Mi amas vin.

My life is my message

好きとか愛とかセックスとかまぐあいとか。

でっかいでっかい出来事だった。

 

 

直が、

わたしでない人と

まぐあうことを、

許して

認めて

覚悟して

送り出した。

 

 

その2日後に、

 

まさかこんな出来事が降ってくるとは

夢にも思っていなかった。

 

 

 

ただ、今思えば、必然。

 

 

すべての過程が必要だった。

 

 

わたしは、

嫉妬や苦しみ、辛さ、悲しさ、残酷さ

すべてすべて、

気を抜けば泣いちゃいそうな

心の奥底で叫んでる声を

みーーんな聞いてあげて抱きしめてあげて、

そんなことできたら、

私なにが起きても最強じゃん!!って思えて

ようやくようやく、

覚悟ができた。

 

 

諦める覚悟。

その先にも2人の道はあるという覚悟。

 

そんな大事な時間を経て、

直を送り出せたことによって、

 

 

初めて、

 

 

自分の感じるままに

選択ができた。

 

 

たいせつな、

失いたくない

人を、関係を、

守るために、

怖さに怯えながら、

いたわたしが、

 

 

 

 

素敵だなあと思うひとを

すてきに感じて

 

どきどきするなぁって思う人に

どきどきして。

 

 

繋がりたいなと思う人と

繋がろうとした。

 

 

 

自分の気持ちに素直にいた。

 

 

 

『わたしはあなたのことが

人として好きです』

 

 

そう、言葉で彼に伝えようとした日があった。

 

 

でもそれは

なんだか勇気が出なくて、

できなかった。

 

 

 

いつも、助けてくれる。

人が避けたがる仕事を自らする。

足りないところに、

必要なところに、

いつもすっと入っていく。

力があって、視野が広くて、手際もよくて、仕事も早い。

 

そして何より、

優しい。

 

分け隔てなく。

 

 

だれかが困っていたり

女性が力がなく困っていたら

とっさに助けに行く。

それが本当に早い。

 

本当に、思いやりのある人。

 

 

そして無邪気。

 

少年のような顔をして笑う。

 

いたずら好き。

 

 

ひっつき虫を、

投げてくっつけあったり、

マジックを見せてくれたり、

 

手元に、いまあるもの、

だけで、

知恵を使って、

楽しい空間にする。

その生み出す力、が、本当にすごいと思った。

 

きっとこの人とは、

何がなくても

物がなくても

娯楽がなくても

ただ、そばにいるだけで、

楽しませてくれる人なんだろうなって。

 

 

 

わたしは彼のそんな人柄に

惹かれていた。

 

 

 

 

 

 

そしてある日、

みんなで景色がきれいなところにいこう

ってなったけど、

それぞれの都合により、

わたしとその人の、2人だけになった。

 

 

 

なんだか、

よそよそしさもありながら、

2人の時間を過ごしていた。

 

 

すごくすごく寒い日だった。

 

 

だんだんと、

なにかが溶けてきて、

 

寒すぎるからおしくらまんじゅうしたりして、わちゃわちゃしてた。

 

彼に、触れれてること、

それがその時のわたしはうれしかった。

 

 

 

わたしがつまづいて、

彼の前胴体に、

よっかかる形になったとき、

 

彼が後ろから

わたしのパーカーのポッケに

手を入れてきた。

 

すごくガグブルして、

寒そうにしていた。

 

 

 

そしたら、

わたしのポッケに

後ろから手を入れたまま、

わたしを持ち上げて、

赤ちゃんの高い高いみたいな

そんなのをしたり、

一回転ぐるーーーーっと

振り回したり、

まるで赤ちゃんのように

わたしの体を運ばれてて、

それがおもしろすぎて

彼の力持ち度に感動して、

2人でげらげらと笑ってた。

 

 

その時間は、

ほんとうにほんとうに、

たのしかった。

 

 

そして、

2人が正面で向かい合ったとき、

わたしたちはハグをした。

 

 

大きい体と

大きい腕と

大きい手に

抱かれた。

 

 

 

なんだか、

不思議な感覚だったなあ。

包まれる安心感と

体から感じる包容力と、

どきどきする感じ。

 

 

そして、

ハグしたまま、

わたしが顔を見上げたとき

彼の顔が近づいてきて

わたしたちはキスをした。

 

 

 

キスって2種類あるとおもう。

 

 

好きだから

どきどきするから、

思いや愛情のあふれるままに、

するキス。

 

 

 

 

もう1つは

深いところで、

一瞬で

一気に

大量のものを

交わし合うキス。

 

 

 

   

 

そのキスは

直とするキスとは別物だった。

 

 

 

 

 

でもそのキスから、

だんだんと性的な感じになりだして、

せっくすしたいと、

言ってきて。

 

 

 

でもわたしは、

断った。

 

 

 

わちゃわちゃが好き。

 

性的なものを挟むことで

わちゃわちゃが全く別物になる。

 

 

性的な触れ合いで

気持ちを伝え合うことはうれしい。

 

 

でも、そうじゃないことになることだって、たくさんある。

 

 

それをわたしは、

これまでたくさん経験してきた。

 

 

そして何より。

 

わたしは直という

かけがえのない愛する存在がいながら、

直以外の人とはできない。

 

 

って。

 

 

 

 

 

 

あとあと、気がついたけど、

そういえばわたしは、

家庭環境のことうんぬんを理由に

これまで、

女として求められること

性的に求められること

それを

女としての魅力、

「わたし」の価値

 

って観念なのか癖を持ち続けてきてて、

 

だから、

 

そうやって、

人と人とのつながり

人と人との仲の良さ

超えて、

 

キスとか性的なやつへと

飛び越えるときに、

 

【わたしは女として価値がある】

 

って思える

そんな安心感や心地よさ、恍惚感

みたいなものを感じてて。

 

 

その感覚が、ヴィパッサナー的にいえば

わたしの持つ渇望になってて。

 

 

好きな人とどきどきする人と

キスができてうれしいって気持ちと

直への罪悪感と

この渇望の感覚との

 

 

混沌とした、狭間にいた感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

だから、

キスをされた瞬間に、

断ることができなかった。

怒ることができなかった。

 

 

それが、

そこが、

わたしの弱さであり、愚かさであり、

直への裏切りであると。

そう思った時もあった。

 

 

 

でも、

わたしの持っている癖

わたしの持っている問題

わたしの持っている弱さ

 

 

 

それと、

『直を大事に思っているかどうか』

 

 

ってことはわたしの中では繋がらなくて。

 

 

 

大事じゃないから、断れなかったんじゃない。

わたしの中にそういう問題、弱さがあるから、断れなかった。

 

 

わたしの中にある

直への大事に思う気持ちは

なーーんにも変わってないんだよね。

 

 

 

 

 

まぁ直立場からしたら

 

「大事に思ってたらそんなことできるはずない」

「大事じゃないからそんなことできたんだ」

 

 

ってなるのも、よーーく理解できるよ。

 

 

でも、そうじゃない。

 

 

 

 

大切じゃないからし

ではない。

わたしは直との関係がたいせつ。

 

 

そう、自信を持って言えるからこそ、

それははっきりと、何度も伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、

『ただ、するだけの』せっくす

 

は、

する気がなかった。

 

 

それによる、

潜在的な心の傷や

深い悲しみ、

虚しさを、

惨めさを、

わたしは嫌という程知っているから。

 

 

 

男性としか付き合ってこなかったわたしが

ちんこのあるせっくすしかしたことのなかったわたしが、

 

男でも女でもない直と出会って

ちんこのないせっくすを生まれて初めて経験して、

 

 

そして、

 

 

まぐあい

 

 

というものを知った。

 

 

愛される

 

 

ということを、知った。

 

 

 

 

愛、気持ちと、

性的な触れ合い

が、

合わさることで

 

 

 

こんな境地にいけるのだと、

こんなにも、

莫大なエネルギーが生まれるということを

身をもって知った。

 

 

 

 

だからもう、

まぐあい

じゃないせっくすは

しないと。

わたしはそれを求めてはいないと。

 

 

わかっていたから。

決めていたから。

 

断った。

 

 

 

 

そして、

帰り道。

 

 

『どうしてキスをしようと思ったの?』

 

ってわたしが聞いた。

 

そうしたら、

「あなたが人として好きだから」

と彼の答え。

 

 

えええ!!!

わたしとおんなじだ!!!

わたしも全くおんなじ言葉を

何日か前にあなたに伝えようとしてたんだよ。

 

 

ってなって。

 

 

まさか

わたしが言おうとしてたことと

全くおんなじフレーズ、言葉を

彼の口から聞くだなんて思わなかったから

 

ほんとうに、ほんとうに、びっくりした。

 

 

 

茉優はキュートだと、ビッグスマイルだとも

言っていた。

 

 

その一つ目のシンクロに感動して、

 

次に

 

 

あなたにとってのせっくすってなに?

あなたにとって、せっくすは何の意味がある?

 

 

ってそう聞いた。

 

 

そしたら、

 

せっくすはコミュニケーションだ

 

と。

 

体と体が触れ合うことで、

言葉じゃないものをやりとりしてるんだ

 

 

と、彼の答え。

 

 

 

えええええええ!!!!?

 

と二度目の驚き。二度目のシンクロ。

 

 

わたしも全く同じ風に思ってる。

 

 

せっくすはコミュニケーション。

繋がるための。

繋がる手段。たいせつな、おおきな。

 

 

 

 

わたしは、

この2つのシンクロを前に、

シンクロって、

あなたいい方向ですよ〜

ってサインだから、

 

 

これはなにか、

大きな意味があるに違いない

 

 

どんな結果になるとしても。

意味がわかるのに時間がかかったとしても。

 

 

 

って、確信した。

 

 

 

 

ほんとに、無意識レベルに。

潜在意識レベルに。

なぞの自信をその瞬間のわたしは、持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただのせっくすではなくて、

まぐあいができるような気がした。

 

 

いまここで、

わたしが、

直以外の人とまぐあうこと、

それが絶対に、

2人にとって大きな意味をもたらすに違いないと、

そう確信できた自分がいた。

 

「わたし」にとって

ではなく

「わたしたち」にとって、ね。

 

 

 

直が、

ゆりなさんとまぐあうことを前に

様々な感情を抱きしめ、

直を送り出せたからこそ、

わたし以外のひととまぐあう直を赦せたからこそ

そんな直をまるっと愛せるわたしを、

知ったからこそ。

 

 

 

 

直との関係のことを思えばいろんな恐怖を感じてるはずなのに、

わたしの中はGOサインを出した。

 

 

 

それに対抗する顕在。

さまざまなアタマの声。

 

 

わたしはそれを振り切って、

 

 

 

まぐあいができると信じて、

 

あなたとせっくすがしてみたい

 

 

 

そう伝えた。

 

 

 

 

結果、そのせっくすは、

ただのせっくすに終わった。

 

まぐあいができるかと思ったけど、

まぐあいは、できなかった。

 

 

 

もっと、目を見たかった。

でも目なんて見ない自分がいた。

もっと、触れ合いたかった。

でもそんな触れ合いはなかった。

 

 

時間がなかったという状況や、

場所がなくて車の中だったってこと。

 

いろんな状況があっても、

それが全て。

目の前のことが全て。

 

 

 

〜だったら、できたかも

もっと〜だったら、

 

とか、

 

そういうのはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、

 

強く強く感じたことがあった。

 

 

 

それは、

 

どんなに、

男らしい体でも

【理想】と思っていた人でも

そこにちんこがあっても、

 

 

 

わたしの魂はわくわくしなかった。

直とのまぐあいのときに感じる、

あの、胸いっぱいの喜び、

それは1ミリも生まれなかった。

 

 

 

わたしは、

直じゃなきゃ、まぐあえないんだって。

 

やっぱり、直なんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この【理想】

詳しく言うと

 

わたしは、

外国人カップルの、

男性性、女性性と

くっきりと分かれて

そしてぴったりとハマってる、姿

に理想を感じていた。

日本の自給自足的な暮らしをしている夫婦にもそれはよく感じてたけど、

やっぱり外国人の男は人は

基本的にジェントルマン。

そして自然なボディータッチがほんとにすてき。一概には言えないけど、ハグとかキスも日本人より多いし

レディーファースト的な感覚が

日本男性より自然とついてる。

ほんとにほんとに、ただ、

『愛されること』が女の仕事

みたいな、感じに理想を感じてた。

あとはやっぱりせっくすも

日本人と外国人は違う。

なんていうかな、

ぐいぐい、そして優しく

ひっぱってくれる度とか、

いろんなものがスムーズすぎる感じとか、

体も大きくて、

包まれて。

だから、

いつからか、

日本語が話せる外国人と、結婚したら幸せだ!

って、思ってた自分がいつからかいたなあ。

理想の男性性と女性性のマッチした感じなって、せっくすもいい感じで、生まれるこどももハーフでかわいいorかっこよくて、、、

みたいなね。

 

そんなのを、中学からか高校からか、忘れたけど、思う自分がいた。

そしてそれは、いまでも変わらずどこかにずーーーっと、奥深くに、残り続けてた。

 

 

 

 

そして、そんな【理想】を

ぜーーーんぶ詰め込んだ人が

目の前にポンっと現れた

 

って感じだったんだよね。

 

 

 

 

だから、

そんな【理想】のひととも、

まぐあいはできなかったと、

わたしの心は、喜びに満ちなかったと。

満足しなかったと。

 

 

 

大きく何かが崩れてった。

 

 

 

インドのヴィパッサナーセンターでも一度、

 

どんどん女性らしくなってって、

周りにも女と間違えられてった

直に対して、

 

ああ、もう、

わたしの

こんなパートナー像でありたい

っていう願望や、期待は、

手放す時なんだな、と。

 

 

それを持ったまま言う

「愛してる」は、

利己的な愛。

 

 

 

相手に

わたしの、なんの期待も願望も

求めないのが、

真の愛。

 

 

わたしは、

真の愛へと、

変わる時なんだ、と。

 

 

 

 

わたしが握りしめていたものを、

ひとつ、手放した。

 

 

 

それはそれは、

その時の私にとっては

とっても苦しい作業だった。

 

 

 

 

 

それがあってもなお、

まだ、奥底に、わたしの中に

居続けた【理想】

 

 

それが、

最後の最後

 

 

ようやく、さよならしてった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の最後捨てきれなかったものが捨てれて、

すっきりして、

やっぱり直なんだー!

って、うれしくて、

 

それを教えてくれるためのできごとだったんだなあってなって。

 

 

彼とばいばいしてからのわたしのエネルギーはすごくすごく軽かった。

自分でも、びっくりするほどに。

 

なんの、罪悪感もなかった。

 

 

 

だから、

直に会ってから

群馬に帰ってから

直接、話そう

って思っていた。

 

 

ところが、

直とのラインをしていたら、

直が、

前にわたしと2人でいちゃいちゃしてるときの動画を突然送ってきた。

 

 

そこに写る、自分の姿に、

なんだか、何かが触れて。

 

 

 

 

わたし、なんて、嬉しそうなんだろうって

わたし、なんて、しあわせそうなんだろうって。

 

 

【理想】と思っていた彼との時間の中で、

わたしがこんな表情をした瞬間は、

一度もなかったな、

と。

 

 

 

わたしが直に、自らキスしようとしている姿、

 

その時に開かれてるのは、

 

男性性だったんだということ。

 

 

 

でも、

その時の

るんるんした感じのわたしで、

直に触れようとすると、

いつも直に待ったをかけられた。

 

ほんとにちょっと待って、

一旦ストップと、

ほんとに止められちゃう。

 

 

その送ってきた動画の中にもその姿が映っていた。

 

 

 

あんなにも、

どうして?!

もっと触ってよ!?

もっと与えてよ!?

  

 

って直に言われ続ける中で

【何かがわたしには足りないんだ】

って、いつの間にか刷り込まれてってた。

 

 

 

でも、

わたしは、

なにも足りてないものはない

と。

 

だいじょうぶだったんだ。

と。

 

 

そう思えた。

 

 

 

そんな気付きがあったとき、

この彼とせっくすした話を、

直に言うのは

『今なんだ』とわかった。

そうに感じた。

 

 

だから、

言葉でなく声で、電話で、

覚悟を持って、

直に話そう、と決めた。

 

 

 

その、話すと決めてからが、

エネルギーの振れ幅がえげつなくて、

家に帰ってきたときは

一切の罪悪感がなく、

軽いエネルギーだったのに、

いざ、話すと決めてからは、

 

 

 

自分はなんてことをしたんだ、

なんだかとってもやばいことしちゃったんじゃないか

墓までこの話を持っていくことにしようか

今ならまだ引き返すことができる

これで直との関係が終わったらどうしよう

これを、群馬に帰るまで言わないでいるこの状況は、直との関係に対して不誠実なのではないか

 

などなど、

後悔とか罪悪感とか恐れに

襲われてった。

 

エネルギーが一気に重くなった。

 

 

 

それでももう、

 

決めた。

 

 

 

直に話すと。

 

 

 

 

 

関係を自分から終わらせたことのない私が

彼氏を振ったことのない私が

失う怖さから、逃げるように

避けるように、動いてきた私が

 

 

 

人生で初めて、

 

人生で1番失いたくないものを

 

失う覚悟をもって

 

自ら動いた。

 

 

 

 

それはそれは、ほんとうに、

新しいことだった。

 

 

 

 

結果、

直の心の痛み、胸の苦しみは

果てしなかった。

 

 

わたしは、電話をかけてから、

どれだけの長い時間

言葉を発せれなかっただろう

言い出せなかっただろう

何度言葉を飲み込んだだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のぶさんとせっくすがしてみたいだとか、

あゆちゃんとキスがしてみたいだとか

あゆちゃんとまぐあって涙を流す姿を見たいだとか

明日死ぬととしたら、

余命が半年だとしたら、

やりたいことは男性とセックスすることだ!

とか、

恋してると言い、すてきだなあと思うと言い、その人の顔をスクショしてたり、

ゆりなさんとまぐあう約束をした

とか、

 

 

たくさんたくさん、

直が【わたし以外との何か】を

いう時が、言ってる時期が、あった。

 

 

 

 

 

でも、わたしは、

 

直がそうなっているときすべて、

 

【直以外とのなにか】を

したいと思った自分はいなかった。

 

直以外のひとに、

恋するわたしはいなかった。

 

 

 

 

直以外なんて、

したいとも思わないし

考えられなくて、

 

だから、

それをしたいと思える直に

それを言葉にして私に言えちゃう直に、

わたし以外のひとに恋してる直に、

 

 

悔しくて、

悲しくて、

どれだけいじけただろう。

どれだけ怒ってただろう。

 

 

でもほんとは、ほんとは、

もっともっと、怒ってたんだ。

もっともっと、悲しかったんだ。

 

 

いつも自分が猛烈な胸の痛みを抱えながら、我慢する方なんだ。。

 

 

 

 

そんなことにも、

気がついた。

 

 

 

 

わたしが

【直以外のひとと何か】なんてこと

そんな可能性

そんな発言

これまでなかったから、

 

突然の、

 

『結論から言うと、せっくすをした』

 

 

っていう、わたしのことば。

 

 

それがどれだけ、

直の胸を締め付けるか

直の胸に刺さるか

直の胸を痛めるから、

想像に容易かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その電話は12時間していた。

 

 

 

直の嗚咽、涙、叫び、怒り、悲しみ、痛み

 

 

 

ぜんぶぜんぶ、

しっかりと、真正面から受け取ろう。

 

その覚悟を持って、いた。

 

 

 

それが新しかった。

 

 

 

わたしの胸は痛かった。

涙は止まらなかった。

 

 

 

それでも、ひたすら、

切りたくなっても切らずに

ひたすら、

直の嗚咽を聞き、

わたしの選択により

生まれているいまこの結果を、状況を、

真正面に、引き受けた。

 

 

 

 

これまで、

わたしは、

直の悲しみ

 

を、素直に受け取れないわたしがいた。

 

 

 

[わたしによって直が傷ついてる]

っていう状況をなかなか受け入れれなかった。

 

悲しむ直に、

「いちいち悲しんでる」

「また悲しんでる」

と、

イラつくときだってあった。

 

 

それは、

わたしが、

わたしに対して、

悲しみきることを

些細なことでさえ、

生まれた悲しみを抱きしめることを

 

できていなかったんだなあ。

 

 

 

 

 

 

電話の中でもらった2つの

直からの、リクエスト。

 

 

 

それは、

このできごとをしっかりとブログに書くこと。

包み隠さずに全てを。

 

2つ目は、

今回の件に関して、彼としっかり、話し合うこと。

彼は茉優とのせっくすをどう感じてるのか?

もし妊娠してたらどうするつもりなのか?

などなど。

 

 

 

わたしの中にも、

ちゃんと、話し合いたい

という気持ちがあった。

 

 

 

そうしたら、偶然にも、

次の日、彼の方から連絡があり、

話したいことがあると伝え、

会うことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の夜せっくすしての、次の日。

 

なんだかどこかよそよそしさや

ぎこちなさを感じながらも、

わたしは、勇気を出して、話を切り出した。

 

 

 

 

 

 

『わたしは、

昨日のあなたとのせっくすのこと、

パートナーに話したよ』

 

 

 

そう切り出した。

 

 

 

 

 

彼はほんとにびっくりしてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから、

 

聞きたいことを聞き

話したいことを話した。

 

 

初めは、

「茉優だから、したんだ」

と言っていた彼も、

奥へ奥へとさぐるにつれて、

 

 

茉優には「I love you 」とは、言えない

 

って、本音が出てきて。

 

 

 

 

わたしがせっくすには、

2種類あると思うとはなした。

 

 

ただ、するだけのせっくす。

 

繋がるための、せっくす。

 

 

 

 

わたしたちのはどっちだったと思う?

 

 

と聞いたら、

 

 

前者のほう

 

と答えた彼。

 

 

 

 

どきどきするとか

恋してるとか

好きとか

まぐあえる「かも」とか

 

そんなんじゃ、つながるせっくすはできないんだと。

 

 

 

心から、

自信を持って

「愛している」と、

言える相手でなければならないと。

 

 

直でなければ、

まぐあえないのだと。

そう、身を以て実感した。

 

 

 

 

 

『あなたのニーズはなに?』

 

 

そう聞いたとき、

驚いた表情をしていた。

 

そんなこと人に聞かれたことがないと言っていた。

 

 

なかなか出てこなかったけど

彼のニーズは

もっと触れ合いたい。

繋がりを感じたい。

だとわかった。

 

 

 

それをまずは、あなたが抱きしめなきゃ。

それをまずは、あなたの大切な人に伝えなきゃ。

 

 

 

彼が感情を表現することを嫌っていること

I love you の使い方がわからないこと

 

いろんなことがわかってった。

 

 

 

 

彼は感情を表現することに

抵抗がある。

感情的にいることを

悪いことだと思っている。

 

 

これまでわたしは、

『感情的に生きてこそわたしだ』

 

ってくらいに、

生まれる感情を

生まれるままに

生きてきた。

 

 

そしてここ最近ようやく、

 

 

感情っていうものは、

 

《わたしが、わたしを、知るため》

 

に生まれるもので

 

 

その正体は

 

本質からの《愛》でしかないんだと。

 

 

 

そう、実感する日々が続いていた。

 

 

 

だから、

感情を悪いこととして

出さないようにして

生きてる彼の姿に

 

わたしの胸は、

深く、重く、痛かった。

 

 

 

『彼が何かを抑えてる。。』

そうにわかる瞬間ってのがたくさんあった。

 

 

 

その度にわたしは彼の胸に手を当てた。

 

 

平気そうに

大丈夫そうにする彼に

 

 

何度も何度も、

 

 

目を覗き込んで、

 

 

 

ほんとうに?

 

 

 

と、聞いていた。

 

 

 

どうか、

 

彼が、感情を受け入れれて

本質からの愛に気付きますように。

 

と、

 

そう、心の中で祈りながら。

 

 

 

 

すると、

ばっと、

覆いかぶさるように、

抱きしめてきた彼。

 

 

 

何か、必死に押さえつけてた蓋が

ぱかっと取れたようだった。

 

 

 

 

 

すごくすごくうれしかった。

 

 

 

彼は、わたしの言葉が

わからないなりにも

ピンとこないなりにも、

 

 

確かに、

確実に、

何かが、届いていて、

そこに、揺らぎが生まれてて。

 

 

その瞬間

その在る姿を

 

とても《人間らしい》と思った。

 

 

そして、

 

わたしがしたかった、

彼との『人と人での繋がり』

 

 

 

それが、

できた

って、

抱きしめあっているときに思った。

 

 

 

 

 

わたしがしたかったことは、

これなんだ。。

 

 

って。

わかった。

 

 

 

 

性的なものを挟まずに、

ただ、

 

 

言葉を尽くして、

目を見つめあって、

心の奥を探ってって、

共に何かを分かち合って、

それが、溢れて、抱きしめ合う。

 

 

 

 

うれしくて涙が出た。

 

 

泣き出すわたしに、彼は戸惑っていた。

 

 

「ごめん、茉優はわたしの中を聞いてくれてたのに、自分は何にも茉優の中を聞いてなかったね。わたしの失敗だこれは。ごめん。」

 

 

って、困ったような優しい顔で

心配した彼。

 

 

「違うんだよ、これはうれし涙なんだ。あなたと人として繋がれたこと、それがすごくうれしいんだよ。わたしはせっくすじゃなくて、あなたとこれがしたかったんだ」

 

 

って。

 

 

そう伝えて、もっと泣き出した。

 

 

 

彼はわたしを抱きしめて

茉優の中にある全部の涙が出切るようにと、

わたしを抱きしめながら

左右に揺すりながら

わたしの目から涙が流れ出るたびに

その涙をひとつひとつ、拭ってくれた。

 

 

 

 

 

そうしたら、

なんと彼も泣きそうになってて、、!

 

 

 

初めて見せる表情だった。

 

 

 

If you want to cry, you can cry

 

 

って、優しく、目を見て、伝えた。

 

 

 

 

でも彼は、

わたしは隠すのが上手なんだ

と言って

目を手で覆い隠していた。

 

 

 

 

ずっとずっと、感情もブロックしてきて

きっと泣きたいときだって我慢してきた彼が

 

 

 

心が揺れて、泣いている。

 

 

 

 

 

その事実が、

その状況が、

 

 

わたしは魂レベルに喜びだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

やりとりの中で

茉優はemotional therapist のようだ。

それになれると。

茉優を必要としている人はたくさんいると。

 

 

そう言ってくれたけど、

 

 

今度は彼がセラピストのように、

わたしを受け取ってくれて、

 

 

お互いにtherapistだねって、

 

 

そう笑った。

 

 

 

 

 

 

 

人として繋がれた

 

 

からこそ、溢れ出る何か。

 

 

 

 

彼はわたしの胸に飛び込んできた。

何度も何度も、

顔をさすって。

 

 

 

 

自分で猫のようだ

って言ってたけど、

 

わたし的には

お母さんの胸に飛び込む子どものようだった。

 

 

 

そのときの私は、

なんだか、

マザーテレサって、こんな感覚で

常に生きてきたんだろうな

 

って思うような、

 

寛容で寛大な母性の愛

 

 

みたいなものを感じていた。

 

 

 

 

 

 

あのせっくすがあったからこそ、

そして

できると思ったまぐあいが

「できなかった」からこそ、

 

 

わたしたちの、

このやりとりは、生まれた。

人としての繋がりが、生まれた。

 

 

 

言葉を超えて。

 

 

インドの時もそうだった。

 

 

国籍も言語も関係なく、

『人間』として繋がれることの喜び

心に寄り添いあえることの喜び。

 

 

 

それはわたしにとって

大きな大きなギフトだった。

 

 

 

 

与えたくて仕方がなくなってる彼。

わたしの体をほぐして、マッサージしてくれた。

 

 

その姿は、

もう

[与えていることが喜び=男性性そのもの]

 

だった。

 

 

その表情は、

美しかった。

 

 

 

 

彼の目は変わった。

愛の目になっていた。

 

 

 

そして彼もわたしを見て

You are beautiful と言ってくれた。

 

 

 

 

人の中に愛がある姿は、美しいのだと、

改めて強く思った。

 

 

 

 

わたしは、

 

彼が与えていること

マッサージしてくれてること

 

有り難くは思えた。

 

けど、

 

 

魂は震えてなかった。

喜びはそんな生まれてなかった。

 

 

 

 

 

 

ずっと、

縛られてきた、

 

男性性  と  女性性  の統合 融合

 

 

 

それは、

 

 

ただ、そこに、

 

男性性と女性性 

 

が、あればいい

 

わけじゃなかった。

 

 

 

 

与えるのが喜びな人と

受け取るのが喜びな人が

いればいいわけじゃなかった。

 

 

 

どの魂を愛しているか

どのエネルギーを愛しているか。

 

 

そこだった。

 

 

 

肉体や性別は関係なく。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその相手は、直なんだと、わかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が、人として、繋がること

性的に触れ合うこと。

 

 

 

延長線上な世界もあれば

完全に隔離する分離する世界もある。

 

 

 

 

 性別も肉体も関係なく

 

 

ただ、ひとが、ひとを、愛すること

 

ただ、ひとが、ひとに、惹かれること

 

 

 

そこらへんに、私たちの道があるよう。

 

 

この道に関して

わたしの中にあったこれまでのもの。

直へのラインから少し引用して載せる。

 

 

ひとつめ


わたしが、

大切な男友達

と思っていた人が、

わたしに性的に触ってきたときとか、

キスをしてきたときとか、

 

 

 

その時にも

価値があるんだうれしい

 


って癖も出るけれど

 


どうして?

ともだちじゃなかったの?

どうして「女」としてみるの?

どうして「ひと」としてみれないの?

わたしは「ひと」としてあなたと仲良くいたかったよ。繋がってたかったよ。それは無理なの?

どうしてわたしは「女」としてしかみられないの?

 

 

 

そういう

小さい子ちゃんたちの、

叫び。

 


それが

悲しみとなって

怒りとなって

憎しみとなって

『気持ちわるい』という日本語に、達した

 

 

 

 


ってことだったなって、今思った。

 

 

 

 

 

 

わたしは、ほんとうに、

 


おもしろい矛盾を併せ持った人間だなって。

 

 

 

 


性的なものに

求められることに

価値を置いてるかと思えば

 

 

 

まったく正反対の

「おんな」ではなく

「ひと」として、

 


みられたい。

関わりたい。

繋がりたい。

 

 

 

って思いもこれまでずーーーーーーーーっと、ずーーーーーーっと、持ってた。

 

 

  

 

 

ふたつめ

 

直。

 


やっと出てきた。

 

 

 

 


わたし、小学生のころ、

好きだった男の子にこう言われたの。

 


『お前みてると勃起する」

 

 

 

って。

 

 

 

 


その勃起って言葉を、そのとき初めて聞いた。その時のわたしによく意味はわかってなかった。でもなぜか、その言葉を言う男の子の表情から、それが一体どんな界のものなのかは、本能的に、潜在的にわかってたと思う。

 

 

 

 

 

 

 


わたしはその男の子が好きだった。

 

 

 

その男の子に、そうに言われて。

 

 

 

 


え、それはあなたも私が好きってこと?

わたしを褒めてくれてるの?

 


って、そんな疑問が小学生のわたしの中でぐるぐるしてた。

 

 

 

 


でもなんだか、

今思えば、

 


わたしの中にあった、

やわらかく、

ふわふわした、

かわいらしい想いたち。

 


それらが、

不可抗力的に

無条件に

上から、

ゆっくりと、

ぴしゃん。

と、

なったような気がする。

 

 

 

 

 

 

ここが、始まりな気がする。

 

 

 

 

 

 

直に話したことないよね?この話。

 


わたしの中でも、なぜかずっと、封印されてた。

 


でも、ふと、

出てきた瞬間に、

これだ。

 


ってなった。

 

 

 

 

 

 

わたしは、

混乱したんだと思う。

 


わたしが好きと思う男の子から、お前を見てると勃起すると言う言葉を言われて。

 


それを、

『お前は性的な対象であって「好き」ではない』

って意味なのか、

「好き」だから、性的に興奮するのか、

 


わからなかった。

ずーっとわからなかった。

 


でもきっと、

「好き」だから、興奮するって。

「好き」だから、求めてくる

って。

 


ずっとそうに思いながら、

ずっとそれを思いながら、

ワンナイトしてたなって。

 

 

 

ここ、初めて言葉になった。

 

 

 

でも、だんだんわかって言った。

みんながみんな、

「好き」だから、求めるわけではないと。

「好き」だから、せっくすするわけではないと。

 


でも、直と出会うまでは、

付き合った男の人から、

「好き」だから求める

「好き」だからせっくすする

 


を感じてきた。

 


だから、

全部が全部とは、言えないのかもしれない。わからないけどね。

 

 

 

 


いまでも、不安がってて、わからない小さなわたしがここにいるよ。

 

 

 

 

 

 

その子の不安を、

言葉にできない感情を、

いま1番たいせつにして、

味わってる。

涙と共に。

 

 

 

 


直は、

茉優が好きだから

キスをするんだよね?

茉優が好きだから

わたしの体に触れるんだよね?

 

 

 

 


わたしは

男の人の中での

「好き」の気持ちと「性欲」

 


それをずっと、ちゃんと理解してこれなかった。

 

 

 

きっと、

「好き」だから、

求めてくると

触れてくると

せっくすしようとすると、

 


そう、信じて。

そう信じてやまなかった。

 

 

 

 

 

 

でもある時からだんだん、

「好き」だから、

を諦めて、

その男の人に、

『女として認められた』

『女としての価値がある』

に、重きをおくようになってった。

 


「好きだから」

「価値を感じてくれてるから」 

 

 

 

その2つをぶっ飛ばして

『「その人」じゃなくて

「ちんこ」が茉優のこと好きなだけだよ』

 


そう言った直。

 


そして今回のこの出来事。

 

 

 

ただ表面だけで

『もう、もってるもの』として、話されてきたことトピック。

より深く、メスを入れたところに、今わたしが感じることがある気がしてる。

 


この内側と外側とでのカオスな混乱、もう少し味わってみるね。

 

 

 

それに対する直のライン

 

 

おはよう!
初めて聞いたその話!

よくたどり着いたね。
この後、どう感じて行くのかは分からないけど、
おめでとう😊

 

何か世の女の子たちの多くも陥ってる大切な大切なポイントな気がする。
みさちゃんの言葉からも感じたよ。
先々すごく誰かを助ける気付きかもね😊😊😊

 


私は茉優への好きが溢れてキスになるんだよ。
茉優への好きをもっともっと深くまで届けたくてセックスをするんだよ。

 

 

私は勃起できないけど、
茉優の体を求めるって表現するような性欲はないけど、  

 

茉優の心も体も魂もひっくるめて、
存在を愛してるんだよ。 

 

 

『求める』って言葉、なんか、
あるね。

ある時からだんだん好きだからを諦めて…
ってとこ。
どうして諦めたんだろ。
もう、茉優が体感してることにウソつけなくなったのかな?
どうやらこれは好かれてるわけじゃないぞ。
だけど、どうにか私への何かがあることにしないと、茉優はどうしていいか分からなくなる。
そうだ、女として価値があるからだって。無意識レベルで。
そんな気がした。

 

 

 

これは、

これからのわたしたちの道に

本当にたいせつなやりとりだったとおもう。

 

 

 

 

 

また昨日直が、

男友達と、一緒に風呂に入ってたら

性器を触りあって、

って話ししてて、

それは今、本人がブログにしてる。

さわりっこ - おにぎり ころりん すっぽんぽん

 

 

 

 

わたしたちは、

出会ったころ、

関係が始まったころ、

 

 

お互いに

性への固定観念が強い

 

という自覚、認識があった。

 

 

 

今思えば

それらをひとつひとつ、手放すための

必要な過程だったのだなと。

 

 

 

 

 

 

 

この人が好き

この人を愛してる

 

世の中でたくさん聞く『愛』

 

 

それと、『性』のこと。

 

 

 

人は曖昧にしがちだけど、

目を背けがちだけど、

あまり語ろうとはしないけど、

 

 

 

 

わたしは、

それを、たくさん味わうみたい。

そこに、伝えたい何か、があるみたい。

 

 

 

 

 

わたしはもう、

この『生きてるいま』が『生きがい』だ。

 

 

 

 

どこまでも正直に

包み隠さず、ぼやかさず

自分をオープンに。

 

 

オープンにできるということは、

全ての自分を赦していることだから。

その赦しは、愛だから。

 

 

 

 

 

 

全てのできごとで

わたしはあり得ないほどカラフルな

感情や怖さや不安や喜びを味わった。

 

 

そうして、

【自分への絶対的な自信】を何度も味わった。

 

 

 

何があっても大丈夫

何をしても大丈夫

何をしなくても大丈夫

 

そんなところに立てたなら

 

きっと生きてる。めいっぱいに。

 

親も場所も国も肉体も自我も性別も

全てを選んで、

生まれてきた、

この地球での

たった一度きりの

かけがえのない今この時間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

この過去最長ブログ

激長文章を

一体どれだけの人が

さらさら〜〜っとスクロールすることなく、

いまここの文章まで辿り着いたか、

それを知ることはできないけれど、

 

 

わたしのひとつの、たいせつな生き様だから。

 

 

 

小林茉優という人間は

こんな風に生きてたよって。

 

 

それを、

共有したいと思ってくれたあなた

興味をもってくれたあなた

 

 

ありがとう。

 

愛しています。

 

 

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わたしはこの世界を

直と2人で、お話し会しながら

ただ、暮らして、生きていく。

 

それが1番、楽で、喜び。

 

 

おわり。