Mi amas vin.

My life is my message

ずるずるの先に

 

 

 

いっしょに住んでる彼が

一時は、仕事をやめる!と

決めていたものの

やっぱり辞めにくいらしく

「まぁずるずると続けたりもしそうだけどね〜」と昨日言ってて。

 

 

 

その言葉を聞いた瞬間に

同じようにわたしたちの関係も

ずるずると続く、、(?)と

思った時に、身の毛がよだつ怖さがした。

 

 

 

ずるずるの先に残るものはなんだ

ずるずるの先に見えるものがあるのか

 

 

そう思った。

 

 

わたしは、

「ずるずる」と表現されるような「生きる」はできないのだとおもった。

 

 

いまは、

自分で決めている。

 

 

なにがどうであろうとも

いっしょにいる、と。

 

 

まだ、やれることがあるし

まだ、やりたいことがある

 

 

大切な時間

大切なプロセスの中にわたしはいまいる。

 

 

 

その結果、

わたしの気持ち

相手の気持ち

わたしたちの関係性が

どうなるのか

それは未知。わからない。

 

 

なんでも白黒はっきりさせればいい

というわけでもないことを知った。

けれど、

それは、

いつまでも白黒はっきりさせずに

「ずるずる」と一緒にいる

ことを意味するものではない。

 

 

 

自分の中に

「意志を持ってそれを選んでいる」という感覚

「意志を持ってそれを選びたい」と思える何か

 

 

それがあるから、いる。

それがなくなったら、いない。

 

 

なのだ。

 

 

 

 

今日はイベント盛りだくさん。

アロマリンパマッサージいって

ブラジリアンワックスいって

夜はおごばーで10月のお誕生日会!

 

 

 

また寝る前に更新します〜

 

 

 

マッサージ激気持ちよかった。

頻繁にゆこう。

 

 

背骨に溜まってた疲れとれたし

マッサージの人がちゃんと

心を込めて施術してくれてるのが伝わって

しあわせな気持ちになった。

 

 

おごばーのお誕生日会も

飲んで食べてしゃべって

とってもたのしかったー!

 

 

よき出会い

よき時間

よき思い出が

できました。

 

 

 

みんないい人間たちだ。

 

 

 

 

 

ひとつの状況を前にしても

その、物の見方は

人の数だけあるわけで。

 

 

人の数だけある物の見方が

言語化されてそれを自分が聞いた時に

自分のこころがホッとする方

自分のこころが軽くなる方を

聞いて、採用してったらいいのだと思う。

 

 

 

結局[人の数だけある物の見方]

ってのは

その人がもってるジャッジ

みたいなものだから。

 

 

その人にとっての

善悪が見え隠れする。

 

 

自分の内とは重ならないジャッジを前にした時には人の心は萎縮するものだ。

 

 

まぁそういう色んな人の物の見方を集めて

それを総結集させて

最後、自分が判断すればよいのだけどね。

 

 

 

 

 

人と人との繋がりは

結局どれだけのものを

他者と交わし合えたか

 

だと思ってて、

 

それが満々に満ちる感覚は

生きようとする力になってくれる。

 

 

もともと一つの生命が

ばらばらの個体になった甲斐がありますね。

 

 

そこに本質的な

根源的な喜びが在る。

 

 

 

 

 

わたしは近々

あいまい

ずるずるを

終えようと思います

 

 

 

💪