Mi amas vin.

My life is my message

『最期だとわかっていたなら』

 

 

9.11のテロの追悼集会で

家族を失ったひとがよんだ詩。

 

「最後だとわかっていたなら」


作・ノーマ コーネット マレック
訳・佐川 睦

 

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら


わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら 


わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたら


わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら

一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

 

 

たしかにいつも明日はやってくる 


でももしそれがわたしの勘違いで


今日で全てが終わるのだとしたら、


わたしは 今日


どんなにあなたを愛しているか 伝えたい 

 

そして   

 

わたしたちは 忘れないようにしたい

 

若い人にも 年老いた人にも


明日は誰にも約束されていないのだということを 


愛する人を抱きしめられるのは


今日が最後になるかもしれないことを

 

明日が来るのを待っているなら


今日でもいいはず


もし明日が来ないとしたら


あなたは今日を後悔するだろうから

 

微笑みや 抱擁や キスをするための


ほんのちょっとの時間を


どうして惜しんだのかと


忙しさを理由に


その人の最後の願いとなってしまったことを


どうして してあげられなかったのかと

 

だから 

 

今日


あなたの大切な人たちを 


しっかりと抱きしめよう


そして その人を愛していること


いつでも


いつまでも 大切な存在だということを

 

そっと伝えよう

 

「ごめんね」や「許してね」や


「ありがとう」や「気にしないで」を


伝える時を持とう そうすれば


もし明日が来ないとしても


あなたは今日を後悔しないだろうから
 

 

 

 

わたしがこの本を手にとって

この詩と出会ったのは高校生の時。

 

 

 

 

よくロフトの本屋さんで立ち読みをして時間を潰すという習慣があった時、この本と出会い

わたしの心に深い衝撃が走ったのをよく覚えている。

 

 

今日の夜、

 

直と、

 

今日がもし最期の日で

明日目が覚めないとしたら?

 

何を感じるだろう。

どんな言葉を今、残したいだろう

直の遺言ってなに?

 

って話をしてた。

 

 

わたしたちは

しょっちゅうこういうやりとりをする。

 

 

わたしの元々の

最悪のパターンを想定するのが得意っていう質もあるし

こういう本との出会いもあるし

直の身体が不正出血とかで心配なのもあるし

 

 

いろんな要素があって。

 

 

 

直はいつも

覚悟いっぱいの愛をくれる。

覚悟の瞬間をこれまで

幾度となく積み重ねてきた。

 

 

だから、最期だとわかっていても

『今と変わらない』

っていう在り方をずっとしてる。

 

 

一方でわたしは

後悔だらけだ。笑

 

 

 

うまく愛せない

愛したいのに傷つける

本当の想いとは逆のことを言う・する

 

覚悟のへったくれもない。笑

 

 

 

わたしは最期だとわかっていたなら

 

一生懸命に

ごめんなさいと

ゆるしてくださいと

ありがとうと

あいしているを

全力で伝えるだろう

 

 

 

 

 

これまで傷つけてきたあれこれ

これまで吐いてきた暴言のあれこれ

これまでしてきた暴力のあれこれ

 

 

ほんとうにごめんって

 

そうでもしなきゃ

立ってられないほどに

こわかったんだって

不安だったんだって

失いたくなかったんだって

 

 

うまく愛せなくてごめんねって

 

ほんとうは、心にある愛のままに

直みたいに、

やさしく、

あたたかく

愛したかったんだよって。

 

 

 

そう、涙ながらに伝えるだろう。

 

 

これまでも何度も伝えてるけれど。

 

やっぱり、ここだなあ。

 

 

わたしは

今世で、初めて

一対一の、深い愛を体験する魂らしくて

 

それまでしたことなかったから

やっぱり直を前にすると、ほんっとうに

 

人を愛すること

誰か1人と深い関係性を築くこと

 

下手くそだなあって、

自分でもおもう。

 

 

直が

あまりにも

愛するのが上手だから

余計にギャップがすごくて。

 

 

そんなわたしも

いろんな想いを経て

いろんな経験を経て

 

 

少しずつ、少しずつ、

 

『誰かと生きる』ってこと、

 

できるようになりだしてきたばっかりのところって感じで。

 

 

 

昨日そんな最期ごっこを直としてて、

 

 

直の遺言は?

 

って聞いたら

 

 

 

『出会えたね

 

歩いてこれたね、いっしょに

 

やりきったね

 

もうぜんぶ渡したよ

 

もうぜんぶもらったよ

 

いつまでも続いて欲しいけど

今おわっても大丈夫。

 

らぶゆー。』

 

 

って。

わたしは直のこの言葉に大号泣。

そんな風に言えちゃうなんてすげーや、ってわたしは思った。

 

 

 

今、目の前の大切な人と

今、目の前あいしている人と

 

最後になっても

もう会えなくなっても

もう話せなくなっても

もう目が見えなくなっても

もう声が聞こえなくなっても

 

 

後悔ない

 

 

 

そう、心から思えるくらいに

 

こころいっぱいに

からだいっぱいに

 

愛を届けよう。

 

 

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すべての身体が『当たり前』に『ふつうに』機能してて、

 

その人の目をみつめれること

その人の声を聴けること

その人の温度を感じれること

その人の匂いを感じれること

わたしの声を届けられること

 

こんなにも贅沢でしあわせな

『当たり前』なんてないなあ。

 

 

 

目は口ほどに物を言う

 

とはよく言う言葉だけど、

 

 

ほんとうに。

 

目は全てを、放っている。

すべてを、物語っている。

 

 

私たちの場合は、

 

わたしの、左目と

なおの、右目は

 

きっと人間同士で

 

目と目を合わせるといつも涙が出てくる。

お互いに。

 

とってもじゃないけど、

胸に抱えきれないほどの

『なにか』を目によって交わし合う。

そのなにか には愛もある。

 

胸に抱えきれずに、涙となって流れる。

 

その間わたしたちはなにも話さない。

なにも喋らない。

 

 

 

目ですべてを一瞬でやりとりしてる、という感覚。

 

 

 

一方で反対の

わたしの右目と、

なおの左目は、

 

魂の目で、

 

見つめあっても泣いたりしない。

 

お互いに、笑けてしまうのだ。笑

 

 

かっるーく、

 

うちらサイコーだね!

約束通り出会えたね!

どんぱち喧嘩してやりたいことやれたね!

 

的なノリの目をしているんだよね

 

 

これ、本当に面白い。

 

 

 

前者のは、

 

どこまでも深く際限のない慈悲や愛や感情のすべてを感じて

 

 

後者は

 

かっるーーーい軽快さを感じる

 

 

 

お互いに。

 

 

 

目ってほんとうにすごい。

 

 

身体の中でもほんとうに尊い部分。

 

 

ほんとにすべてが尊いのだけどね。

 

 

【緑の美しき星】っていう

ちょーぜつおもしろいわたしのだいすきな映画も、人や動物の『目』だけが映し出されていくシーンから始まるね。

 

 

海獣の子どもっていう映画でも

わたしはカモメの目に泣いた。

 

 

目ってすごいや。

イルカでいう「音」みたいに

一瞬ですべてを、キャッチできる。

 

 

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見つめるタイムの時のわたしに見えてる景色。

 

下の目が、

人間の、見てると泣いちゃう目。

 

上の目が、

魂の、見てると笑っちゃう目。

 

 

 

 

最期ごっこ

遺言ごっこ

 

 

普段眠っている

根底にある想いや感情を

 

浮かび上がらせてくれる。

それに気付かせてくれる。

 

 

だから終わると

なぜかすごくスッキリしている。

心もスッキリだったし

わたしはその遺言ごっこが終わった途端

たくさん便が出て身体もスッキリ!だった

 

 

きっと人間が、

 

一瞬、一瞬、

 

ほんとうの意味で後悔なく

生と死に覚悟を持って

ひとつひとつに区切りを持って生きてたら

 

こんなにも

身体もこころもすっきりと爽快で

胸おどる感覚なのだろうなあと思った。

 

夜に

『今日も一日ありがとう、おやすみなさい』

ってばいばいして

 

朝に

『おはよう、今日も会えたね』

って出会いなおす。

 

そんなわたしたちの愛おしき日常。

 

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