mayu’s diary

感じたままを、ありのままに、正直に。

神聖だった、屋久杉。

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(きれいにとれたハート)

 

 

 

 

すごくすごくよかった。

 

 

 

縄文杉にたどり着くまでの、

8時間のトレッキング。

 

 

 

 

ほんとにジブリみたいで、

作られたものでも

美術でもなく、

 

 

いま

わたしの目の前に確かに存在してて、

自然たちは生きていて、

それを自分の目で「見る」ということ

 

 

ができてることが、

 

すごくすごくうれしかったなあ。

 

 

 

 

 

岩の感じ、

こけのかんじ、

草の感じ、

落ち葉の感じ、

空の感じ、

太陽の感じ、

木漏れ日の感じ、

川の感じ、

木のベンチの感じ、

木の鶴の感じ、

 

 

 

 

 

ぜーーんぶぜんぶが、さいこうだった。

 

 

 

 

 

ロッコ道の途中までは、

1人でトトロを歌って歩いてた。

 

 

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シカさんにも会ったよ。

 

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『人が祈る姿が1番、美しい』

 

 

ってことば、

よく聞くけど、

 

 

 

 

神聖で

美しくて

厳かな

 

ものを前には、

 

 

人は自然と、

 

手を合わせる生き物なのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

 

反射的に、

無意識的に、

 

心を奪われた杉の木を前に

 

 

ふと、なんの気もなしに、

手を合わせている自分がいた。

 

 

そして

「ありがとう。あいしています」

 

 

と、つぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロッコ道おわって、

山道入ってからは、

 

「絶対にこれがゴールの縄文杉でしょ!!!」

 

って何度も思った。

 

 

だって、風貌、風格が、でているんだもの。

 

 

 

ものすごいものを放っている。

 

 

 

 

なのに、その先にもまだ道が続いている。

 

 

 

ん〜〜ということは、まだこれは、

縄文杉(=ゴール)ではないのかあ、、

 

 

 

 

その繰り返しだった。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それくらいに、

世界遺産区域に入ってからは、

 

 

 

空間のもつパワー、エネルギーが

すごかった。

 

 

 

木からでてるものが、あまりにも、神聖で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、

23年間生きてきた中で、

いっちばん、時間も距離も、

歩いた日だったんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前に広がる

 

ひとつひとつの、いのちに、景色に

 

励まされながら、

 

足の痛みを感じながら、

 

呼吸を感じながら、

 

たまに音楽を聴きながら、

 

 

 

歩いてたそのときに、ふと、

 

 

 

 

 

どこまでも続く自由を、

 

際限なく広がる自由を、

 

感じた。

 

 

 

 

 

自由が、わたしの中の宇宙に、

 

 

めいっっっっっぱいに、

充満してることを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間に、涙が出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分で自分を『不自由』にしている、

 

ということは、

 

あたまでも、わかっていた。

きっと実感でもわかってた。

 

 

 

 

それとは真逆の

 

 

自分で自分を『自由』にする

 

 

この感覚。

 

 

 

 

「めちゃめちゃ自由やーーーーーー!!」

 

 

って叫んだ。笑

 

 

 

 

 

うれしくて

心地よかった。

 

 

 

 

 

 

ここまでのプロセスのひとつに、

【失恋と片思い】っていう、

直との関係のことがあって、

それはまたべっこで、ブログに書こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの、感覚なんだとおもう。

 

 

 

 

どこまでも自由が広がる感覚。

 

 

それにうれしくて、涙が出る感覚。

 

 

 

豊島に行った時も同じ感覚があったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは、今回1人で行ったのだけど、

 

 

時間の過ごし方、

人との出会い、

 

 

1人で行ってよかったなあとほんとうに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道中お昼寝したり、

川でぼーーっとしたり、

いい感じのところでおにぎり食べたり、

平らなところで横になったり、

そしてゴキブリ体操したり(仰向けで手足ぶらぶら)、

歌をひとりで熱唱したり、

疲れたときはちびちびゆっくり歩いたり。

(そしたら、おじさん「疲れてるのか?」って声かけてくれて、きれいな川を教えてくれて、すてきな景色と出会えた!)

 

 

 

 

 

 

 

 

前回、群馬の岩櫃山ってのに登ったんだけど、

 

 

あの経験、これのためだったのね!!!

 

 

ってすごくなった。

 

 

 

 

あのときは、恐怖ばかりみてた。

 

 

 

 

 

でもそんなんじゃ、

1人で山なんて登れないって、

坂爪さんのタイムリーな言葉があって、

 

 

 

 

結局は、

 

自分に自分で、どんな話を聞かせるのか。

自分に自分で、どんな世界を見させるのか。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

 

いける、大丈夫。

 

 

って。

 

 

 

〜かもしれない

って、不安&恐怖は、とっぱらった。

というか、選ばなかった。

 

 

 

 

 

 

そしたら、前回の岩櫃山とは、

 

まっっっったく違う感じに登れて、

 

 

 

 

でかい岩だらけの、

木のツルだらけの、

急な山道に、

 

わくわくして、るんるんと、とんとんと

登ってる自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもしろかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうに、いい経験になりました。

ありがとう。

 

 

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香港の人が撮ってくれた写真

 

 


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帰り道の夕焼け