Mi amas vin.

My life is my message

100日チャレンジ終了。

100日チャレンジ100日目

 

 

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この前のスナックの初出勤とってーもたのしかった!!

 

 

お友達が飲みにきてくれて

すんごーーくうれしかったなあ。

 

 

お酒を覚えたり

経理のこと理解したり

かんばるぞー!

 
 
 
 
 
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A post shared by 茉 優 -まゆ- (@hrmc76_mayu)



 

お客さんの男性のひとで、

不思議なちからを持ってる人が来店して

わたしを見ながら

『君はもっと人を救える』

って言ってくれて

「いまセラピストの仕事もしてるし、十分救ってる気もするんですけど、、?」

って言ったら

『まだまだ、全然。もっともっと人を救える人だよ』

って言われた。

 

そしてわたしの腕に触れながら

なんだかエネルギーワークみたいなのをして

『よし、おっけい。人を救うのに邪魔になっているやつをとっておいたよ。もう君はただそこにいるだけで、存在だけで、人を救えるからね』

って言ってくれた。

 

 

そのような自覚はあったけれど

まだまだもっとなんだ〜😳

ってなって、おもしろかったなあ。

 

 

歌舞伎町で働くということは

歌舞伎町で働いている人とたくさん出会う

という意味でもあって

なんかほんとにまだまだガルバでは

知り得なかったいろんな世界を

さらにさらに、知ってゆけそうで、

とてもたのしみだ。

 

 

次回は1/27(木)の17-21時におります!!

 

 

 

 

 

 

そしてついに100日チャレンジ、

終わりを迎えます!

 

あっという間だったなあ。

 

これを始めたころは、

精神的にしんどかったんだよなあ。

 

どこかに吐き出したくて

でもどこにも吐き出せなくて

誰かに聞いて欲しくて

でも誰にも話せなくて

そうして戻ってきたのが

この場所だった。

 

 

過去の4年間のわたしが

「ただのわたし」になれた場所

どう思われるか、を超えて

ありのまま

赤裸々に

言葉を紡げてきた場所

 

 

それがわたしにとっての

はてなブログだった

 

 

はあ〜これを書いてるだけでなんだか感慨深くて涙が出てくる。笑

 

 

またこれからも湧き上がるままに

好きにここには文字を綴るとは思うけれど

わたしは、

自分が認知できていたよりも

ずっと大きく、深く、

文字にする

ということに

救われていたのだなあ、

といま思った。

 

 

 

100日前に精神的にしんどかったのは

そのころ一緒に住んでたひととの

関係性がうまいつかみどころを見つけられなかったというか、何も見えない霧の中をなんとか足元を見ながら転ばないように歩いているような、そんな感覚だったのです。

 

 

何もないと思えば、何もない

すべてが在ると思えば、すべてが在る

 

そんな実態だった。

 

『現実』は

自分のものの見方が決めている。

でもわたしの中にある

ものの見方は、一つじゃなくて

極端にふたつの見方を持っているって感じだったから、「こういう現実だった」と断定するのはすごく難しかったし、今も難しい。

 

 

ただひたすらに、

自分の感覚や感情に気付きながら

自分の願いや、望みに目を向けながら

1日、いちにち 

一瞬、いっしゅん

選択をしている日々だった。

 

 

それはそれは、

すごくストイックだった。

 

 

ふとしたときに

それが決壊しそうになるんだけど、

ちょうど、このはてなブログに戻ってきたときがまさにそのタイミングだったのだ。

 

 

そこから静かに肚をくくりだして

いろんなカオスの中、なんとか日々を生きて

その中で

まゆがするひとつひとつの選択が、

彼がするひとつひとつの選択が、

お別れという道をつくっていった。

 

 

そうして一緒に住んでたわたしたちは

さよならをした。

 

 

今はそんな言語化がいちばんしっくりきている。

 

 

そのお別れは

自分の未熟さを突きつけられるものだったから、終わってからがほんとうにしんどかった。

やるせなさや不甲斐なさや無念さなどの

自分側に要因があるものは

処理や決別が難しいものだ。

 

 

相手がどうだったとか

相手のこういうところが嫌いだとか

相手がこう言ったからとか

相手側に要因があるもののほうが

もうそれは致し方ないものなので

処理も決別も簡単なのだ。

 

 

他人はコントロール不能な生き物だけど

自分はコントロール可能な生き物だからこそ。

 

 

相手のせいにできるってことは

ほんとう、精神的に楽なことなんだな。とわかった。

 

 

 

 

でも、悔いてばかりだった過去のまゆに、

今だから言える。

 

 

お別れをしたあとに

わたしが味わったものすべて

わたしが感じた痛みのすべては

かけがえのないギフトなのだと。

 

はっきりと、そう言えるし、

確かにいま、そう感じれている。

 

 

愛する痛みは

愛さなきゃ感じられない

 

 

傷ついてしまいそうで

怖くて怖くてたまらなくて

手を震わせながら

冷や汗をかきながら

彼の前でした、

ひとつひとつの選択・行動のすべてが

わたしが26年間生きてて

したことのなかったものであり

できたことのなかったものであり

それらすべてはとっても

豊かなもので尊いものだったのだと

今は思えている。

 

 

 

 

前回おうちにいったとき(去年)

まだそのころのまゆはけじめをつけきれなくて

どこか、かぼそい線を持っていたくて

その場で彼に鍵を返却できなくて、

そっから結局ずっと持ち続けてしまっていた、彼のおうちの鍵を、今日ついに返してきた。

 

 

残りの荷物をすべて回収して

鍵をかけて、郵便受けに外から入れてきた!

 

 

女の子が住んでる?泊まってる?形跡があったから

何もせずに立ち去った方がいいのだろうと、

頭ではわかっていたのたけど

掃除したがり捨てたがりの性には

やはり抗えなかった、、😭😱😇

ぱんぱんに入ったゴミ袋が大量に放置されてているのを見て、さすがに汚臭もしてるし、ゴキブリわくぜよ!と思って、ゴミだけは捨てちゃった、、あと排水溝掃除してちょちょっとクイックルワイパーしちゃった🤦🏻‍♀️

 

 

あと彼のおうちに植えていた

わたしが三宅島から摘んできた明日葉が

もりもり元気になっちゃってて、

『でももう、まゆここにもどってこれないんだ〜せっかく島から移動させて植えたのに、元気に育ってくれたのにごめんね、、』って伝えて、今生えてるぶんだけ摘んで帰ってきた。

明日葉の天ぷらにしよう。

 

 

駅から徒歩10分くらいあるおうちで

駅近のアパート、マンションなんて

他にもたくさんあっただろうに、

庭があるからという理由で

まゆがお庭が好きだからという理由で

「まゆがそんなに喜んでくれるなら、ここにしてもいいかもなあ」と、彼が選んでくれたおうち。

 

 

思い返すたびに

一緒に暮らしてたおうちを前に

まゆのためにたくさん、

本当にありがとうございました!!!

 

という気持ちが溢れたから

そのままそれを口に出して一礼した。笑

 

 

 

けじめがつけられてよかった〜

まゆのなかでちゃんと【終わり】を迎えることができてよかった〜

 

 

 

これにて、

まゆのなかの

ひとつの物語が

完結しました!!!!(祝)

 

 

めでてぇなあ。

 

 

時間ってすげえなあ。

 

時間が解決してくれる

時間が癒やしてくれるってのは本当だ。

 

そして人間ってすげえ。

 

いろんな痛みも悲しみも

ちゃんと肥やしにしてゆける生き物なんだな。

 

 

 

ちょうどひとつの物語だった。

0日目、彼との恋愛の苦しさから始まり

100日目、彼との恋愛の決別で終わった。

 

 

これからはどんな未来が待っているのでしょうか。わくわくですね。たのしみだーー!

 

 

 

ひとまずこの残りの1月、まゆは

おうちを見に行って引っ越しの準備をしたり

港区OLしたり

セッションをやったり

歌舞伎町でスナックやったり

たまーにガルバもやったり

バレーボールしたり

noteに文章を紡いだり

ギターを弾いてうたったり

ひととあそんだり飲んだりしながら

駆け抜けてって、あっという間に2月がくるのでしょう。

 

 

また気が向いた時にはてなにブログをかきます!

 

 

ずっと読み続けてきてくれたあなた、

ありがとう♡

 

 

歌舞伎町のスナックにも

ぜひまゆに会いに来てね〜!

 

セッションはね、

 

通話セッションと

フラワーレメディーと

アクセスバーズの

3つを

受付しているよ〜!

 

 

質問、お問合せ、申込は

公式LINEかInstagramでDMしてね!

 

 

 

 

ではまた!!