2018.9.30
感覚的にわかった、今朝の瞑想。
まだ、この怖さを味わいたいんだね。
でももう充分じゃないかなあ?
そしてこの怖さを握りしめてる限りは、苦しいよ。
この怖さを超えて、飛び立とう。
わたしは、自分の愛する人、大切な人と、
一緒にいれる時間が何より大事だと思ってきた。
というか、その時間を1番大事にしたかったんだよね。
得たくて得たくて、
得れてこなかった安心が、そこにはあると、信じていたから。
でも違った。
安心できる場所のようで、
そこは、1番怯えた檻の中のよう。
自分の中にたくさんの矛盾を見る。
愛している。
なのに、嫌だ、きらい、憎い。
そばにいたい。
なのに、もういいよ、行けばいいじゃん、もう見放すんでしょ?わたしなんてどうでもいいんでしょ?
大事にしたい。
なのに、言葉で行動で、傷つける。
これのどこが自由?
これのどこに未来がある?
愛する人と一緒にいる時間よりも
自分が自分らしく在れる時間の方が大切だ。
今日で人生終わるとしたら、何をする?
その問いにいつもわたしは、
大事な人、愛してる人と一緒に時間を過ごす、
と答えていた。
それも、それで、たいせつなんだ。
でもそれよりも、
人生最後の瞬間に、
自分が、自分らしく、生ききれた
と。
そう思える最期にしたい。
直がいった。
自分を捻じ曲げなきゃ
いけない関係は本物じゃない。
わたしのままのわたしでいて、
壊れるものはなくていい。
と。
ほんとだね。
傷になってたけど、
わたしがわたしで
傷にしてたけど
わたしもそうだったよ。
ありがとう。