関係性への意志が持てなくなったら、終わりなのだ。
100日チャレンジ48日目
昨日の夜さ
自分のこれからの人生やまゆ業や恋愛など
それら未来がたのしみすぎて寝れなかった笑
なにかがたのしみすぎて
わくわくうきうきして寝れないって
小学生の遠足前かよ、遠足前でも寝てたわ
って自分に思った笑
ほんでそのあとにケータイを触ってしまってそしたら2時間経ってて、久しぶりに夜更かししちまった🤦🏻♀️
きょうはガルバのお友達とごはんにいって、バイトのことや、神社のことや、恋愛のことや、前世のことなどいろんなお話をした。
大学3年生の子だったんだけど、
何を言われたわけでもないのに
なんかその子と話してて
すごく自分の「歳」を感じたなあ。笑
ごはんでのお会計が5555円でびっくりした!
いけいけごーごーですね。
お別れの彼との話をしてるとき
「よりを戻すことは考えないんですか?」
って聞かれた。
その質問は、結構よくされる。
喧嘩別れしたわけでもないし、
今でも顔合わせれば普通に話すからかもだけど。
でも、
そこに、愛はあるけれど
そこに、想いはあるけれど
まゆとのコミットメントある恋愛関係、パートナーシップは無理ですってなってお別れしてるのに、よりは戻らんだろ??ってまゆは思う。
そういう【コミットメント・意志】って
ない→ある
に変化するのってすごく難しい気がしてる。
ほんとうにすてきなひとだったけど
彼氏としてわたしをたくさん想ってくれて大切にしてくれて愛してくれたけれど、
もう、まゆとの関係への【意志】を持てなくなったのだ。
【コミットメント・意志】ってやつは
他人にはどうしようもないのでね。
お金でもどうしようもないのでね。
ただの友達としては
これからも関わっていけたらいいなと思う。
でも1対1で密に関わって
一緒にいろんな思い出をつくってゆく人ではなかった。
彼と過ごした時間を思い返したときに
何が1番たのしくてうれしかったかって
彼がまゆに甘えられている瞬間だった。
常に人のことを考えて
常に細やかな気配りをして
他人のために「ちゃんと」振る舞う彼が
わたしの前で「まゆぅ〜」って言いながら腕に抱きついてきて甘えられている姿や
脱いだ靴下や臭い足をわたしの顔の前に持ってきて「くさい?」って聞いてきて笑、「うん、ちゃんと臭い」ってまゆが返して2人で笑い合ったり。思い返すと、そんな、ささいな瞬間が何よりたまらなく幸せだったなって思ったんだよね。
中々人に甘えられない彼が
もっと、もっと、
まゆには安心して甘えられるような
そんな存在になりたかった。
いまでも体調崩したりしたら
いつでもお世話しにゆくよ!という気持ちなのでその「あなたにとっての甘えられる存在で在りたかった」という想いはそのうち伝えられたらいいなと思っている。
ふとしたきっかけで
人は人を好きになる。
ふとしたきっかけで
人は人と付き合ったりする。
まゆの中で付き合うってのは、
「この人と共に生きてゆく」ということを意志することだ。
関係性を育む上ですんごく大切な
いろんな想いや感情を正直に
伝え合ったり、分かち合ったり、
本音でコミュニケーションしたり、
ってのは
関係性におけるコミットメントや意志がないとできないことだから。
「この人と共に生きてゆく」という意志を、
お互いに、持ち合える
ということは
奇跡でもあるし、しあわせなことだ。
関係性を育む上ですんごく大切な
いろんな想いや感情を正直に
伝え合ったり、分かち合ったり、
本音でコミュニケーションしたり、
お別れの彼はここ↑が、もうできないってなってた。仕事で忙しくてと言いながらも、もうそこにコミットできない、そこに意志を持てないことの言い訳に、仕事を使っていたのだと思う。仕事に忙殺されていれば、少しはしょうがないって思われる?てきな?
でも仕事が落ちついて、余裕が出てきた彼が、「よし!ようやく余裕ができたぞ!まゆとの関係を大切にするぞー!」となるか、と言ったら、ならなかった。別れ話をした頃は余裕が生まれ出してたけど、そうはなっていなかった。
だから、まゆとの関係性における意志を持てないでいる自分がいる、その事実が痛すぎて、負い目すぎて、そこから目を背けるように、月300時間も働いていたように思う。自らブラック企業の使者にね。
だから、
よりは戻らない。
よりは戻さない。
人としてこれからも愛してゆく。
ともだちとしてこれからも仲良くできたらいいなあ。
という、そんな想いだ。
関係性への意志が持てなくなったら、
コミットメントある関係は、終わりなのだ。
おし!今日のブログかきおわったから
いまからおともだちの家までおさんぽ。
んじゃまたねん。