Mi amas vin.

My life is my message

愛と罪悪感。お金を受け取るブロック。

いろーーーーーーーーーーーーーーいろあって

今は、直と一緒にいる。

 

高知の土佐清水の宿を目指して

車で走ってる。

 

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書きたいのは2つ。

 

 

1つ目は、

 

人を愛するってこと。

 

2つ目は、

 

お金を受け取るってことのブロックを解くこと。

 

 

 

 

まず1つめ。

 

 

わたしは、

 

自分の蓋してる心の傷に

目を向けずに

なかったことにして

生きることができちゃう。

できちゃってた。

 

今回の豊島の件でそこが、変わったけど。

そこをブログに書き途中なまま、今これを書いてる。笑

 

 

 

 

だから、

直の心の傷を

なかなか直視することが

難しいというか、

抵抗感がある人だった。

 

 

 

自分が

自分の中で、

なかったことにしてて

目を逸らしてるものを、

 

他人のは受け入れれる

ってことないんだろうな。

 

 

自分の中を、

目をそらさずに

受け入れて

抱きしめることで初めて

 

他人のそれにも、

他人の傷にも

 

目を向けて、

寄り添うことができる。

 

 

 

だから、

 

わたしはいつも、

 

直を傷つけることで

 

直に生まれる痛みや傷を

 

自分の中で0にすることができてた。

 

 

というか、

 

【0にしないと愛することができなかった】

 

 

 

わたしにとって、

0にすることが、

愛するための

「すべ」だった。

 

 

それはなぜかというと、

 

 

 

自分のしたこと、

それによる相手の傷

相手の傷を思うことで痛むわたしの胸

 

 

その痛みの感覚と【罪悪感】ってのを

セットにしてたから。

 

 

 

『こんなことしておいて、優しくなんてできない』

『こんなに傷つけておいて、愛する資格なんてない』

『あんなに傷つけておいて、何今さら優しくしようとしてんの?』

『おまえなにしてんの?』

 

 

そういう声が、

0を抱えたままでいると

わたしに向かって言ってくる。

 

 

 

だから、

 

傷つけたことも

それによって直が痛いことも

直が痛いことが、

わたしの胸をも痛くすることを

 

 

それを、

 

ないことにして、

 

優しくしてた。

思いやってた。

愛してた。

 

 

 

 

 

でもそれは、

 

本物の愛ではなかった。

 

 

 

都合よく、

愛してるだけ。

 

 

 

何かをないことにして

100に振り切れて

 

この世は愛だー

愛してるー

 

って言ったって、

 

それは軽いよね。

「ほんもの」じゃない。

 

 

 

 

 

 

『どんなに傷つけたって、愛したいなら愛していいんだよ』

 

直が何度もわたしに、そう言ってくれてた。

 

 

でも、

「そんなわけない」

ってどこか、思う子が、わたしの奥にはいた

 

 

 

 

 

そしてね、

 

 

面白い発見があって、

 

 

それってまんま

 

わたしのお母さんにも当てはまる。

 

 

 

お母さんは、

 

自分が離婚したこと

そこから男の人とのお付き合いとか水商売とか若かったこととか、いろーーんなもろもろで、

『茉優とどう接したらいいかわからなかった』

って、前に打ち明けてくれて、

 

 

それって、

【愛したいけど、どう愛したらいいかわからない】

 

そしてその根っこには

 

【母親として失格だ】

【母親らしくできてない】

っていう、

 

《罪悪感》

 

 

が、あるからだったんだよね。

 

 

 

 

お母さんは、

わたしのおばあちゃん(お母さんの母)に

はっきりと言われてる。

 

 

 

小さかったわたしを家に置いて

夜遅くに男の人と家に帰ってきたお母さんに向かって、

 

 

「あんた茉優が泣いたらどうすんの!?あんたなんて母親失格です!茉優はわたしが育てます。」

 

 

って言ったんだよね。

 

 

その言葉が、

 

わたしのお母さんの胸に

 

どれだけ突き刺さったか、

 

 

想像に容易い。

 

 

 

もう思い込んじゃうよね。

 

 

母親失格なんだ。

母親失格なんだから、茉優を愛する資格なんてないんだ。

わたしよりおばあちゃんが育てた方が茉優は幸せになる

 

 

 

てな感じに。

 

 

 

わたしも、

それを、お母さんから感じてた。

 

 

 

今だから、

【罪悪感】がそうさせてたって

わかるけど、

 

そのときのわたしは、

わからなかった。

 

 

どうして!?

わたしのこと興味ないの!?

わたしのこと愛してないの!?

どうしてそんなにどうでもいい風にするの?!

 

って。

 

 

 

 

そしてわたしは、

 

 

【お母さんから愛されてこなかった】

 

って思い込みを

つくってったんだよね。

 

 

 

それは見事に、ぶち壊れたけどね。

 

それ関連のブログ。

ひとつめ

さようなら。被害者ぶってたわたし。許せなかったわたし。 - mayu’s diary

 

ふたつめ

涙を流し合って、握った手と手。 - mayu’s diary

 

 

 

 

そして

面白いのは、

 

罪悪感によって、

自分の中の愛を制限してたお母さんのその気質に触れ続けたわたしは、

 

全く同じ気質を、

今持っているということ。

 

 

親子って設定をして生まれてること

実に深い。

 

 

 

直とのやりとりで、

 

少しずつ、

 

胸の痛みを罪悪感とセットにしなくてもいいということ。

 

 

傷つけもするけれど、

愛したいように愛するわたしを「許す」こと。

 

 

それが

すこーーーーしずつ、

できるようになってる。

 

 

今はそこと向き合ってる。

 

そして

卵が先か

鶏が先かみたいな話だけど、

 

 

わたしのお母さんは、

少しずつ制限をはずして

お母さんの中にある愛を

わたしにあふれださせてくれるようになってる。

 

 

 

お母さんの制限が外れてきてるから

わたしの中での直に対する制限が外れてきてるのか、

 

わたしの中での制限が外れてきたから

お母さんの制限も外れてきてるのか。

 

 

 

現実っておもしろい。

 

 

 

だから今はトライ中。向き合い中。

 

 

自分の中の0を胸に抱えたまま

胸の痛みを感じたまま、

 

触れたいように触れること

愛したいように愛すること。

 

 

 

それを、やり始めている。

 

 

そしたらおもしろくてね、

 

 

ずっと自分が持ち続けてきた観念、エゴたちからの一切猛反発、猛抵抗のように、

体は重くなるわ

首肩背中は重くて痛いわ、

どこか緊張して体を硬ばらさせるわ、

手汗は出るわ。

 

でも、

子宮はあったかかった。

 

 

本質とズレてるときだかに

ズキン

痛む子宮が、

 

確かに温かかった。

 

 

あーわたしは今この

観念の罠から

エゴの罠から

解放されるときなのだなあと。

 

 

 

 

 

初めて

 

自分の中にあり続けてる傷や痛みに

目を向けて

胸が痛いまま

胸が苦しいまま

 

直と時間を過ごし

目の前の自然に心を動かし

楽しむことができてる。

 

あ、でも疲れすぎて

楽しめてない瞬間もあるけど。

 

 

 

でも、すべてが、

意味のある

貴重な時間だ。

 

 

直もご満悦の様子だ。

 

 

ありがとう、こんな大切なことに、

気付かせてくれて。

 

ありがとう、わたしがほっぽり出した関係を、大事にしてくれて、持ち直そうと全力を尽くしてくれて。

 

 

 

 

 

2つ目は、

 

さっきの話に関連して

 

 

お母さんが、

わたしへの愛を

制限かけることなく

解き放つことができている今。

 

 

 

あれだけ、わたしが大学を辞めるときに

 

 

何が何でも

定職につかなくったって

絶対に、

奨学金はあなたが自力で返していくんだからね!!?

 

 

って、何度も何度も念を押された。

 

 

わたしは、

奨学金返済を自力で返していくことを

お母さんと約束して、大学を辞めた。

 

 

 

はずなのに!!

 

 

いま、やたらとお金の心配をしてくれるんだよね。

 

 

 

奨学金の返済始まるけど大丈夫なの?」

 

ってこの前はラインしてきてくれて

 

 

 

直と喧嘩別れして1人で広島に向かってることを連絡したら

 

「大丈夫なの?交通費はある?足りる?」

 

 

って聞いてくれて。

 

 

 

え、それ、どちらも、

 

「大丈夫じゃない、助けてほしい」

 

ってもしわたしが言ったら

 

お母さんなんていうんだろう、、、?

 

 

って思いながら、

それは何だか怖くて言えなくて、聞けなくて

 

 

だから、

どちらの心配にも、

 

 

「大丈夫だよ!心配ありがとう。」

 

と答えた。

 

 

 

でも!

直とやりとりしてて気づいた。

 

 

 

わたしは、

 

 

前にそうに約束したし。。

自分で返すって言い切ったし。。

 

みたいな、過去に囚われてるってこと。

 

 

 

そしてお母さんが

差し出してくれてる

差し出したくてたまらない愛を

 

 

【受け取らない】って選択をしてるってこと。

 

 

 

お母さんとしても、

あれだけ自分で返しなさいよって

言ってた手前、

自分から渡すだなんて、助けるなんて

しにくいんだろうって。

 

 

たしかに、

 

わたしが素直に、

 

助けてほしいって

 

言えたなら、

 

お母さんは、わたしを助けれることを

嬉しく思うのかもしれない!

 

って思って。

 

 

そしたら、

わたしは助けてもらえて有り難くて

お母さんも差し出したい手を受け取ってもらえて嬉しくて、

 

お互いにうれしいはっぴーって、

 

なんてすてきなんだ!!!!

 

 

って思ったの。

 

 

でもそれって、

 

わたしがずーーーーっと、夢みてた

ずーーーーっと、思い描いてた

ずーーーっと、その中に入りたいと言ってきた

 

 

『循環』

 

 

 

そのものだったんだよね。

 

 

 

与える人は与えたくて与える。

受け取る人は受け取りたくて受け取る。

 

どちらもはっぴー。

 

そしてその輪はぐるぐると循環する。

 

 

 

わたし、あれだけ散々言ってて、

 

いっちばーーーーん近い存在の人からの

 

 

「受け取る」に、ブロックかけてたんだ、、!!

 

 

って気がついた。

 

 

 

ここを解かない限りは

ブロックを外さない限りは

 

 

入ってくるもんも、入ってこない。

 

 

 

そこが、

今後、わたしが生きてく上でちょーーーーー大事なところだなって思うんだよね。

 

 

 

 

 

だから近いうちに、

勇気を出して、

お母さんに、伝えてみようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいステージに、入ったなと感じる今。

 

 

 

わたしたちの、

ぜーーーーんぶの、すったもんだが、

これに繋げてくれた。ぜーーんぶ必要だった。

 

 

 

ありがとう。

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