Mi amas vin.

My life is my message

愛おしき、もにょもにょ。

自然の偉大さ、美しさ、たくましさに心奪われ

思考の果てしなさ、終わらぬ苦しみに心奪われ

喜んで泣いて怒って、どカラフルな感情に心奪われ

 


せわしくも、しあわせな1週間だった。

 

 

 

自分の幼い頃からの癖やパターン

自分の中に蔓延っている思い込み、呪い

によって、

繋がりたい人と繫がれないことの

なんと悲しいことか。

止まらぬ涙に自分を知った。

 

 


でもそれも、「決める」という行動をとることで、繋がれるようになるのだということ。決めたら「変わる」のだということ。

 

 


雪解けの瞬間がわたしはたまらなく嬉しかった。

 

 


野草のパワーに支えられ

自然の深さに包まれて

お互いの核に核に、触れる時間だった。

  

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フェイクの概念、思考、妄想からの

「抜け出方」をひとつひとつ増やしたい。

 

 

最近見つけたのは

目をかっぴらいて、

手をべろべろべーみたいにして

超絶ひょうきんな顔をすること。笑

 

 

そうしたら、わたしの中でドンっと構えている

わたしの本質に、出会えた気がした。笑

 

 

その出会いはうれしい。

 

 

魂って、目に見えないからさ、

自分の表情をつかって、

少しでも表現してみると、

出させてみると、

なんかたまらなく楽しくって、うれしくって。

 

 

自分への愛おしさが溢れてくるんだよね。

 

 

 

そしてしまいには

自分へ向けてキスをしたくなった。

 

 

ばかーーーーって思うけど

あほやなあって思うけど、

 

 

これがなかなか結構いいのよ。笑

 

 

 

 

でもそれやるのはね、

ただもにょもにょ、悩みもがいているときは、簡単なの。

 

 

でも人への怒りが生まれているときには、難しい。。その顔をしたいと思えないから。笑

 

 

わたしの中は

「くっそぉ〜〜」

「なんだよまったく」

ってなってる。そんなときに、ひょうきんな顔なんてしてやるもんか!!!って謎の意地が登場する笑

 

 

そんなときのいいアイデアもそのうち出る気がするなあ。

 

 

 

 


真実に

目を向けよう。

 

 

 

 

確かにそこに「在る」ものに 

目を向けよう。

 

 

シンプルで在ろう。

 

 

 

 

前回のブログでの

直が、

癒される人

ありがとうをいいたい人

愛してるを言いたい人

と言われて

茉優じゃない女の子(さおりって名前)が思い浮かんだって話。

 

 

 

こーれもさあ、

 

よっしゃーい!きたぜー!みたいに発動するわけですよ。

 

大量のもにょもにょ、フェイク、怒りがね。

それをぜーんぶ、とりあえず出してみた。

 

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これ、まずの前提としておもしろいのが、

その瞬間、

癒される人

ありがとう愛してるを言いたい人

 

なわけで

 

いろーんな、タイミングで

いろーんな、瞬間で、

それはきっと、変化するもので。

 

 

 

でもそこで、わたしが一番じゃなかったことが悲しすぎるから、カチッと決める。決めつける。そしてそれを、[ひねくれ]や[いじけ]、[相手への攻撃]の材料にする。しめしめと思いながら材料集めをするのが大の得意なわたしです。

 

 

しかも思い浮かんだ順番ってだけなのに、

 

 

 

自動的に

 

癒される存在ランキング

愛してる人ランキングみたいに

 

「順位」をすぐにつける。

 

 

      

 

 

人との関係性ってきっと、

順位も優劣もないはずなのにね。

 

 

 

 

その人とその人の間には

無限の可能性が広がってて

その色かたちは、唯一無二で。

 

 

 

 

 

それは立体的に、

さまざまな場所をとりながら、

なまもののように生きてる。

 

 

 

 

人と人の関係性って、「生きてる」。

 

 

 

 

人が生きてるのだもの。

心が生きてるのだもの。

 

 

 

 

 

なまものは、常に変化するよね。

 

 

 

 

 

 

でもね、

 

思っちゃうものは思っちゃうんよ

心配なもんは心配なんよ

怖いもんは怖いんよ

不安なもんは不安なんよ

 

 

 

 

 

だから、それに抗わないで。

 

 

 

 

 

 

「これを言ったらめんどくさがられる」

「またこうに考えちゃってるどうにかしなきゃ」

「またおんなじことぐちぐち言ったら本当に、相手に嫌われちゃうかも」

 

 

 

とかいろいろ理由をつくって、

 

 

 

 

 

思ってることをどうにかしようと

もがく。抵抗する。←それが苦しい。

 

 

 

 

だから、

ぜーーーんぶ、出すんだ。

ぜーーーんぶ、一度、『自分で』認める。

 

 

それは他人に投げつけるものじゃない。

他人に受け取ってもらおうとするものじゃないから。

 

 

そうやって、

【うんうん、そうだよね!その通りだよな!】

って、

 

 

生まれたもにょもにょに同意してあげるとね、自然と、

 

 

「やーーでもね、ほんとうはこう(真実)なこと、わたしわかってるんだ、、」

「それはだいぶ飛躍があると思うよ、、」

「だいぶあなた、歪んでモノ見とるよ、、」

「かなり決めつけてるね、、そしてそんな来てもいない未来のこと考える必要あるかい?」

 

 

ってなる。笑

 

 

ノートのメモの

あらゆるところに

赤字でツッコミが入れれるんだ〜笑

 

 

あーーこれは、

延々と続く、堂々巡りの

立派な終わらせ方だなあと感じた。

 

 

 

思ったことぜーんぶ肯定

それに対して

めっちゃ同意・共感してあげる。前のめりに。

「ほんとにそう?」

「本当にそう思ってる?」

「本当にそうなってる?」

ってひとりツッコミ

違うかもーフェイクなんよなあと気づく。

そしたらそこには何が残る?

真実に触れれる。すっきり☀︎

 

みたいなね。

 

 

 

 

 

そんなことを学んだ大阪・能勢での日々でしたとさ。

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おわり。