Mi amas vin.

My life is my message

「嫌」のたいせつさ

 

 

昨日はとっても素敵な時間があった。

 

 

最近わたしは

人生史上初、

 

付き合ってるひとに対して

触れられたくない

キスしたくない

キスされたくない

好きじゃなくなるかも

 

 

っていう感覚が生まれてる。

 

 

 

そうに思うことなんて

人間付き合ってれば

一度や二度ありそうだけど、

 

わたしは、

固く固く封じ込んできた。

 

「嫌」を押し込めてきた。

 

 

付き合ったらわたしは「一途だ」と

思い込んできた。

 

 

 

 

 

でもそれはちょっと違くて。

怖すぎて怯えすぎて

言えたことがないってだけ。

 

 

 

認識できるレベルでは、

「キスしたくない」

「触れられたくない」って感じて

それをそのまま表現したり

言葉にしたりってのは、まじで1回もない。

 

 

 

それくらい、

わたしにとって

【付き合ってるひととの関係】ってのは、

何が何でも失いたくないものだった。

 

 

そこに明け渡しているものが

多すぎて。

 

 

親とのうんぬんかんぬんで、

欲しかった愛情を

されたかったことを

【そこの関係】で埋めようとしてきてたわたし。

 

 

ある意味では、

そのときの私にとって、

なによりも必要なもので、

なによりも大切なもので、

なによりも失いたくないもので、

『命そのもの』のようだった。

 

 

だから。

 

別れを告げられたりしたら、

【そこの関係】がなくなっちゃったら

呆然と絶望して、

死にたくなっちゃってたんだなあ〜って。

 

 

 

 

 

でももう、いまのわたしは、

 

たくさんいろんなものを脱いできて

 

 

もう。気づいちゃう。

もう。ないことにできない。

 

何かを我慢して

本当じゃないわたしで

直と接することは、限界だった。

 

 

 

わたしの中に生まれるもの、

コントロールはできない。

 

 

 

その時そうに思ったのなら、

それがなんであっても、

それがその時のわたしにとっての「自然」。

 

 

 

 

だから、

人生で初めて、

 

キスを断った。

触れられたくないと、意思表示した。

キスやまぐあいからは、

遠いところに心があると、伝えた。

 

 

 

ものすんごい勇気いることだった。

わたしにとって。

 

 

 

そこで、

悲しいなら悲しいままに

泣きたいなら泣きたいままに

在れたらいいのに、

あまりにも、胸が押しつぶされそうで

気丈に振る舞ってみたり、

明るいトーンでしゃべってみたり、

沈黙にならないよう何か会話を始めたり。

 

そうやって、ごまかしてる自分がいるんだなあって、気がついた。

 

 

 

「キスしたくないなんて、

思わなきゃいいのに

でも思っちゃう。

どうしてそんなことおもっちゃうのわたし。

直はこんなに、悲しそう。」

 

 

その時の胸の痛みを、

『ただ、痛いままに』させてあげよう。

 

 

 

 

 

昨日の夜、直と話す中で

直にとっても壮大なテーマと今

向き合っていて、

 

 

わたしが、

本当の意味で、

そのままで在る、ことで、初めて

直は、

直にとって、

そのテーマにとって

欠かせない

想いや感情や怖さや記憶が揺さぶられるのだとわかった。

 

 

 

それを知ったとき、初めて感じる

《安心感》があった。

 

 

 

安心して、

キスしたくない時はキスしなくていいんだ。

 

安心して、

触れたくないときは触れなくていい。

 

安心して、

触れられたくない時はnoと言っていい。

 

 

 

 

 

1番近い、【付き合ってる人との関係】において、怯えや緊張しかなかったわたしが、

 

初めて感じる

 

《安心》

 

 

 

 

 

 

本来はそうなんだよねって

誰との関係でも

そのまんまの自分でいたい。

そのまんまの自分が、

相手にとっては都合が悪くても

相手にとっては悲しいことだとしても

相手にとっては傷つくことだとしても

 

それでも、

わたしは、わたしの「まんま」でいたい。

 

 

そうだよー!そうなんだよー!って、

胸があっつくなって、

涙が流れる。

 

あー、わたしの魂、喜んでるなあ。

 

 

 

 

 

 

人は、何にも囚われずに

誰にも囚われずに、

 

ただ、自分でいること、

その瞬間の自分を表現できること、

 

 

それが本当に、

生きてるってことの《喜び》なんだと、

わたしは思う。

 

 

 

 

 

でもフェイクの概念に囚われて

それゆえに怖くて怯えて、

安心して、ただ自分らしくそのままでいる

ってことできてこなかったよね。

 

 

 

 

 

「そんなわたしも愛おしいよ。」

「よく頑張ってきたよ。」

「今まで本当にありがとう」

 

 

今この場所にわたしが立つことで

初めて過去のわたしにそう思えた。

過去のわたしとの統合。

 

 

 

 

 

 

 

直も直なりのテーマで

この関係を失いたくないと思い

[茉優から、返ってくるもの]が欲しくて

それを感じたくて

リアクションが見たくて

触ったりキスしたりするところがあるから、

 

 

純粋に湧き出たものじゃない

 

ってわかって。

 

あーそれも、

わたしが受け取れない

わたしが受け取りたいと思えない

要因なんだなあって。

 

 

 

だから

茉優は嫌だと意思表示する、

直はそれに、関係性への不安を感じ始める

だからキスしたり触ってみる。

でもそれは純粋なものじゃないから茉優は受け取れない。断る。

余計に不安になる

 

 

みたいな状況があるとわかった。

 

 

 

そして、直の中のソレと、

わたしの中のコレは、

 

タマゴが先かニワトリが先か

で言ったら、

どっちも先。

 

 

どちらが先ということはなくて、

【同時に】作用しあっている。

 

 

 

本当に

 

わたしがわたしの中に生まれる

自然をそのままにさせることで、

 

しぜーんと、必要な学びが得られるんだ。

 

両者ともがね。

 

 

 

 

きっと、ここで使ってる「自然」という言葉は

 

【防衛反応のないところ】を意味してる。

つまりは、

【自我・エゴを抜けたところ】

 

 

 

 

そこにいれるとき、

ふーーーーーーっと、静かな沈黙のなか

わたしを置ける。

 

 

わたしの内側には静けさがある。

 

 

 

「ここ」なんだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はそんな学びと気づき溢れる

対話の時間を直と過ごした。

 

直はいっぱいいっぱい泣いていた。

たくさんの過去が昇華されてるようだった。

 

 

そして最後には

わたしたちは

何度も強く抱きしめ合い

直は泣き

キスをして

直への愛が溢れてるわたしがいた。

 

 

「触れたい」と

「キスをしたい」と

「包みこみたい」と

「抱きしめたい」と

「愛を伝えたい」と

 

心からそう思えるわたしが、そこにはいた。

 

 

「いやだ」という私のなかの自然を

ないことにしなかったからこそ、

 

味わえる、この今

溢れ出る、この今

 

 

 

 

「死」があるからこそ「生」が輝くように

「嫌」の分だけ「好き」が輝く。

 

 

 

この地球ならではの、二元性。

 

 

 

味わいきりたい。

 

 

 

なるほど〜。

人間を生きるって、ほんと、おもしろい!

 

 

 

そうしたら、

「あなた違いますよ〜」ってサインの

口唇ヘルペスが治ってた〜〜✨

過去最短の日数!

 

 

こんなにも、

内側と身体がリンクしてるのだと感動な朝でした。

 

 

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あ、ちなみに、

この同じタイミングでの

直のブログがこちら↓

http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2019/03/28/022048