Mi amas vin.

My life is my message

声。喜び。愛。怒り。相手軸。

 

今日、東京の高田馬場で、

Otono canvas っていう

https://www.facebook.com/events/793472841015165/?ti=icl

 

好きな曲を持ち寄って、

ボイトレして歌おう!

 

ってイベントがあって、

 

それに、

直が参加することが決まってて、

 

自分はそこで

ちゃんとしたスタジオで、

どりちゃんの伴奏と

雄也さんのボイトレの中、

 

直に歌われる高橋優の「おかえり」が生で聴いてみたくて

見学として、一緒にイベントにいった。

 

 

あとはそのイベントを企画する側の

どりちゃん、にも、会ってみたかった。

 

 

どりちゃんは、

言葉を超えて、

目の前の歌うひとと、繋がって

コミュニケーションをとって、

即興で、ピアノを奏でていて

ほんとうにすごかった。

 

 

パートナーの雄也さんは

熱量がとにかくはんぱないひとで、

でもあたたかさや柔らかさもあって、

何より雄也さんが、シェアしてくれた名言

 

【生きることを生きがいに】

 

が、すんごく心に残っている。

 

 

 

声って、裸ん坊になるんだなあって。

 

 

一瞬、一瞬に、

ありのままでいる覚悟を持つんだなあって。

 

 

もどかしさも

戸惑いも

躊躇も

ぜーーーーんぶが、そのまま美しくて、愛おしいんだなあって。

 

 

 

みんな、声があってよかった。

声が出せるってしあわせだ。

 

 

 

声があるから、

 

思いを乗せて、大切な人に、だれかに、届けることができる。

 

 

声があるから、

 

その瞬間の気持ちを、こころを、表現することができる。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

 

極度に、

人前で歌うのを嫌がるひとだった。

 

 

鼻歌とか、1人で歌うのはすきなのに、

 

 

人の前でってなったら絶対イヤで、

 

カラオケでも歌わないし、

歌う羽目になったら必ず誰か道連れにするし、

仲良い子と2人のカラオケですら、

一緒に歌おうってなるくらいに、

 

 

わたしは人前で歌うことに極度の抵抗があった。

 

 

 

でも今日!!

 

人生で初めて!!

 

ひとのまえで!!

 

1人で!!

 

歌った!!

 

しかも、見学での参加だったはずのに!笑

 

 

どりちゃんのすてきな伴奏つきで。

 

 

足が震えるのがわかってたから、

よりリラックスできるよう

座って歌うことを選んだ。

 

 

あんなに立ち姿の姿勢のこと指導してくれたのにごめんね雄也くん。

 

 

 

 

かすかな、

喜びや、

うれしさを、

 

大きな大きな

緊張や

恥ずかしさ

の中でも

 

感じることができた。

 

 

きっと、人がいる前で、

 

わたしが、

わたしらしく在る覚悟をして、

 

 

それをそのまま声にのせれたら、

 

 

それはおおきな、おおきな、

何か光のような、あたたかいものに

包まれるような、

居心地のいい

そんなところにいく。

 

 

 

 

初めて味わった感覚だったなあ。

 

 

 

 

わたしが、歌うことができたのは、

この場にいた、ひとりひとりのあたたかな心、そして、紛れもなくあかりんのおかげ。

 

 

参加者は直とあかりんの2人だった。

 

 

 

 

まだ19歳だか20歳の

大学生のあかりん。

 

 

ここまで、なんとなーく、それなりに生きてこれて、でもどこか、物足りなくて、誰かや何かを見てるだけじゃ嫌で、葛藤もありながらの大きな一歩だった。もっと自由に表現したいって、強い思いを持ってた。

 

 

そんな彼女が、

何回か人前で歌って

休憩に入った時に、

 

「体がガクガクする」

「緊張する」

 

と言って、どりちゃんに抱きついて涙を流してた。

 

 

わたしはその姿を見た瞬間に

あかりんに抱きつきに行ってしまった。

 

 

 

 

あかりんの気持ちがわかるから。

足が震えるのがわかるから。

体がガクガクするのがわかるから。

歯がカクカクするのもわかるから。

 

 

 

わたしも緊張しすぎて

なんかすごいところにいくと

そうなる。

 

 

でもそこで、

 

 

それを素直に言葉にできて、

人に寄りかかることができること

 

 

それって、

ものすっっっごい、素直さと勇気なのよね。

 

 

 

もうその姿グッときてしまって、

愛おしいなあって気持ちと、

わたしが泣いてしまいそうな気持ちと

入り混じりながら、

あかりんの背中をさすっていた。

 

 

 

 

強がることもしない。

 

平気なふりもしない。

 

誤魔化すこともしない。

 

 

それって、ほんとうにたいせつで、

ほんとうに勇気のいること。

 

 

 

 

わたしは、

その彼女の姿を見て、

抵抗が残りながらも、

歌うことができたのだと思う。

 

 

 

 

 

歌い終わったあと、

直が、抱きしめてくれて、

うれしかった。

 

 

 

直が歌ってくれた「おかえり」も、

届きすぎて

溢れすぎて

のっかりすぎて

最後は涙が流れた。

 

 

 

 

歌いながら

直がわたしを見る、その目は、

 

 

純粋、そのもので。

 

200%に、ピュアな、こころ、愛。

 

 

 

 

こんなしあわせなことってあるのかなって、

ほんとうに有難いなあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな言葉があってよかったね。

みんな声があってよかったね。

 

 

 

 

言葉があるから、

伝えられる。

 

 

声があるから

届けられる。

 

 

 

 

わたしは最近、

直との間で、

 

 

【思っていることを言葉で伝える】

 

 

ってことの、トライをしていて、

 

 

 

小さい頃、

わたしは一切言葉を喋らない子だったように、

 

「無」でいること、

が、わたしを救ってくれていた時があった。

 

 

どんな感情も、言葉も、

「無」でいることが、そのときの、

わたしがわたしを守るすべだった。

 

 

 

今でもその名残があって。

 

直とやりとりをしてるときや、

けんかをしているときに、

 

突然この「無」が顔を出す。

 

 

 

 

そうすると、もう、なにもない。

 

 

なーーーんもない世界になる。

 

 

 

なにを聞かれても、

なにも響かなくて

なにも働かなくて

なんの言葉も出てこない。

 

 

そんな時がよくあった。

 

 

ちなみにこの「無」は

 

瞑想中にも出てくる。

 

 

だから自分の持つ、ひとつの、立派な反応なんだなあって、思ってる。

 

 

 

 

でも、いまは、トライしてる。

 

 

わたしいま、なにを感じてる?

わたしいま、なにを思ってる?

わたしいま、なにが言いたい?

 

 

って。

 

 

 

わかりやすくて、

 

わたしは、

 

何か言葉を飲み込む時

何か感情を飲み込む時、

 

 

のどがいがいがする。

 

 

だからそのいがいがを取ろうと、

 

奥の舌を動かして、なんか喉をなでるというか、なんて表現したらいいかわからんけど、

無意識に、体が、それをする。それが合図。

 

 

 

 

 

んで、

 

 

最大に

究極に

 

飲み込んできた言葉ってのが、

 

 

 

『愛してよ!!!』

『わたしの方見ててよ!!!!』

『わたしから離れないでよ!!!!』

『どっか行っちゃわないでよ!!!!』

 

 

 

それが、猛烈な怒りとして、

デストロイヤーとして、登場してくる。

 

 

この根っこは、お母さんとの関係で、それは過去記事を見て欲しいのだけど。

 

 

 

 

この、猛烈な感情の、猛烈な怒りが

デストロイヤーが、

 

 

今回の直との北海道旅で、

バンバンに登場して。

 

 

 

お互いに、

頭叩きあったりもしたし、

 

わたしが運転中、

後ろを見ずに本気で投げた水筒が

直の頭に当たったりもしたし、

 

出てってどっかいく直を引き止めようと

肩にかけてるカバンを引っ張ったら

ひもちぎれたし、

 

直は、車を蹴ったりしてた。

 

 

 

お互いに、

 

封じ込められてきた感情が

デストロイヤーとともに、

爆発するように、でてきてた。

 

 

 

 

でもいつも、

わたしが、直を泣かせて、その戦いはおわる。

 

 

直はまたどこか片隅に理性が残るけど

わたしは完全にタガが外れる。

 

 

直デストロイヤーが、

茉優デストロイヤーに降参する

 

 

そんな形で、いつもおわる。

 

 

 

 

そしてわたしは、『罪悪感』を持ってくる。

 

 

愛する『資格』がないと。

 

 

でももうそれは、いらないんだとわかった。

 

 

少しずつ、行動にも移せるようになってった。

 

 

 

 

超絶に不器用だけど、

転びそうに危ういけど

 

 

それでも、

わたしのほんとうの望みに近い選択を

わたしのなかにある愛に近い選択を

 

 

少しずつできるようになってった。

 

 

 

 

『ひとの愛し方』を

直がわたしを愛することで

教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

押し込められることで

溜め込まれることで、

 

 

素直に出せなくなるのだと。

 

 

そこに、怒りや攻撃が、まとわりついてしまうんだと。わかった。

 

 

 

 

 

「相手がどうだから」とか

「相手がこう言ってるから」とか

「きっと相手はこう思うだろうから」とか

 

 

わたしが相手軸に立ってるうちは、

 

 

言いたいことは言えない。

ほんとうの意味で愛することはできない。

 

 

【傷つくだろうから、言わない】

 

 

それは、優しさではない。

 

 

 

 

わたしがわたしの中の、

快・不快に素直になること、

 

 

 

 

 

それで相手が傷つくことがあっても、

それは必要な傷だということ。

 

 

 

 

 

「相手が傷つくだろうから」

ってのは胸糞悪い言い訳で、

いい人ぶりたいだけ、

その結果を負いたくないだけというか。

 

 

 

それは、わたしひとり、自分ひとり、が

かわいいだけで、

 

2人の関係には、不誠実。

 

 

 

 

ほんとうの、パートナーシップって、

生半可なものじゃないというか、

やわらかくて、やさしいだけじゃ、

成り立たないんだとおもう。

 

 

 

覚悟もするし、傷も負うし、負わせるし。

 

 

 

それでも、

感じてるままを、

ありのままを、

 

1人の人間と

1人の人間が

 

 

たいせつにすること。

 

 

その先にしか、

 

 

心地のいい関係はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度も何度も解散しかけたわたしたち。

 

 

 

その過程での、

 

 

すべてのできこと

 

すべての感情が、

 

大切で、かけがえのないものなんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでも、

 

100%ってさいこうなんだな

 

って。

 

 

例えそれが、怒りだとしても

 

 

 

100%に怒ってたらそれは最高だ。

 

 

なんでも、100%に、MAXに生きること、

 

そのときの感情を、感覚を、味わい尽くすこと、

 

 

 

それが、『生きる』ってことだし、

それが『生きがい』になる。

 

 

 

 

 

 

こんなにもキレることを、怒ることを、

自分に許せているということ、

それを出し切っても

大丈夫だと、相手を信じれていること

 

それって、さいこう。

 

 

 

 

 

何かをすれば

何かになれば、

 

生きがいって、得られるものじゃないんだろうなあ。

 

 

 

 

全ては状態。beingで。

 

 

doiogはそのための手段でしかなくて。

 

 

 

 

 

人はみな愛を体験しに、

この地球に生まれてきてて、

 

 

 

愛されること、

愛すること、

 

 

それを、学び体験していく。

 

 

 

 

 

愛されたいって、

その声が、強烈な感情となって、

強烈な怒りとなって、

叫ばれてるんだなあって。

 

 

 

 

そうに思えたら、

 

 

自分のデストロイヤーも

 

直のデストロイヤーも、

 

愛おしむことができる。

 

それができてる。

 

 

 

 

 

 

 

つい昨日、直と、もののけ姫を見た。

 

 

サンにプレゼントした、

刀みたいなネックレスで、

アシタカが傷つけられても、

 

アシタカはサンを抱きしめる。

 

 

そのシーンを見たときに、

 

わ、これ直だ、って思った。

 

 

 

 

相手の攻撃に

相手から負われる傷に

 

 

愛で返す。

 

 

 

 

 

それって、誰にだってできることじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

あとそういえば、

 

わたしたち大発見して、

 

 

直の男性性と

茉優の男性性は、仲良くなくて、

 

 

 

茉優の女性性と

直の女性性も、仲良くない時がある。

 

 

 

それはつまり、

 

 

茉優も直も、

 

それぞれの中の

 

 

男性性と女性性の開花と統合がされてなくて、バランスが取れてないってこと。

 

 

 

 

これによる、現象、現実を、たくさん目にする。その度にそれを、教えられて、それが面白い。

 

 

 

 

 

あんなにも、

「もっと愛してよ!!」

「もっと受け取ってよ!!」

「もっと与えてよ!!」

と、ぶつかり合ってたわたしたちも、

 

 

 

気づき、学び、今はまた新しいところに立っている。

 

 

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直の前でわたしが先に寝ること、

起きてる直の横ですやすや寝れてること、

それが新しかったね。ってときの直が撮ってくれてた写真。

 

 

 

 

 

わたしってつくづく、

どこまでも、細部にわたって

相手軸だったんだと

それが染み付いてるんだと、

痛感させられた北海道旅でした。

 

 

 

そして、どこまでも本気でぶつかりあって、本気で愛を交わし合った北海道旅でした。

 

 

 

 

生きててくれて、ありがとう、直。

ともに生きてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

また今日から直と離れて、

わたしはひとり瀬戸内海の豊島へ。

 

 

 

家探しと1年ぶりのバイト。

 

お金を稼ぐということ、

働くということ、

 

わたしは何を感じるかな。

恐怖をどれだけ味わえるかな。

 

次のテーマは、「おかね」かなあ。

 

豊島でいっぱい味わってこよう。