにぷに気持ちいいお腹を、

すべすべなほっぺを、

 

さわっちゃった。

 

 

意地が、負けました。

 

 

 

 

 

そして、

わたしのデビル土偶のスイッチがオフになり、

 

直もすやすや眠れた。

 

直の寝息を聞きながら、

わたしもいつの間にか寝てた。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、すべての、わたしを

抱えたまま、歩いていくのだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

条件付きのこどもみたいな、

ひねくれと意地のわたし

 

も、

 

大切に抱いたまま。

 

 

 

 

 

みんなは、

あなたのいのちが、

あと、余命半年だとしたら、

 

 

なにする?

なにしたい?

 

 

 

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『着いていかない』という選択

 

 

存在を知ってから、

ブログに、言葉に、写真に、絵に、

ずーっと背中を押され続けて来た

まゆちゃぱうぉにか さんの

【余命半年だったら何する?】って

イベント。

https://www.facebook.com/100000174143006/posts/2434644426551338/

 

 

 

 

 

昨日、別々で寝た朝に、

そのイベントに行こうとしてて

申し込んでる直の姿があった。

 

 

一気に、おいていかれる感覚になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くへ行っちゃう。

 

 

一緒にいれなくなっちゃう。

 

 

 

 

そんな感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、わたしも行こうとした。

 

 

いろんな理由をつくって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、申し込みをする  

という決断をするわたしはいなかった。

 

 

 

 

そして、

当日の朝、熱が出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、アタマではなく、

カラダの声を優先しようときめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休んで〜って。

着いていかなくていいんだよ〜って。

 

 

 

 

 

 

そう、全力で教えてくれてる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも直前で、行こうとするわたし。

リュックに荷物をまとめるわたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、どこか、あと一歩が出ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『自分をたいせつにしよう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのことばがでてきて、

 

「行かない」と  決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夜中にふと、目が覚めて

あまり眠くなかったからFBを見ていたら

 

直のブログをシェアした投稿に

知らぬ人から悪口が書かれていた。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

見た瞬間、ズキっと、したこころがいた。

 

 

 

初めてだなあ〜〜

こんな風に、言われるの。

 

この人は何をそんなに我慢して

生きてるのだろう。

 

 

何がそんなに気に食わなかったんだろう。

 

 

 

そのコメントをした人は、

たまにわたしの投稿にいいね!してくる人だった。

 

 

 

わたしも誰だかわからない。

 

 

どういう繋がりなのかわからない。

 

 

 

でも、ゴルフ、新潟、佐藤食品

というキーワードから、

 

 

もしかしたら、わたしのお父さんに

繋がりがある人なのかなあ?

 

と、勝手に予測していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな人からの、直への悪口。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直接、メッセージをして、とっかかろうか、

スルーしようか、

ぐるぐる、迷っていた。

 

 

3時間くらい、眠れなかった。

 

 

 

 

 

朝起きて、直に伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しくて、悔しいという直

ちょっと面白くて笑っちゃうという直

 

 

 

 

 

 

なんだ、想像したより、平気そう

 

 

 

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イベントへの出発直前の直は、

怖いところに飛び込む際のゆり戻し的に

すごく不安定に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も

 

一緒に東京いこうよ

 

の、直のことば。

 

 

 

に、

、、、となるわたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただでさえ怖くて

心細いし、

今朝の悪口もあって、

きっと余裕がないんだろうなあ。

 

それでも、それでも

勇気を持って一歩を踏み出すあなたに

幸ありますように。。

 

 

と、

 

直の体をさすっていると、

 

「茉優から何か、溢れ出してる?」と聞かれた。

 

 

直には何も届いてないんだなあ〜

溢れ出ていないように見えてるんだな〜 

 

と感じた。

 

 

 

 

直が見る世界は、直の中が決める。

 

 

 

 

わたしには、どうしようもないし、

どうにかする必要だってないんだなあ。

 

 

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっと起き上がり

冷たく「じゃ。」と言って

階段を降りようとする直に、

 

 

 

 

 

いつ何が起きるか分からないから、

1つ1つのばいばいを、

ちゃんと後悔ないものにしたい!

(例えば今晩東京に大地震が来て、東京にいた直が死ぬとかね)

 

 

 

と思ったわたしは、

「直、さいご、ハグしよう」

 

と言った。

 

 

 

それに対して直は

「時間ないから。」

 

 

と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 わーお、まじか。そういう感じね。

わかりました。

 

 

 

 

 

と、一度は諦め、布団に横になったのだけど、

 

やっぱりこのままじゃ後悔する!

 

と思って、

 

下に降りる。

 

 

 

 

バタバタと準備をしている直。

 

 

 

 

靴でも出しておこうかなあと、

はく可能性あるもの出しておくも、

「自分でやるからいい」

と言われ、

わたしが出した3つの履き物は、

全部ハズレ、

直が自分で、履いていくものを出す。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ」と

こっちを見ることもなく、

玄関の扉を閉めて、出発した。

 

 

 

 

 

 

こういう、直の姿、久しぶりに見たな〜

 

 

 

 

 

 

こっちはこんなに大変なんだよ!

 

って思ってるんだろうなあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな、かなしい、つめたい、こころになったわたし。

 

 

 

 

でもしょうがないよね。

 

 

わたしは、わたしで、ゆっくりと、

体を休めよう。

 

 

と布団に入る

 

 

 

 

 

その数分後

 

直からの電話。

 

忘れ物をしたから、持って来てほしい。

 

 

 

声に、すこし、余裕を感じた。

 

直の内側が変化しているのがわかった。

 

 

 

忘れ物をとって、

車のところへいくと、

 

さっきとは全然違う表情で、

「ありがとう」

と言って、

 

 

必死な、本気な、かおで、

ハイタッチをしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

直にとって、

そのイベントに行くということは、

 

それだけの、

これだけの、

覚悟  なんだなと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち込みきらなかったけど、

 

少し落ち込んだ、

 

出発前の直とのやりとり。

 

 

 

 

受け取り方は選べるのだから

もっと、ネガティブな方に

捉えるんじゃなくて、

直の背中を押してあげれたらよかったかなあ

 

 

 

 

 

そんな風に思いだす、わたしがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでブログ書いてても、

 

 

いつのまにか、

 

【被害者感】を醸し出しちゃうんだよねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひどかったの!

つらかったの!

かなしかったの!

 

 

みたいなさ。

 

 

 

 

 

 

出発するまでの直との関わりで、

 

嬉しいことあったし、

 

直のやさしさ、あいを、感じたのになあ。

 

 

 

 

 

またまた、いつもの癖が出てきて、

その癖のままに、ブログ書いちゃった。

 

 

 

って、同じブログの中で、

気付けて、それをも、書いちゃってるところ

一歩前進。と思おう。

 

 

 

 

 

「茉優〜大丈夫かあ〜」

って心配してくれて

「降りておいで〜」

って言ってくれて

「おにぎりおいしかったよ」

って言ってくれて

「茉優はちゃんと治しなさい」

って言ってくれて、

 

たくさんのやさしさが、そこにはありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、

いまは、

 

 

 

 

 

 

 

 

被害者感出さずに

ネガティブに捉えずに

もっと背中をおしてあげたらよかったかな

 

 

 

 

 

とかおもう、わたしに対して、

 

 

 

 

 

 

いいじゃん。悲しかったら悲しかったで。

被害者感出しまくるのが、

わたしの中にいる、わたし、なんだから、

 

その子を受け入れてあげたっていいじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

っておもうわたしがいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いなわたしは?

 

の質問に出てきた、

 

ひねくれて、被害者感あふれだして、

意固地になるわたし。

 

を、文字で、絵で、書いていたら、

 

 

涙が止まらなかった。

 

 

 

こんなわたしがいるんだよねって。

 

 

わかってはいたけれど、

その子に対して、

わたしが涙が出るってことが、

新しかったなあ。

 

 

 

わたしの中にいる、その子を

抱きしめてあげたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葛藤とか、ゆり戻しで、嵐のようになっている、直の内側を、わたしが考慮して、感情を

どうかする必要なんてないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しいもんは、悲しいままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受け取られなくたって、

それは相手の範疇で、

 

自分が、やれるだけ、出せたか、伝えれたか

ってところだけなんだよね、大切なの。

 

 

 

 

 

それでも、それでも、

 

 

 

直、あいしてるよ、

こころのなかで背中をおしているよ

 

 

 

って気持ちは、出し切れなかったなあ。

 

 

 

そう思いながら、

1回目の最後の出発のとき

直の背中に触れたのだけど、

 

 

きっと、そんなの、伝わってない。

 

 

 

 

「言葉にしなきゃ、わかんないんだよ!」

 

 

って言われたもんなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまこの状態の直に言ったって、

 

何も届かない

 

 

と決めつけて、

 

 

言葉にする勇気がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、いろいろなことがあって、

 

 

東京へ向かった直、

 

 

群馬に残ったわたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『着いていかない』という、新しめな選択。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イベントに行かなくとも、

かしょうくんち借りれるから、

 

そこでわたしの憧れの

ふたり暮らし   ができるから、

 

群馬からかしょうくんちに行こうかなとも思った。

 

 

 

そこで、スーパーに行き、料理を作って、直と過ごす。

 

 

それもたのしいんだとおもう。

それをやりたいなあとおもう自分もいる。

 

 

 

 

でもそれを、いまこの、

鼻水止まらない

熱っぽい

だるい体を、

東京までの長距離移動に使ってまでも、

と考えたら、

 

 

それは、無理していることだなぁと思った。

 

 

 

 

 

 

 

だから、潔く、群馬に残って、ゆっくり休む。

 

 

 

 

 

 

 

それぞれ、

 

いい時間になりますように。

 

 

 

 

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てか、

「相手はこう思ってるんだろうなぁ〜」

って思考自体がいらないじゃん!

相手軸ってことよそれ。

って自分に突っ込むわたしがいたから追記。

 

 

こんな感じなのです、わたし。

 

だから直にがっかり&絶望されるのです。

 

わたしのこの部分を、素直に認めて

晒すということが、だいじなのです。

 

たいせつなひとに、がっかり&絶望されてもなお、どうしようもないこのわたしを、わたしが包み込んで愛する他にないのですよ!(だれ?)

 

 

 

覚悟と信頼。気付きの山登り。

昨日、岩櫃山に登った。

 

わたしのおばあちゃんと、直と、なおのお母さん、の3人と。

 

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気づいたことがいくつか。

 

 

まずは、なにより、山がこわすぎた!!

何度も死ぬかと思った。

というか正確に言うと

 

死の可能性を見た、感じた

 

って言った方が正しい。

 

 

なにを感じるかのチョイスが、

自由にありながらにして、

わたしはいつも、

「死の恐怖」をチョイスした。

 

 

「ここで、こうなったら、死ぬだろうな」

「この鎖から手が離れたら崖に落ちて死ぬだろうな」

「この岩の道、バランス崩したら死ぬだろうな」

「突然強風が吹いて、バランスを崩すかもしれない」

 

とかとか、もう止まらない笑

 

 

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そして、そうやって怖さを見れば見るだけ

手汗が出てきて、

本当に鎖を使って登る時に

汗によって手が滑って、大変だった。

 

 

 

鎖の穴に指つっこんで、

そこで全体重を支えて

よじ登ったりしてた。

 

 

「こうなったらやだな」

ってことを、頭が考え出したその途端に

「こう」が、現実になるようにと

舵が切られてしまう。

 

 

ほんとに、思考通りの現実になっちまうんだな!って、心底思った。

 

 

わたしは、

自然に対して全幅の信頼ができてなかったし、

それは、わたしが、わたしに対して、

全幅の信頼ができていなかったということ。

 

 

そして、普段は意識することがないけれど、

 

わたしは、

 

「死」をめちゃくちゃ怖がっている

 

ってことがわかった。

 

 

 

何度も足がすくんで

何度も足が震えて

何度も泣きそうになった。

 

 

死すらも覚悟して、

自然に、自分に、

全幅の信頼を置いているからこそ、

登山家の人たちとかは

かっこいいんだろうな。

 

わたしが、今、生きてる中で

足りないのは、必要なのは、それだ。

 

 

覚悟と信頼。

 

 

 

 

 

途中まで1人で登っていたのだけど、

 

わたしはしょっちゅう、上を眺める。

先を見る。

そして、

「これ、登れるのかよ?」

「まだこんな先があるのかあ」

「この道、また下るんだよなあ」

とか考える。

 

ただ、ひとつ、足元だけを見て、今だけを見て、登るのは時には危ないこともあるかもけれど、わたしの場合は、先を見すぎ。

そして、今この瞬間の選択が、下手くそすぎるって感じた。笑

 

自分が低い波動で、登ってしまってることに気付いては、足を止めて、空や木や草や花を眺めて、おすそ分けしてもらう。チューニングのように。

 

 

いつだって、この瞬間に、「いま」に、自然たちのような波動で在れたら、どんなに、目に映る現実が違うことか、って思った。

 

 

 

 

【元彼さん】も出てきたよ。

安心できる場所を失う怖さで

不安定になってる直に、

突き放され?というか、距離をとられ、

【元彼さん】は出てきました。

 

(【元彼さん】の意味は前回のブログに)

はじまりの、ちいさな、一歩 - mayu’s diary

 

 

でももう決めたんだった!

って何度も立ち返った。

 

 

わたしの見る世界はわたしが決めるんだ、と。

 

 

 

わたしに自由はあるか?

わたしに覚悟はあるか?

わたしに未来はあるか?

信じるものはそこにあるか?

 

って。

 

 

 

 

 

わたし、10月の後半から、

屋久島に行くことに決めた。

 

 

観念と恐怖から抜ける感覚を

始めて味わい

【元彼】に引っ張られては、

すぐに気付き、

「わたし」に立ち戻る。

 

 

そういう内側での変容が始まり、

行動面では、

はて、どこにどう一歩を踏み出そうか

と思っていた矢先、

 

 

降ってきた屋久ユースホステルでのヘルパー募集。

 

勤務は1日3時間。

午後はフリー。

屋久島は行ってみたかったところ。

 

直が前に行った時に

自然の雄大さをシェアしてくれて、

すごく魅力のあるところなんだなあと思った。

 

わたしがヒッチハイクしたときに

出会ったキーパーソン的な人も

若い時に屋久島に行ったと言っていた。

 

 

大阪のサティシュクマールさんのイベントで出会ったすてきな子も、屋久島で若者向けの合宿をやっていた。

 

少しずつ屋久島からのcallingがあったなあと、今振り返ってみて思う。

 

 

だから、その話を聞いたとき

 

 

もうこれだ!

いくしかない!

 

ってなって、そっこーメールを打ち、

応募する。

 

次の日返事が返ってきて、即採用。

 

会うのを楽しみにしてくれていて、

なおいっそう、屋久島へ行くのが楽しみになっている。

 

だから、直と、物理的に一緒にいれるのは、

あと10日くらい。

 

 

わたしが大学を辞めた、

去年の12月から、今まで、

ずーーーーーーーーーーーーっと、

一緒にいた。

 

10ヶ月間のあいだ。

 

 

 

本当に、たくさんのことがあったなあ。

本当に、たくさんの内側での揺らぎや嵐があったなあ。

本当に、たくさん喧嘩をしたし、

本当に、たくさんの愛を交わした。

 

 

ほんとうに、ほんとうに、愛してくれた。

 

 

何があっても

何をされても

どんなに傷つけられても

どんなに突き放されても

 

『茉優の方を向く』

と、決め続けていた直。

 

わたしの攻撃に、愛で返す直。

 

 

 

あなたの、人を愛する力は、はんぱないよ。

 

 

 

 

わたしだけじゃなくて、

もっとたくさんの人の心に

直の愛が触れてほしい。

 

 

溢れる愛に、直は幸せになり、

受け取る愛に、相手も幸せになり。

 

ってわたしの妄想ね。笑

 

 

 

あとは最近、直が、

無邪気に泣く姿

無邪気に甘える姿

無邪気に悲しむ姿

無邪気に喜ぶ姿

そのすべてが、神聖な赤ちゃんのように

見えるときがある。笑

 

 

なんていうか、

一切の混じりけのない、

一切の淀みのない、

一切の不純物のない、

 

ぴっかぴかに光る、心の中のまんま。

 

それが、ぴっかぴかなまま、そのまんま、

顔に出て

表情に出て

目に出てる。

 

 

取り繕いが1つもない。

 

 

 

そう感じる時の、わたしのこころは、

 

 

あったかく、おだやかで、

包み込みたくなるような感覚になる。

 

 

 

この感覚のときに、

変な執着とか、ないんだよね。

 

 

 

直という、「いち人間」として、

見れて、関われる。

 

 

そして、

「いち人間」の数だけ

その人にとっての『進む』があって。

 

 

 

 

わたしは、いろんなところで

人と出会い、人と繋がり、

かけ橋みたいになれたらいいなあ。

 

そして、その「だれか」と直とのかけ橋にもなれたら、すごくわくわくだなあ〜って。

 

 

 

 

 

 

ことば、それは所詮ことば。

「本物のことば」の持つ力はすごいよ。

 

でもやっぱり、

この人間のからだっていうのは、

この人間の手っていうのは、

この人間の目っていうのは、

 

簡単に、ことばを、超える。

 

 

 

だからこそ、ことばを超えた、

やりとりができるいまこの環境を、

味わいきって、

出し切って、

愛しきって。

 

 

 

 

 

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はじまりの、ちいさな、一歩

 

エゴ・自我【元彼さん】

 

からの、分離。(比喩ね)

 

 

 

もうばいばいなんだ。

 

 

さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうね、今まで。

 

 

 

 

 

もうあなたによる、

 

苦しみは味わわないと決めたよ。

 

 

 

 

 

 

あなたの声を抱いたまま、

 

わたしは前へ行くよ。

 

 

 

 

わたしにとって、何度でも引き戻されるソレ。

 

 

ソレを【元彼】と比喩して捉えたら、

 

 

なんともたのしい!

 

 

飲み込まれない!

 

 

すぐに気づける!

 

 

 

ひろみさん、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またいつものが来る。

 

 

じーーーっと、自分を見つめる。

 

 

観念、恐怖。

 

 

 

 

気付いて、味わって。

 

 

 

 

 

はじめて、

 

 

そこから抜けれた状態に在ったとき、

 

 

 

 

 

うれしくて、うれしくて、涙が出た。

 

 

 

わくわくした。

 

 

 

 

あったかい気持ちになった。

 

 

 

胸に手をあてた。

 

 

 

 

ありがとう

 

 

と言葉が出てきた。

 

 

 

 

 

 

うれしくて、うれしくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの本質が、魂が、よろこんでる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと、

こう、ありたかったんだね。

 

 

 

 

 

 

今日の、ちいさな、一歩。

 

 

 

はじめての感覚。

はじめての実感。

はじめての一歩。

 

 

 

 

 

 

 

誰かとともにいながらにして、

恋人やパートナーといながらにして、

 

 

 

わたしのこの《状態》は

 

 

 

 

無理なのだと思い込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

でもそうではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

わたしが、

わたしらしく、

在ることを

 

邪魔してくる存在なんて、

 

いない。

 

 

 

誰にも邪魔できない。

 

 

 

わたしが、わたしを、不自由にしていた。

 

 

 

 

 

恋愛をすると、自分らしくなくなる。

 

 

 

それは相手のせいではない。

 

 

 

 

わかっていたけどずっと苦しかった。

 

 

 

 

 

 

直との、関係が始まっても、ずっとそれを感じていた。

 

 

 

 

 

一人で旅するように生きているときの、あの、

すべての世界が愛おしく、

わくわくした、感覚。

 

 

 

あの感覚は、

「1人」でないと、再び味わうことはできないと思っていた。

 

 

 

 

だから何度も、何度も、

直から離れて、1人になろうとした。

今いる群馬の家を出ようとした。

 

 

 

 

 

それはそれで、そのままに、行動してみても良かったのかもだけど、わたしはそれを、選んで来なかった。

 

 

 

どこにいたって、

誰といて

誰といなくったって、

 

わたしの内側に、その種があり続ける限り、

 

外側の状況ってのは、関係がないと思っていたから。

 

 

だから

物理的に離れれば、

必ずしも精神的に離れれるわけではない。

 

 

 

 

そして今日ふと思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういや、物理的に離れている時も

直との関係に囚われていた自分はいたなあって。

 

 

 

近くにいる時も苦しいけど

離れてても苦しかったなって。

 

 

 

『精神的な分離』

それが何より大事で。

 

 

 

 

 

観念のプールからも

恐怖のプールからも

抜け出すこと。

 

 

 

それが一番の最重要事項。

 

 

 

 

 

 

ずっと言葉では言ってきた。

ずっと頭では理解した気になってた。

 

 

 

 

 

お互いの真ん中を歩いてその先で一緒にいれたらいいねってスタンスでいよう。って。

 

 

 

 

いま、やっと、ほんとうの、

その意味を味わいだしている。

 

 

 

 

 

『自立』の意味を。

 

 

 

 

 

 

 

初めて

たのしみに思える自分がいた。

 

 

 

 

 

 

お互いの完全な自立の先に広がっている世界を。

 

 

 

 

完全な自由

完全な責任

完全な孤独

 

 

これは必ず3点セット。

 

 

 

 

責任と孤独なしには、自由はない。

 

 

 

 

 

 

 

寂しさってのが、いつも出てくるけれど

この寂しさに動かされた先に

軽やかな世界はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も何度も、

 

わたしの腕をひっぱってくる【元彼】さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

心が揺れる。

 

 

 

わたしの中にはりついている観念に気づく。

 

 

 

たくさんの恐怖に気付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あー大切な人に、

必要とされないってことが、

こんなにも怖いんだなあ。

 

 

 

一緒にいたい人と、

同じ世界を見なければ

一緒にいれないと思ってるんだなあ。

 

 

 

 

 

誰かのためになること、

そこにこんなにも価値を見出してきたんだなあ。

 

 

 

だから直の

「もう茉優がいなくても大丈夫」

「ひとり立ちしたから」

 

その言葉を、トゲにしようと思えば

いくらでも、トゲにできる。

 

自分で自分を傷つけることができる。

 

 

 

 

でも今日は、新しい自分がいた。

 

お祝いできた。

 

 

 

「おめでとう」って思えた。

「おめでとう」って言えた。

 

 

 

 

 

「あなたがいないと」って言葉が

嬉しかったんだね。

欲しかったんだね。

 

 

でもわたしは、

誰かのために生きるわけでもないし

誰かの助けにならなきゃ、生きる価値がない

わけでもない。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、わたしの価値を、知っている。

 

 

 

 

 

 

 

条件付きの価値なんて、存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あと、

 

すぐにわたしは優劣で考えるんだな〜

 

 

 

 

悔しくて意地がいつも出てくるんだな〜

 

 

 

 

 

その意地で素直になれないふるまい、行動を

わたしはこれまで、一体どれだけしてきたのだろうかな〜

 

 

 

お母さんに。

おばあちゃんに。

家族に。

付き合ってきた人たちに。

直に。

 

 

小学生くらいのころから

お母さんに

たくさん投げつけて責めて

家を出て、すぐ近くのおばあちゃんちへ行っていた。

 

 

 

 

 

 

 

素直になれば、

 

ただただ、

 

 

もっとこっち見てほしいよ

 

 

さみしいよ

 

 

もっと思いをやりとりしたいよ

 

 

って、ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでの経験から

身につけてきた観念を手放して、

 

 

 

 

 

そこから、ふっと離れて、

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中にある

怖さを、

味わって、受けとめて

 

 

 

 

 

抜け出そう。

 

 

 

 

 

その分だけ、その先に、

 

 

わたしが、わたしを知る、道がある。

 

 

 

 

 

 

 

こわいけど、たのしみ、だけどこわい、けど、

 

もう、そこにいきたい。

 

 

生きたい。

 

 

 

 

パワフルすぎて物怖じしてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、ひろみさんのお話を聞いて、

 

 

寝る前にリクエストをしてみた。

 

 

わたしが全能でなんでもできるとしたら何がしたいのかおしえてくださいって。

 

 

夢を使ってする修行もあって、

 

みんな必ず毎日夢を見てて、

寝てる間は向こうの世界との充電をしている

みな悟っていて、悟りの境地を、内に持っている。

目が覚めてから

意識という、

小林茉優という

ものを取り戻す。

 

だから寝ている間は悟っているようなもん。

 

 

だから夢から様々なメッセージを受け取ることができる。

 

 

 

とお話会で聞いて、すごく面白いなとおもった。

 

 

 

 

そしてその結果、

そのリクエストをして見た夢は、

 

 

 

 

 

 

 

 

手をつかい、なにかを作る

草や花や木の枝でアートをたのしむ

ある人と抱きしめあっている

 

 

姿があった。

 

 

 

ストーリーは覚えてないけど

その3つの姿は覚えている。

 

 

 

 

その夢の中で抱きしめあっていた相手

 

 

 

その人は高校生のころお付き合いしていた人だったのだけど、その人は静かだった。口数が少ない。silenceなひと。

 

 

 

 

わたしの魂の特徴は、「静寂さ」だと、ひろみさんが教えてくれた。

 

 

 

 

 

なにか、ひきあうものが

あったのかもしれないね。

 

 

 

 

起きて、

 

 

 

ほう、なるほど。

 

 

 

 

と思ったわたしがいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、

 

 

あとは、すぐに、

直に「置いていかれる感」を感じる私がいるのだけど、

 

 

 

わたしがいる世界は

わたしが決める。

 

 

 

誰が何と言おうと

人の意見は関係ない。

 

 

 

その言葉を何度も思い出す。

 

 

 

 

誰かと同じ世界に行く必要なんてないんだよ。

 

誰かと同じ世界を見ようとしなくていいんだよ。

 

 

 

 

 

わたしはわたしの世界を見るの。

 

 

 

 

 

そこで感じる孤独感、孤立感を、引き受けて、

恐怖を味わって。

 

 

 

 

その人と同じ世界にいなくても

その人と同じ世界を見なくても

 

 

なにも失うものはないんだよって。

 

 

 

 

 

 

 

わたしが

恋愛相手に対して

してこれなかった

したことのない

 

「覚悟」

 

 

 

 

決断のとき。

自由になろう。

 

 

 

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何がどうなっても

どんな未来だとしても

お互いにどんな展開が待っていても

あなたを愛しているよ。

 

って思い合える、伝え合えるわたし(あなた)でよかった。

 

 

ふたり手を合わせるのではなく、

 

その手で

それぞれの手で

それぞれが

 

誰かの背中をさすれたら。

誰かの手を握れたら。

誰かへ愛を伝えれたら。

 

 

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と、ブログを書き終えたところで

文字数3333。すごいな〜見守られてる。

 

ありがとう。

愛しています。

2018.9.30

感覚的にわかった、今朝の瞑想。

 

 

 

 

まだ、この怖さを味わいたいんだね。

 

 

でももう充分じゃないかなあ?

 

 

 

 

そしてこの怖さを握りしめてる限りは、苦しいよ。

 

 

 

 

 

この怖さを超えて、飛び立とう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、自分の愛する人、大切な人と、

一緒にいれる時間が何より大事だと思ってきた。

というか、その時間を1番大事にしたかったんだよね。

 

 

 

 

 

得たくて得たくて、

得れてこなかった安心が、そこにはあると、信じていたから。

 

 

 

 

 

 

でも違った。

 

 

 

 

 

 

安心できる場所のようで、

 

そこは、1番怯えた檻の中のよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中にたくさんの矛盾を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛している。

なのに、嫌だ、きらい、憎い。

 

 

 

そばにいたい。

なのに、もういいよ、行けばいいじゃん、もう見放すんでしょ?わたしなんてどうでもいいんでしょ?

 

 

 

大事にしたい。

なのに、言葉で行動で、傷つける。

 

 

 

 

 

 

 

これのどこが自由?

これのどこに未来がある?

 

 

 

 

 

 

 

 

愛する人と一緒にいる時間よりも

 

 

 

 

 

自分が自分らしく在れる時間の方が大切だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日で人生終わるとしたら、何をする?

 

 

 

 

その問いにいつもわたしは、

大事な人、愛してる人と一緒に時間を過ごす、

 

と答えていた。

 

 

それも、それで、たいせつなんだ。

 

 

 

 

でもそれよりも、

 

 

 

人生最後の瞬間に、

 

 

 

 

自分が、自分らしく、生ききれた

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

そう思える最期にしたい。

 

 

 

 

 

 

 

直がいった。

 

 

 

 

自分を捻じ曲げなきゃ

いけない関係は本物じゃない。

 

 

わたしのままのわたしでいて、

壊れるものはなくていい。

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとだね。

 

 

 

 

 

 

傷になってたけど、

 

 

わたしがわたしで

傷にしてたけど

 

 

 

 

わたしもそうだったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。