Mi amas vin.

My life is my message

好きなら一緒にいてよ!!病

 

 

今日はなぜかどこからか

網戸をしているのに

わたしの部屋にばかり

いろんな虫さんが入ってきて、

暗闇でブログを書いてると

ケータイの明るさにたくさん虫が寄ってきて

嫌だったので、

 

今日だけいい?

 

と聞いて

 

今日だけ直のとなりに自分の布団を持ってきた。

 

普段わたしたちは

襖で仕切られてる部屋で

別々に寝ている。いつからか。

 

 

それだから、

布団を横に2枚ならべて

手を繋いだ瞬間に

 

 

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え!!めっちゃこれ!久しぶりだ!!!

この感覚なつかしすぎてやばい!!!

 

みたいになったの。笑

 

 

その瞬間にどれだけ

別々に寝ることが自分にとっての当たり前になってたかに気がついたし

別々に寝ることが当たり前になってた自分にびっくりしたの。

 

 

なぜならわたしは

わたしのことが好きなら一緒にいてよ!!病

だったから笑笑

 

 

 

付き合ってるのに

一緒に暮らしてるのに

 

 

それぞれの時間を過ごすとか

別々の部屋で過ごすとか

別々の部屋で寝るとか

 

 

ありえないーー!!!なわたしだったの。

 

3年前の大学生のころのわたしはね。

 

 

 

でもそこから、たくさん学びました。

 

 

 

強い反応は生まれながらも

 

直が

一人の時間を過ごしたいこと

一人になりたいことは

 

決してわたしのことが

嫌とか

嫌いだからとかではないのだ   と。

 

 

少しずつ、少しずつ、

信じれるようになって

受け入れれるようになって、

 

 

今や自然と

 

了承してるの。

 

 

 

じゃ、一人の時間とってくるわ

じゃ、一人で散歩してくるわ

じゃ、一人で車で出かけてくるわ

じゃ、一人の空間に入らせてね

 

 

って直のことばたちを。

 

これちょーぜつな革命!!✨✨わたしの人生史上ね。

 

 

昔の直はこれらのニーズを叶えるために

ちょーぜつに四苦八苦してきた。

一回一回闘いだったのだ。

 

 

なぜなら、そのセリフを直が言うその度に

わたしは

なんでよ!!一緒にいたくないってことなの!!わたしのこと好きじゃないってこと!!好きならなんで1人になりたいのよー!!意味わかんない!!!!

って本気で怒って泣いて、

『だったらもういい!わたしが出て行く!!』と言ってバックパックに荷物を詰める女だったから笑笑

 

 

 

 

痛かったよ〜向き合う過程は。

そこまで相手の行動に

強い反応が生まれるその根っこには

 

 

わたしが幼き頃

お母さんとふたりだったとき

仕事の時や

なにやらの時

わたしが家に置いていかれるその度に

もう戻ってきてくれないかもしれない

もう見放される・されたのかもしれない

 

そんな感情の記憶がでてきてね。

 

こわかったの。かなしかったの。不安だったの。ぶるぶる震えながらいたわたしがいたんだよね。

 

 

 

それで、

相手が自分から離れていこうとする行為を

異常に恐れていたの。

 

 

 

でも少しずつ塗り変えていったの。

思い込みを。beliefを。

 

 

 

直は、信じていい人だって。

直は、安心していい人だって。

 

 

 

そうやって、いまのわたしがある。

 

 

そうやって、いまの信頼関係がある。

 

 

 

恋人

パートナー

一挙手一投足に

自分の心が揺れ動くのは

 

そこに何か(傷)があるからで

 

何も悪いことではない。

 

 

ただ、それは苦しいよね。

わたしは苦しかったよ。

 

 

 

だからこそ、

その傷がある自分を癒していくこと

はもちろんなんだけど

自分の孤独と手を繋ぐこと

ってのが大事なんだと思う。

 

 

 

自分の孤独と手を繋ぐということは

そのまま、自分という存在と繋がること

 

 

自分と

孤独と

繋がれている人は

他者になにかを求めたりしない

他者から何かが手に入らなくても

立てなくなったりしない

 

 

 

そこから初めて

ほんとうの

本来の

パートナーシップが

始まるのだ。

 

 

 

 

以上、好きなら一緒にいてよ病を卒業したわたしからでした。